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2012年10月

vol. 3662
「心の眼を養う」  (2012/10/31 [Wed])
「心の眼を養う」

 私自身が共感した言葉を、紹介いたします。
『美しい景色を探すな。景色の中に美しいものを見つけるんだ。』
         ―ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ氏の言葉より―

 人間、誰しも好き嫌いがあり、受け入れられること受け入れられないことを
心の中に持っています。しかし、できることならば、好き嫌いは、
なるべく少ないほうが、よりよい人生を生きることが叶いますよね。

 私も、まだまだ修行が足りず、好き嫌いが、けっこうあります。
特に私は、僧侶になるにあたり、
ものすごい抵抗を感じることがありました。
それは、丸坊主になることです。私は、学生時代〜社会人と、
それなりにビシッと髪形をきめていました。なので、
丸坊主になることは、嫌で嫌でたまりませんでした。

しかし、あれだけ嫌だった丸坊主ですが今は、大好きです。
何といってもラクです。以前は、髪形を気にしていたのですが、
常に余計な労力が伴いましたが、この髪形になってからは、
そんな必要もなくなりました。もちろん、
すぐに好きになったわけではありません。時間をかけて、
自分の考え方が変わっていったのです。嫌いなものも、
見方を変えれば好きになることもあるのだと実感しました。
私は、過去にも同じようなことを感じた経験があります。

 私は、以前勤めた職場で、大変、仕事に対して厳格な上司の下で、
働いていたことがありました。厳しすぎて毎日苦痛を感じていました。
それに比べ、隣の部署の上司は、穏やかで優しい方でした。
そのときは、うらやましく思っていました。

しかし、ある日、私が、仕事でとてつもないミスを犯してしまいました。
皆、「もうどうにもならない」と言って、さっさと帰ってしまいましたが、
その厳格な上司だけは、明け方まで一緒に残って
その大失敗を完璧にリカバーしてくださいました。
おかげで私は、始末書を免れました。私が、上司に謝罪すると
、「部下の失敗は、私の責任だ!気にするな」と言ってくださいました。

 それ以来、私は、その上司に対する見方が、
すっかり変わってしまいました。厳しい上司から、
責任感の強い上司に変わったのです。
丸坊主に対しても、かっこ悪い髪型から飾りのない
ラクな髪型と考えが変わったように、物事は、
角度を変えて見れば、違って見えるということを学びました。

 同じ景色を見ても、人それぞれ感じ方が違います。
なぜか?それは、人間には、肉眼とは別に、
心の眼があるからです。美しいものを求めるのではなく、
そのものの中にある美しさを見つければいいのです。

どんな景色にも、必ず、そこにしかない美しさがあるように、
人にも、その人にしかない素晴らしさが存在します!
そこを心の目で発見してみませんか?

 心の目とは、物事の表面だけではなく、
奥底のある素晴らしさに気づくこと!


太陽出版 望月泰彦著
「そのままで大丈夫」より

vol. 3661
「壁か嵐か?」  (2012/10/30 [Tue])
 私自身が共感した言葉を紹介いたします。
『時間が多くのことを解決してくれる。あなたの今日の悩みも、
解決してくれるに違いない』
デール・カーネギー氏の言葉

 人間誰しも、何事もない平穏な暮らしを望んで生きています。
しかし人生、否が応でも、様々な困難に遭遇してしまいます。
そんなとき、たいていの人は、人生の大きな壁ととらえ、
乗り越えようと立ち向かいます。

 しかし、皆が皆、すべてがすべて、
乗り越えられるわけではありません。無理に乗り越えようとしたことが、
かえってアダになってしまうことだってあります。
困難に遭遇したとき、私たちは、いったいどうすればいいのか。

 以前、私が派遣社員だった頃、職場にイジワルな
社員が一人いました。皆、嫌っていたのですが、
特に同僚は、その社員の言動に、ちくいち腹を立てていました。
そして、常に、同僚は、「あんなやつ、いつかはこらしめてやる!」
と息巻いていました。そんな同僚を、私はいつもなだめていました。

 しかし半年後、ついに同僚の堪忍袋の緒が切れて、
そのイジワル社員と大ゲンカになってしまいました。
ところが相手も一歩も引かず、同僚は最後に捨てセリフを吐いて、
そのまま職場を飛び出し、二度と返ってはきませんでした。
同僚はあまりの理不尽さに堪えきれなかったのです。

 しかし、それから数カ月後、そのイジワル社員は、
職場で問題を引き起こし、左遷されてしまったのです。
同僚は、あとほんの数カ月堪えていれば、二度と
イジワル社員とは顔を合さずにすんだのです。

 彼の何がまずかったのか?同僚は、人生の困難を壁ととらえ、
自力で、乗り越えようとしました。それが間違いでした。
私や、他の社員は、この困難を、壁ではなく、嵐ととらえていました。

 つまり、壁を乗り越えるのではなく、嵐が過ぎ去るまで。
持ちこたえることにしたのです。ここが、会社を辞めてしまった
同僚との大きな違いです。壁は、自分の力で乗り越えることは
できても、嵐は、自力ではどうすることもできません。
しかし、いつかは通りすぎていくのです。

 つまり人生には、自分の力で何とか解決できる問題もあれば、
すぐには解決できないような問題もあるということなのです。

 自分の身に降りかかった困難の種類が、壁か嵐か、
見極めることによって、その対応が変わってくるのです。
長い人生、困難を乗り越えるだけが、すべてじゃありません。
持ちこたえる。踏みとどまる。もしくは、待つ。という選択肢もあるのです。

 ときには、あせらず、時間が解決してくれることを信じてみましょう。
嵐が過ぎ去るまでの辛抱。
人生自分の力ではどうにもならないことだってありますよ。
そんなときは無理しちゃダメです。嵐はいつか去る、ね。

太陽出版望月泰彦著
「そのままで大丈夫」より

vol. 3660
「相手のレベルにつきあわない」  (2012/10/29 [Mon])
 世の中には、性格の悪い人というのが存在します。
自分本位な振る舞いをしたり、人を傷つける言葉を平気で言ったり、
意地の悪いことをわざとしたり……。
学校で、職場で、嫌な思いをされている方も、
少なくないのではないでしょうか。

かくゆう私もこれまで、さんざん嫌な思いを強いられてきた一人です。
しかし、その人の性格が、突然いい人に変わるわけがありません。
自分の自分の性格を、簡単には直せないように、他人も、
性格を変えることは難しいのです。かと言って、
その性格の悪い人と仲良くなれるわけもありません。
どうすることもできないのでしょうか?そういう人とも、
嫌々つきあっていくしかないのでしょうか?

 よく相手が変わらないなら、自分を変えるしかない
という言葉を耳にしますが、
いったい自分をどう変えていけばいいのか?
それは、そういう人の言動が、
気にならない自分になれればいいと思うのです。

 つまり、相手と同じ土俵にいるから、嫌な思いをしてしまうのです。
その人が、一人で勝手に相撲をとる分には、
こちらはただ、高みの見物していればいいわけです。
要するに、自分が相手よりも、
精神的に大人になってしまえばOKなわけです。

 それにはコツが必要です。
私はこれを、自分の中の気に入らないスイッチを
ONにすると呼んでいます。性格の悪い人を相手に、
嫌な思いをしそうになったとき、私は、あるふたつの言葉を、
自分に言い聞かせて、気にならないスイッチをONにしています。
それは何かというと「こんな人のために悩んだら、時間がもったいない」と
「こういう人にだけはならないように気をつけよう」という言葉です。

 この言葉を心の中でささやくと、一瞬にして、
気にならないスイッチがONに入ります。
世の中には歳だけは重ねても、精神年齢の低い人が、
残念ながらたくさんいます!ようするに、
そういう人はまだ子どもなのですから、
こちらが相手と同じレベルで付き合う必要もないのです。
嫌な思いをしそうになったら気にならないスイッチをON。
世の中、意地の悪い人ってけっこういますが、
そういう人の心って、結局不幸なんですよね。


太陽出版 望月泰彦
「そのままで大丈夫」より


vol. 3659
「不自由な中にも実は気づかないメリットがある」  (2012/10/28 [Sun])
 人生、思うようにいってない人って、けっこう多いですよね。
私も、その一人です。しかし、思うような人生を手に入れた人が、
幸せになっているかというと……必ずしもそうとは限りません。事実です。

