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2011年11月

vol. 3248
「命の成熟度」  (2011/11/30 [Wed])
長年人間という存在を観察していて分かったことは、
人間には二つの「年齢」があるとうことです。
一つは「肉体年齢」と、もう一つは「命の年齢」です。


「肉体年齢」とは、この世に生まれて何年たっているかです。
年の上下を決めるのは、どちらかが先に生まれたかどうかということ。
一方、「命の年齢」は、今までにどれだけ前の世からの生死流転を
繰り返し、命の経験を積んで成長してきたかで決まります。


時々、自分よりうんと年配の人で、
「この人ってなんてこんなに意地が悪いんだろう」とか
「なんて品がないんだろう」と思う人がいます。
この世で年はとっていても、命の年齢ではまだ乳幼児の子どもと
変わらないのです。
逆に若いのに非常にしっかりしていて、ものの考え方も
クリーンでとてもピュアな人がいますが、
そういう人は若くしても命の年齢が成熟している人です。


命は、その年齢が高ければ高いほど向上心が強く認識力が高く、
さらなるチャレンジするものを常に求め、人間力や愛を高めていきます。


人間がこの世に生まれてきた最大の理由は、
人間力を高めて愛を学び実践するためです。
どんな命の段階であっても、このテーマは変わりません。
自分の人生、家庭で仕事で、しっかりこのテーマを努力してこなして
命の成熟度を今世でどこまで上げていけるのか、
チャレンジしていきましょう。


生かして頂いて ありがとう御在位ます。


vol. 3247
「覆水盆に返らず」  (2011/11/29 [Tue])
≪こぼれた水は(盆)には戻らない。
一度してしまったことは、もう取り返しがつかないというたとえ。
「覆水収め難し」ともいう。≫


物質主義的価値観を重視した教育は、
「うそつき症候群」の子どもを育ててしまいます。


たとえば、「何色が好き?」と聞かれたときに
「赤もいいけど、黄色かな」と曖昧。
あるいは、「あなたは何色が好き?」と質問に質問で返す。
自分の感情より、「どう答えれば正解なのか」を優先してしまうのです。


子供だけではなく、若い人たちも、
とっさにどちらにも転べるような言い方を選んでいるのです。


失敗を嫌い、傷つくのを恐れ、人から嫌われることを無性に怖がる。
自分の意見にいつも自信を持つことができず、
人と同じ行動をすることで、かろうじて安心していられる。


親から頭ごなしに言われて育った人は、無機質で、
何が正しいことで、何が良いことで何が美しいことなのかという
「真・善・美」を知らないまま大人になってしまいます。



それにもかかわらず、言葉や行動に対しては無防備。
自分が防御するための術は備えているのに、
場の空気を読むことは苦手で相手を傷つけるような
失言をしてしまったりするのです。


悪気はなかったとしても、
自分の中から吐き出した言葉や行動を引っ込めて、
なかったことにはできません。「覆水盆に返らず」。
自分の思い、言動には責任を持つことです。




生かして頂いて ありがとう御座位ます。

vol. 3246
「転んでもただでは起きぬ」  (2011/11/28 [Mon])
≪たとえ失敗しても、その失敗の中から、
何か利益になるものを得ようとすること。
欲が深いことのたとえにも使う。≫


ただで転ぶと転び損になってしまいます。
「転ぶと痛い」ということを知るのも学びです。
転んだままではなく、立ち上がろうとする精神力を培うことも大切。
少し貪欲なくらいでないと現世は生き抜いていくことはできません。


「転ぶ」というのは失敗を意味しますが、
失敗をした時は必ず教訓があります。
窮地に追い込まれたことで、
親や友人のありがたさを知るということもあります。


それは落ち込んでうつむき加減で歩いていたら、
ダイヤモンドが落ちているのを見つけたようなもの。
大事に持ち帰り、さらに磨きをかけてから、
世の中に還元するように心がけましょう。
独り占めしてはいけません。


