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2011年 8月

vol. 3161
「独占しないで解放すると、ツキが来る」  (2011/8/31 [Wed])
「独占しないで解放すると、ツキが来る」

技術も知識も知恵も、すべてのことを独占しないことです。
調子が良い時は独占しようと思えば、独占できないことはありません。

ただ、独占すると、その人はそこで終わりです。
自分のところに入ってきたお金・成功・技術・幸せ・ツキ、
すべてのものを独占しないで解放して、みんなに普及するようにします。


こうすることによって、ツキはますます成長します。
自分の手元に監禁していたら、ツキは成長しないで腐ってしまいます。
ツキは生ものです。冷凍しようとしても、冷凍できません。
せっかく技術があるのにうまくいかない人がいます。


その人は、技術を独占しています。
解放せずに、一人で握り締めています。
アイデアに関しても、アイデアをペラペラ人に話してしまったら、
人に盗られると思っている人は、アイデアマンにはなれません。


「本を書いたのですが、どこかいい出版社を紹介して下さい」と、
原稿を送ってくる人がいました。

私は、それを読みませんでした。なぜなら、添えられた手紙の中に、
「この本を知らない出版社に持っていってアイデアを盗まれたら困る」
と書いてあったからです。

本を書くことは、世の中すべての人にアイデアを分けることに意味があるのです。
アイデアを盗まれたらどうしようという発想自体、


その人は本を書くことに対して間違った考え方を持っています。
そんな原稿を読んで、「中谷さんにアイデアを盗まれた」と言われたら心外です。
だから私は、その原稿を読まずにそのまま返しました。

アイデアのない人ほど、アイデアを人に話すことをためらいます。
「こんないいアイデアをあまり人にベラベラしゃっべったらもったいないのに」
と思うことをたくさん話してくれる人がいます。そういう人は、
無限にアイデアが出てくる人です。

それは、無限にアイデアがあるから話すのではありません。
アイデアを独占しないから、どんどんアイデアがわいてくるのです。


ツキを呼ぶコツ
「独占したいものこそ、みんなにあげよう」


著中谷 彰宏 「ツキを呼ぶ53の方法」より抜粋

vol. 3160
「ツキを監禁しないで、みんなにまわしていこう」  (2011/8/30 [Tue])
ツキは、手に入れることが最終的な目的ではありません。
ツキを利用して、幸せを手に入れるのです。


ところが「ツキが欲しい」と思っている人は、ツキが入ると、
それを利用しないでどんどん貯金してしまいます。


入ってきたツキを、幸せと交換しようとしません。
ツイているようで,全くハッピーではないのです。
ツキがたくさんあればハッピーになれるわけではありません。


入ってきたツキを利用して初めて、
あなたは成功したりハッピーになったりできるのです。


ツキをたくさん持っていても、ハッピーではない人がたくさんいます。
その人はツイていないと思いこんでいます。
それは、ツイていないのではなく、ツキを使っていない、
ツキを手放していないだけです。


ツキを手放すというと、もったいないことをしているような気がしますが、
そうではありません。ツキをみんなにまわしていくのです。
お金をムダ使いするのではなく、みんなにまわしていくのと同じです。


お金をどぶに捨てるのとは違います。
お金を他の人にまわしていくという考え方で、お金離れがよくなります。


ツキも同じです。ツキを自分一人で握りしめないで、
みんなにまわしていくことで、「ツキ離れ」がよくなります。
それはまた返ってきます。
自分の中においても、ツキは成長しません。


「銀行に預金しても利率がゼロだ」と言ってる人がいます。
それは当り前なのです。逆に減らなくて良かったのです。


本当は、預け賃を出さなければいけないくらいです。
貯めることは握りしめているだけですから、
それが増えるのはおかしいのです。



持っているものを成長させるためには、手放すようにします。
子供を過保護にすると成長しないのと同じです。



お金を監禁してはいけません。
ツキも監禁して閉じ込めてはいけないのです。



ツキを呼ぶコツ
「入ってきたツキを幸せと交換しよう」


著中谷 彰宏 「ツキを呼ぶ53の方法」より抜粋


vol. 3159
「すぐ答えを聞く人には、ツキは来ない」  (2011/8/29 [Mon])
人から教わることは大切です。
でも、自分で考える力も必要です。
ツキの来ない人は、素直です。
すぐ「教えてください」と言います。


受験勉強の悪い面は、わからないと、すぐ正解を聞こうとします。
就職活動中の学生にあうと、すぐ正解を聞いてきます。
彼らは明らかに考えていません。
でも、「考えました、考えてもわからないから」と言います。
「考えてもわからない」と言うところから考えなければいけないのです。


それは、考えてもわからないのではなくて、知らないだけです。
「知らない」から、次に、初めて「考える」のです。
それから「考えてもわからない」と言うところにたどり着くはずです。
「知らないから答えを教えてくれ」と言うのは、
自分で物事を考える習慣がついていないのです。


そういう人に知らないことを教えても「ふうん」で終わってしまいます。
ところが、考えて考え抜いた人に教えると「なるほどね」と言います。
答えを聞いた瞬間に「ふうん」と「なるほどね」では、まるで違います。


これは本を読むことと同じです。
本から情報を得ようとしているだけの人は、ぜんぶ「ふうん」で流れていきます。
最終的に「たいしたことは書いていなかった」と言います。


ところが、本を読む前に、実人生の中で悩んで悩んで悩み抜いている人は、
本の答えを聞いた時に「なるほどな」と味わえます。


これは推理小説と同じです。
推理小説は、後ろから読むことも可能です。
犯人が誰か、後ろから読めばすぐ出てきます。
そんな推理小説の読み方はしません。
あら筋で推理小説を楽しみたいという人はいません。


ところが、ツキの来ない人は、あら筋読もうとします。
教わることは大切ですが、
教わる前に自分なりに考え抜いた答えを用意してくることです。
用意しているかどうかで、最終的に正解を聞いた時の、


自分の体の中へのしみ込み方が違います。
本を読む行為は、自分の中で悩みぬく行為なのです。

ツキを呼ぶコツ
「教えてもらう前に、「自分なりの答え」を考え抜こう」


著中谷 彰宏 「ツキを呼ぶ53の方法」より抜粋


vol. 3158
「お金に〔タッチ&ゴー〕できる」  (2011/8/28 [Sun])
お金との付き合い方で、ツキが来たり、来なかったりします。
お金は、ツキを呼び込むきっかけになります。
が、ツキを逃すきっかけにもなります。