 なぜか?
その答えは、『ドラえもん』の中にあります。
えっ?と思うかもしれませんが、まあ、聞いてください。
私が子供の頃、よく読んでいた『ドラえもん』。
その『ドラえもん』のストーリーには、実は、
必殺の黄金パターンがあります。わかりやすく以下にまとめます。

%uE291A0のび太くんに何か困った出来事が起こる。
%uE291A1ドラえもんに相談する。
%uE291A2四次元ポケットから未来の道具を出してもらう。
%uE291A3その道具の力で、問題を解決する。
%uE291A4ところが、それにあきたらず、道具の力で調子に乗ってしまうのび太くん!
%uE291A5あまりにも調子に乗りすぎて、足元をすくわれる。
%uE291A6結局、さらに大きな問題を引き起こして終わる。
以上です。

これでおわかりでしょう!そう。
人間誰しも、あまりにも人生が思うようにいってしまうと、
調子に乗ってしまうんです。そして、どうなるかというと……
みずから墓穴を掘って、やけどをしてしまうんです。
ヘタをすれば大ヤケドを負ってしまうことだってある。
これぞ、まさに、自業自得。
 
 ところがです。人生思うようにいってないと、
少なくとも調子には乗りません。謙虚なままの自分でいられます。
そりゃ〜、いいことも少ないかもしれませんが、
無難な人生だからこそ、リスクも少ないと言えます。
だから、思うようにいってないからといって、
気落ちすることなんてないと思います。

 調子に乗って、大ヤケドをするより、何事もなく、平穏なほうがずっといいんです。そう思えば、普段は気づきませんが、思うようにいってないからこそのメリットだってあるんです。

 人生、思うようにいってないことが決して、
不幸なことではないということですね。
私たちは日々見えないところで護られている。
ただそれに気づかないだけ。日々に感謝。

 不満を言いたくなる時も多々あるでしょうが、
それでも、今ある条件の中で、ひたむきに生きている人こそ素晴らしい。


太陽出版望月泰彦著
「そのままで大丈夫」より

vol. 3658
「痛い思いがあってこその人生!」  (2012/10/27 [Sat])
 御来光(朝日)って、すばらしいですよね。
御来光が、なぜ美しいのか?考えたことはありますか?

 私たちに、まばゆいばかりの光を与えてくださる御来光。
しかし、光り輝くこと、壮大であることだけが、
美しさの理由ではないんです。意外に気づいていない、
もうひとつの理由、それは何か???

実は、あの形、つまりまあるいということが美しさの理由なんです。
もしも、あの太陽の形がまるではなく、ゴツゴツしていたならば、
どうなるかというと……やっぱり美しくは感じないですよね(笑)。

 なぜ、このような話をしたかというと、実は私たち人間の内面、
つまり、性格や人間性といったものは、
あえて形にすると、まるではなく、ゴツゴツなんです。

このゴツゴツが、自分自身の苦しみを生み出してしまっているんです。
例えば人間関係でいえば、ない面がまるい者どうしならば、
その名の通り、円満な関係を築くことができます。

 しかし、ゴツゴツした者どうしですと、そうはいきません。
そのゴツゴツと出っぱっ他部分で、ぶつかってしまうんです。

かくゆう私も、もっと若い頃は、
きっと、出っぱりまくっていたんだと思います。
けっこう人とも、ぶつかっていました。

しかし、何度もぶつかって、痛い思いをして、
出っぱっていた部分も砕きながら、少しずつ、
すこしずつ、まるくなって、人として成長していけたのだと思います。
今では、人と争うようなことも、かなり減りました。

 人は、何度も何度も痛い思いをして、人として成長していく!
出っぱりが砕けてまるくなっていけば、
今まで苦しんでいたことが苦しみでなくなる!
今まで許せなかったことが許せるようになれる!

 人生とはまるくなるための修行

 みんな、御来光のごとく輝けばいい。明るく、大きく、そしてまるく。


太陽出版望月泰彦著
「そのままで大丈夫」より

vol. 3657
「毎日が苦しいことの連続の人へ」  (2012/10/26 [Fri])
 先日、うちのお寺に、知人のお坊さんの
若夫婦が遊びに来てくださいました。とても信仰心のあついお二人で、
楽しいひとときを過ごすことができる……。
かと……思いきや……それどころでは……なくなってしまう……
もう一人のゲストが……いました。ご夫婦のお子様なんですが、
これまた、まれにみるとてつもないスーパーやんちゃボ〜イ。

 とにかく家の中で、動く、暴れる、駆けずり回る!
お菓子はぶん投げるは障子は破くは泣くはわめくは、
と思ったら、笑うは!……とてもにぎやかなひとときでした。
たった数時間で疲れ切ってしまった私……もうクタクタでしたよ。

 これを母親は、四六時中、面倒をみるのですから大変なことです。
子育ての苦労が身に染みました……。まさに子育ては、
人生の大修行です。私は、世の中の子育てされている
すべての母親の皆さんを、心から尊敬いたします。

 しかしながら、苦労が絶えない子育てであっても、
きっと喜びを感じる瞬間があるんですよね。
だからこそ、人間は、どんな苦労もいとわないのです。
子育てに限らず、何かと苦しいことの多い世の中ですが、
喜べる一瞬のために今日も生きていきましょう。

 大切なことを学ばせてくださった、やんちゃボ〜イと
そのお母さんに心から感謝いたします。
どうせ苦労するなら、愉快に楽しく苦労したいですね〜。


太陽出版望月泰彦著
「そのままで大丈夫」

vol. 3656
「誰にでもできるプチ修行」  (2012/10/25 [Thu])
 ほん小さなコツの積み重ねで、人生は大きく好転していきます。
今回は、そんな小さなコツを紹介いたします。
私は、これをプチ修行と呼んでいます。

 人生、上手くいっている人、上手くいってない人、人それぞれ、
様々ですが、上手くいってない人には共通点があります。
それは、感謝の言葉が足りないことです。

人は、他人から感謝されると、無条件に嬉しいものです。
だから、感謝の言葉を意識して積極的に使える人は、
えてして、人生が上向きなっていくんです。
「ありがとう」という回数が多ければ多いほど、いいんです。
……と、ここまではどこにでもよくある話ですが、さらに、
私流の感謝の仕方のコツを紹介しちゃいますね。

 それは、「ありがとう」という言葉に、さらに気持ちを込めた
添え言葉を必ず加えるというものです。
例えば、キレイな花束をもらえば、誰だって嬉しいものですよね。
さらに、そこにメッセージカードが入っていたら、嬉しさは倍増ですよね。

そこなんです!ほんのちょっとの気遣いできるかできないかで、
印象がだいぶ変わってくるんです。
つまり、花束=「ありがとう」
メッセージカード=添え言葉とイメージしてください。

具体的に例を挙げると……
友人に対しては、「ありがとう」「やはり持つべきものは、
友達だなって思ったよ」職場の先輩に対しては、
「ありがとうございました」「本当に助かりました、
心から恩にきます」恩人に対しては、「ありがとうございます」
「たいへん勉強になりました、さすがです」

この「ありがとう」のあとの、もうひとことを添えられるか、
添えられないか?これが、自分自身のプチ修行です。
「ありがとう」の後に、ひとこと、うそ偽りのない気持ちの
こもった言葉を添えることで感謝の光が、よりいっそう光り輝くんです。

 自分自身のプチ修行です。人に「ありがとう」を言うとき、
必ず添え言葉を加える。ほんの少しのひと努力で人生は変わる。
人生、日々修行。相手にいわれて嬉しいことを、
自分自身が言ってみることですね。

 太陽出版望月泰彦著
「そのままで大丈夫」より

vol. 3675
「悩みが悩みでなくなるには」  (2012/10/24 [Wed])
 私は、以前つとめた職場で、
もろにパワーハラスメントを受けたことがありました。
その上司は、私のことを目のかたきにして、
執拗なまでに嫌がらせをしてきました。
そんなことが毎日続くと、
さすがに私も精神的に追いつめられていきました。

 私は、このままではイケないと思い、気分転換も兼ねて、
休日に登山をすることにしました。
何か新しいことにチャレンジすることで、
人生を変えるキッカケができればと考えたんです。

 当日、空は晴れ渡り、まさに登山日和となりました。
しかし私は、そこで、とんでもない
恐怖体験をすることになってしまいました。

 山の中腹まで登ると、大きな曲がりくねった道になりました。
その道を曲がり切ったそのとき……恐怖の出来事が起こりました。

 黒い大きな動物が、私の目の前を横切っていったのです。
な……なんだ今のは。
く……熊だ。うわっ!!