転ぶの「転」は、転機の「転」。
「なぜ転んだんだろう?」と内観し、原因を分析したら、
今後の人生で生かすことが大切です。


障害は気持ち次第で成功のもとに変えることができます。
試練が訪れたら、チャンス到来だと受け止めましょう。
試練の中には生き抜くためのヒントが隠されているのです。


生かして頂いて ありがとう御座位ます。


vol. 3245
「魚心あれば水心」  (2011/11/27 [Sun])
≪魚に水に親しむ心があれば、
水は魚が住みやすいようにする心がある。
好意を持てば、好意を寄せられた側もそれに応じられる。
一方の態度によってもう一方の態度も決まること。≫


人はある意味、「魚」なのです。
「私たちは共存していくつもりなので、居心地の良い環境を提供してください」
と自然界に許しを請う「魚」の視点で生きなければなりません。


悪意がないのに誤解を受けてしまったという場合も
「自分に悪いところはなかったか?」
という発想を持つべきなのです。
悪気はなくても無神経だったりしませんか?


相手の都合を考えずに親切の押し売りをしていたり、
言い方が恩着せがましくありませんか?
まず自分の行動を省みることが必要なのです。
魚が水なしでは生きられないように、人は人の支えなしには生きられません。


「自分も人も皆仏の子である」と考え尊ぶことが大切です。
このような視点に立てば、「変わる必要があるのは自分である」
と素直に認めることができるはずです。
『自分が変われば相手も変わる』この真理を理解することは、
現世を暮らしやすくするために欠かすことのできないポイントなのです。



生かして頂いて ありがとう御座位ます。

vol. 3244
「清濁併せ呑む」  (2011/11/26 [Sat])
≪大海は清い川も濁った川も分け隔てなく受け入れる。
同じように、悪人も善人も分け隔てなく受け入れるような、
度量が大きいことのたとえ。≫


人間には誰にでも、「善い部分」と「悪い部分」があります。
ある側面だけで人を判断して排除することは、自分の守るようでいて、
実は人生を詰まらないようにしていると思います。


「あの人は人の悪口ばかり言っているから嫌だ」ということもありますが、
そうした場合には悪口を聞かないようにすればいい。
「そんな話じゃなくて、楽しい話を聞きたいな」と
やんわりと促せばいいだけのこと。


小説でも、純愛小説ばかり読んでいたのでは世界は広がりません。
社会派小説は好みじゃなくでも、読んでみれば、
「こういう世界もあるのか」と何かしら新しい発見や感動があるはずです。


海は、川から流れてくる清流も濁流も、分け隔てなく受け入れます。
世の中のよい側面も悪い側面も知った上で、自分の心と折り合いをつけ、
自分なりの結論を出して歩みを進める。


現世で生きるとは、そういうことなのです。



生かして頂いて ありがとう御座位ます。

vol. 3243
「平凡は非凡なり」  (2011/11/25 [Fri])
≪たとえ、どんなに平凡なことであったとしても、
10年、20年と積み重ねれば、やがては、非凡なものに変容する≫

「平凡な人生が一番だ」という言葉をよく耳にしますが、
現世に生きる人の魂は、みな、向上のための
カリキュラムを選んで生まれてくるのです。


人生は十人十色。同じ人生を歩む人などひとりもいません。
つまり、それぞれが個性的で、平凡な人生なんてあり得ないのですから、
潔く自分は非凡な人生を歩んでいるのだと認め、
試練のある人生に対して覚悟を持って挑んだほうがよいのです。


そして、平凡か非凡かなどということにとらわれず、
当たり前の日常を淡々と積み重ねていくしかないのです。


その為の当たり前の日常の基準「真、善、美」
を持っていなければなりません。


「真とは何が正しきことなのか」「善とは何が善きことなのか」
「美とは何が美しきことなのか」を見きわめ、
幸せとは試練という経験を通して培ったものの中にしか
芽生えないのだ、ということを理解することです。


生かして頂いて ありがとう御座位ます。

vol. 3242
「急ぎの文は静かに書け」  (2011/11/24 [Thu])
<急いで出さなければならない手紙は、重要な用件であることが多い。
慌てて書いてミスをしてはいけないので
落ち着いてきちんと書かなくてはならないという戒め。>