お金を自分のところに長居させないことです。
お金にタッチしたら、すぐゴーするのです。


成功してお金が入ってきた人がツキを逃すのは、
入ってきたお金をタッチ&ゴーできずに、握りしめてしまうからです。


ツキはお金のあるところに来ます。
でも、お金のたまっているところにはきません。
金がないとツキはきません。が、ツキはお金通った後に来ます。


お金がたまって淀んでいては、流れがきません。
お金がないうちは、タッチしていないので、いくらでもゴーの状態です。


お金が入り始めた時が危険です。
これは、ギャンブルでも商売でも、個人の貯金でも同じことです。


お金が入ったら、いかに手放していくかを考えればいいのです。



ツキを呼ぶコツ「お金を長居させないようにしよう」


著中谷 彰宏 「ツキを呼ぶ53の方法」より抜粋


vol. 3157
「ツキのリズムは、後ノリ」  (2011/8/27 [Sat])
リズム感で言うと、ラテンは「ンチャ・ンチャ・ンチャ・ンチャ」
とリズムのノリが後ろに来ます。日本のリズムは前に来ます。


あるミュージカルの日本公演があった時、
ラテン音楽でも観衆の手拍子は前ノリでした。本当は後ノリです。
後ノリのリズムで手拍子を打っている人は誰もいませんでした。
ツキのリズムは「後ノリ」です。「ンチャ・ンチャ・ンチャ・ンチャ」で合うのです。


「どうしたらツキが来ますか」と聞かれて、
「こうすればいいすよ」とアドバイスしても、
ツイてない人はあせって「それもうちょっと早くなりませんか」と言います。


「早くなんとかしたらこのツキを生かせないよ。
それでも早いほうがいいの?」
「ちょっとでも早く」と言ってツキをつぶしてしまうのです。

あせらないで、一拍遅れていくことです。
ワルツのリズムはただの1・2・3ではなく、ン1・ン2・ン3と
間に小さい「ン」が入ります。飛びつく前の一拍をガマンすることが大切です。


余裕を持って一拍遅れを待てる人は、ツキを呼び込めます。
「成功したい」「出会いたい」と言う人は、大体あせっています。
あせっている人が本を読むと何も吸収できません。

講演会でも「なにも面白い話がなかった」と言う人は、
今日すぐ成功できる話を聞きに来てます。
「こうしていくと1年後には確実にこうなりますよ」と言っても、


そういう人は「1年も待っていられない」と言います。
そうなるとなにもつづけられません。どんなことでも続けなければ、ツキは来ないのです。



ツキを呼ぶコツ「ギラギラしない」

著中谷 彰宏 「ツキを呼ぶ53の方法」より抜粋


vol. 3156
「〔ヒヤリとするセンス〕が、ツキを呼び込む」  (2011/8/26 [Fri])
 車の運転の下手な人は、自分がいかに危ないことを
しているか気づいていません。
「車線変更も全然大丈夫」と言います。


本当は、車線をまたいで走っているので、
まわりの車が怖くてよけているだけだったりします。
でも、本人は全然大丈夫だと思っています。
車の運転のうまい人は、「今のはちょっと危なかったな」
という、ヒヤリに気がつきます。


 サービス業でも、サービスセンスのある人は、
「これはギリギリいっぱいでOKだったけれども、
もうちょっとでお客様のクレームになるところだった」とヒヤリとするのです。


ところがセンスのない人は「クレームがなかったら、
何ら問題がなかったのだ」と考えて、見逃してしまします。
クレームが来るか来ないかのラインは、
くっきり分かれているものではなく、グラデーションです。


あとちょっとで、何かのタイミングでクレームになったことを、
どう解決していくかが大切です。


クレームに対しての取り組みは、誰でもやります。
でも、「もうちょっとでクレームだったこと」を解決する必要があるのです。
クレームになったお客様は、もう一度来てくれます。


ところが、クレームギリギリでクレームを言わなかったお客様は、
二度と来てくれません。お客様を逃してしまいます。


クレームギリギリでくれクレームになっていない、
コメントレターが出ていないことに気づくセンスを持つことが大切なのです。


 ツキを呼ぶコツ「ヒヤリとしよう」

著中谷 彰宏 「ツキを呼ぶ53の方法」より抜粋

vol. 3155
「ツキは〈鍛えられた体〉から生まれる」  (2011/8/25 [Thu])
ツキを呼び込みたかったら、体を鍛えることです。
体が弱いと、ツキは来ません。
売れない役者は仕事がありません。
その間に体を鍛えます。
できることはこれしかありません。


私が無実の罪で捕えられたとします。
そうしたら、私は牢獄の中で、体を鍛えるでしょう。
いつか脱走する時のために、体を鍛えます。


映画「パピヨン」の中でも、体を鍛えるシーンがあります。
せっかくツキが来ても、そのツキを生かせない人は、健康を害している人です。


体を鍛えるのは、筋肉的な鍛え方もあります。
病気に対しての免疫力を鍛えるというのもあります。
鍛えられた体でないと、ツキは生まれてきません。


わいて出てきたツキを生かすためにも、鍛えられた体が必要です。
男性でも女性でも、まだ無名の若い役者で、
「仕事がないんです」とか「オーディションを
受けに行ってもなかなか通らないんです」という人で
これから伸びてゆく人は、ジムに行って体を鍛えている人です。


体を鍛えるのは時間がかかります。
やがて売れ始めると、体を鍛える時間はどんどんなくなっていきます。
今のうちにできるのは体を鍛えることぐらいしかないと思って体を鍛えることです。


売れない人は、それもやっていません。
「仕事がない」と言いながらブラブラしています。
どんなにすることがなくても、本を読んだり体を鍛えることはできます。


それはツキが来たときに、そのツキをさらに続けていく力になるのです。



ツキを呼ぶコツ「体を鍛えよう」
 
著中谷 彰宏 「ツキを呼ぶ53の方法」より抜粋

vol. 3154
「片思いがツキを呼ぶ」  (2011/8/24 [Wed])
 一生懸命頑張れるものに「出会える人」と「出会えない人」がいます。
出会えない人は、一生懸命やれません。