 熊は、そのままどこかに去っていったようですが、
もしかしたら、また戻ってくるかもしれないと思うと、
怖くて、その場から動けなくなってしまいました。
あぶら汗ダラダラ、心臓はバクバク。

 本気で、「ここで人生の最後を迎えてしまうかもしれない」
と思いました。結局私は、頂上へは行かず、
そのまま麓へ引き返しました。

 家に帰って、命が無事であったことに安堵して、その日は、
ぐっすり眠りました。しかし、この恐怖体験が、
私にとって大きな意識改革となったのでした。

 翌日、職場に行くと、相変わらず私のことを忌み嫌っていた上司に、
イヤミを受けたのですが、以前に比べて、気にならなくなりました。

 「こんな人、熊に比べたらどうってことはない」
「別に、命を奪われるわけじゃない」と一段高い意識で、
ゆとりを持って小さいことに思えるようになりました。

 それまで悩んでいたことが、悩みでなくなってしまったんです。
命を奪われることに比べたら、しょせんすべては、小さいことです!

 今、命がある
 今、生きている
 人は本来、それだけで幸せ。

……と、心から思えるまで日々修行ですね。


太陽出版 望月泰彦著
「そのままで大丈夫」より


vol. 3674
「第一歩」  (2012/10/23 [Tue])
人生が開けている人、開けていない人、皆、人それぞれ、
様々ですが……。人生が開けていない人のひとつの特徴として、
挙げられることが、実はあります。それは、行動力のなさです。

 私も若い頃から、どちらかといえば消極的な人間だったので、
行動力が乏しいかったことから、
なかなか人生が開けていきませんでした。

 数年前、僧侶となるために長期間修行することを
決意したのですが、その第一歩は、私にとって、
とてもとても勇気のいることでした。

 何が待っているか、わからない!そんな世界に、
一修行僧として飛び込むわけですから正直、
恐ろしかったです。しかし、あのとき、
新しい第一歩を踏み出せたからこそ、僧侶として、
今の自分があるのです。

 私の人生は、あの新しい第一歩への決断がなければ、
まったく違うものになっていました。

人生がイマイチ開けていない人の特徴、それは、
考えてばかりで、行動に移せないということだと思うのです。
言い換えれば、考えてから、行動するという習慣が、
人生の扉を閉じてしまっているのです。

 なぜ、行動に移せないのか?
それは、失敗やリスクを恐れすぎているからです。
余計なことを、あれこれと考えすぎてしまっているんです。

 では、どうすればいいのか?
それは、考えてから、行動するをやめて、行動してから、
調整していくにしたほうがいいのだと思います。
つまり、実際に行動を起こしてから、
まずい点だけを修正していけばいいんです。
あまりにもリスクの高いことは別にして、大抵のことは、
考えるより、まず行動です。なんだかんだいっても人生は、
やって後悔するより、やらずに後悔することの方がずっと多いです。

 人生を開くカギ、それは、新しい第一歩を踏み出すための
ほんのひとにぎりの勇気です。第一歩目がなければ、
二歩目から先は、永遠にないんです!
人生を開くカギは新しい第一歩を踏み出せるか?
踏み出せないか?です。

 誰だって、第一歩目は恐いでも、恐かったけど、
私は踏み出しました。できるんです!
誰だってできる!第一歩こそが運命を開く。

 第一歩目が一番恐いんです!でも、二歩、三歩と進めば、
そうでもないんですよ!大丈夫。人生、時には思い切りも必要です!


太陽出版望月泰彦著
『そのままで大丈夫』より

vol. 3673
「逆境の中で生きるその意味は?」  (2012/10/22 [Mon])
 私自身が感銘を受けた言葉をご紹介させていただきます。

『束縛があるからこそ、私は飛べるのだ。
悲しみがあるからこそ、高く舞い上がれるのだ。
逆境があるからこそ、私は走れるのだ。
涙があるからこそ、私は前に進めるのだ。』 

 ―マハトマ・ガンジーその言葉―

 私は、本当に不器用な人間です。何をするにも、
かなりの苦労を必要とします。しかし、
不器用だからこそ、努力することを覚えました!
不器用だからこそ、人のつらさを我が苦しみとできました!
不器用だからこそ、達成したときの喜びを知りました!
不器用だからこそ、謙虚な心で生きることを学びました!

私は、
不器用だからこそ、たくさんの大切な心を得られたんです。

歴史に、その名を記す多くの偉人は、逆境の中で
人生に光明を見いだしました。ベートーベンは耳に音を失って、
なお、多くの名曲を生み出しました。

野口英世は幼少期に手に大火傷を負いながらも、
医学の分野で多大な業績を残し、また、
多くの人を病の苦しみから救いました。

ヘレン・ケラーは、三重苦のハンディを克服して、
世界中の人々に、希望と勇気を与えました。
たとえ今、逆境にあろうとも、それは、
大切な何かを得るための過程なんです。

 逆境こそが人生を切り開く!逆境こそが人を育てる!
 逆境の中には、必ず光がある。

逆境は、人生にとって決してマイナスではないんです。


太陽出版望月泰彦著
「そのままで大丈夫」より


vol. 3672
「強い弱いの問題じゃない」  (2012/10/21 [Sun])
 私自身が共感した言葉を紹介いたします。

『最も強いものが生き残るのではなく、
もっとも賢いものが生き延びるのでもない。
唯一生き残るのは、変化できる者である。』

 現代の社会は、一人一人にかかる精神的負担が大きく、
その圧力に、心が折れてしまう人が増えているように思います。
ゆとりのない社会、そのゆがみで多くの人があえいでいます。

 それでも、「もっと強い意志をもった人間になりたい」
「何事にも負けない人間になりたい」と皆が頑張っています。
しかし、人間、そう簡単に強くなれるものではありません。
頑張っても、頑張っても、人には限界というものがあるのです。

 それでは、弱いままの人間は、
社会から排除されてしまうしかないのでしょうか?
そうではありません!私がこれまで経験した中で、
私自身、ひとつ考え違いをしていたことがあります。
それは何かというと……「強くなければ生き残れない」という考えです。

 大きな考え違いでした。この社会で生き残っていく人、
それは決して、圧力に対して強さではねのける人ではなく
圧力を上手くかわせる人なのです!
まり、強さではなく、しなやかさを身につけた人なのです。

 多くの人が、無理に強くなろうとしても、真正面から、
まともに圧力を受けてしまうから、心が折れてしまうのです。
そうではなくして、圧力をまともに受けるのではなく、
要所要所で上手くかわすでいいのです。

そうすれば、無理に強い心を持とうとする必要はなくなるんです。
弱くていい、弱いままでいいんです。強さの代わりに、
しなやかさを持ちましょう。しなやかさは、強さ以上に頼もしい味方となります。

ボクシングを例にとっても、ただ攻撃力が強いだけの
ボクサーが、チャンピオンになれるのではありません。
それ以上に、防御(ガード、スウェーバック、サンドステップなど)
が上手いボクサーが、チャンピオンとなれるのです。
まともにパンチを受けさえしなければ、ダメージもないのです。

 一見、強く思えるような人も、実は、
弱い面をたくさん持っているんです!
ただ、それを上手く見せていないだけのことなんです!
「自分は、心が弱い」と惨めにならなくてもいいんです!
弱くても生き残るための方法を得ましょう!