人生においてもいえることですが、急いでことを進めると
よい結果が出ないことが多いものです。
感情に流されることは、周りが見えなくなってしまうだけでなく、
自分までも見失います。


ですから、大事なポイントを見落としてしまいがちなのです。
まずは冷静にものごとを見つめることが必要です。


人に謝らなければいけないとき、手紙を書くことはよいことです。
なぜなら手紙には書き手の思いが込められているから。
言葉もていねいになり書いているあいだに気持ちの整理がつきます。


何より、手書きの文字からは、書き手の念と人間性が伝わってきます。
「字は人を表す」といいますが上手い下手ではなく、
心がこもっている字はそれだけで相手の顔が浮かんできます。


これだけでお互いの距離は近くなるものです。
ピンチの時ほど、人間性が浮き彫りになります。
そんなときこそ、襟を正して静かに、真摯に対処しましょう。


生かして頂いて ありがとう御座位ます。

「朱に交われば赤くなる」  (2011/11/23 [Wed])
<布を朱色の液体に入れれば赤く染まるように、
人は友人と交流を持てばその友人の影響を受けて変わるものである。
また友人の影響は大きいので、よく選ぶべきである。>


よくなるのも悪くなるのも自分次第。


この言葉から受けるものは誰かに影響されてという受け身の姿勢です。
他人に責任転嫁する前にその事象を引き寄せた我が身を考えるべきです。


同じ色に染まるのではなく、主体性を持って、
相手の色と自分の色とできれいなマーブル模様をつくればよいのです。


朱に交わっても、自分さえしっかりしていれば染まりません。
どんな環境にいても輝きを失わない人はいます。
「履き溜めに鶴」という言葉もあります。


責任主体で人と接し、磨けば磨くほど輝きを増す
ダイヤモンドの心を持つ人を目指したいものです。


生かして頂いて ありがとう御座位ます。

vol. 3240
「息の臭きは主知らず」 11/22(火)  (2011/11/22 [Tue])
≪自分の欠点や短所というものは、
自分自身ではなかなか気づきにくいものである。
「わが身の臭さわれ知らず」も同様。≫


人間というのは肉体を持っているために自分の外側ばかりが見えて、
内側が見えづらいということがいえます。


他人の後頭部はよく見えるけれど自分の後頭部は見えないです。
それと同じで、自分の欠点も含めた内面は自分が一番見えていないのです。


人の長所と短所は紙一重。
親切だけどおせっかい、慎重だけど神経質、豪快だけどガサツというように
長所と短所を併せ持っています。


誰にでも欠点や短所はありますから、
それを指摘することが必ずしもいいともいえません。


あえて言わないことのほうが「気がきく」ということもあります。
結局のところ、自分のことは自分で気づくしかありません。


そのためには、常に客観的に自分を見つめる冷静さが必要なのです。



生かして頂いて ありがとう御座位ます。


vol. 3239
「雨降って地固まる」  (2011/11/21 [Mon])
≪雨の降った後は緩んでいた地盤が固まって強くなる。
世の中も同じように、トラブルが起こった後は、
以前よりも結束が強くなったり、物事がうまくいったりするもの。≫


土と言うのは雨に濡れて、
水分が蒸発するということを繰り返したほうが、
隙間がなくなって固くなる。


人間も同じ。「つつがない人生を送りたい」と願う人が多いのですが、
つつがない人生なんてあり得ません。


それは雨の降らない人生を望むようなもの。
雨が降るから作物が育ち、飲料水を確保できる。
雨が降るからこそ、虹を見ることができるのです。


この言葉の雨とは試練を意味します。
つまり試練に感謝しなければいけないのに、
できるだけ避けようとしてしまう。でも結局は雨は降るのです。


ならば、「恵みの雨」だと思ったほうがよいのです。
大いに雨に降られて、降られた後でいかに自分が固まるか、
どんな学びを得たかが重要なのです。


生かして頂いて ありがとう御座位ます。

vol. 3238
「芸は身を助ける」  (2011/11/20 [Sun])
≪何か得意なことを身につけていると、本業で失敗したときや、
災難があったときに、その得意とすることを活用して切り抜けられる場合がある≫


