2/19(木)
今の時代、
世界中で巻き起こる自我の世界を、
瞬間的に目にすることができる。
それに同調すれば、
苦しみが増すばかりだと思うけど、
自我の枠の広がりだと考えると、
反転すればありがたさが増す気もします。
やっぱり全部つながっているんだな、
と改めて思います。
反転できたなら、
それを目の前の感謝として形にしていく。
ありがたい世界に生かされている。
今日という機会を、大切にしたい。
全ては内側の宇宙の広がり。
世界をどう見るかで、
目の前の一枚のプレスの質が変わる。
生かしていただいて ありがとうございます
世界中で巻き起こる自我の世界を、
瞬間的に目にすることができる。
それに同調すれば、
苦しみが増すばかりだと思うけど、
自我の枠の広がりだと考えると、
反転すればありがたさが増す気もします。
やっぱり全部つながっているんだな、
と改めて思います。
反転できたなら、
それを目の前の感謝として形にしていく。
ありがたい世界に生かされている。
今日という機会を、大切にしたい。
全ては内側の宇宙の広がり。
世界をどう見るかで、
目の前の一枚のプレスの質が変わる。
生かしていただいて ありがとうございます
04:40, Thursday, Feb 19, 2026 ¦ ¦ コメント(0)
2/18(水)
一人で学ぶより、
皆で、宇宙全体で学ぶ方が面白い。
日々の出来事も、出会いも、体験も、
すべては一つへ向かう途中の学び。
良い悪いではなく、
感謝体として、どう受け取り、どう生かすか。
「許す」「受け入れる」――
その言葉の重みが、
少しずつ体でわかってきました。
良心は、自分の内だけでなく、
外のすべてにも同じ源として現れている。
仕事も、ブログも、
内なる学びのアウトプット。
生きるとは、
良心と向き合い、良心とともに在ること。
プレス後の衣類には、
普段は見えない良心が現れる。
生活そのものが、
良心の姿になっていく。
そして気づけば、
良心と分かれない自分で在る。
外からの刺激は、
良心をそっと隠してしまう。
だから、静の中に身を置き、
問う。
ようやく目の前のことと内が、
つながり始めた感じはあります。
生かしていただいて
ありがとうございます。
皆で、宇宙全体で学ぶ方が面白い。
日々の出来事も、出会いも、体験も、
すべては一つへ向かう途中の学び。
良い悪いではなく、
感謝体として、どう受け取り、どう生かすか。
「許す」「受け入れる」――
その言葉の重みが、
少しずつ体でわかってきました。
良心は、自分の内だけでなく、
外のすべてにも同じ源として現れている。
仕事も、ブログも、
内なる学びのアウトプット。
生きるとは、
良心と向き合い、良心とともに在ること。
プレス後の衣類には、
普段は見えない良心が現れる。
生活そのものが、
良心の姿になっていく。
そして気づけば、
良心と分かれない自分で在る。
外からの刺激は、
良心をそっと隠してしまう。
だから、静の中に身を置き、
問う。
ようやく目の前のことと内が、
つながり始めた感じはあります。
生かしていただいて
ありがとうございます。
05:29, Wednesday, Feb 18, 2026 ¦ ¦ コメント(0)
「修行」2/17
自身が感謝体そのものであった――
その自覚と実感が、
静かな力を与えてくれている気がします。
何かを足したからでもなく、
何かを得たからでもない。
もともと、そこにあったものに気づいただけ。
だからそれは、
強く主張する力ではなく、
ただ揺れにくい力。
焦らず、煽られず、
丁寧に手を動かせる力。
今日も、
生かしていただいて ありがとうございます。
古来より神仏習合の地として、
多くの行者や求道者が道を求めてきた
平泉寺白山神社。
そこに思いをはせるだけで、
自然と姿勢が正され、真剣さが増してきます。
拝殿で整え、
本社で向き合い、
さらに奥へ。
三宮、山へ、宇宙へ。
そしてまた、
歩んできた道を味わいながら日常へ戻る。
とても合理的で、実践的な学びの場だと感じました。
日常に降り立ったあとも、