 強くではなくしなやかであれ!
竹のようにしなやかになれれば、そう簡単には折れないですよね。
強くなくてもいい、人生、しなやかに。


太陽出版望月泰彦著
『そのままで大丈夫』より

vol. 3671
「ある明暗を分けた、二人の人生の話……。」  (2012/10/20 [Sat])
 私の知り合いの女性で、SさんとYさんがいます。
二人は、短大生の頃、就職活動をしていました。
Sさんは、希望の大手企業に就職が決まりましたが、
Yさんは、どこからも内定がもらえず、
結局、卒業後、アルバイトをするしかありませんでした。

 この時点で、二人の人生は明暗が分かれました……。

その後、Sさんは希望の会社で頑張り、
責任ある仕事を任されるまでになりました。
が、その責任を果たすために無理をして、
過労が原因でガンになり、今、死の恐怖と向き合いながら、
闘病生活を送っています。

 いっぽう、Yさんはバイト先で認められ、正社員になり、
そこで良縁に恵まれて結婚し、二人の子宝にも恵まれて、
今、あたたかい家庭を築いて毎日を送っています。

 二人の人生は明暗が逆転しました……。

人生って、一寸先はわからないですね。

だから、今、「自分は惨めだな〜」なんて言うような八方ふさがりの
人生をおくっている人もこの先、どうなるかはわからないですよ。
ホントに……。

どんなときでも決して投げやりにならないことから、
人生の突破口は開けてくると思います。きっと……。

悩んでもいい、嘆いてもいい、ただ、
少しでも前に進みたいのなら……、今、
自分ができることから少しずつはじめてみましょう。

人生は、いつでも七転び八起きですから。


太陽出版望月泰彦著
『そのままで大丈夫』より

vol. 3670
「人のあり方を教えてくれる言葉」  (2012/10/19 [Fri])
「人のあり方を教えてくれる言葉」
私自身が日々を生きる上で、とても参考になった
言葉をご紹介させていただきます。

「幸福への道」
早起きする人 熟睡できる人
感謝して真剣に努力する人
仕事を趣味に能率を計る人
義務も責任も進んで果たす人
時間を守る人 礼儀正しい人
頼もしい人 融和を計る人
人も自分をも尊敬できる人
常に反省し素直に改める人
何事も善意に解釈する人
注意深い人 決断の早い人
心身に健康を心掛ける人
質素で金を活かして使う人
孝心深い人 恩に報いる人
親切で人の為によく尽くす人
良心と優しい愛情に満ちた人
恥を知る人 偽りのない人
信念に徹した人 辛抱強い人
どんな苦難も悠々と耐える人
生きがいを求め精進する人
夢と希望に笑顔で生きる人

「不幸を自分で造る人」
心の暗い人 不愉快に暮らす人
絶えず不満や愚痴の多い人
やる気がなくよくサボる人
無責任な人 法規を守らぬ人
時間も物も無駄にする人
陰口が多く人の和を乱す人
卑下する人 自信無く焦る人
信仰心がなく自我の強い人
神仏に無理な願いをする人
心が狭くすぐに腹を立てる人
暴飲暴食自分を粗末にする人
お金を浪費し賭け事をする人
悪友も道楽暇も多すぎる人
公徳心なく迷惑を掛ける人
利己的気侭自分本位の人
迷いも取り越し苦労も多い人
欲の深い人 己惚れの強い人
依頼心の強い人 苦労に負ける人
義理より権利を主張する人
貴重な一生を無為に過ごす人

(青葉山松尾寺「極楽、地獄の岐かれ道」より)

人間、なかなか自分を省みることができませんが、
この言葉をみずからの日々の行動・態度と照らし合わせると、
今、自分が「幸・不幸」のどのへんにいるのか知ることが
できると思います。いわゆる、自分探しができる……
そんな言葉だと思います。が、いざ私自身のことを、
この言葉に照らし合わせると、ただただ、
「穴があったら入りたい」気分です(苦笑)。

日々、反省!
日々、改心!


太陽出版望月泰彦著
『そのままで大丈夫』より

vol. 3669
「自分が自分であるために……」  (2012/10/18 [Thu])
私自身が共感した言葉を、紹介いたします。
「だれからも好かれる人間ほど、深く好かれない。」 スタンダール

 人間関係に疲れてしまう人、そうでもない人、人それぞれ、
様々だと思います。私はというと、けっこう疲れてしまう人間でした。
当然、疲れないで済むなら、そのほうが言いに決まってます。

なぜ疲れてしまうのか?
私は以前、職場の同僚から、「おまえは人に嫌われてはいないけど、
ただ、人に気を使いすぎだと思う」と言われたことがありました。

自分では、あまり意識していなかったことなので、
同僚に言われて初めて、自分が、人に気を使いすぎていたこと
に気付かされました。人に気を使わない人間よりも
気を使える人間の方が、立派だとも思っていましたが、
それも度が過ぎると、自分自身の首を絞めてしまう
ということを思い知らされました。

いったい自分の何がまずかったのか?
私は、本来の自分というものを犠牲にして、人から、
嫌われないようにしていたのです。「人に嫌われたくない」
という思いからは、人に嫌われるようなことをしない
という「束縛」が生まれます。「人から好かれたい」という思いからは、
自分のいいところを見せたいという「無理」が生まれます。
この「人から嫌われたくない」「人から好かれたい」という
意識の過剰から私は、本来の自分らしさを殺してしまう結果に
なってしまったのです。
これが、人間関係に疲れを感じていた原因だったんです。

「嫌いたい人は嫌えばいい」「多くの人に好かれなくてもいい」と
考えるようになってからは、
以前ほど人間関係に疲れを感じなくなりました。
人間どれだけ頑張っても、全員から好かれるなんて、
しょせん無理なんです。本来の自分を犠牲にしてまで、
無理に好かれなくたっていいんです。
ある程度は、自分らしくある程度は、
周りに歩調を合わせるでいいのではないでしょうか。

人生はバランスです!
ちょっとぐらい嫌われてもいい。すべての人に好まれなくてもいい。
人に嫌われることを怖れてばかりいたら、結局、
人に振り回されるだけの人生で終わっちゃいます。


太陽出版望月泰彦著 『そのままで大丈夫』より

vol. 3668
「虚が実になる」  (2012/10/17 [Wed])
 毎日、楽しいことが続いてくれればいいのですが、
そんな都合よくはいかないのが人生です。がといって、
いつまでもいつまでも、つまらない毎日を送るのも、嫌ですよね。
どうしたら、楽しい毎日を送ることができるのでしょうか。

 私が以前、福祉施設に勤めていた頃の話です。
ある日、何年かぶりの大雪が降りました。
翌日、出勤すると、施設の前は何十センチも雪が積もっていました。
その頃の私は、事務系の職に就いていたので、
私の部署も職員は、雪かきを命ぜられました。
私は、溜まっていた書類を残したまま、
雪かきをやらざるを得ませんでした。

 私が、「やらなきゃならないことがたくさんあるのに、
なんでこんなことをしなきゃならないんだ」と
ふてくされながら作業をしていると、そこへ後輩が、
少し遅れて出勤してきました。すると後輩は、
まるで雪山にスキーかスノボーでもやりに来たかのように、
はしゃぎながら、雪かきを始めました。

 私は、後輩に、「よくこんな作業、楽しめるな!」と言うと後輩は、
「僕だってこんなこと、ホントは嫌ですよ!でも、
楽しいふりをしていれば、
そのうちホントに楽しくなるんじゃないかと思って……(笑)」と言いました。

 私は、「その言葉にダマされてみるか」と思い、
雪かきを楽しいふりでやることにしました。すると、
最初は楽しいふりをしていたつもりが、
途中から本当に楽しくなってしまい、気がつくと、
後輩と一緒に本気ではしゃぎながら、満面の笑みで作業をやっていました。

 結局、午後までかかって雪かきをしたのですが、
仕事というよりは、遊び感覚でやっていたので、
身体は疲れていても、気持ちは疲れていませんでした。
溜まっていた書類も、余力があったおかげで、
その日のうちに終えることができました。

 私は、その経験で、後輩から一つ大切なことを教えられました。
人生は楽しいことがあるから楽しいのではなく、
楽しむ心があるから、楽しいのだということを。
役者も、その役にのめり込んでいくと、自分自身が、
その役どころの人間そのものなってしまうといいます。

 人生もしかりです。最初から、つまらないと決めつけてしまうと、
楽しめる要素があることに、気づけないのです。
最初は楽しいふりであっても、続けていけば、
いつしか虚が実になることだってあるんです。
人生をつまらなくしているのは、
実は自分自身の心かも知れないのです。
人生をつまらなくしているのは、実は、
自分自身の心かも知れないのです。
どんなことにも、きっと、楽しいと思える要素があります!
それに気づけるか、気づけないかです!
まずは楽しいふりから始めてみましょう。

 楽しいか、楽しくないかは、自分自身の心が決めるんです!
人生は「楽しもう」と思えばこそ、どんなことでも楽しくなれるもの。
「面白いことないかな〜」ではなく、「面白くできないかな〜」
と思える自分になりたいですね。

太陽出版 望月泰彦著『そのままで大丈夫』より

vol. 3667
「解釈の違いが人生を変える」  (2012/10/16 [Tue])
 人生、幸運に恵まれ上手くいっている人もいれば、不運にみまわれ、
落胆している人もいます。不運に遭遇したとき、私たちは、
それをどのように受け止めればいいのでしょうか。

 何年か前に友人と初詣に行ったときの話です。
せっかくなので、運だめしにおみくじを引くことにしました。
友人は半吉でした。しかし、私が引いたのは、な……なんと、
大凶だったのです。どへ〜〜〜〜〜。

私は、「新年から幸先がわるいな」と、気を落としてしまいました。
「今年はツイてない年になりそうだ」なんて思ってしまいました。

すると友人は、私のおみくじを見て、「おお〜大凶だ〜、いいな〜」
と言いました。私は友人がからかっているものだと思って、
「大凶の何がいいんだよ〜」と言い返すと友人は、
「今年の不運をこれで一気に使い果たしたから、
あとは運気が上がる一方だよ。よかったな〜」と言いました。

おお〜!