一生懸命やってない人が悪いのではありません。

一生懸命やっている人を笑う人は、
一生懸命やるものにめぐり会えなかったのです。

そういう人は、悩みも壁も課題もありません。

本を読んでもピンと来ないし、映画を見ても、
音楽を聴いても感動できません。

恋愛と同じで片思いから始まります。
片思いできる相手にめぐり会えない人は、
切ない思いを持てません。

好きな人がいないからです。
恋人がいないと不安です。

でも、好きな人がいてその人が自分のことを好きでないとか、
その人に嫌われるということよりはるかにラクです。

好きな人と付き合えないのではなく、
好きな人にめぐり会えないことのほうがはるかに気の毒なことです。

「好きな人が自分のことに気づいてくれない」とか、
「他の人を好きになっている」というのは、ツキが悪いのではありません。

自分が好きだと思える人にめぐり会えた時点で、
あなたはツキがいいのです。

ほとんどの人は誰が好きかわからないまま終わってしまいます。
それでもなんとなく恋愛したり、結婚したりすることがあります。

仕事で言えば、自分が片思いできる仕事が
ないまま一生を終る人はいっぱいいます。

一番苦労している人は、好きな仕事にめぐり会えた人です。

自分はこれが好きだと思っても、そんなに簡単にかなうわけではありません。

仕事も恋愛と同じぐらい、片思いの時期があります。
どんなにやってもなかなか報われないのは、幸運なことなのです。


ツキを呼ぶコツ
「片思いをしよう」


著中谷 彰宏 「ツキを呼ぶ53の方法」より抜粋

vol. 3153
「悔しがること」でツキが来る」  (2011/8/23 [Tue])
「悔しがることでツキが来る」

 「悔しさ」はいい感情です。悔しさは内側から湧いてきます。
怒っている人は悔しがっていません。
うらんでいる人も、悔しがっていません。
勝負に負けて悔しいと思うことは、大切です。
うらんでいる人や怒っている人は、悔しがっていません。
負けたときは、ちゃんと悔しがるようにします。


スポーツで学ぶべきことが多い試合は

1、最下位になった時
2、優勝できそうになったのに、2位で終わった時

の2通りあります。
この2つの時に、人は最も成長します。
この思いを悔しさに変えることができるからです。
スポーツ選手で怒ったりうらんだりしている人は、
真のスポーツ選手ではありません。


悔しがればいいのです。今日の悔しさを明日につなげていきます。
怒りやうらみは、明日につながりません。
エネルギーをただ消耗するだけです。
悔しがることはエネルギーを消耗しません。
怒ることやうらむことは、すごく疲れます。
怒ったり、うらんだりすることの悪い波動は、
自分の精神、体を蝕んでしまうのです。



ツキを呼ぶコツ
「もっと悔しがろう」


著中谷 彰宏 「ツキを呼ぶ53の方法」より抜粋

vol. 3152
「悩む人ほどツキが来る。」  (2011/8/22 [Mon])
 プロボーラー一期の井上望プロに、
ある時「何か悩んでいる?」
と言われて「大丈夫です」と答えたら、
「たくさん悩んでね」と言われました。
その言葉はとてもうれしかったです。
悩むことはよくないというイメージがありますが、
たくさん悩むことが大切なのです。


悩んでいると「悩んではいけない」とつい思ってしまいます。
誰かが悩んでいると「悩まないでね」と言います。
「あまり悩まないようにしたほうがいいよ」という
アドバイスは確かにわかりやすいです。でも、
悩むことでツキを呼ぶことができるのです。
悩みとツキは比例します。
悩んでいるとツキが来ないのではありません。
一つでもたくさん悩むことによって、
その中からエネルギーを生み出し、
ツキを呼び込むことができるのです。


悩んでいる人がいたら、「悩んでいるね。もっともっと悩んでね」
と応援してあげます。「あまり悩まない方がいいよ」
というのは言いやすいアドバイスです。
言いやすいアドバイスはアドバイスになりません。
「たくさん悩んでね」と言う井上プロは凄い人です。
井上自信がやってきたプロセスの中で、
悩んだほうがいいとわかっているのです。
 
あなたの中に悩み事があるなら、それをなくすのではなく、
もっと悩もうという姿勢でいればいいのです。
もっと緊張していくのと同じです。悩みごとがあるから、
成長できるのです。ともすれば「悩むこと」イコール「悪いこと」
という思い込みがあります。悩んだことのない人は、
「あまり悩まないほうがいいよ」と言ってしまいます。
悩みを乗り越えたときのプラスが、実感としてわからないからなのです。



ツキを呼ぶコツ「たくさん悩もう」


著 中谷 彰宏 「ツキを呼ぶ53の方法」より抜粋

vol. 3151
「本を読む人には、ツキが来る」  (2011/8/21 [Sun])
 本は一生懸命頑張っている人のためにあります。
だから本は一人で読むのです。
一生懸命するときは、一人で頑張らなければなりません。
そういう人のために本があるのです。   


一生懸命やらない人は、本も読まなくなります。
「本なんか読んで何になるの?」と思います。
その人自体に課題がないから、本を読んでも「一つも面白くない」
「たいしたこと書いてない」と言います。



一生懸命している人は、壁にぶつかって課題を抱えているから、
「あ、そうか」というヒントをつかめます。面白い本は、存在しないのです。
本を面白く読める人と読めない人の差でしかありません。
本の中で人生を変えるような言葉に出会えるのは、ツキを呼び込める人です。


そのためには、本人が一生懸命やることです。
本を読もうとする人は、その時点で一生懸命です。
一生懸命でない人は本を読みません。
一生懸命生きていない、行動していない人が、
人から言われて、本を読んでいないのも恥ずかしいし、
ベストセラーだから読んでみようと読んでも、何も得るものはないのです。


一生懸命生きていないから本に書いてあるものからくみ取れません。
これが本の宿命です。
どんなに面白い本を書いても、
一生懸命生きていない人が読んだら素通りです。
私はその覚悟で本を書いています。
一生懸命やっている人が、ビビッと反応してくれるだけでいいのです。