その道のプロには、趣味でやっていたことが、
いつの間にか本業になっていたという人が珍しくありません。


人の喜ぶ顔が見たいという「大きな愛」からの動機であれば
仕事につながる道へと導いてくれるような縁につながることができます。


そして気づいてみたら成功していたというような結果を導くことになるのです。
仕事に限らず、一芸に秀でていたことがよい結果となることがあります。


芸を身につけている人には人間力があると言えるのです。


今からでも遅くはありません。
幼いころにほめられたことを思い出して、何か始めるのも一案。


集中力を持って取り組んでみればきっと新たな人生が新たな局面を迎えます。
それこそが「芸は身を助ける」と言えるのではないでしょうか。


生かして頂いて ありがとう御座位ます。

vol. 3237
「木を見て森を見ず」  (2011/11/19 [Sat])
「一本一本の木だけを見て、森全体を見ない。
ものごとの細部にばかりこだわり、大局を見失ってしまうことのたとえ。」


小さなことにとらわれて、広く世間を見られない。
人間は自分と言う個の中に入ってしまうと見える景色は
自分の肉眼の中の視界だけになってしまいます。


「木を見て森を見ず」はすべての人間が持つ癖のようなもの。
けれど「森を見てばかりで木を見ない」と言うのも問題です。


つまり森と木を交互に見て、自分がどうするべきかを
判断することが人生を生き抜く秘訣。


そのためには、自分の引き出しをたくさん持つことです。


読書や映画、美術鑑賞や音楽鑑賞などを通して感性を磨けば、
物事を大局的に見ることができるのです。


生かして頂いて ありがとう御座位ます。

vol. 3236
「暗夜に灯火を失う」  (2011/11/18 [Fri])
≪暗闇の中で明りを失うように、
心から頼りにしていた人や物を失って、
これからどうしてよいかわからず途方に暮れることのたとえ。≫

本当の幸せとは、失う恐れをなくすこと。
そのためには地位や、名誉、財産、
他者からの愛、病気知らずで長生きといった
物質的な欲望から解き放たれる必要があります。


揺るがないのは自分の心だけ。
自分自身が光になる。光になって周囲を照らす。


そういう大きな愛を持って生きている人は暗闇を恐れません。
自分の心に宿る灯火は決して消えないことを知っているからです。


運命は自分で切り開くものです。
人生を生かすも殺すも自分次第なのです。



生かして頂いて ありがとう御座位ます。

「案ずるより産むが易し」  (2011/11/17 [Thu])
「案ずるより産むが易し」

≪出産前にこまごまと心配していても、
実際に産んでみると案外容易なことから、
実際に行動すれば意外と簡単であることのたとえ。≫

やってみなければわからないことに対して、
「大丈夫かな」という思いにとらわれてしまって、
結局実行できない心配性の人がいます。


実際、ネガティブな発想しかできない人は、
悪い予感が的中してしまうことが多いのです。
想像力はあるのですからよいほうに働かせるべきです。


必要なものは「努力」。
努力は不可能を可能に変えることができます。


つまり、努力は念力にもなる。
地道に努力を重ねて時を待つのです。


努力をしたという自信があれば結果は必ずついてきます。


この言葉は「やってみなければわからない」
という意味ではないのです。


一歩踏み込んで「努力は裏切らない」というメッセージです。




生かして頂いて ありがとう御座位ます。

vol. 3234
「寄らば大樹の陰」   (2011/11/16 [Wed])
≪身を寄せるなら、小さい木よりも大きい木のほうがよい。
頼るなら、力のある人物や勢力の強い集団のほうがよいというたとえ。≫


本当の大樹とは「賢者の道」のこと。
叡智や哲学、あるいは「経験」や「感動」です。


生きるための叡智を備えこの世の真理を見つめ、
自分なりの指針を定めることこそが苦難のときに
力強い味方となるのです。


この世にはどんなに努力をしても、
どうにも解決しないことがたくさんあります。


失ったものを物質で埋めようとしても、解決にはなりません。
多くの場合、苦難は心の持ちようで乗り越えられるもの。


「感動」や「経験」は心を大きく成長させてくれます。
権力にすがって生きるということではなく、
人間力で生きることが大切だということです。



生かして頂いて ありがとう御座位ます。

vol. 3233
「日暮れて道遠し」  (2011/11/15 [Tue])
≪日が暮れてきたが、まだ目的地までの道のりは遠い。
転じて、期限が迫っているのに、思うようにことがはかどっていないこと。≫