友人のその言葉で、気落ちしていた私の心は、
一気に快晴になりました。まさに、ものは考えようです。
大凶=今年の運勢は、これで決まり。友人は、
大凶=今年の不運は、これで終わり。と解釈していたのです。

この解釈の違いで、気持ちが、180度変わってしまったんです。
人生、幸運も不運も半分ずつやって来るとしたら、先に不運が来たら、
あとは幸運が待っていると考えれば、落ち込んだりしませんよね。
まさに、大凶バンザ〜イです。

 人間、生きていれば誰しも、不運に遭遇してしまいます。
しかし、そこで気落ちしてしまうから、さらに、沈んでいってしまうんです。
不運に遭ったその出来事よりも、むしろそのときの自分の
気持ちがどうなのかが、実は、重要なんです。
人間は精神状態が落ちることで、沈まなくてもいいところまで、
沈んでいってしまうのです。気持さえしっかり保てば、食い止められるんです!

 不運をよりいっそう不運に追い込んでしまっているのは、
自分自身の心持ちなんです!こう解釈しましょう。
不運を使い果たせば、そのあとには幸運が待っている。
自分より幸せそうな人を見ても、「運気が先に来ているだけ」
と思えば妬みの気持ちも起こりません。


太陽出版望月泰彦著『そのままで大丈夫』より

vol. 3666
「苦しみの正体……?」  (2012/10/15 [Mon])
 人間誰しも、頑張っても頑張っても報われないような日々が続くと、
心が折れそうになってしまいます。私も以前、勤めた職場で、突然、
先輩が転職することになり、その先輩が抱えていた膨大な量の業務を、
急遽、私が引き継ぐことになってしまった時は、つらい日々が続きました。
毎日、毎日、夜遅くまで頑張りましたが、全然覚えられませんでした。
そのときは仕事に行くのが、苦しくて苦しくて、心が折れそうでした。

 全力を尽くしても、結果が出せない自分に、惨めで、
情けない気持ちでいっぱいになりました。そんな日々が何ヶ月も続くと、
自分の存在そのものがイヤになり、心は暗闇の中に堕ちていきました。
「苦しい……、もう嫌だ……」「こんなに頑張っているのに……」
生きるのが苦しかったです。

そんな心身ともに疲れ果て、落ち込んだ私を救ってくれたのは、
母の一言でした。それは「今はつらくても、いつか、
いいときもやってくるよ」という言葉です。

 この「いつか、いいときもやってくる」という言葉が、
そのときの私の心にダイレクトに響いたのでした。
そのときの私は、「すぐに何とかしよう、何とかしなければ……」と
今現在の状況にとらわれ過ぎていて、
視野が狭くなってしまっていたのです。刹那的な感情に流され、
自分で自分を追い込んでしまっていました。
私を苦しめていたものの正体……それは、
自分自身の心が生み出した焦りだったのです。

 物事には、すぐに解決できることもあれば、
時間をかけなければ解決できないようなこともあります。
精一杯頑張って報われなかったとしても、がっかりすることはないんです。

眼には見えなくても、水面下で、静かに物事は
上向きに動いているんです。むしろ、
「自分がやれることはやっているのだから仕方がない」
と開き直ったほうがいいんです。私も開き直ってから、
仕事の引き継ぎがスムースにいきました。
余計な力みがなくなったのです。
「今すぐ何とかしなければ……」と自分を追い込むから、
上手くいくものも、うまくいかなくなってしまうんです!
「今すぐ……」をやめて「いつかきっと……」にしましょう。
気持が落ち着きます。

 結果は、自然にあとからついてきます。焦らなくていい!
今、自分ができる範囲を精一杯やればいい!
そうすればいつかきっといいときもやってくる。
この言葉は、自分自身に希望や安心感を与えてくれますよ。



太陽出版望月泰彦著 「そのままで大丈夫」

vol. 3665
「インサイド・アウト(内から外へ……)」  (2012/10/14 [Sun])
 人間だれしも、毎日の生活の中で、楽しいことや嬉しいことが
少なかったり、逆に苦しいことやつらいことが多かったりすると、
自分のことを不幸だと思い込んでしまいます。
周りの人たちが楽しそうにしていると、「なぜ、自分だけが……」と
妬ましく思ってしまします。

 私も、以前の職場は忙殺されるような仕事で、
常にパニくっていました。毎日、ゆとりがなく、元来、
のんびり屋で不器用な私は、過度のストレスとフラストレーションで、
精神的に追い込まれていました。

「このまま一生、こんな調子で生きなければならないのか!」
と考えただけで、心が病んでいきました。
特に、自分とソリの合わない上司のもとで、
嫌な思いをしながら働くが耐えがたく、苦しんでいました。
そのときの私は、自分のことを、「運のない不幸な人間だ」と嘆いていました。

 そんな折、ボランティアで、ホスピスの病院へ慰問することになりました。
すると、そこには、命の期限の宣告をされた人たちが、
自分の運命に負けることなく、最善を尽くして生きている姿がありました。

 そこで、一人の患者さんが、私におっしゃいました。
「先が短いことは不幸なことかもしれませんが、
それだけに一瞬一瞬を大切に思っています!
最後の最後まで諦めません!楽しいことに目を向けて生きていいきます。」

 私は、この言葉に自分自身が恥ずかしくなりました。
「自分よりもっと過酷な境遇にある人たちが、こうして頑張っているのに、
自分はいったい何をしているんだろう」と反省させられました。

 そのときの私は確かに、毎日がつらくしかった。
しかし、この命あるかぎり100%の不幸なんてあり得ないのです。

 本来、人間は、命があることだけで、幸せなことなのです。
そう思うことこそが、内側から生まれる幸せなのです。
それなのに私は、外側から襲ってくる苦しみに、
この世の不幸をすべて背負ったかのようなごとく、
苦悩していました。真の幸せは、自分の内側から生み出すものだ
ということを忘れていました。
私は、自分で自分の不幸を増大させていただけなんです。
 ホスピスの病院に入院されていた皆さんは、たとえ今、
世の中に貢献していなくても、私の心に、
人として本当に大切なことを教えてくださいました。

この世に意味のない存在なんていない。心からそう思いました。
このボランティアに参加したことが、私の中の迷いを消してくれたのです。

人は楽しいことや嬉しいことがあると幸せだと思い、嫌なことがあると、
不幸だと思ってしまいます。しかし、それは外側から起こる出来事に、
一喜一憂しているだけのことです。

人間は今、どんな境遇にあろうとも、生きていること自体が宝なのです。
命があるだけで立派なのです。あとは付加価値でしかないのです。
真の幸せ、それは外側からくるものではなく、内側から。
幸せだから感謝するのではなく、感謝するから幸せなんです。
自分から幸せの種をまきましょう。


太陽出版 望月泰彦著
「そのままで大丈夫」より


vol. 3664
「小欲知足」  (2012/10/13 [Sat])
 「毎日が忙しすぎる」「もっとゆとりが欲しい」と感じている人、
けっこう多いと思います。

現代社会は、あまりにも忙しく、慌ただしく、
振り回されるように毎日が過ぎ去っていきます。ときには、
溺れそうにまってしまいそうになります。しかし、
私たちは社会の一員として生きていく上で、
様々な責任を果たすことが、義務付けられ、
それをこなすのが精一杯というのが現実です。
生きるためには、仕方がないことだと、諦めるしかないのでしょうか?

