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2012年 4月

vol. 3378
「懸命な姿は美しい」  (2012/4/30 [Mon])
私たちの命とは、この1本の命綱の糸で繋がるミノ虫のように、
いつでも簡単に切れる儚(はかな)いものです。
本当にあっけないものです。


しかし、簡単に死んでしまうからこそ、
人間は大切に生きようと真剣に成れるのです。
もしこれが、不死身のロボットのようですと、
非常に乱暴な世界へと進むことでしょう。
死への恐怖心があるからこそ、
人類は色んなことを逆に大切に出来るのです。


ということは、人間が死ぬという恐怖心は、
命を大切にするためには欠かせない現象だと言えます。
死への恐怖心が在る御蔭で、人類は戦争をしなかったり、
交通事故を予防したり出来るのです。
しかし、人間は簡単に死んでしまうということを忘れますと、
自動車でも無責任な運転をするでしょう。
平和と安全のためには、逆に死という
現象から目を離しては生けないのです。


また、人間は必ず死ぬと言う道理を忘れていますと、
自分の欲望が際限なく大きく成る傾向があります。
他人をイジメてでも自分が得をしたいという自我が強く成ります。
また、色欲から異性にも執着して、
他人の家庭を破壊することも平気に出来てしまいます。
これは、自分の死後のことを考えたことも無いから出来るのです。
「死を忘れている」からこそ出来る行為なのです。
死を忘れることは、道徳心も消してしまい、
ムチャをしてしまいます。

生かして頂いて ありがとう御座位ます、
と日々において感謝をすることは、
日々に生死を自分に意識させます。
すると、上記のような自我(じが:われよし)の行為は、
アホらしいことだと目が覚めるのです。
いつか必ず死んでしまうのに、そんな他人に迷惑を掛けて
するほどのことでは無いと分かるのです。


しかし、悪魔は違います。逆に、
人間に死を忘れさせるように誘導します。
死後の世界など無く、この世だけだから
「やった者勝ち」だと人間に思わせようとします。

神道では、死という現象を「隠れること」だとします。
偉人が死にますと、「お隠れになった」とも表現します。
要は、死とは移動に過ぎないと考えています。
これは霊的には、非常に深くて正しい表現だと感じます。
答えを言いますと、私たちの魂は実は
「生まれたことも死んだことも無い」のが霊的真実なのです。
死という無になることは一切なく、
どこまでも魂は「生き通し」なのです。
だから無責任とは絶対に成らずに、いつか必ずすべての
帳尻が自動的に合わされ、そして魂の旅は進んで行きます。
実は今の私たちも、帳尻が合わされている「最中」なのです。
(これが分かりますか?)


コノ世とアノ世という「舞台」を移動しながら、
学び遊ぶのが私たちの魂なのです。
そして魂を成長させるために、
神が死への恐怖という幻想を設定しています。
この死の設定が無い次元では、
魂は成長せずに育たなかったのです。


だから、この神の設定にダマされながら、
日々を懸命に大切に生きましょう。
するとその先は、大丈夫に成っているのです。

生かして頂いて ありがとう御座位ます

vol. 3377
「悩むということ」  (2012/4/29 [Sun])
悩むということは、色んなことを「感じている」とも言えます。
悪いことでは無いです。
ただ、悪い悩みとは、「自分だけのため」の
物事に悩むのは良く無いです。自分だけのための悩みならば、
それを静観する視点が大切です。
これには恋愛や金銭など、人間の欲望に関することが多いです。


もし悩みがあれば、それはいったい誰のための悩みなのか?
と視点を変えて考えて見るのも良いです。
どんな悩みも冷める時は、
憑き物が落ちるように自分から離れるものです。
だから今の悩みも、安心して観察することが大切です。

釈尊も、人間の悩みや苦しみは、
執着することから始まると言います。
家族や他者のための悩みならば、
懸命に成るのも時には良いでしょう。
ただし、いつか人間は必ず死ぬという視点を、
大らかな明るい気持ちで持つことが大切です。
これが間違った執着を切断して行きます。
また、それが悩むべき問題か否かを、正しく判断します。


人間には、愛情力が最重要です。この力を持つために、
魂は受肉すると言っても過言では無いです。
愛情力=慈悲でもあります。
だから愛情の深い人は、自然とすべてが仏の転写を受け出します。
つまり、自分の愛情力を深めることにより、神人合一へも至るのです。
意味不明の呪文を何千回も唱えるよりも、
社会の中で愛情を発揮する人のほうが真実の仏に至ります。
他人を見る時も、地位や学歴や財産で評価する視点を廃棄して、
その人間の愛情力を見る視点が大切です。


社会の末端で低賃金で働き、「その環境の中でも」
愛情や「思いやり」を出せる人間をたまに見ます。
そんな人は、霊眼では黄金の光に包まれているように視えます。
そんな人を見ますと、思わず拝みたく成ります。
まさに生きながら菩薩へと、人間は本当に成るのです。
だから今の自分の環境が悪くても大丈夫です。
その中で自分が仏へと昇華することは、誰でも可能なのです。
環境が問題なのでは無いのです。

自分の愛情力や思いやり力が増せば、
何時の間にか悩むことをしません。
環境がそのままでも、それでも有り難いと真から分かるのです。
これは無理をしているとか洗脳だとか、そんなことでは無いのです。
人間が生かされている原点に気付き出すのです。
この時に、仏という存在の片鱗を初めてナントナク認識出来るようにも成ります。


このように成れれば、その人は人生の真の勝利者です。
巨大な心の富を持って、アノ世へ持参することも出来ます。
コノ世だけで終わる、ニセモノの金持ちを目指しては生けません。
今の環境がミジメでも絶対に大丈夫です。自分の良心を信じて、
愛情力と思いやり力を育てましょう。

生かして頂いて ありがとう御座位ます


伊勢白山道より転載

vol. 3376
「人生に大切なこと」  (2012/4/28 [Sat])
今朝に浮かんだことは、人生にとって大切なことは何か?
ということです。
その前の仮眠で見ていた夢は、なぜか漫才ツービート時代の
若い北野たけしさんが、相方と地方のドサ回りをしている光景でした。
前の日に「役者」というキーワードが出ていたから見た夢でしょう。


私の夢では、地方のヤクザな男達や舞台に関わる日の目を
見ない女性たちに、彼は人間の「しょうがなさ」「あわれ」を見ていました。


彼の元に集まった弟子たちは、
事務所の応援もありますが活躍されています。
上手に弟子を選んだな、いや、自然とそう「成った」のがホントでしょう。
それぞれのお弟子さんは、もし「ビートたけし」の弟子に
成っていなければ、まったく違う人生を歩んでいたでしょう。
各人がもし、故郷の同窓会にでも出れば、
自分が恵まれている方だと分かると思います。
一流大学に行った同級生が、中年になった今が幸福か
どうかは分かりませんね。いろんな人生が有ります。