一生懸命やっている人は汗をかいているとか、
はたから見てわかることもあれば、黙々と淡々とやっていることもあります。


一生懸命のように見られたいと思う人は、
意識が対象に向かっていません。まわりの目、
世間体に向かっています。
その時点で一生懸命のエネルギーがそがれています。
一生懸命やっている人は、「自分が人からどう見られるか」を考えたりしないのです。



ツキを呼ぶコツ
「人からどう見られているかを考えない」

vol. 3150
「苦手意識を顔に出さなければ、ツキは逃げない」  (2011/8/20 [Sat])
 ツキを呼ぶためには、表情も大切です。「これは苦手だな」と思うと、
苦手意識は必ず顔に出ますその苦手意識が、ツキを逃してしまうのです。
「いつもうまくいっているんだよね」と言っていると、うまくいきます。
それは苦手意識が顔に出ていないからです。


苦手なものほど、苦手意識を顔に出さないことが大切です。
「これって苦手なんだよね」と考えないことです。
人間関係でも、苦手な人とうまくつき合えないのは、
「あの人苦手なんだよね」と思った時点で苦手意識が顔に出て、
それが相手に伝わってるからです。
そして、苦手な人をずっと避けるようになります。


初めてやることでも、「今までうまくいったことがないんだよね」
と思った瞬間に、あなた自身がその成功を排除しているのです。
「これはできない」と思うと、頭はパニックになってしまいます。
どうすればいいか、わからなくなってしまいます。


苦手意識を持たず、苦手意識を顔に出さなければいいのです。



著 中谷 彰宏 「ツキを呼ぶ53の方法」より抜粋

vol. 3149
「幸せの仏様を傷つけるのは他人ではありません。あなた自身です」  (2011/8/19 [Fri])
 私は人と話をしたり、街で人を眺める場合、
相手の心の中の仏様を見ています。

 仕事で嫌みの強い人物と会っても、
その人の幸せの仏様と会っているつもりで話をします。
嫌なことを他人に平気で言える人にも生んだ親がおられ、
さらにしあわせの仏様を心の奥に抱えておられる……
そのように思うと、冷静に相手と話が出来ます。


 平気で他人を傷つけることが出来る目の前の人は、
その人の迷いの姿であり、その人にも幸せの仏さまは立派におられます。

 逆にいえば、自分も幸せの仏様を抱えて生きる人間だから、
他人の言葉ぐらいでは、自身を(仏心)を傷つけられる
わけがないと思うべきです。

 もし、自分が他人の言葉で傷ついたならば、
それは「自分の迷いの心」が傷ついただけと思えば良いのです。

 「迷いの心」とは不安定で、時間経過とともに必ず変化し、
消えていくものです。時間とともに消滅する一時的な感情で、
「本当の心=幸せの仏様」まで傷つけてはいけません。ましてや、
自殺なんて絶対してはいけないのです。必ず後悔します。


 「迷いの心」は、悲しむ、恨む、後悔する……
などに反応して影響を受け、不幸を生み出したりします。
「本当の心=幸せの仏様」は、喜び、愛情、慈悲心……
などに反応します。幸せの仏さまは本来迷いの心からは
影響は受けないのですが、
迷いの心があまりにも強いと心の奥に隠れてしまします。

 私たちは幸せの仏様を預って生きているのです。
それを意識して、この世界を歩いていくべきです。
そうすれば、自然と仏様とともにいるという視点での
選択ができるようになります。そして、喜びや愛情、
慈悲心を見つけながら、社会を歩けるようになるのです。


著 伊勢白山道
「だいじょうぶ!幸せの神様が微笑んでいる」より抜粋

vol. 3148
「人生は短い!悩む前に動こう」  (2011/8/18 [Thu])
 人生を思い通りに生きる秘訣は、
「良い気の貯金」と「不安の気のリセット」にかかっています。
この善悪2種類の「気」の相殺した残りが、
今と未来の自分を構成していきます。


 お店で品物を買うときは、お金が必要です。
これと同様に、「仕事に就きたい」「病気を治したい」などの
個人の望みも、実現させるためのエネルギーが必要なのです。


 善悪2種類の「気」を相殺した残りが、
自分の「実現力」を表すエネルギーです。
この世で苦しむ人の大半は、気の総和がマイナスの状態です。
これでは自分の思いを「出現」させることはできないでしょう。
自分が持つ不安な気が、良い思いの気を駆逐してしまい、
希望を叶える「出現力」をなくしてしまうのです。


 まさに、気が漏電するのです。この気の漏電こそが、
人生を中途半端な消化試合にさせてしまう原因となります。


 私たちがつらい問題や不幸に直面している時間は、実際には短いものです。 
 例えば、ある営業マンの1日に置き換えてみましょう。


 営業マンがノルマを達成できなかったことで、
1時間ほど怒られたとします。しかし、彼は一日の残りの23時間も、
ノルマを達成できなかったことを苦にするでしょう。
もう怒られた時間は終わっているのに、何倍もの時間を悶々と苦しむのです。


 でも、何時間も悩めば、売り上げに貢献できますか?
どんなに悩んだところで、数字が上がらなければ会社への
貢献とは見なされないでしょう。食事もおいしくはなく、
気力もなえ、奥さんや子供と話をしていても心から楽しめなくなるものです。


 そのままでは、仕事も家族もなくしてしまうでしょう。
すべての原因は、何時間もの間、不安の気による想像に
苦しめられていることにあります。これを私は、「心の漏電」と呼んでいます。


 では、どうすれば良いのでしょうか?
 答えは、目の前にあることに集中すれば良いのです。
24時間の集中です。次に営業会議があれば、
正直にすべてをさらけ出し、真剣に思いっきり怒られましょう。
隠すから心配が増えるのです。上司も通過してきた道です。
わかっていながら怒っているのです。


 仕事中は懸命に集中し、悩む前に動きましょう。
そして家庭に帰ったならば、家族の話に耳を傾け、
家族に一員として全力を注ぎましょう。
 このとき、仕事の悩みを中途半端に家庭に持ち込まないこと。
家のことに集中していると、逆に仕事の解決案が浮かぶこともあります。
違う刺激が、気づきを呼ぶのです。