人生は旅のようなもの。せっかく生まれてきたのです。
たましいを向上させることを目的として生きているのですから、
ひとつでも多くの「経験」と「感動」を心に刻もうと貪欲にならなくては損。


失敗しても、傷ついても、ムダな経験などひとつもありません。
人生は考えているよりずっと短い。


明日にでも死んでしまうかもしれないのです。
迷っている時間などないのです。とにかく行動を起こすことが大切です。


人生にいいわけなど必要ありません。
やると決めたことは一日でも早く始め、とにかくやり抜く。


その経験に勝る学びはないのです。
どれだけ「経験」と「感動」を積んでいるかという、
「たましいの年齢」こそが重要なのです。


自分の人生のプロデュースするのは自分。
グズグズしているとすぐに日が暮れてしまいます。



生かして頂いて ありがとう御座位ます。

vol. 3232
「笑う門には福来る」  (2011/11/14 [Mon])
≪いつも笑顔が絶えない家庭や、
ニコニコしている人のもとには自然と幸運が舞い込むものである。≫

この世で一番手に入れやすい魔法。それが、「笑顔」なのです。


いつも笑いを絶やさない人、いつも笑いの絶えない家庭には、
幸せが運ばれてくる。

笑い声は人の心を癒し、笑顔は人に希望を与える。
そんなふうに、笑顔は奇跡を起こすのです。


なぜなら、笑顔の奥には思いやりの心があるから。
自分のためにではなく、相手の気持ちを和らげるため、
周囲の人の気持ちを和ませるために笑うのです。


笑顔は「愛」の表れであり、笑顔は笑顔の輪を生み出し、
大きな愛で人々を包み込むのです。


大切なのは福が来たから笑うのではなく、笑うから福が来るということ。
ですから、苦しいとき、悲しいときこそ、笑いましょう。


悔しいことや惨めなことはユーモアで包んで笑い、
落ち込んでいる自分を豪快に笑い飛ばしましょう。  



生かして頂いて ありがとう御座位ます。

vol. 3231
「頭の上の蠅も追えぬ」  (2011/11/13 [Sun])
≪自分自身のことさえきちんとできないことのたとえ。
「己の頭の蠅を追え」として、「他人のことをあれこれするよりも、
 まずは自分の事をしっかりやれ」ということ。精神的にも経済的
 に自立してない人が、人を助けたり援助することはできないということ。≫


日本人はもともと内観する精神性を持っています。
つまり客観的に自分を見つめて戒める術に長けていました。
ただ現在は自分を内観するよりも、すぐに他人の批評批判をします。


そんな人のことをとやかく言う前に、まずは自分自身を内観して
自分のいたらないところを反省し改善し自立した人間になっていくことです。
人や何かに依存依頼している甘え心の強い人ほど、
「頭の上の蠅も追えぬ」人って多いものなのです。



とにかく屁理屈はいいので謙虚と感謝で
物心共に自立していきましょう。



生かして頂いて ありがとう御在位ます。

vol. 3230
「分相応に風が吹く」  (2011/11/12 [Sat])
≪人には、人それぞれの地位、能力、特性、徳というものがあって、
 それにふさわしい生き方や暮らし方があるということ。
 似たような諺に「大きな家には大きな風」があります。≫


この分相応の「分」とは、
その人の持つ「素材」のこと。


素材相応に生きなければ、
物事は上手くいくものではないということです。


仕事における成功の秘訣は、
自分が自分をプロデュースできるかどうかです。
た゜から自分の素質を把握していなかったら
おかしなことになってしまいます。


「やりたいこと」と「得意なこと」とは違います。
お金に換えることのできるのは技能だけです。
やりたいことは趣味でやることです。


生かして頂いて ありがとうございます。



vol. 3229
「三つ子の魂百まで」  (2011/11/11 [Fri])
≪三歳のころの性質は、百歳になっても変わることがない。
 幼少時の性格や、覚えた習慣は、大人になっても変わる
 ことがない。≫