では、たけしさんが、弟子を選ぶ視点は何だったのか?
私の独断ですが、挫折感を知らなさそうな人間は、
避けたと思います。コンプレックスを抱え、
できれば秘めた優しさが有りそうな人間を
「まあ、いいや」と適当に選んだ感じがします。
悩まない人間よりも、悩みそうな人間を選んだとも言えます。
(ト゛クシャモ、コ゛ウカクシタカモネ)
要は、彼自身がそのような要素を持つからです。

1.悩む人間は、成長するということ。
目的(生きるための)を持って悩むのも悪くは無い。

次に大切な視点は、その人に愛情や他人への思いやりが
有りそうか無さそうかを見ることです。しかし、これの判断は、
付き合わないと分かりにくいですね。
でも、そういう視点が大切だと自分が「知っている」だけで
良いのです。それで相手を見る視点が変わって行きます。
そして、正しい判断が出来ていきます。

2.人間には愛情や思いやりの有無が大切。これが人生の幸福を左右させます。

更に北野たけしさんから感じるのは、他人からの恩を大切にすることです。
彼はいまだに漫才コンビを解消せずにいます。
若い頃を共にした相方には、何か有れば助けてあげたいと
思っているのではないでしょうか。
襲撃事件を共に起こした弟子たちには、
「一生、俺が面倒を見る」と言い、それを実行しているのが今の状況でしょう。

3.他人からの恩を大切にする心を持つこと。

今は受験シーズンで、試験結果で子供の人生が終わる
ような心配をする親御さんが多いです。
これも、子供の幸福を思ってのことです。
しかし、子供の人生に本当に大切であるのは学歴では無く、
上記の1〜3を持つ心に子供を導くことなのです。
学歴だけでは金銭は入らない時代です。
しかし、1〜3番は、金銭も幸福も子供によこす「結果」にします。
生涯にわたり有効です。

まあ、北野たけしさんを例にして人生論を書きましたが、
彼が関西系の深夜番組に初めて出演された若い時のことを思い出します。
笑福亭ツルベさんが司会の番組でした。
たけしさんは、何が気に障ったのか、ツルベさんの問い掛けには
誠意の無い意味不明な返事を「最後まで」やり通しました。
その決して視線を合わせない顔には、
「何がツルベだ。浅草をナメんじゃねーぞ」
という気迫を出していたのを覚えています。


それから数十年後の先日の番組では、
仲良く二人で長時間の番組をされていましたね。
思いっ切り生きる人は、生きるほどに角も取れるようです。

私たちも1〜3番を大切にして生きて行けば、必ず丸く幸福に成れます。

生かして頂いて ありがとう御座位ます。

伊勢白山道より転載

vol. 3375
「無視されるほど辛いことはない」  (2012/4/27 [Fri])
良いとか悪いとかは別として、人はみんな、
自分という人間に関心を示してもらうことを願っています。
「自分のことをもっと気にかけてほしい」と考えてるのです。


ところが人間とは愚かなもので、無意識で無視したり、
声掛けを怠ったりしてしまいます。
無意識にそんなことをしていても、
まったくしている本人は気づけません。


逆に言えば、相手のことを、特に消極的な人を認めて
気にかけ声かけしていくことができれば、その時点で
「鏡の法則」か゛プラスに働くようになり、
あなたもまた認めてもらえるようになるのです。


生かして頂いて ありがとう御在位ます。



植西聰著『「いいこと」がいっぱい起こる!鏡の法則』より抜粋


vol. 3374
「おうかがいをする人に好感を寄せる」  (2012/4/26 [Thu])
 僕は上司や周りの関係者に対して細かい事でもすぐに
「報告・連絡・相談・確認」を行っていました。
情報を共有することによって参加意識が高まって
「われ関せず」という人が一人もいなくなるからです。
そして上司から「おまえに100%任せたからな」
と言われた事業等についても、
マメに、「おうかがい」を立てていきました。


 お蔭で、僕は上司や周りの関係者の人たちから
とても信頼と好感を持たれていました。
マメにおうかがいを立てられれば、
上司は「自分はとても重要な存在であり、
頼りにされている」「気にかけられている」と言う気持ちになり、
自己評価が満たされるからです。
そして自己評価が満たされれば、「おうかがい」を
立ててきた人に対して好感を持ち、
協力・応援をしてあげたいという気持ちになります。
つまり広島弁で言う「かわいげなやつだ」ということになります。


 「おうかがい」を立てた人のやったことが
多少気に食わなくても、「まあ、いいか、一生懸命やってるんだから、
大目に見てやろう」と許せるよう応援してきれます。


 逆に一生懸命やってる人でも「報告・連絡・相談・確認」や
「おうかがい」のない人の事を、上司は陰で僕にぼろカス言ってました。
またいくら良くやったとしても、
上司は決してその人の協力や応援はしませんでした。
それより、批評批判ばかりしていました。そして上司は、
「あいつばっかりは、かわいげがない」と、その人の事を悪く思い、
いつまでもいろんなことを根に持って怒ってました。


 つまり、マメな「報告・連絡・相談・確認」そして
「おうかがい」ここでも「鏡の法則」がプラスに働いて、
間接的ながらも、「報告・連絡・相談・確認」や「おうかがい」
を立ててきた部下や後輩を自然と可愛がり「立てよう」
「応援しよう」という気持ちが芽生えてくるのです。
これは上司や部下でもそうですが、夫と妻、
親と子どもでも同じことが言えます。
マメに「おうかがい」を立ててくる人は援助したくなり、
そうでない人には「応援したくなくなる」。
このことは絶対に忘れずにマメな行動を取りましょう。
この世は行動してなんぼの世界です。
思っているだけでは評価されないどころか逆に悪く思われます。
素直にマメな「おうかがい」を忘れずに。


生かして頂いて ありがとう御在位ます。


植西聰著『「いいこと」がいっぱい起こる!鏡の法則』より抜粋


vol. 3373
「人を立てよう」4/25(木)  (2012/4/25 [Wed])
人は人から立てられると気分が良くなり、
今度は立ててくれた人のことを立てたくなるものです。
立ててくれた人に親しみと好意を寄せていくようになります。


 じゃあ、どうして人は立てられると気分がよくなるのか?
 それは、立てられることによって、「敬われたい」「目立ちたい」
「自慢したい」「優越感に浸りたい」という尊厳の欲求、
つまり自己肯定感が満たされるからです。