私自身、そんなことを思っていたとき、以前、
伯母が言っていた言葉を思い出しました。それは、
「今思えばあの頃が一番楽しかった」という言葉です。
伯母は四人の子供を育てながら、農業を営んでいました。
とても忙しい日々を送りました。自分の時間なんて、
まったく持てなかったと聞きます。しかし、子供たちが成長し、
大人となって、それぞれに巣立ち、やっと自分の時間を
持てるようになった伯母に待っていたのは、
心にポッカリと穴が空いたような生活だったそうです。

 そうなんです。伯母にとっては、たとえ忙しくとも、
子供たちとワイワイやっていた日々が、
実は一番幸せな日々だったのです。
きっと振り回されるような毎日だったと思います。
伯母は、いつでも無我夢中だったに違いありません。
それでも人間、何かに夢中になれるってことは、
実は幸せなことなんです。

 だから人間の幸せは、今、自分がどういう環境にあるのかではなく、
今、自分がどういう気持ちで生きているのかが、重要だと思うんです。
環境を変えられない状況なら、いくら嘆いても仕方ありません。
なので、自分自身の気持ちを変えていきましょう!……とは言っても、
人間の気持ちというのは、自分ではなかなか
コントロールできないものですよね。具体的なコツが必要です。
よろしければ、私なりのコツを伝授いたします。
あまり役に立たないかもしれませんが……。

 どうすればいいのかといいますと……?
「私は今、幸せ」と、とても思えない状況ならば、
それを、「とりあえず幸せかな」程度にして、
心に思ってみるんです。これなら自分の中で、
納得できる範囲です。人生、高望みしたらキリがありませんから。
少なくともこれで、気持ちがネガティヴな方向に進まなくなると思います。

 例えば、「毎日いろんなことがあるな〜。
あ〜あ、やってられん」と言ってしまえばネガティヴですが、
「毎日いろんなことがあるな〜。けど、とりあえず幸せ。

 仏教ではこれを、「小欲知足(しょうよくちそく)」と言います。
環境を変えられなくても気持ちは変えられます!
状況は打開できなくても、心持ちは変えられます!
変えられないことにいつまでも悩むより、
変えられることに意識を向けましょう!

 あとあと、人生を振り返ったとき、自分自身にとって、
「今」が一番幸せだったと思うかもしれないのです。
ホントに!後ろ向きに過ごしたら、もったいないです。
すごいポジティブじゃなくていいんです。
ちょいとポジティヴを目指しましょう!これならできます。

略して、「ちょいポジ」これでOK牧場。

できない目標より、できる目標。

太陽出版 望月泰彦著
「そのままで大丈夫」より 


vol. 3663
「明日を変えるための言葉」  (2012/10/12 [Fri])
 人間はどうしても、先のことを案じてしまいがちです。私もけっこう心配性なところがあるので、考えすぎて余計な妄想から精神的に参ってしまったり、先に進めなくなってしまうこともありがちです。

 しかし、よくよく考えてみると、今日は昨日の結果であり、今日は、明日の原因となるんですよね。余計な事を考えすぎず、大切なのは、今をどう生きるか?です。

 今日一日を、悔いの残さぬように、一生懸命に生きることができた人は、夕日の美しさが違ってきます。明朝の日の出の美しさも違ってきます。心象風景という言葉があるように、人間は心にも眼を持っているからです。

 心の目に曇りがなければ、美しいものは、よりいっそう美しく感じるんです。様々なことに不満を感じるようなときは、この心の眼が曇っているときなんです!その心の眼を曇らせないために、私たちが心掛けなければいけないこと、それは、今というこの瞬間を大切に生きることです。人生は、常に「今」の積み重ねなのですから。

 お経を覚えるのも、毎日の地道な積み重ねでした。一日怠れば、確実に今まで読めた経文ですら、読めなくなってしまいます。休息と怠るとは、違います!怠ることからは何も生まれません。

 過ぎ去った過去を悔やむのではなく、まだ見ぬ未来を恐れるのではなく、意識を「今」に集中させましょう。
 
 今日をどう生きるかで、明日の自分が決まる!

 一生懸命働いたあとのご飯が美味しいように、今日を精一杯生きることができれば、気持ちのいい、清々しい明日を迎えられます!自分しだいです。

 失敗しても反省は一度すればOK.
 人生は気持ちの切り換えが大切ですから。


太陽出版望月泰彦著『そのままで大丈夫』より

vol. 3662
「逃」  (2012/10/11 [Thu])
『苦しいことから逃げると
嬉しいことも来ない』

 「苦しい」と思える出来事に遭遇した時、多くの人は、
「そこから逃れたい」と考えます。当然です。
苦しい状態のままでいたいはずはありません。
しかし、「逃れたい、逃れたい」という意識が強くなればなるほど、
苦しみというものは、よりいっそう深くなってしまうのです。

 なぜか?
それは、「苦しみから逃れたい」という自分の思いと、苦しい現実との不一致が、絶望感となり、よりいっそう重くのしかかってしまうからです。

 どうすればいいのか?
もし、現状が変わらないのであれば、
自分自身の意識を変えていくしかありません。
どう変えればいいのか?それは、「この苦しみから逃れたい」をやめて、
「この苦しい経験がいつの日か役に立つ!」と強く信じるのです。
自分自身の意識改革です。これならば、現状は何も変わらずとも、
自分の未来に希望を持てます。実際、私自身もこれまでの人生、
さんざん苦労してきました……。
しかし、今、振り返ると、楽しかったこと、嬉しかったことよりも、
むしろ、つらく苦しかったことの方が、
今、自分自身の役に立っていることが多いのです。

以前、派遣社員だった頃、私はワーキングプアでした。
何年間も、経済的にギリギリのところで生活していました。
しかし、その生活苦にあえいだ経験があるからこそ、
自立心が鍛えられ、また、節制することの大切さも
学ぶことができました。意味のない苦しみなんてない!
今、私は、そう信じて生きています。
「無意味だ」と思うから、よりいっそう苦しくなるんです!

 人生、すべてに意味があり、
すべてが無駄じゃない!

そこから必ず、
得られるものがあり、
学ぶべきことがあり、
ためになることがあり、
参考になることがある!

何かを自分に教えてくれているんです。

すべてがありがたい。
人生、何ひとつ
無駄なし。

 人生思うように行ってない時こそ、
自分の内面が磨かれているんです!それこそ宝です!



太陽出版望月泰彦著
『「どうせ自分なんか』から「こんな自分でも」へ』より


vol. 3661
「望」  (2012/10/10 [Wed])
 人間、不幸が重なると、何もかもが嫌になってしまいます。
私も以前、住職だった父が突然入院し、急遽、
会社勤めを辞めることになり、それまでのすべてを捨てて、
自分の意思には関係なくお寺を継がなければならない状況に
陥った時は、失望感と絶望感で、心がつぶされそうでした。

 お坊さんの世界は、良くも悪くも特異な世界です。
「いったい自分は、どうなってしまうのか?」そんな不安ばかりが、
脳裏を駆け巡りました。そんな状況の折、母がよく口にした言葉です。

『なんとかなる!きっとよくなる!』

 人生、つらく苦しい状況の中、それでも、
前に進まなければならない時もあります。そんな時、
この言葉を心の中で繰り返すと、自然と、気持ちが落ち着いて、
心に、小さな勇気をもらえます。

 私も修行時代、自分の心の弱さから、何度も挫折しそうになりました。
そんな時この言葉を自分に言い聞かせて、乗り越えてきました。
そして、今の私があります。

 仏教では諸行無常という教えがあります!

すなわち、「この世のすべての現象は絶えず変化していく」
という言意味です。つまり換言すると、つらく苦しいことは、
ずっとは続かないということになります。

 今ある状況に、囚われてはなりません!振り回されてはなりません!

