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2018年 1月10日

「善因善果悪因悪果」1/10(水)
善意で言ったり行ったりしたことが
誤解されて悪い結果を生んでしまう。


過去を振り返ると心の痛みを伴う
そんなことばっかりが思い出されます。


私はよく妻の母に
「輝道さんはウソがつけん。正直すぎるけえ」と、
言われます(笑)。


本当にその通りで
こればっかりはどうしょうもありません。


嫌なことはすぐに顔に出るし、
嬉しいこともすぐに顔に出る。


自分で言うのも変ですが、
話がかみ合わない人にも気を使って
(相手に嫌な思いをさせたくない)、相手と話を合そうと
頑張って、末に結局話が最後までかみ合わず
ヘロヘロになって物凄く嫌な気持が残ってしまう。
これはお互いだと思いますが・・。


そんなことって
ここの人以外と関わった場合は
いっぱいあります。


私の場合、表面的な立前ではなく良心に沿った
本音でしかお付き合いできないのかもしれません。


蓮如上人は
「信心のない者と付き合うな」と、
はっきり言われています。


損か得か人間の物差し。
ウソかマコトか仏さまの物差し。


この物差しの視点が
違うと噛み合わないのです。


ただ世間に出ると困ったものです。
自身の「いのち」が感じているありのままの本音が出て
それが言葉や態度に出てきますから。


悪意はないんですけどねえ・・。
相手に善くなって欲しいと願っているのですけどねえ・・。


ただ、
仏典を読むと、こうやって善意で取った言動が
誤解されたり、悪意ととらえられたりしても、それは
悪い因果にならないのだそうですね、


ああ、よかった。


ところが、
相手との約束を平気で破ったり、
やるべきことをウソをついたり誤魔化してやらなかったり、
腹の内では違っていても適当にその場限りの人間関係を

つくったり、
こういう場合はハッキリと悪い因果となって悪い結果が
倍返して゛必ず返ってくるそうです。


やはり人は他人から誤解されようが、
変人扱いされようが、善意で生きていく方が
悪い因果にならないのでよっぽどお得です。


逆に、
その場しのきでいくら相手とうまく渡り合っていた
としても、そこにウソがあったり、誤魔化しがあったり、
相手の痛みを考えない言動を取っていたら、
悪い因果が残ってその因果の清算を
必ず行わなければならないことが起こってくる。
こりゃあ、嫌なことで、
まったく割に合いません。


だから、
後者のパターンの人は
本当に嫌でたまらないリピート再生を
体験し続けて、そういった無自覚の悪を
昇華していくのでしょう。


実に嫌なことですが。


やっぱりバカをみても
正直で素直がいいなあ・・。

17:41, Wednesday, Jan 10, 2018 ¦