 だから、人は立てられると気分がよくなり、
立てられた人に親しみと好意を寄せるようになります。
そして今度は、立ててくれた人のことを逆に立てたくなります。


 「人を立てる」ためには、まずあなたの競争心を捨てる事。
他人と張り合う気持ちを捨てる事です。
「この人に勝ちたい」「あの人に負けたくない」という思いがあると、
それが相手に伝わり、相手も同様な気持ちを抱きます。


要するに、相手と張り合う気持ちがあると、
その時点で鏡の法則がマイナスに働いて
よくないことが起こってしまうのです。
だから自慢話はしないほうがいい。
それよりも相手の話を聞いてあげる聞き上手になること。
そして相手を立ててあげれる人になること。


そのためには相手と張り合おうとする気持ちを捨てる事。
そしてあえて、自分の劣っているところを見せて相手をほっとさせる事。
決して、自慢、傲慢にならないように。


そうすることで、とても良好な人間関係が育まれていきます。


生かしていただいて ありがとう御在位ます。



植西聰著『「いいこと」がいっぱい起こる!鏡の法則』より抜粋


「人間関係は鏡の法則」  (2012/4/24 [Tue])
「相手のあなたに対する言動は、
あなたの相手に対する言動そのものである。
また、あなたが心の中で思っていることと
同じ感情を相手も抱く」これが鏡の法則です。


 では、どうしてそんなことがいえるのでしょうか?


 それは、私たち一人ひとりの心は、
その奥深いところで、他の人たちとつながっているからです。
相手に抱く感情は、良くも悪くも、
ブーメランのようにそのまま戻ってくる仕組みになっています。


 つまり、相手にマイナスの念を送れば、
相手もマイナスの念を送り返してくる、プラスの念を送れば、
相手もプラスの念を送り返してくるという、鏡の法則の上に、
すべての人間関係は成り立っているのです。


 不快な気分にさせられる相手には報復の感情を抱くようになり、
いい気分にさせてくれる相手には返報の感
情を抱くようになるというのは、このためです。


 ボールを壁にぶつけたとき、自分が球を投げる力が弱ければ、
弱い球が返ってきます。強く球を投げれば、強い球が返ってきます。


 人間関係も同じで、あなたの出方次第で、
相手の出方もまったく変わってきます。
鏡の法則を認識したうえで、
一分でも一秒でも穏やかな心で、相手に接していきましょう。


 生かして頂いて ありがとう御在位ます。


植西聰著『「いいこと」がいっぱい起こる!鏡の法則』より抜粋


vol. 3371
「嫌われる人、好かれる人の共通点」  (2012/4/23 [Mon])
人に嫌われる人、好かれる人には共通点があります。

嫌われる人は、他人を不快な気分にさせてしまうことです。
相手が傷つき、カチンとくることや、嫌味を平気で言います。
とにかく相手の話を聞くより、自分の自慢話ばかりをします。


誰かに何かをしてもらっても、感謝がなく恩を返すこともありません。
自分勝手でわがまま、約束を守らず、困っている人がいても、
見て見ぬふりをして、親切ではありません。
こういう嫌な人には、周りの人が報復の感情を抱きます。


逆に人に好かれる人は、人を愉快な気分にさせます。
何かにつけて相手を立てようとします。
具体的には聞き上手で、人の話を最後までさえぎらずによく聞きます。


自分の意に反したことを相手が言っても、いちいち反応しません。
人に何かをしてもらったときは、必ず「ありがとう」とお礼を言い、
恩を覚えていて返そうとします。身勝手な振る舞いをつつしみ、
相手の好みを優先させます。


また、一度口にしたことは、どんな些細なことでも、
努力して守ろうとします。人が困ったときや大変なときには、
親身になって応援・協力します。こういう好かれる人には、
周りの人は、感謝の感情が芽生えます。


もしみんなから嫌われている人がいたとしたら、
その人はみんなを不快にする言動を取っており、
みんなに好かれる人がいたならば、それはその人が
みんなの気分を良くする言動を取っているからです。


言い換えると、相手のあなたに対する態度は、
あなたの相手に対する言動そのものです。
人間関係のすべては、あなたの言動のあらわれです。


さて、あなたはどんな言動をしているのでしょうか。


生かしていただいて ありがとう御在位ます。


植西聰著『「いいこと」がいっぱい起こる!鏡の法則』より抜粋


vol. 3370
「スピードが遅いのは受け身だから」4/22(日)  (2012/4/22 [Sun])
スピードが遅い人の共通点、それは仕事が受け身です。
まず積極的な人で、スピードが遅いということはあり得ません。
やはり上司や相手から言われるまで待ってる、
そういう人はスピードが遅いです。


積極的かそうじゃないかは、上司や相手から言われる前にやるか、
言われてからやるかの差なのです。
積極的に良くしたいと考えている人は、
自然とスピードが速くなるのです。


これは変化に対してもまったく同じです。
変化に対して積極的なら、変化のスピードが速くなります。
世の中の変化に対応して動くのは、すでに受け身です。


リーダーは自分が変化を引っ張っていかないといけません。
相手のアクションに合せて動いているようではダメです。
相手より先回りして動くことなのです。


リーダーはサッカーで言えば、「いないところに蹴るから追いつけよ」
というパスを出すことです。先回りして積極的に動いた時、
積極性が一番具体的に全体にあらわれます。


早く一気に仕事を行っていく積極性、それは常に時計に目をやること。
何時までにこの仕事を終えると決めたら、
その完結目標から逆算されてスケジュール内容が決まっていきます。
そうすると完結目標に向かって、ゴールを目指して
一気に加速して積極性とスピードが出ます。


生かしていただいて ありがとう御在位ます。

vol. 3369
「今日を大切に生きる」  (2012/4/20 [Fri])
「今日を大切にしよう」「今日を大切に生きよう」
なんてよく言われるので、耳にたこができると思うかもしれません。
ただ、この言葉をよく聞くわりには、この言葉の中身は実感できず、
たんなるきれいごとと、聞き流されている感じがします。


今日という日は、二度とはやってこない、だから、
朝起きたときに、今日も頑張るぞ!と、
自分にはっぱをかけたりしますが、
なかなか納得のいく一日を過ごせない。


なんとなく流されて、あげくに「明日やればいいか」と
自分を甘やかせてしまいます。
ただ、これでは悪いクセがつくばかりで、まったく進歩がありません。


思い出して下さい。この世は期間限定で与えられた
時間を精一杯生きないと、必ず後悔するようになるということを。
永遠にこの世で生きていることができると勘違いしているから、
怠惰に流されてしまいます。