すべてが修行の時間。
ありがたい力です。
そう遠くない未来、
仕事の多くがAIやロボットに置き換わるとも言われています。
そのとき初めて、
人間の価値とは何か。
何のために生きるのか。
人生とは何か。
そんな問いが、本格的に始まるのかもしれません。
人間の本質は、
良心にある。
だからこそ今、
手を動かし、問い、整え、澄ませる。
尊い存在が、ずっと胸の中にいてくださった。
それだけで、生きる価値はあると思います。
生かしていただいて ありがとうございます
その自覚と実感が、
静かな力を与えてくれている気がします。
何かを足したからでもなく、
何かを得たからでもない。
もともと、そこにあったものに気づいただけ。
だからそれは、
強く主張する力ではなく、
ただ揺れにくい力。
焦らず、煽られず、
丁寧に手を動かせる力。
今日も、
生かしていただいて ありがとうございます。
古来より神仏習合の地として、
多くの行者や求道者が道を求めてきた
平泉寺白山神社。
そこに思いをはせるだけで、
自然と姿勢が正され、真剣さが増してきます。
拝殿で整え、
本社で向き合い、
さらに奥へ。
三宮、山へ、宇宙へ。
そしてまた、
歩んできた道を味わいながら日常へ戻る。
とても合理的で、実践的な学びの場だと感じました。
日常に降り立ったあとも、
すべてが修行の時間。
ありがたい力です。
そう遠くない未来、
仕事の多くがAIやロボットに置き換わるとも言われています。
そのとき初めて、
人間の価値とは何か。
何のために生きるのか。
人生とは何か。
そんな問いが、本格的に始まるのかもしれません。
人間の本質は、
良心にある。
だからこそ今、
手を動かし、問い、整え、澄ませる。
尊い存在が、ずっと胸の中にいてくださった。
それだけで、生きる価値はあると思います。
生かしていただいて ありがとうございます
04:56, Tuesday, Feb 17, 2026 ¦ ¦ コメント(0)
「ゼロに戻るということ」2/16(月)
最近、ふと腑に落ちたことがあります。
それは、自我があること自体が、実はとてもありがたいということ。
一般的には、自我は手放すもの、厄介なもの、苦しみの原因のようにも語られます。
たしかに、自我に飲み込まれているときは視野が狭くなり、仕事でも、人間関係でも重たくなる。
でも、自我があるからこそ、問いが生まれる。
自我が反応するからこそ、
「これは本当か?」
「中心はどこか?」
と胸に問える。
つまり自我は、敵ではなく、
観るために与えられた素材なのだと思いました。
自我を消すのではなく、
良心とともに包み込んでいく。
その姿勢でいると、最後はいつも同じところに戻っていきます。
生かしていただいて、ありがとうございます。
この感覚に自然と帰着する。
さらに面白いのは、問い続けていくと、
だんだん「何もない」感覚に行き着くことです。
評価も、肩書も、勝ち負けも、物語も、
いったん全部そぎ落ちていく。
まるで、水洗いしたあとの衣類をプレスする前の、
あの静かな状態のように。
作務でも同じで、
「うまくやろう」が抜けたときほど、
手が自然に動く。
何もない。
でも、そこで終わりじゃない。
何もないところから、また生まれてくる。
無理に作らなくても、
自然に湧いてくる動きがある。
自然に出てくる言葉がある。
自然に次の一手が見えてくる。
空はゼロではなく、
固定できない豊かさ。
だから今日も、
問いを持ちながら、
手を動かし、
感じ、
整え、
またゼロに戻る。
結局いつも、ここに戻る。
生かしていただいて ありがとうございます。
自我があるから、
感謝に気付ける。
なんとも、もどかしくも、
ありがたいものを与えていただいている。
では――
自我が薄まったらどうなるのか。
もしかしたら、
「感謝する」のではなく、
感謝している状態そのものになるのかもしれない。
そう思うと、もう、
ため息が出て、笑うしかない。
感謝は、
初めからそこに在ったのかもしれない。
なんともなぁ。
人生とは、
感謝に戻る旅やったんかい!