三つ子というのは、幼児のことですが、
仏教的に考えると、生まれる前の世から持っている性質のこと。
この「いのち」に刻まれた性質は変わらないということになります。


もちろん、生まれて育った環境が人の性質をつくっている
ということもありますが、神経質だったら、短気だったり、
楽天的であったりといった基本的なものは前の世からの
ものが大きいと思います。


だから自分の性質を理解して、それに適応した生き方をしていくことが、
ストレスなくこの世を生き抜くポイントです。
だから自他ともに「自分の性質」をどう生かすかが大切なのです。


優しい人は優柔不断、楽天的な人は計画性に欠けるなど、
人の長所と短所は紙一重。良い部分を見つめ伸ばすことが
大切ですし、自分の短所を良く知っていて、短所を補えるように
周りの人からのサポートや援助を受けることが大切ですよ。


だからまず自分自身の長所と短所をしっかりと
認識しておかないと、自他共に生きませんからね。



生かして頂いて ありがとう御在位ます。

vol. 3228
「悪に強ければ善にも強し」  (2011/11/10 [Thu])
≪悪党は元来強い性格の持ち主なので、
 ひとたび改心すると非常な善人となる。
 凡人は、たいしてよいことをしないかわりに
 悪事も働かない、すべてに中途半端である。≫


この世は闇と光。光があるから闇が分かります。
闇があるから光がわかります。


つまり、この世で一番大切なのは、
良いことも悪いことも含めた様々な経験や感動を積むことであり、
悪であったとしても結果的に善に転じていけば、
その人の人生は大成功なのです。


悪を体験した分だけ、生きることに本気で貪欲で、
人の事に親身になれるからです。


つまり、いろんなことを体験経験してきた人は情熱が
あって想念力が強いのです。


優しい凡人より、一癖も二癖もある人が世の中で
出世していったり、大きなことを成し遂げていけるのは、
ある意味では「七転び八起き」の精神が根付いてるので
当然なのです。


生かして頂いて ありがとう御在位ます。




vol. 3227
「親しき仲にも礼儀あり」  (2011/11/09 [Wed])
≪どれほど親しい間柄、夫婦であろうと、親子であろうと、家族であろうと、
 そこには礼儀が必要なのです。
 人間関係がこじれたりおかしくなったりするのは、この礼儀を怠り、お互い
 の我がままがぶつかり合って起こります。いくら親しいからといって、相手の
 いのちを無視したり私物化するような礼儀を失くした傲慢な対応をしていては、
 不和のもとになるので、最低限の礼儀は忘れてはならないのです。≫



何故、身近な人との人間関係がおかしくなるのかというと、
それはお互いに甘えがあるからです。
何を言っても、しても許されるはずだというのは、
相手に依存して自立してないからです。



人と人とは波長で引き寄せられています。
品格のある人、心に潤いがあって豊かな心の人の周囲には、
やはりそういう人たちが集まってくることを忘れてはいけません。



また職場ではたとえ同僚であったとしても、
ぞんざいな言葉や態度は避けましょう。
職場で必要なのは、温かい空気よりも、冷静な空気、礼儀正しい空気です。
そういう空気のない職場しか本当の結果は生まれません。



また、よく他の人の夫婦関係や親子関係の話を聞きながら「信じられない」
と思ってしまうことがしばしあります。
「親しい人」と一口に言ってたも、親子や兄弟は肉親、パートナーは他人。
当然、その家々の家風というものがありますから、朱に交われば赤くなる
ことも必要です。
ただ爽やかな人権感覚で親しき仲にも礼儀を大切にする
意識が必要です。相手に感謝するという姿勢ですね。



生かして頂いて ありがとう御在位ます。


vol. 3226
「喉元過ぎれば熱さ忘れる」  (2011/11/08 [Tue])
≪熱いものを食べた時、喉を通り過ぎればその熱さも忘れてしまう。
 どんなに苦しい事や辛い事でも、時が経てばコロッと忘れてとまう。≫