時間がきたら否が応でも
退場していかなくてはならないのがこの世のルールなのです。
であるならば、後悔だけはしないようにすることをしておこう。


いつも期間限定の言葉を思い出して、
後悔なく「今日を大切に生きる」クセづけを身につけていきましょう。


生かして頂いて ありがとう御在位ます。



vol. 3368
「ほう・れん・そうは血液の循環と同じ」  (2012/4/20 [Fri])
「ほう・れん・そう」とは、「報告・連絡・相談」です。
職場の中で、一人でもこれをおろそかにする人がいると、
仕事全体の流れが止まってしまいます。


仕事は、上司が部下に指示を出し、部下はそれに従って遂行し、
その結果を報告してはじめて、一連の仕事として終了します。
そして一番大切なのは、「中間報告」です。
この「中間報告」をマメにしないと仕事のエネルギー、
血液は流れていきません。


なんとかなるさと考えて、あとまわしにしてぎりぎりに
なっての報告では、早ければ対処できたものでも、
上手く対処できなくなってしまいます。問題があると感じたら、
上手く流れていると感じたら、悪いも良いもどんな小さなことでも
上司に報告相談することが部下の義務です。


そして、連絡も正確に敏速に、
スピードは相手に安心と信頼を与える愛なのです。
ですから、すぐやる。すぐ報告連絡相談する。
これが滞ると、血液と一緒で組織という体が必ず病気になります。
健全でスピードのある「ほう・れん・そう」を意識して行動していきましょう。


生かしていただいて ありがとう御在位ます。


伊勢白山道著
「生かして頂いてありがとうございます」参考

vol. 3367
「時間ケチになろう」  (2012/4/19 [Thu])
お金のケチはみっともないですが、
時間ケチはいくらでもケチがいいのです。
この時間ケチとは、時間を大切にするいう意味です。


時間とは、それだけ貴重なものです。
時間に対して、もったいないという感覚を持つことです。


せっかちな人は、時間にケチで、
もったいないという感覚を持っています。
「時間にケチ」になりましょう。
「時間にうるさい」人になりましょう。


時間はそれぐらい大事なものであり、財産なのです。
人生で一番の財産は、お金ではなく時間です。


時間があるから、いろんな楽しい行動ができて、
思い出が残ります。
自分の時間を大切にする人は、
時間の貴重さが分かっています。
時間をムダ遣いしてダラダラ過ごすことに
平気な人といたら絶対に運気がおちます。


それより時間を惜しんで忙しくしている人とつきあえば、
自分の時間も生きてくるのです。


生かして頂いて ありがとう御在位ます。







vol. 3366
「あなたには叱ってくれる人がいますか?」  (2012/4/18 [Wed])
会社ではミスしたり、気配りが無かったりすると、すぐに叱られます。
誰だって、叱られるのは嫌です。


しかし、ちょっと考えてみて下さい。
もし、まったく叱られないで育てられた子どもがいるとします。


はたして、その子はどんな大人に成長するでしょうか。
いう間でもなく、人のことを思いやれない、
自己中のわがままな子供になるでしょう。


何故叱られるのか。それはもっと学んでもらいたい、
同じ失敗をしないでほしいという気持ちの表れです。
その人のことを本気で思っているための行動です。


人間は、叱られてこそ、よりよく成長していきます。
あなたを本気で叱ってくれる人がいるのは、ありがたいのです。
今、あなたを本気で叱ってくれる人はいますか?


もし、誰もいないのなら、実に残念なことです。
つまり、あなたを本気て゛気にかけてくれる人がいないのか、
あなたには何を言っても聞き入れる素直さがないということだからです。


本気で叱ってくれる人はあなたの宝なのです。
もし叱られたら、自分の怒りの感情はちょっと脇に置き、
その言葉を真摯に受け止めましょう。


そして、もしかしたらあなたから恨まれるかもしれないリスクを
背負って叱ってくれる人に感謝しましょう。
その人はあなたの成長と幸せを本気で願ってくれているからです。


生かして頂いて ありがとう御在位ます。



vol. 3365
『「ありがとう」という言葉が自然に出る人になる』  (2012/4/17 [Tue])
誰かにやってもらって当たり前ではありません。
誰かに何かをやってもらったら
「ありがとう」という感謝の言葉が自然に出る。


そうでないと、人と人とのコミニュケーションは取れません。
仕事は一人でやるものではないし、
いつも周りから支えられているから自分の仕事ができています。


いつでも、どこでも、どんな時でも、
周りの人に感謝の言葉「ありがとう」の
一言を伝えるように意識しましょう。


この「ありがとう」という感謝は仕事場だけでなく、
家庭や、日常でも自然と口から出る人になりましょう。


生かしていただいて ありがとう御在位ます。

vol. 3364
「私と仏様は一つ」  (2012/4/16 [Mon])
 人間は自分の心の中にいらっしゃる仏様(良心)を
大切にする限りは、人から嫌なことを言われても、
悪口を言われても、いじめられていても、
それは必ず相手に反射しています。
悪口なら悪口が相手に返り、
愛情ならば相手は愛情を受け取ることになります。


要は、自分の心が純粋な鏡になれば良いのです。
良心を大切に生きて鏡になり切れない限り、
反射できずに自分で受け取って苦しみます。
自分が純粋な鏡になるには、
自分の個コメの仏様(良心)を信じる強さが大切なのです。


 自分の幸せの仏様を信じる「信心」は、
その人の人生を変え、運命を改善させていきます。
やはり自分が仏様に生かされている
生きる原点への感謝を絶えず行っていると、
日々の実践的な創造力が強化されていきます。
 もっと、自分の心の仏様を信じましょう。


他人から悪口やいじめなどは、
びくともしない強い自分になっていてきます。
生かして頂いて ありがとうございます。



vol. 3363
「現状への感謝ができる人は裕福となる」  (2012/4/15 [Sun])
人間は弱いものです。何かを失うことを本能で恐れるからです。
何かを持てば、それを失うことを恐れます。
何かを持たなければ、それを持ってないことに悩みます。
持っても悩み、持たなくても悩むのです。


老子は「足ることを知る者は富む」と言ってます。
つまり、現状への感謝ができる人、ほどほどを知る人は、
逆に裕福になる、という意味です。


これは真理です。
今の現状に感謝していくのが、着実に幸福に近道なのです。
私たちの心だけは永遠に旅をする不滅の存在です。
死にたくても、心だけは絶対に死ねません。