 著 伊勢白山道
「だいじょうぶ!幸せの神様が微笑んでいる」より抜粋

vol. 3147
「目の前の不運は、不幸ではない」  (2011/8/17 [Wed])
 私たちは不運に見舞われると、悲しんだり不安になったり、
さらにその先を心配します。しかし、その不運と思われることを、
本当の不幸としてしまうかどうかは、実は自分次第なのです。


 私は嫌なことがあると「ああ、ありがたい」と心底から思っています。
自分が感謝の信仰を行い、良心に沿った生活をするうえで訪れる不幸は、
必ず意味があるからです。


 私はもし自分に嫌なことがあっても、これで返すべき借金が減った、
かわりに病気にならずに済む、大難が小難になった、
これから良いことが起こる合図だ……と考えています。


 ポジティブに考える癖がつくと、あとから思ってもみない
幸運に恵まれることがありました。嫌なことは、
幸運を得るために避けては通れない大切な
プロセスだったということが、後から考えるとよくわかります。


 私たちは、ムダや損なことを嫌がるものです。
でも、注意していても起こることに、善悪を含めて
偶然などはないのです。
つまり、ムダや損などは一切ありません。
必ず未来を改善させるために「起こってくれる」物事なのです。


 起こりうる悪い現象とは、知らないうちに行っていた
悪いことへの反射であったり、自分のただの努力不足であったりします。


 ここで大切なのは、この世は努力を試されている次元でもあるということです。
 私たちがわざわざこの世に生れてきたのは、

1、どれだけ向上しようと挑戦したのか?
2、いかにパッション(情熱)を発露させたか?
3、他人への思いやりを実行できたか?

を、自分で試すためです。人生の最後まであきらめずに、悪あがきをしてやりましょう。
 


著 伊勢白山道 
「だいじょうぶ!幸せの神様が微笑んでいる」より抜粋




vol. 3146
「他人と比較しない」  (2011/8/16 [Tue])
 私たちの世界では、本来は大難であるはずのことが、
小難で済んでいることが数多くあります。
ただ、人間はこの事がわからないので、
小難でさえも不運と悲しんでいるのです。


 大難を小難に抑えるために陰で働いてくれた仏さまは、
これを残念に見ていることでしょう。小難があったときこそ、
逆に「ああ、これぐらいで済んで良かった」と意識的に感謝すべきなのです。
これは、幸運な人間が持つ、良い癖のひとつです。
すると次からも、自然と守護されるのです。


 損な心の癖を持つ人物が小難にあえば、
「どうして、自分だけが不幸な目にあうの?周りの人は幸福そうなのに〜」
と不満心を持ちます。
大難を小難に食い止めてくれた仏さまはアホらしくなり、
守護することを止めてしまいます。
そして本人は、本当の大難にあったときに初めて
「前回はまだマシだった」と気付かされるのです。


 このような損の心のままで、人と比較して悲しんではいけません。
表面では順調に見える人でも、蔭ではすごく努力していたり、
人には言えない不幸を抱えていることも多いのです。


 安心して下さい。この世は、恐ろしいほど平等なのです。
恐ろしいほど融通が利かない、善悪の調和とバランスが取られています。
悪事のやり逃げなど、ありえません。


 ただ、今生の短い人生の中だけではバランスが
取りきれないことがあるため、一見、不平等な世界に見えるだけです。
私たちの魂は、決して死滅せず「生き通し」です。
だから、前回の人生、さらにその前の人生……
とさかのぼったときの善悪のバランスが、今の自分に押し寄せてくるのです。


 だから、心配しなくて良いのです。今の不幸や苦しみには、
一切のムダや不幸な偶然はありません。
幸運も同じです。ただ前回の人生の反転を受けているだけです。
現世でありがたく受け切ってみましょう。


 ムダな努力も一切ありません。この世で努力したことは、
必ずすべて生きます。安心して目の前のことに努力してみましょう。


 自分ができる努力をし、その中で楽しんで生きるのが最善なのです。




著 伊勢白山道 
「だいじょうぶ!幸せの神様が微笑んでいる」より抜粋




vol. 3145
「仏様とご先祖様に感謝しながら自分だけの大きな花を咲かせよう!」  (2011/8/15 [Mon])
 人間は、ひとつの枝先に咲く一輪の花であると仏様は伝えています。
 花は時期が来れば必ず枯れます。
私たち人間も花と同様、咲いている最中(=生きている間)は
そこの咲いているだけで良いのです。
風に吹かれて揺れ動いたり、強い雨に打たれて花(=自分自身)が
落ちそうになるときもありますが、自然に花が落ちるまで咲き続けている……
ただそれだけで良いのです。


 大事なことは、枝先に花が咲くまでは、途中の枝(=ご先祖様)が
日々生きて伸びたお陰だということです。


 花が咲いている最中、枝は花を後ろから支えてくれています。
大地から吸い上げた水分は、
一本の幹(=仏様)と枝を通して無言で花に送られます。


 木の幹(=仏様)と枝(=ご先祖様)に支えながら咲いているのが、
花(=自分自身)なのです。後ろで無言で支え続けてくれる存在のためにも、
思いっきり咲きたいものですね。


 私がいつも思うのは、人生のどんな苦労や悲劇も、
大したものではなかったということです。
死ぬような目にあっても、やはりそうでした。


 みなさんもまったく同じです。今、死にたいと真剣に悩んでいる人も
、あの世に帰ると、自分が悩んでいたことを明るく思い出して笑います。
まだまだ耐えられたし、もっともっと自分を
成長させることができたはずだと残念に思います。


 「悔しい〜!仏様、もう一度だけチャンスを〜!」となるのです。


 次回も花が咲く木があるのかどうかは、
いま、咲いている花(人間)の咲き方次第でしょう。



著 伊勢白山道 
「だいじょうぶ!幸せの神様が微笑んでいる」より抜粋


vol. 3144
「良心を失わないようにする」  (2011/8/12 [Fri])
 幸運を得られるかどうかは、自分の心に宿る良心を
大切にできるかどうかにかかっています。日常生活の中で、
自分の良心を失わない生活を心がけることが、幸運を呼ぶ最高の秘訣です。