同じ過ちを何度も繰り返してしまう。
その都度後悔するということですね。
分かっちゃいるけどやめられない・・。


ではどうして懲りないのか?
それは熱さが中途半端だからです。
本当に火傷するぐらいの熱さだったら、二度と同じ過ちは繰り返さない。
人生においての試練も同じです。
本当に煮え湯を飲まされるような痛い思いをしたのならば、
喉元を過ぎても熱さを忘れはしない。性根が入りますから。


と同時に、
この言葉は逆の解釈もできます。
それは「人間はどんなにつらい思いをしても忘れることができる」ということ。
忘れることができるのは、人間の持つ素晴らしい能力の一つです。
「時期が経てば辛い記憶も忘れる」わけで、
このことは試練のときを生き抜いていく自信にすればいいのです。



生かして頂いて ありがとう御在位ます。


vol. 3225
「遠くの親戚より近くの他人」  (2011/11/07 [Mon])
≪いざというときは、遠く離れた親戚よりも、
近くに住む気心の知れた他人のほうが役に立つし、
家族や親族以上に力になってくれるものである。≫

家族との共同作業の中には
「人を愛する」という生きていく上での基本となる学びがあります。
本来ここを出発点として、人と人との人間関係を広げていきます。
ただ人は家族と言う甘えの許される環境で育つために、
人間関係において基本的に横着になって礼儀がなくなっていき
さらに傲慢になっていきます。

家庭とは血の繋がりによる家族ですが、
世間では命通しが繋がった命の家族もあります。
その命の家族では甘えや傲慢さを離れて、
様々な体験をすることによって、大きな愛に目覚めていきます。

遠くの親戚よりも、近くの他人とは、
他人同士でありながら
まさにこの命の繋がりのある家族のような存在のことを言います。
その繋がりを通して、
家族との依存依頼の本能的な愛の関係とは違った
無条件の愛、大きな愛とは何かを学び体験していくのです。


生かして頂いて ありがとう御在位ます。

vol. 3224
「会うは別れの始めなり」  (2011/11/06 [Sun])
≪たとえ肉親であっても、出会った者とはいつか必ず別れるときが来る。
人生は無常であり、愛する者とは必ず別れるという愛別離苦の定めがある。≫


人は一人で生まれ、一人で死んでいきます。
どんなに強い絆で結ばれていようと、
必ず死によって別れはきます。


人に未練を残さないための方法は一つ。
それは、この世で関わっている間に精一杯の思いを込めて向き合うこと。
いのちは永遠に続いても、現世での人生は一度きりです。
大切な人と関わっている時間には限りがあります。
刹那の中にこそ永遠があるという事を忘れてはいけません。
人と人との縁を大切にするということです。


また、夫婦というのは、
一緒にいるのが当たり前という発想から、
お互いの感謝の気持ちを忘れがちです。
会うは別れの始まりです。
ダラダラとした時間を過ごすより、
もっと会っている時間を大切にしていきましょう。



生かして頂いて ありがとう御在位ます。



vol. 3223
「以心伝心」  (2011/11/05 [Sat])
≪思うことを言葉にしなくて、お互いの気持ちがよく通じ合うこと。
禅宗の「心を以て心に伝う」ということ。
 