心以外は、変化して消えていく物事ばかりです。
だから焦らないで、現状を眺めて様々な恩恵を
与えられていることに気づき、
現状のありがたい物事にも気づいて、
感謝の中で、思い切って生きていきましょう。


生かして頂いて ありがとうございます。


伊勢白山道著
「生かしていただいて ありがとうございます」参考


vol. 3362
「どんな経験も受け入れる」  (2012/4/14 [Sat])
 人間の「いのち」は、経験を求めてこの世に生まれて来ています。
だからどんな経験も真の財産となります。


 何か辛い経験をすれば、最初は怒ってもいいですから、
最終的には暗く嫌な経験として自分の心に刻まないことが重要なのです。
 

 暗く重い気持ちを刻み込まない。この練習ができるかどうか、
実践するかどうかが、その人の幸運力を決めていきます。
そしてその辛い体験をも感謝で受け入れられると、運命が変わっていきます。


 挑戦をしても失敗をしてみても、その過程を経験したこと
自体が大成功なのです。その経験は良い思い出になり、
あの世での財産となります。何もせずに流されて生きるより、
価値ある経験をしたのです。


 ただ、どんな経験も、自分の良心からの視点を持ちながらの
経験じゃないとダメです。あの世の財産にはなりません。

 だから「生かして頂いて ありがとうございます」の
視点でいろんなことを経験していけば、絶対に大丈夫なのです。
生きているうちに方向は必ず改善していくし、
あの世でも感謝と歓喜の世界へと引きつけられていきます。
この世にいて良し、あの世に逝って良しの大安心の世界へは、
どんな体験をしても「生かして頂いて ありがとうございます」
さえあれば引きつけられていくのです。


 ですから、どんな経験も無駄ではないし、
感謝することによって自分で財産に変えることができるのです。


生かして頂いて ありがとうございます。


伊勢白山道著
「生かしていただいて ありがとうございます」参考

vol. 3361
「良い行為と良い結果」  (2012/4/13 [Fri])
人間は他の人に対する「愛情」と「思いやり」を
積極的に行うことによって、
心の中の良心がどんどん大きくなっていきます。
大きなっていくと、健康になって、寿命が延びていき、
幸運が増えていきます。

 逆に自己中心的に自分の事ばかりに執着したり、
他の人に対して「愛情」や「思いやり」がない場合は、
心の中の良心がどんどん心の奥に隠れていって、
肉体から健康が消え、寿命も縮まり、幸運も消えていきます。

 ですから、自分の生活や仕事の中で、
家族や職場の人たちや知人や縁者に対してね
「愛情」と「思いやり」を配る意識を持てばいいのです。
 
 これが因縁となって、必ず良い結果が自分に反映してきます。
 
 お釈迦様は「宇宙は縁起(行為と結果)が反映して、
必ず循環して流れていく」とおっしゃいました。
済んだ悪い過去からの反映ではなく、
今から他の人に対する「愛情」と「思いやり」で
良い因縁を作る視点を持って行動しましょう。
 
生かして頂いて ありがとう御在位ます。

vol. 3360
「自分の欠点を知っておく」  (2012/4/12 [Thu])
人間は何回も何回もこの世に生まれ変わってきていますが、
何回生まれ変わっても、自分自身を見つめないと、
自分以外の周りの環境や人に責任転換するうちは、
やはり同じ悪いことを繰り返してしまっています。

自分の欠点なんて知りたくないし、
認めたくないのが人間かもしれません。
でも、自分の欠点に気づいてないということは、
認識できていないということは、
あなたの人生にとってはとても大きな弱点となるのです。

成功する人たちの共通点は、
自分の弱点にいち早く気づいて対応しています。
弱点に気づき弱点を認識しておくことによって、
その弱点が出そうになったら、
「はっ」と気づいて理性でストップさせることができます。
また弱点が出そうな場所や人には近づかないようになります。

人間がこの世に生まれてきた究極の目的は、
自分を見つめることです。自分の欠点も長所も知った上で、
欠点に流されたりつかまったりすることなく、
良心に従って長所を生かしていくことなのです。

とにかく自分の過去を振り返ったら、
必ず悪いクセである短所が出て
失敗してしまうパターンがあるはずです。
その失敗パターンを何度も繰り返して
嫌な思いを味わっていくことではありません。

まず自分の悪しき失敗パターンである欠点をよく知り、
日常で意識したうえで、良心に沿った他の人に
思いやりのある言動で、もっとあなたの長所を伸ばしていきましょう。

生かして頂いて ありがとう御在位ます。



伊勢白山道著
「生かしていただき ありがとうございます」参考

vol. 3359
「運命が変わる法則」  (2012/4/11 [Wed])
この世には一切のムダが起こることはありません。
すべて起こってくることはその人にとって
「必要」「必然」「ベストのタイミング」で必然的に起こってきます。

その起こってくるどんなことも
自分の心の成長の糧(材料)にする、
糧に変える覚悟を自分がしたならば、まったく良い方向に
運命が好転していく法則があります。

しかし、自分にとって嫌なことが起こり、
その起こったことにいつまでも執着して
とらわれたり、こだわったりしていればロクなことは起きず、
転がり落ちるように運命は急降下して悪化していく法則もあります。

人間は常に「好転」「悪化」のどちらかを
選択する自由を与えられています。
ですから起こってくることを成長の糧にするのか、
被害者となっていつまでも執着して人生を悪化させていくのか、
すべての人間に「選択の自由」が与えられているのです。

だから誰の人生もすべては「平等」で「公平」なのです。

あなたの生活の中にこそ、
人間を観音様のような愛情心に進化させる課題が
満ち溢れていることに気づけますか。

生かして頂いて ありがとう御在位ます。


伊勢白山道著
「生かしていただいて ありがとうございます」参考

「偽善でも良いから他人を思いやろう」  (2012/4/10 [Tue])
世界を見渡すと貧困と飢え、戦争や虐待など、
とても悲しい現実が日々繰り広げられています。
平和な日本にいながら、私たちは何を一体悩み、
心を曇らせているのでしょうか。

人間は自分勝手な我がままを通そうとしたり、
自分の思い通りにしようとしたりと、
自分の事ばかり考えているから悩み出してしまうのです。

逆に言えば、少しでも家族や職場の身の周りの
縁ある人たちのことを思いやったり、
明るく元気な声をかけてあげることができれば、
自分の心も楽になり安定し出すのです。