生かしていただいて ありがとうございます
次は、
感謝体そのものとしての行動の探究ですね。
それは、自我があること自体が、実はとてもありがたいということ。
一般的には、自我は手放すもの、厄介なもの、苦しみの原因のようにも語られます。
たしかに、自我に飲み込まれているときは視野が狭くなり、仕事でも、人間関係でも重たくなる。
でも、自我があるからこそ、問いが生まれる。
自我が反応するからこそ、
「これは本当か?」
「中心はどこか?」
と胸に問える。
つまり自我は、敵ではなく、
観るために与えられた素材なのだと思いました。
自我を消すのではなく、
良心とともに包み込んでいく。
その姿勢でいると、最後はいつも同じところに戻っていきます。
生かしていただいて、ありがとうございます。
この感覚に自然と帰着する。
さらに面白いのは、問い続けていくと、
だんだん「何もない」感覚に行き着くことです。
評価も、肩書も、勝ち負けも、物語も、
いったん全部そぎ落ちていく。
まるで、水洗いしたあとの衣類をプレスする前の、
あの静かな状態のように。
作務でも同じで、
「うまくやろう」が抜けたときほど、
手が自然に動く。
何もない。
でも、そこで終わりじゃない。
何もないところから、また生まれてくる。
無理に作らなくても、
自然に湧いてくる動きがある。
自然に出てくる言葉がある。
自然に次の一手が見えてくる。
空はゼロではなく、
固定できない豊かさ。
だから今日も、
問いを持ちながら、
手を動かし、
感じ、
整え、
またゼロに戻る。
結局いつも、ここに戻る。
生かしていただいて ありがとうございます。
自我があるから、
感謝に気付ける。
なんとも、もどかしくも、
ありがたいものを与えていただいている。
では――
自我が薄まったらどうなるのか。
もしかしたら、
「感謝する」のではなく、
感謝している状態そのものになるのかもしれない。
そう思うと、もう、
ため息が出て、笑うしかない。
感謝は、
初めからそこに在ったのかもしれない。
なんともなぁ。
人生とは、
感謝に戻る旅やったんかい!
生かしていただいて ありがとうございます
次は、
感謝体そのものとしての行動の探究ですね。
11:56, Monday, Feb 16, 2026 ¦ ¦ コメント(0)
2/16(月)
調子に乗っている間は、
理性ではブレーキが利かない。
それほどに、性(さが)は強い。
だからこそ、無理に抑え込まず、
ただ静かに観るしかない。
そうしているうちに、
いつの間にか、静かに坐れるところへ戻っている。
ありがたいことです。
身を委ねることのできる、
大きな力がある。
どこまで行っても――
孫悟空。
生かしていただいて ありがとうございます。
体の六割は水。
心臓から、隅々まで巡っている。
意識もまた、静かに全体へと行きわたる。
心を澄ませると、
全体が自然に整っていく。
そんなことなのかもしれません。
理性ではブレーキが利かない。
それほどに、性(さが)は強い。
だからこそ、無理に抑え込まず、
ただ静かに観るしかない。
そうしているうちに、
いつの間にか、静かに坐れるところへ戻っている。
ありがたいことです。
身を委ねることのできる、
大きな力がある。
どこまで行っても――
孫悟空。
生かしていただいて ありがとうございます。
体の六割は水。
心臓から、隅々まで巡っている。
意識もまた、静かに全体へと行きわたる。
心を澄ませると、
全体が自然に整っていく。
そんなことなのかもしれません。
03:58, Monday, Feb 16, 2026 ¦ ¦ コメント(0)