 ここでは3つの秘訣をお伝えしましょう。


1. 車の運転は制限速度を守ること。実際には制限速度は遅く感じ、
かったるく思うのです。しかし、万が一の事故に備えて、
幸せの神様を運ぶ「自他の肉体を守る」という意識を持つことが大切なのです。
幸せの神様に行った配慮は、いずれ良い形で自分にかえります。
これは何にでも言えることです。


2. 生活の中で怒りたいことや悲しいこと、苦しく感じることは誰にでもあります。
でも、それを心の深い部分=幸せの神様にまで渡してはいけません。
何があろうと「この世だけのこと」と思い、心の深部までには届かせない
「気持ち」と「プライド」を持つことが大切です。
先にも述べたように、幸せの神様を守ろうとする意識は、
自分が守られる形で帰ってくるからです。


3. 自分の良心が恥じるような不正はしないこと。
これも幸運を呼ぶ重要な秘訣です。自分が後ろめたい行為をしているかぎり、
自分の良心=幸せの神様は隠れます。そして、幸運は逃げていきます。
本当の自分の心が、自分を「幸福にさせるものか」と悪い選択をさせていくことになります。


 このように、幸運のカギはすべて自分の心の中に、
すでにあります。だから、自分以外の何者かに頼らなくてもいいのです。
今自分ができることから始めましょう。


 自分のやるべきことを尽くしていれば、あとは流れに沿っていくだけです。
悩むのは、自分がやるべきことがまだあるということです。


 本当にやり尽くして燃焼すれば、結果が出るまでの途中では悩まないし、
でた結果にも素直になれるものです。



著 伊勢白山道 
「だいじょうぶ!幸せの神様が微笑んでいる」より抜粋


vol. 3143
「悩みを解決する究極の秘技」  (2011/8/11 [Thu])
 悩みを抱え、一歩も前に進めない……そういう人が増えました。
大きな問題を抱えていない人でも、上手に不安を見つけては悩みます。
「悩む」という行為は、人間に「初期設定」されている
ひとつの要素だと思っていれば良いです。


 では、何のために不安が消えにくくなるように設定されているのでしょうか?

 それは、短期間(人間の一生)で、大きく成長させるためです。
この初期設定の法則を知っていれば、
今抱えている悩みをなくす「裏技」を使うことができます。


 今、自分が抱えている悩みを、外野の目線で眺めてみます。
悩みの中にどっぷりとはまっているときは、
よい解決策は浮かばないものです。自分の悩みを友人の悩みだと仮定し、
友人に対してどんなアドバイスができるのかを考えます。


 そして、ここで「裏技」を使います。
「そもそも、この悩みから得る学びは何なのか?」
これを先に想像して、紙に書き出すのです。
その悩みから得られる学びを、先に「認識」してしまうのです。
これができると、悩みが急速に進展して、あっという間に終息します。
そして、また次の課題が始まるのです。


 今抱える悩みから得られる「学び」の意味と課題に気づかないかぎり、
「これでもか!」と同様な悩みが続きます。


 私たちは長い期間、悩みに向き合い右往左往した結果、
ある種の心の成長を得ます。これを初めから、
「この問題から得る学びは何なのか?」の視点を持って悩みに向きあうと、
短期間で悩みは消えていくことになるのです。


 本来、私たちには悩みも不幸もないはずなのです。
しかし、自分のしたことの反射から起こるべきことが、
寸分の狂いもなく自分に現れているだけなのです。


 今生の短い期間だけを切り取って考えるから、
納得ができないだけです。


 問題は、人には自由が与えられていることです。
途中で放棄する自由、あきらめる自由です。


 これは最悪の自由です。この自由があるために、
未来は決まっていないのです。どうせ使うなら、
「問題に立ち向かう自由」を選びましょう。



著 伊勢白山道 
「だいじょうぶ!幸せの神様が微笑んでいる」より抜粋


vol. 3142
「受け身でいるだけではだめ。自分から発信して、積極的に進んでいこう!」  (2011/8/10 [Wed])
 会社や集団の中で、自分だけが浮いているように感じて、
コンプレックス持つ人がいます。
自分がその場にうまくなじめないことに苦しみ、
さらにひどくなると被害妄想に陥って心身症になってしまう人もいます。
「陰で私の悪口を言っている」
「今の話はきっと私のことを言っているんだ」
「みんなが、私を笑いものにしている」と思い込んでしまうのです。


 視点を変えてみれば、被害妄想になる人は
「自分が主役になりたい症」
「かまってほしい症」
「受け身症」の要素を持っているともいえます。
現実には、その人のことを陰で言うどころか、話題にもしていないものです。


 こういう人は、そもそも自分からはアクションを起こしたりしない傾向にあります。
常に誘いを待っているのです。
でも、他人からのアクションを待っているだけではいけません。


自分から周囲に「何かをしてあげる」という視点を持つ人は、
周りから評価されることを待ってはいないし、少々にことは気にしません。
それよりも、目の前のことに絶えず進んでいくのです。


 以前、妻から子供の公園デビューの話を聞いたことがありました。
初めて見る男の子が、「お待たせ〜、僕のこと待ってた?」
と言いながら子どもたちの中に入ってきて、上手に遊んでいたそうです。
その子はそれ以降も毎回「お待たせ〜」と言いながら輪に加わったそうです。


 片方では、いつまでたっても母親の服をつかみ、
離れられない子供もいると聞きます。他の子どもが誘ってくれるまで、
受け身で待つのです。


 「三つ子の魂百までも」と言いますが、
大人になっても他人からの呼びかけを待つだけの人は、
「誘われなかった」と勝手に落ち込むようになります。


 待つだけではなく、自分の良心に沿って、
思うがままに周囲に自分から発信していけば良いのです。
自分自身が気持ちよく生きている人は、だれにとっても気持ちの良いものなのです。


 自分自身を嫌いな人は、周りにもなんとなく重い気を与えます。
自分自身を好きな人は、周りに安心感を与えます。

自分を信じて明るく生きましょう。



著 伊勢白山道 
「だいじょうぶ!幸せの神様が微笑んでいる」より抜粋


vol. 3141
「いろいろな人と出会うことで心はピカピカに磨かれる」  (2011/8/09 [Tue])
 普段、人と接するとき、その人にも生みの親がおり、
さらには相手の心に幸せの神様がおられると思いながら会っています。
このような視点に立つと、理不尽なことを言う人や怒る人も冷静に見ることができます。