つまり、自分のことしか考えない人には、
誰も近寄りたくなくなるし、
人間も幸運も必ず離れていくようになります。
偽善でも良いのです。

自分だけの枠から少し離れて、
家族全体や職場の縁ある人たちのことを思いやることが、
幸運を呼ぶ始まりの縁になります。

「生かしていただいて ありがとうございます」という生死の原点に
立ち返れば、すべてが自分にとって
今の現状は、与えられた「ありがたい」ことばかりなのです。

よくよく考えてみると、この恵まれた日本の社会の中で
一体何を悩み、誰を責め、不足を抱え、
何かにとらわれこだわっていくのでしょうか。

この世にあるものは、人も物もすべてが移り変わり
なくなるものばかりです。

与えられ、恵まれた現状への感謝を心がけて、
偽善でもいいからちょっとした勇気を出して
縁ある人たちへ思いやりのある声掛けや行動をしていきましょう。
3:11東日本大震災は、
いつこの世を去ってもいいように
後悔ない思いやりの人生を生きておくようにと、
人間に対する自然界からのメッセージであったことに

真剣に気づかないといけません。心底気づいたら生き方は変わります。

生かして頂いて ありがとう御在位ます。


伊勢白山道著
「生かしていただいて ありがとうございます」参考

vol. 3357
「視点を変えるだけで人生は改善されます」  (2012/4/09 [Mon])
人間というものは、元気なときや調子に乗っているときは、
身の回りにある小さなサインや他人のことは気にならないものです。

他人に冷たくもできてしまいます。しかし、自分の調子が悪くなると、
急に周りのことが気になり、細かいことにも「気付き始める」ものです。
元気なときは自分本位が勝り、
弱いときには他人の視点を過剰に気にします。

では、精神の向上の視点では、どちらの状態が魂にとって良いのか?
調子に乗っているときには、他人を傷つけるぐらいならば
自分が不運な状態も「悪くない」と言えます。自分が不運でも、
そのぶん他人の気持ちを理解できるならば、魂にとっては良いのです。
不幸も悪くありません。

ただ、自分が不幸だからと言って他人も呪うような態度は、
一番ダメです。これこそ本当に「不幸な人」です。
先行きも暗いままで、光が見えません。

形だけでも先祖供養を実行できる人や、
幸せの仏様=良心に向き合う内容の私の本を読める時点で、
その人は光に向かって歩き出しているので大丈夫です。

やはり改善したい、良くなりたいという希望は、生きる間は大切です。
私がサラリーマンとして20年以上も勤務できたのは、
仕事の中に「修行の視点」を持ったからです。

これが大きなポイントなのです。
この視点がなければ、嫌なことだらけだったと思います。
嫌な人物や嫌なこと、競争はいくらでもあります。
しかし、私の場合は、それが実験場でもありました。
また、「前向きに」あきらめる、未練を断つ練習の場でもあります。

仕事で嫌な刺激を受ければ、不屈の意志を持って
喜々と受け切る覚悟を持っています。家庭の主婦でも、
家族との対立を、自分の愛情力を高める修行場にできます。
それで得た愛情力が、自分自身を死後に助けることになります。


すべては流れて過ぎ去る中で、良い志を持つことが重要です。
永遠に「死ぬことができない」魂の視点では、
この世の短い人生での好調や成功とは、
必ず消えてしまう小さなことにすぎないのです。

そんな小さなことよりも、不幸でも不運でも良いから、
愛情を持つ人になれれば成功者です。
死後にも持参できる意識となります。

それは、この世に「生まれ出ることによってしか」
獲得できない意識なのです。
今が幸福な人も、不幸な人も、この言葉を常に忘れなければ、
すべてにムダがなく、仏様からの恩寵(プレゼント)へと改善します。

生かしていただいて ありがとうございます。


伊勢白山道著
「生かしていただいて ありがとうございます」より

vol. 3356
『「結ぶ力」を強くすれば幸福とも強く結べます』  (2012/4/08 [Sun])
生きている人間の大きな役目とは、
「結ぶ働き」だと仏様は示されます。
この世では、仏様の代わりとして生きる人間しか
「結びの働き」ができないのです。

結びとは何か?
縁をつけて連結すること、です。これにより
「新たな」3つ目が生まれるのです。
創造ができるのです。

わかりやすく説明しましょう。
AさんがBさんを思い出して
「元気にしているかな〜」と考えることも、
結びの「始まり」です。

そしてAさんは実際にBさんに会い(愛)に行きます。
これは結びの実行中です。
久しぶりに面会して話に花が咲き、
思いもしなかった仕事を得ることになるなどの進展が起こります。


そして、新たな展開が始まりました。
要は、AさんがBさんへの「思いやり」の
気持ちを持ったことが最初の始まりなのです。


人間が他への「思いやり」や「愛情」を持つことにより、
仏の代行としての「結びの働き」を「起こす」のです。
何かを生み出します。
幸福な人とは、結びの達人でもあるわけです。

だから、がむしゃらに自分本位で頑張る人よりも、
「思いやり」や「愛情」を持つ人のほうが、
なんとなく「総合的には」幸福な結果へと進むことになるのです。

これを見て、がむしゃらな人は「何で?」と不満を感じるものです。
不運な人を見ていますと、自分のことばかりを心配しています。
これは運気を落とす悪いパターンに入っています。

だから、自分が不幸だと思っている人は、
自分自身への心配をあえてやめて、
他人への思いやりを考えることが、
一番に効果的な運気を戻す手段です。

「愛情力を持つこと」「他への思いやり」を自分が意識することが、
仏様の代行としての「結び力」を発揮するのです。
軽く希望したことが叶うようになります。

この世で生きる間は、愛情力と思いやり力を
意識して生きるほうが、何かとお得です。
心にいる仏様や他の存在に感謝を捧げることも、
結びの力を与えられます。必ずいろいろと改善していきます。


伊勢白山道著
「生かしていただいて ありがとうございます」より

vol. 3355
「ほとけ様のことば」  (2012/4/06 [Fri])
『お前はお前でちょうどよい
顔も体も名前も姓も それはお前にちょうどよい
貧も富も親も子も 息子の嫁もその孫も
それはお前にちょうどよい

幸も不幸も喜びも 悲しみさえもちょうどよい
歩いたお前の人生は 悪くなければ良くもない
お前にとってちょうどよい

地獄へ行こうと 極楽へ行こうと
行ったところがちょうどよい

うぬぼれる要もなく 卑下する要もなく
上もなけれぱ下もない
死ぬ月日さえもちょうどよい

ほとけ様と二人づれの人生ちょうどよくないはずがない
これでよかったと戴けた時憶念の信が生まれます』。


毎年、報恩講でお参りしていた熱心なお同行であった
渡辺玉子さんのお仏壇の下にはこの「ほとけ様の言葉」と、
大きな字で「仏様にこの命はお任せ。延命治療お断り」の
力強い文字が。