 すべては、変わりゆく過程でしかないのです。
人生にも四季があります。ずっと冬なんてことはないんです。
冬は必ず春となります。信仰による救いとは、信じることから、
すべてが始まります。信じましょう。信じるしかないのです。
苦しみはずっとは続かないことを。

 今、私があるのは、すべて仏様のおかげです。
自分一人では、どうにもならなかったことも、
仏様に様々なご縁をいただき、多くの人たちのあたたかいお心によって、
私は今の自分を築くことができました。
その恩に報いるために、感謝を持って、
日々文章を綴らせていただいております。
この言葉のひとことひとことが、一人でも多くの方の
光となってくれることを、切に願っております。


太陽出版望月泰彦著
『「どうせ自分なんか」から「こんな自分でも」』より

vol. 3660
「己」  (2012/10/09 [Tue])
「人に嫌われることを恐れて
他人の都合に振り回されるな
自分を見失ってはならない」

 現代は、皆が忙しく、心にゆとりは失くしてしまった
ストレス社会と呼ばれています。そんな中にあって、
私たちはどのように生きたいらいいのか!向き合ってみました。

 企業は、利潤追求を優先し、そのために人件費を削減、
少ない人員で業務を運用しているため、一人一人に
かかる仕事の責任、負担が膨大しています。その結果、
現代人は、職場から自分の能力の限界以上のものを要求され、
心に大きな負担を背負い、生きなくてはなりません。
その渦の中で、多くの方が心を病んでしまっています。
恐ろしい世の中です。

 私も、その渦の中に永いことおりましたから、いかに大変なことか、
わかっているつもりです。しかし、世の中には、
忙しさにストレスを溜める人、忙しくてもストレスを溜めない人と、
二種類の人間が存在します。

 なぜか?実は、必ずしも、忙しい=ストレスではないということなのです。
ではストレスを溜める人と、溜めない人とどこがどう違うのか?
知りたいですよね!それは、ずばり、振り回され度 の違いです。
どういうことかというと、忙しくてもストレスを溜めない人は、
良い意味で、ゴーイング・マイ・ウェイ。自分というものを、
しっかり保ち、あまり他人の都合に振り回されていません。

 逆にストレスを溜めやすい人は、他人の都合に合わせすぎて、
振り回されて、自分本来のリズムを狂わされてしまっているんです。
ポイントはそこです。振り回されているか?振り回されていないか?

 では、忙中に合って振り回されないためには、いったいどうすればいいのか?
知りたいですよね。それは、意識して、自己中になることです。
自己中心的な人間になることを進めるなんて、
私は最低のお坊さんですね。しかし、これはあくまでも、
ストレスを溜めやすい人に向けたメッセージですので、そのへんを、
ご承知おきくださると助かります。
他人に振り回されやすい人は「もっと、自己中心的でいいんだ!」
と自分に言い聞かせてみてください。

 無理してまで、いい人である必要はないんです。
人に嫌われることを、どうか恐れないでください。
たった一度きりの人生、他人の都合に振り回されてばかりいたら、
もったいないです。人それぞれのリズムがあります。
自分本来のリズムを知り、大切にしていきましょう。

 忙しくても、ストレスを溜めないコツ、それは、
振り回され度を下げることです。ただし、普段から自己中すぎる方は、
逆に、相手の立場になって考えるよう、心がけが必要ですね。
何事も中庸ですから。


太陽出版望月泰彦著
『「どうせ自分なんか」から「こんな自分でも」へ』より

vol. 3659
「歩」  (2012/10/08 [Mon])
「何をやっても上手くいかない私だけど
立ちあがって歩き出しさえすれば
きっとなんとかなる
だからまだ、あきらめたくない」

これは私が以前勤めてた職場で、仕事のことで悩んでいた同僚が、
思いあまって、上司に「辞めたい」旨を伝え、保留状態の時、
迷っていた同僚に贈らせてもらった言葉です。

 心が優しい人だったので、反面、とても傷つきやすい面もありました。
上役がかわり、仕事の方針が大きく変化し、
それになかなかついていくことができず、
「自分は、この職場にいても迷惑なだけ……」と思い込み、
自分を追い詰めてしまったようです。

人間、結果ばかりを先に求めてしまうと、息が詰まってしまいます。
自信を失ってしまい、自分自身が惨めな気持ちになり、
何もかもが嫌になってしまいます。

 たとえ、良いところがたくさんある人でも、
それが見えなくなってしまい、
自分の悪いところばかりに囚われてしまうんです。

 同僚も、まさしくそんな状態に陥ってしまいました。
後日、気持ちが落ち着いてきて、幸い、笑顔で再出発してくれました。

結果を出さなければならない世の中!厳しいですよね。
しかし、自分がつぶれてしまったら元も子もありません。
だから、結果はあとから付いてくるでいきましょう。

「人事を尽くして、天命を待つ」です。

 日本人は、余計な妄想が多すぎるといわれています!
つまり、いらないことにエネルギーを使って疲れてしまうんですね。
そこを、改善したいですね。



 太陽出版望月泰彦著
『「どうせ自分なんか」から「こんな自分でも」へ』より

vol. 3658
「咲」  (2012/10/07 [Sun])
 これは、以前、私が老人ホームに慰問に行った時、
そこの利用者の皆さんに配らせていただいた言葉です。

「小さなつぼみもやがて、
美しい花をさかせるように
日々の暮らしの中で見つけた
小さな幸せを大切にしたい」

 老人ホームの職員に方から、
「利用者の皆さんに法話をしてさしあげてくれませんか」
と言われて、最初は様子がわからなかったので、
普通に仏教の話をお聞かせしたのですが、
皆さん、あまり興味がなさそうでした。

 それから何度か足を運び、その度に法話をさせてもらったのですが、
何度やっても皆さんに興味を持ってもらえるような
話ができないままでいました。自分では、仏教を易しく、
わかりやすく、説いているつもりだったので、
もうどうしていいのか困惑してしまいました。

そこで私は、もっと施設の利用者のことを知ろうと思い、
朝から晩までボランティアをさせてもらい、
利用者と生活を共有することにしました。

そして、利用者の皆さんはずっと施設内で決まり切ったことを
繰り返しして居る単調な暮らしをされていることに気づかされました。

 以前、私はケガをして、一週間ほど、
入院生活を送ったことがあるのですが、
その時の退屈だった毎日を思い出しました。

そんな利用者の皆さんを相手に、自分は、
キレイごとばかりを話していたことに、
恥ずかしい気持ちになりました。
「これじゃあ、人の心には響かないはずだ」と
反省させられました。でも、それに気づけてよかったんです。

 それから私は、もっと利用者の日々の生活に密着した話を
することにシフトチェンジしました。すると皆さん、
興味津々に聴いてくださいました。私は、
施設の生活の中にある小さな幸せの数々を
お話しさせていただきながら、自分自身が、
日々の暮らしの中にある小さな幸せに
気づけていなかったことを教えられました。

 「人は教えながら、自分も学んでいる」ということなんですね。
ありがたい経験させていただいたことに感謝です。


太陽出版望月泰彦著
『「どうせ自分なんか」から「こんな自分でも」へ』より

vol. 3657
「克」  (2012/10/06 [Sat])
 この言葉は、以前、仕事で大きなミスをして、
職場に多大な迷惑をかけて、落ち込んでいた
友人に送らせていただいたものです。
今でも大切に飾ってくれているそうです。

『つらい時は泣いてもいい
苦しい時は嘆いてもいい
でも、それだけで終わってほしくない」

 人間、生きていれば様々な苦難に遭遇します。
私も不器用な人間なので、これまでの人生で、
「もうダメだ」と思うようなことも、多々ございました。
そんな時は、どんな励ましの言葉も落ち込んで
疲れ切った心には届かないものです。
当然、頑張る気力なども起こり得ません。

だから、自分の気持ちに逆らわないで、
つらい時は、「つらい」と言えばいいのです。
苦しい時は、「苦しい」と言えばいいのです。
けっして、無理しないこと!人になんと言われようと、
どう思われようとかまわない!そのくらいの気持ちでいましょう。
自分が今、どれだけつらい状況になるかなんて、
結局、自分しかわからないのですから。
無理をすれば、心が壊れてしまいます。

いつかきっと、心労が癒える日が来ます。
気持が上向きになってきたら、また少しずつ歩き出せばいいんです。
苦しんだ経験は、けっして無駄にはなりません。
よりやさしく強くなるために、人は時として苦しみを経験するのです。

 たとえ今、どしゃぶりの雨のような人生であっても、
雨あがりの太陽を、青い空を、自らの心に信じることができれば、
きっと、素晴らしい虹を見ることが叶うはずです。

 信じましょう!