 生まれた赤子が成長するには、
大変なお世話をする手間と時間がかかるものです。
目の前に人物一人だけを見るのではなく、
その背後に隠れている育てた人々にことを思いやるだけで、
その人に対する見方も変わります。


 社会で生きていると、人間同士いろいろな摩擦が起こります。
相手を通して、自分の鏡(=魂)を磨いてピカピカにすることが、
人が生まれてくる大きな目的のひとつなのです。


 厄介なことに、自分一人では自分の鏡を磨くことはできません。
必ずこすり合わせて摩擦を生じさせる相手の鏡が必要なのです。
これが夫婦であったり、親子、友人、同僚であったりします。


 他人と摩擦が生じたときは、自分の鏡がピカピカになるための
過程だと思うことです。ある意味、まだ磨き足りていないから摩擦が起こったのだと。


 自分自身の鏡を磨くという意識を持つことは、
非常に大切なことです。無意識のまま磨いていると、
うまく磨けずに傷を付ける場合もあります。
それでは貴重な有限な時間を、捨ててしまうことにもなりますので注意が必要です。


 自分の心が光り出すと、すべての人が愛おしく感じられます。


 今日も多くの人々が(人々の鏡)と切磋琢磨して生きましょう。
みずからが光り出すようになります。



著 伊勢白山道
 「だいじょうぶ!幸せの神様が微笑んでいる」より抜粋

vol. 3140
「感情をコントロールすること。幸も不幸もそれ次第」  (2011/8/08 [Mon])
 「目は口ほどにものを言う」とは昔からよく言われてきました。
その意味は、「言葉に出さなくても、
目の表情で相手に伝えることができる。
また、言葉でうまくごまかしても、目に本心が表れるものである」(大辞林より)。


 これに加えて、これからの時代は
「心に思うことは、口で言うよりも作用する」、
そんなの中になると感じています。
 心で思うことがそのまま力を持つということは、
よいことを願えばどんどん良くなり、
悪い思いを抱けば自分自身もろとも悪いほうへ転がっていくということです。
これは諸刃の剣です。


 例えば他人へ「思いやり」の気持ちを持てば、
これまで以上に相手の身に届き、染み込みます。
自分自身が人から思いやりを受けたときも、
深く心に響きだします。逆に、嫌いな人には口で言うよりも、
心に中での説得が効果を発揮するともいえます。


 しかし、人を恨んだりねたんだり、やる気をなくしたり、
自堕落になっていくと……大変なことになります。
心に思うことを自分でコントロールできなければ、
心身ともに病んでいく時代が始まっています。


 特に恨みやねたみといった、他人への執着は危険です。
自分の感情が体を離れて、執着する相手へと張りついてしましいます。
そして、自分の感情が離れた心のすき間に、別の何かが入り込みます。
いざ自分の感情が戻ってきても、戻る場所が別のものに占領されていて、
戻れなくなるのです。


 この結果、短期間での性格の激変や不定愁訴(漠然としたからだの不調)、
心と体の病気を引き起こします。


 逆に、幸せの神様からの「なんとなく思いつく」アドバイスに素直に
従って目の前のことに専念し続ければ、心と体が強くなります。
金運も自然とついてきます。


 つまり、これからの時代は感情のコントロールが人生を分けます。
心身ともに弱体化する人、心身ともに強化されていく人に分かれていきます。


 どんなお金持ちでも、病気になれば楽しめません。
現在、とても病弱で貧乏でも、良い思いを心がければ、
人生は簡単に激変します。そういう時代波動に入ったのです。
 あなたが努力すれば、人生は必ず好転しますよ。


著 伊勢白山道 
「だいじょうぶ 幸せの神さまが微笑んでいる」より抜粋

vol. 3139
「心が元気で前向きなら、苦難は去っていきます」  (2011/8/06 [Sat])
 先日、TVのニュース番組で、情報誌を販売しながら
路上生活をしている人を取材していました。
一日中街頭に立ち、仕入れた情報誌を販売して、
1冊につき100円ほどの収益を得ていました。


 以前は建築現場で日雇いで働いていましたが、
事故により足を骨折して解雇されたとのことです。
取材者がその人に対して、「公園の避難小屋に行けば、
生活保護が容易に受けられる」というようなことを伝えると、
その人は「自分はまだ動けるから行かない」と言いました。
一度保護を受けたら、二度と働く気力が起こらない気がするからだそうです。


 私はその人を見て、ご自分の世界の中で、
精一杯生きておられるな」と感心しました。
神様の目から見ると、大企業の中で不満タラタラで生きている
人間よりも輝いて見えるだろうと思いました。


 生きていれば、いろいろなことが起こります。それも次から次へと。
 でも、この人のように心さえ健康であれば、
何が起ころうとも大丈夫。時間は必ず過ぎ去って、
苦しみも変わっていきます。


 逆に、体は健康なのに心を病んでしまうと時間が止まり、
苦しみながら生きることになってしまいます。
その状態で死ねば、苦しみが固定化してしまいます。

そうならないためにも、普段から心を明るく元気に保つことが大切なのです。



著 伊勢白山道 
「だいじょうぶ 幸せの神さまが微笑んでいる」より抜粋

vol. 3138
「つらいときこそ最大の修行のチャンス」  (2011/8/05 [Fri])
 私も多くの人と同様に、
職場で身に覚えのない叱責や注意を受けることがあります。
でも、私は前向きに受け止めることができます。
なぜなら、相手の気持ちがわかるからです。


 普通の人よりも少しだけ相手の気持ちを感じることができるので、
「なぜ、そんなことを言いたくなるのだろうか?」
相手のことを思いやりながら真剣に聞きます。
弁解することばかりに気をとられていると、
相手の言い分の背景まで考える余裕がなく、
不満とイライラだけがたまってしまうでしょう。
 でも見方を変えれば、怒っている人も別の形で怒られているものです。
それは会社の収益の懸念であったり、
先行きの不安であったりします。そのような心配は、
休日であろうがなかろうが、24時間つきまといます。大変なストレスでしょう。


 私などは勤務中に、どんなに絞られようが怒られようが、
心まで傷つけられることはありません。
自分ができる最善のことを、ひたすら淡々と尽くそうとします。


 このような気持ちになれるのは、
私が会社以外に命がけの生きがいを持っているからだと思います。
勤務が終わると内心は嬉々として帰宅し、パソコンの電源を入れています(笑)。


 みなさんも何か生きがいや夢がなければ、労働はつらいものでしょう。
 でも、つらいと感じるときは、心を大きくできるチャンスなのです。


 心の成長は、人間がこの世に生まれ出る目的のひとつです。
つらいと感じる大きなストレスを、
己の成長のためのエネルギーに変えればよいのです。


 そのためには、自分が働けているのは
「生かしていただいている」からだという、
生死の原点を意識することが大切です。
そうすれば、つらい労働も最高の修行に変わります。
しかも、給与というオメケつきです!