ああなればいいのに、こうなればよかったのに・・と、
自分の思う通りにしようとする心、そうしたい傲慢さが、
「おまえはおまえでちょうどよい・・・・」。
この言葉に触れることによって、ストーンと落ちたような
気がしました。


そして、自らの内に持った傲慢さを少しでも薄くして、
いろんな経験を通し、謙虚に謙虚に自分のいのちを磨いて
いこうと思いました。


この「ほとけ様のことば」を読むとき、
28歳だっかなあ・・・本当に未熟者であったその時のことを
ありありと思い出します。


そして渡辺さんも今では浄土の人民となられ、
子孫を含めて多くの念仏者を導き見守られているのでしょう。
自分には分からないけど、多くのご先祖を含めて、
縁のあった念仏者の皆さんの純粋な願いを
受け取らないといけない。


それは今与えられている「ちょうどいい」ご縁を
大切に大切に育てていくということでしょう。
そのご縁の中には、思う通りにならない縁も
いっぱいあります。


ただ人間は「人生をいきいきと生きる」には、
実は自分とは意見や考えが合わない人や、
思う通りにならない人がいて正常に生きていけるのです。


もしそういう「かたより」を排除したらどうなるのか?
考えが合わない人、気に入らない人を排除していった、
やがてあなたも排除されることになっていきます。


それはみな、助け合いのない孤独の歩みとなって、
家族や縁そのものがまったく不必要になっていくでしょう。
そういった言葉の通じ合わない世界は地獄となります。


仏教を聞けば聞くほど、
「思う通りにならないことが、ありがたい」といただけていける。
なかなかその心の位置には素直には至らない自分がいるけど、
ふんふん文句を言いながらも、もういやだあ・・とブーたれながらも、
やはり自分に与えられたご縁を「やっぱりちょうどいいのだ・・」と受け入れていける。


それが仏様と二人づれ「なんまんだぶつ」と、
「仏様生かしていただいて ありがとうございます」と、
お念仏を喜ばしていただく「ちょうどいい人生」ですね。


生かして頂いて ありがとう御座位ます。
 

vol. 3354
「まずは身近な人から思いやりの心を配りましょう」  (2012/4/05 [Thu])
仕事で悩むタイプの人を見ていると、
他人の顔色を気にする人が多いものです。
自分の仕事よりも、他人の言動や自分に対する
態度ばかりを心配しています。

ここで間違うのは、仕事に専念するよりも、
他人の顔色を観察することを重視してしまうことです。
上司や同僚が自分に嫌な態度をとるのは、
付き合い不足や会話ベタが原因ではないことが多いです。

やはり自分の仕事ぶり(仕事への姿勢、必要な報告の有無、
同僚への仕事上の配慮)に関することで、
気に入らないと感じていることが多いのです。

上司や同僚は自分の仕事ぶりへの嫌みを思っているのに、
当の本人は自分の仕事よりも、
ますます他人の顔色が気になって仕事に集中していません。
ここから悪循環が始まるのです。

他人は仕事に関する自分への不満を持っているのに、
自分は仕事よりも人間関係を気にしているのです。
お互いに気にすべき視点がズレていますから、
溝は大きくなっていきます。
しまいには被害妄想が始まります。

「陰で私の悪口を言っている」「私に話しかけない」
「私にだけお菓子をくれない」……と、
帰宅しても細かいこと気になるのです。
人間が会社を辞めるのは、このような「自分が受け身で待つ姿勢」
「仕事よりも、仲良しクラブを求める姿勢」が
自分の中にあることが原因となります。

この姿勢を自分が持つかぎり、
何回就職したとしても理想の会社などありません。

では、どうすれば良いのか?
自分の仕事に集中することです。上司や同僚には
「仕事上の配慮」だけを気にして行い、
給与をいただくぶんには働くプロ意識を持つことです。

同僚の全員が、給与をいただいて生活するために働いています。
みなさん必死です。その状況下で、
自分が配慮を受けることを期待して、
口を開けて待つヒヨコではいけません。

自分から配慮を「出す」姿勢を持ち続けることが大切です。
自分が「出す」ものは、
必ずいつかいろんな形で自分が受け取ることになります。

仕事が不満で帰宅しても嫌な気分の人、失業中の人などは特に、
自分の家族への態度が大切です。運命を分けることになります。

しかし、これから先への不安感やストレスにより、
家族への思いやりが持てない人がたくさんいます。
お気持ちはわかりますが、それではダメなのです。
やはり自分の身近な人たちに対して、
自分が「出せる」思いやりの気持ちを持つことが一番運気を高めます。

自分の心の良心=幸せの仏様は、すべて見ています。
身近な家族さえも大切にできない人間を、
自分の「公平なる良心」は許しません。とにかく裏目となるように、
自分自身に選択させることになります。

だから、逆に言えば大丈夫なのです。自分の身近にいる人間から、
自分なりに大切にしていけば、
必ず自分も家庭や社会で大切にされるようになります。

私も20年以上サラリーマンをしていますから、
何度も仕事で苦しんでいます。そのようなときに、
いつも必ず思う言葉がありました。それは、
問題があると「これは誰がしても苦しい問題だ。
では、自分が同僚の身代りになって受け取ってやろう」でした。

日常生活の中には、自分の精神性を高める
「場」が無限にあります。ただの虚しい仕事だと思わずに、
自己成長への道を、給与付きでさせて
いただけると思うだけでも視点が変わります。

なんか、頑張れる気がしませんか?


伊勢白山道著
「生かしていただいて ありがとうございます」より




vol. 3353
「思いやり=幸運を呼びます」  (2012/4/04 [Wed])
同じ料理を仲間で食べますと、
料理よりも仲間との会話に夢中になっているものです。
ただ、その人達の中には、料理を作った人の努力や、
素材の提供者の苦労を、
心中で思いながら食べている人もいるかもしれません。
同じ人間でも、心中で思っていることは違います。

1 料理を食べているけれども、会話がメインな人
2 食事ができる背景への感謝を思いやりながら、会話も楽しむ人
3 料理だけを黙々と食べる人

この中では、2がバランスが取れていて理想的ではあります。
これを料理ではなく、仕事に置き換えて考えることもできます。

2のような人は、仕事もできるものです。
目の前の仕事をしながら、その背景全体も常に
「思いやる視点」を持ちますから、事前の対策やいろいろな
隠れた問題にも早めに気がつけるものです。
一般的に多いのは1のタイプの人です。仕事をしながら、
必ず別のことが心中に占めるタイプの人間です。