嫌いだと思っている人はこちらに気を許すことはしません。
逆にこちらが好意を寄せている人に対しては、
美辞麗句を並べ立てたりしなくても、よい関係を築けます。


自分から発する気持ちは、自分を取り巻く環境に大きな影響を
及ぼしていることが以心伝心から分かります。≫


家庭の中で子どもが何か問題を起こしたとき、
「子どもの異変に気付かなかった」というのはウソです。


「気づかなかった」のではなく、
 「気づこうとしなかった」だけです。


つまりも
自己中心的に暮らしていたいというエゴで、
子どもの発するサインに対して無関心であったのです。


子どもに愛情を注いでなかった親に対して、
子どもが愛情を持つことはないでしょう。


愛を込めればその思いは伝わります。
目に見えない力が存在する。
それが「以心伝心」です。


生かして頂いて ありがとう御在位ます。

vol. 3222
「明日は明日の風が吹く」   (2011/11/04 [Fri])
「明日は明日の風が吹く」。

≪今日吹いてる風と明日吹く風は違う風。
明日になったら、今日とはまったく違った運命の流れが
待っているのだから、明日のことなど気にする必要なんてない。≫


この言葉、O型の僕にとっては、
昔から何かあったらつい相手に言ってしまのが、
「明日は明日の風が吹く。なんとかなるさ」。


何かトラブルが起こったとき、
解決の邪魔をするのは見栄や虚栄であるケースがほとんどです。
ただ、今の自分にできることをすべてやったら、
後は天に任せて委ねればいいんです。


すぐに白黒はっきりしないと気が済まないというのは、
わがままです。
この世に起こる出来事にはタイミングや運気など、
目に見えない力も働いてます。


「明日は明日の風が吹く」、
たとえ強がりでも声に出して言ってみると、
以外と、おおらかな気持ちを運んできてきれますよ。


生かして頂いて ありがとう御座位ます。

vol. 3221
「自分が一番正しい」  (2011/11/03 [Thu])
基本的に人間は自分のことが一番正しいと思ってます。
これは「そうじゃないよ」という場面があっても、
そうは思わない、思えないのが人間の習性であって、
人間って突き詰めれば突き詰めるほど自分勝手な生き物であって、
どんな時でも他人を押しのけても自分を正当化する傲慢さがあります。


人間が生まれてきた目的はこの「傲慢」と「無知」から解放されることです。


そして仏教ときまさにこの自分自身の「傲慢」さと「無知」に気づき、
自己中心的な「傲慢」さを捨てて自他共に喜び生かされる「無我」と「智慧」を学ぶ教えです。


その無我のポイントとしては「正しいか正しくないか」より「楽しいか楽しくないか」です。
人それぞれにはそれぞれの顔の数ほど自分の正しさがあります。
しかし「楽しさ」「喜び」「うれしさ」は自他ともに共通するものです。
なぜならば人間の心の中の仏性、母性が「楽しい」「うれしい」「喜ぶこと」には
感応して共感するからです。


正しいことより楽しいことを選んでいくのが仏教の智慧でもあるんです


生かして頂いて ありがとう御在位ます。


vol. 3220
「悩みや不安」  (2011/11/02 [Wed])
人間は誰でも悩みや不安はあります。


よく悩みや不安から逃れようとして静かな温泉地に保養に行く人が
いますが、ほとんど効果はありません。
それどころか逆効果です。


悩みや不安は逃れようとすればするほど、
それらをさらに膨らませる結果になります。


悩みや不安は、そこから逃れようとすればするほど、
ますます膨張して追いかけてきますが、
真正面から向き合えば薄らいでいくという
不思議なルールがあります。


こういった悩みや不安を受け入れる覚悟を決めたら、
必ずやってほしいことがあります。


それは何か
「じっとして悶々と悩みや不安を考え続けるのではなく
 建設的な作業に取組み汗を流す」ことです。


建設的な作業とは、
努力の成果が確認できる作業です。
そうすれば、
努力の成果が現れるにつれてそちらに心が移り、
少しずつ悩みや不安は消えていきます。


またそれにとどまらず、
悩みや不安をバネにして人生を飛躍させることが可能になります。


逃げれば逃げるほど悩みや不安は大きくなり、
プラス思考で目に見える成果がでる
何かに一生懸命取り組めば取り組むほど、
悩みや不安は消えていきます
ぜひ、試してみて下さい。

生かして頂いて ありがとう御在位ます。


vol. 3219
「実るほど頭を垂れる稲穂かな」  (2011/11/01 [Tue])
「実るほど頭を垂れる」とは謙虚であるということ。


その上で目に見えないものを敬い、感謝する。


昔の人はお米という恵みをたわわに実らせた稲穂に、


天に感謝する自分の姿を重ねたのでしょう。



生かして頂いて ありがとう御在位ます。

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