 労働や生活から起こる苦しみは、
自分次第で良くも悪くも修行に利用できます。前向きに頑張りましょう。


著 伊勢白山道 「だいじょうぶ 幸せの神さまが微笑んでいる」より抜粋

vol. 3137
「まず覚悟をすること。すべてはそこから始まります」  (2011/8/04 [Thu])
 私たちは、自分の置かれた状況をありのままに認める必要があります。
そのうえで、現状に対して感謝ができれば最高です。


 でも、苦しい生活に追われていれば、
早く逃げたいと思うのが人情です。逃げたい、
変わりたいという気持ちが強くなると、
仕事も生活もますますイヤになるものです。そして、
自分でそのイヤな現状をさらに悪化させてしまうような行動や態度をとり、
さらに苦しみを増す、という悪循環に陥ってしまうのです。


 私も、社会人になった最初の3年間はとても苦しかったです。
結婚前に妻が部屋の掃除に来て、畳に敷いた布団を上げたところ、
私の寝汗で畳に人形がついていた……というのは今でも笑い話です。
夢の中までも、寝汗をかきながら苦しんでいました。


 営業職で数字を上げられない苦しみは、
経験した人にしかわからないかもしれません。
人というものは、おかれた状況に嫌気がさせば、
立ち向かうより逃げだすことを考えるものです。
私も何気なく新聞を広げては、求人欄を見ていたものです。


 そんなあるとき、「いろいろなことを考えるのはやめよう」
と思い立ったのです。「自分の進退は社長が判断する。
自分から辞表は出さない。
何があっても後悔しないように、目の前のことに精一杯、努力しよう!」


 さらには、自分のつらい現状は魂を成長させるための修行だと思い、
逃げずにすべてを受け入れる覚悟をしました。
その覚悟をしたときからすべてが動き出し、あっという間に人生が変わりました。


 覚悟をする。それは言葉以上に重いことです。
しかし、覚悟ひとつで、人生は変わります。動くのです。


 つらい、苦しいと嘆く時間があったら、あなたも「覚悟」を決めてみてはどうですか?


著 伊勢白山道 「だいじょうぶ 幸せの神さまが微笑んでいる」より抜粋

vol. 3136
「逃げない!あきらめない!」  (2011/8/03 [Wed])
 「この生活から抜け出したい」[もっと楽になりたい]
と思うのは苦しいものです。理想と現実の差が歴然とあるからです。
 苦しいと感じていれば、自然と気力も落ちていきます。
そして、すべてが悪循環になっていくものです。


 今の「積み重ね」が明日です。
今が不満だらけならば、明日も不満なままでしょう。
 

本当に「この現状から抜け出したい」と願うのだったら、
逃げないことです。自分の置かれている立場を
しっかり見つめるのです。隣の芝生を見て、
うらやましがっているだけでは何も変わりません。
 

すべてを受け入れて、
「生きているだけでもありがたい」
「自分にできることからしてみよう」と立ち止まってみましょう。
「この苦しい現状も、縁があってのことだ」と受け入れる勇気が大切なのです。


 苦しさから逃げようと、中途半端に腰を上げているかぎり、
すべてが不安定な状態になります。
仕事でのうっかりミス、注意不足からの交通事故……
いろいろと起こってしまいます。
ありのままを受け入れて足を止めたときこそ、
改善への運気が高まり始めます。


 同じ人間なのに、成功する人としない人に分かれます。
その違いはなんでしょうか?
二者の違いは、苦しいときの過ごし方、
苦しみの受け取り方にあります。
苦しいときにも夢を持って準備すれば成功に近づきます。
ただあきらめて悲観し、気をムダづかいすると、
何もかもがうまくいきません。


イヤなことに対しても淡々とこなすことこそ成功への秘密と心得れば
生きることを苦しく感じるだけで終わることはないでしょう。
 
単純なことですが、苦しみの受け取り方ひとつで人生が大きく変わっていきます。



著 伊勢白山道 「だいじょうぶ 幸せの神さまが微笑んでいる」より抜粋

vol. 3135
「人のためにできることを見つけよう」  (2011/8/01 [Mon])
 人間は、自分が他人に役に立っていると自覚できる間は、
心を病むことはありません。自信が持てるからです。
しかし、これが高じると、「俺が(私が)食わせてやっている」
などという間違った増長心を起こしてしまいます。


 反対に、自分が他人の迷惑になっていると思うと、
心を病みだします。自分の意思で会社を退職する人には、
この状態に陥っている人が多いものです。
「自分なんて他人の迷惑だ」「役立たずだ」と。


 他人の役に立てることがうれしく、
他人の迷惑になる自分はイヤになる……
これが人間の「本性」だと思います。本当は全員が、
とても善なる魂を持っているからです。
 そして、魂が善なるがゆえに悩むのです。


 今の社会には、自信をなくしている人がたくさんいます。
自信を持つどころか、生きることさえも苦しく思っている人が多いようです。


 こんな心境では、感謝することも偽善的で
イヤだという人もいるかもしれません。
自分には、その資格がないと思ってしまう人もいます。


 でも、そんな気持ちのときこそ、
人間の本性に沿った行動をしましょうよ。これが運気を上げます。
他人の役に立てることを考えるだけでも、運気が変わり始めるのです。
他の存在のために何かができるということが大切です。


 気がつけば、自分が出した「思いやりの氣」によって、
心身ともに自分が救われていきます。


著 伊勢白山道 「だいじょうぶ!幸せの神さまが微笑んでいる」より

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