目の前の最初にすべき仕事以外に、
必ず他のことを「自ら用意して」意識してしまうのです。
そして当然の結果として、目の前の仕事への配慮が薄いので、
良い結果は得られないものです。

また、意識した他のことについても、妄想で終わってしまいます。
結局、何も得ることがない人です。

この世では、目の前のことに集中しながら、
その後ろの隠れていて見えないことにも、
思いやる視点を持つことが大切です。
隠れているから見えない、見る必要がない、
ではなくて、気持ちだけでも見ようとする
「思いやり」が重要なのです。

思いやりを持つことを意識するだけでも、
幸運に向けて歩きだすことになります。

これは、試験勉強でも同じです。
記述式の問題が出題されたとき、問題だけを見ずに、
出題者が「望んでいる回答」が見え出すと強いものです。

この世には、見えないことに対しても愛情からの思いやりの
配慮ができれば、お得な反射を受けられる法則があります。
御先祖様へも自然と感謝をしたくなれる人は、

お得(徳)な人です。この世から消えた人はもう関係ない、
ではだめなのです。お得(徳)なことを、失くします。
何事にも思いやりの視点を持ちましょう。

伊勢白山道著
「生かしていただいて ありがとうございます」より

vol. 3352
「心の掃除をして幸せの仏様を喜ばせましょう」  (2012/4/02 [Mon])
これからの私たちは、心の掃除をすることが大切です。
自ら心を掃除する姿勢が大切なのです。
心の掃除をしなくても、別に誰にも怒られないし、
裁かれません。ただ、自分の良心(幸せの仏様)がすべてを見ているのです。いろいろと苦しんでいる人はたくさんいますが、みなさんその原因を
他人や他所に捜そうとしています。

これでは、いつまでたっても犯人はわかりません。
なぜなら、原因は他にはないからです。
こうなれば幸福になるのに、あれが叶えば絶対に幸せなのに……。
でも、それらは幻想です。それらが全部叶ったとしても
、その人は不安なままです。その証拠に、
社会的に成功していると見える人に、
「あなたは幸福ですか?」「満足していますか?」
と聞いてみれば良いでしょう。もし「YES]と返答したとしても、
その人は即答でしたか?笑顔がありますか?心身が健康ですか?

本当に幸福な人とは、自分の良心(幸せの仏様)
を納得させている人です。だから、どんな環境や
状況も関係ないのです。たとえ病室にいても、
自分のできることに挑戦して、自分の良心に「くもり」がない人には、
静かな笑顔があります。

心の良心とは、思いやりの気持ち、他を育てようとする気持ち、
感謝の気持ちの塊です。だから心が苦しい人は、悩む前に、
思いやりと感謝の気持ちを発揮する練習をすれば良いのです。
そうしますと、自分の心の奥に隠れていた良心が現れ、
自分自身が自分の良心(幸せの仏様)に
よって自然と助けられるのです。

感謝の気持ちを発揮する練習には、先祖供養が最適です。
この世は行為が優先する世界ですから、
ただ脳内で思うだけではなく、
簡単な先祖供養という行為を伴う
気持ちを「出す」練習をすることが大切です。

この世は、自分が「出した」ものが自分自身に「返る」
法則が貫徹している世界です。
ただ、返ってくる時間が読めないし、
関連づけができなくて気づかないだけなのです。
済んだ過去は関係ありません。絶えず今に反射
しているからです。だから今だけを見て、
自分ができることを頑張りましょう。

え、未来の計画が必要だって?いや大丈夫です。
今の目の前の物事に、自分の良心を納得させていけば、
自分にとって最善の未来へと進みます。
これがカンナガラ(=仏様と生きる)です。
下手な迷いからの計画には意味がなく、
カンナガラの歩みにはかないません。
仏様が見ているのですから。

伊勢白山道著
「生かしていただいて ありがとうございます」より

vol. 3351
「悩む前に行動することが大切」  (2012/4/01 [Sun])
人間が一番不安な状態になるのは、
自分がするべき行動・できる行動をせずに、
自我(我れ良し)の思考におちいっているときです。

何もせずに、ただ疲れ果ててしまうものです。
いくら寝ても、モヤモヤ感や疲れも取れません。
そのようなときは生命も漏電しているので、
さらに運気が下がる悪循環が始まります。
そういうときは、その逆をすれば良いのです。

1 目の前のできることをしましょう。

 何もすることがなければ、掃除をしましょう。
禅の本質は、作務(作業をすること)にあります。瞑想などは、
余暇の休息にすぎません。
掃除、洗濯、料理、食材の確保……このような作務の中で、
見性(自分の心に神仏が内在することを知る)を重ねていくのです。

だからみなさんも、自分の現状生活の中で、
見性体験する気持ちで生活をすれば、
それは禅を実践していることになります。
作業する自分を観察していくのです。
これは思考だけでは、理解できません。
作務をするしかありません。

2 「生かしていただいて ありがとうございます」と思いましょう

 作業しながら自分を観察するなんて、
なんかむずかしくてわからない、と思われることでしょう。
またどうしても、作業以外の余計な心配事が浮かんでくるものです。
このようなときには、肉体に作業させながら、心にも作業させるのです。
それは「生かしていただいて ありがとうございます」と
心中で繰り返しながら作業することです。

「生かしていただいて ありがとうございます」とは、
健康な日常の中でも生死を意識することです。
なんと大げさなと、思われることでしょう。
しかし、人間の苦悩や悩みは、
自分が明日にも死ぬかも知れないことを、
忘れているから生じるのです。
自分はまだまだ長く生きることがアタリマエだと思うから、
先々を想像して苦悩するのです。でもそれは幻想です。
健康なうちから生死を意識して物事を眺めますと、
嫌なこだわりや執着が消えていきます。
また、少しでも物事を楽しもうとする気持ちが湧いてきます。
さらには他人から嫌なことをされても、冷静に見られますし、
相手を気の毒にさえ思えるようになれます。
そして、日常の生活の中の何気ないありがたさに
気づくことができます。このときに、
魂は見性体験していることになります。

3 他人のことを考えてあげましょう

 1も2もできないときは、
自分だけのことを考えないようにすれば良いです。
わざと自分以外の家族や他人のことを考えてあげるのです。
他人への思いやりから出される思いは、
結局は後で自分自身を助けることにつながります。

すべては必ず変化していきます。だから、絶対に大丈夫なのです。
あなたの心だけは、仏様とともに永遠に存在します。
なぜなら、それしか「実在」していないからです。


伊勢白山道著
「生かしていただいて ありがとうございます」より

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