太陽出版 望月泰彦著
『「どうせ自分なんか」から「こんな自分でも」』より

vol. 3656
「縁」  (2012/10/05 [Fri])
 『縁を生かせば、道はひらかれる』

私のこれまでの人生はけっして順風満帆なものではありませんでした。
私はサラリーマンを経て、僧侶になることを決意し、
長期間の仏道修行を終えたあと、本当は、
全国から多くの参拝者が集まる有名な大きな寺院につとめる予定でした。
内定ももらっていました。心は、希望に満ちあふれていました。

しかし、突然、理由もなく、その内定は、取り消されました。
そして、かわりにまったく仏教には関係のない職場を紹介され、
そこで働くことになりました。ショックでした。

 「これから仏道ひとすじにで生きていくぞ」という誓いを立て、
決意を新たにしていただけに、
その気持ちを踏みにじられた気持ちで一杯になりました。
九分九厘決まっていた内定でしたが、横ヤリが入ってしまったようです。
私の入る予定だったポジションには、大きな法縁のある、
つまり強力なコネを持つ別のお坊さんが入りました。

 結局、私のような、何のバックもない小さなお寺の僧侶は、
この世界では、いい扱いは受けないということなのです。
「これがお坊さんの世界の現実なのか」と思い、
無常を感じました。この世界に席を置くことさえ、嫌になりました。

 それでも、追いやられたとはいえ、生きるためには、
与えられた仕事をやらなければと思い、自分なりに頑張りましたが、
どうしても、気持ちがついてきません。

 私の心は常に「仏道ひとすじに生きたい」という思いで
引き裂かれそうでした。心と体が反発し合っている感じでした。
つらかったです。

 そんな折、ひょんなことから、私は、意外な事実を聞かされました。
私が、希望していた寺院の内定を取り消された時、
修行時代の恩師が、上層部のお坊さんたちに、
「なぜあいつを別の部署に追いやるんだ」と何日も、
掛け合ってくださったそうなのです。
恩師はこんな私のために、それこそ、
必死に力を注いでくださったそうです。

 結果的には、さすがの恩師といえども、
組織の大きな権力の前には、勝てなかったのですが、
誰からも見捨てられたと思っていた私にとって、その温情は、
何よりもありがたく、感動的な事でした。

あふれんばかりの涙が絶え間なく流れ、私の思いを引き裂き、
苦境に追い込んだ宗門に対する憎しみを、
すべて浄め流してくださいました。

 それからの私は、つらく苦しい時、恩師のことを思い浮かべ、
その恩に報いるべく、あらゆることに立ち向かってきました。
そして、苦境を乗り越え、今の私があります。

 自分が望まなかった職場で、何年もの間回り道を強いられて、
堪え続けたでしたが……。念願叶い、新たな縁をいただき、
今、僧侶の道ひとすじに、生きることができています。

 しかし、その回り道の中にこそ、本当に大切な教えがあったのです。
私にとって、必要な学びがあったのです。
この一見マイナスに思えた逆縁こそが、私が僧侶として歩む上で、
まだまだ至らなかった心を磨かせてくれたのです。

社会に生きる人々と、仕事を通して、共に苦しみ共に喜び
共に生きることによって、私は、世間知らずの理屈だけの
僧侶にならずに済んだのです。すべて無駄じゃなかった!
すべてに意味があった!心からそう信じられます。

 「縁をいかす」とは、今ある環境、日々出会う人たち、
そのすべてが自分の将来にとって必要なものだと信じきることです。
すべての縁が己を育てるということなのです。

逆縁、苦境こそ、己を磨くチャンスです。

 「あの時頑張れたから、今の自分がある」っていう、
生き方をしたいですね。未来の自分は、
今の自分の生き方しだいで決まるんです。


太陽出版 望月泰彦著
『「どうせ自分なんか」から「こんな自分でも」へ』より

vol. 3655
「学」  (2012/10/04 [Thu])
「日々ふれあう人々から学ぶことは多く、毎日の経験から
教わることは限りない。常に学ぶ心こそが人生に喜びを与える」

 私は今、小さなお寺の住職をしながら、兼業で、
全国から参拝者がくることで知られる寺院につとめています。
昨年、その勤め先のある一人のお坊さんが、
事情で、半年間休職することになりました。その間の穴埋めとして、
二人のお坊さんがアルバイトとして雇われました。

 一人は、お坊さん事は大抵のことはこなせるバリバリ君でした。
もう一人は、お坊さんになったばかりのぺーぺー君でした。
バリバリ君即戦力になり、皆から重宝されました。
その一方でぺーぺー君は、かなり足手まといな存在でした。

 その三ヶ月後、つとめ先のお坊さんが一人退職することになり、
アルバイトの二人のお坊さんのどちらかを採用することになりました。
といっても、採用されなかった方の気持ちを考えると、
選ぶのは困難です。なので、二人には内緒で、
皆で投票することになりました。すると、なんと全員一致で、
ぺーぺー君に決まってしまったのでした。

その時点でも、ぺーぺー君は、
バリバリ君よりも、だいぶ劣っていました。

 なのに、なぜそうなったのか?それは、ずばり、学ぶ姿勢の違い。
バリバリ君は出来がいいぶん、自分を完成品の如く思っていました。
なのでだんだんと、態度が横柄になってきていたのです。
それに比べ、ぺーぺー君は、どれだけ仕事をこなせるようになっても、
常に謙虚で、協調的で、常に人から学ぼうという姿勢がありました。
そこが決定的な違いです!!

 その時点では、ぺーぺー君はバリバリ君よりも
劣っていたかもしれません。しかし、近い将来、
間違いなくぺーぺー君の方が上回ります。
そして、組織全体にとっても、協調性のあるぺーぺー君の方が、
プラスに働いてきます。

 常に学ぼうとする心、それは、人生を輝かせるための基本中の基本。 

「学ぶ姿勢」さえあれば、人間、自然と謙虚になっていきます。
そして、この意識を持てれば、
人生という名の景色が変わって見えてきます!

 常に学ぶ

太陽出版 望月泰彦著
『「どうせ自分なんて」から「こんな自分でも」へ』より

vol. 3654
「恥」  (2012/10/03 [Wed])
 人間、時には、困難に立ち向かって
いかなければならない時もあります。そんな時、
自分の心の弱さに打ち克つために、どうぞこの言葉をご覧ください。

 『精一杯やって負けることは、決して恥ずかしいことではない。
しかし、やる前から逃げることは、とても恥ずかしいことだ。』


 「当たって砕けろ」という言葉があります……しかし、
人間、どうしても、自分が砕けてしまうことを恐れて、
前に進むことを、拒んでしまいがちです。
実際、砕け散った者を、心なく批判する人も少なくないです。
でも、それでも挫けない人こそが、
自身の人生を輝かすことが叶うのです。

 かの有名な『アンパンマン』という作品も、
絵本として発売された当初は、多くの人たちから大批判を浴びました。
「顔を食べさせるなんて、とんでもない」
「教育上好ましくない」
「ヒーローとしてあまりにもカッコ悪い」等々……。
作者であるやなせたかしさんも、当時、かなり悩まれたそうです。
それでもやなせさんは、自分の作品を信じて、
その逆風の中を貫かれました。

 そして、そんなアンパンマンの素晴らしさは、
大人たちの常識を超えたところに存在していたのでした。
あれだけ大批判を受けたアンパンマンが、
幼稚園の子供たちの間で大人気となっていったのです。
そして今では、国民的ヒーローとなりました。

 アンパンマンは、決してカッコいいヒーローではありません。
しかし、ボロボロになりながらも、他者のために
戦い立ち向かうその姿こそ、真のヒーローの姿に他なりません。
人は困難に立ち向かっていくところにこそ、生きる価値がある!

 大批判を浴びながらも、人気を博したアンパンマンは、
そんなメッセージを、私たちに送ってくれているように思えてなりません。

 天才発明家と言われたあのエジソンも、数限りない失敗を重ねても、
決して屈しない人物として知られています。自身の研究が火事に遭い、
全焼した時ですら、「これで無駄なものはすっかりなくなった。
これからまた新たな気持ちで新たな研究を始められる」と言って、
まったく落胆されませんでした。

 そうです。人生を輝かせた人たちの共通の生き方、
それは、何があっても決して逃げない!ということです。
良い結果を生み出すことよりも、もっと大切なこと、
それは失敗を恐れない心の持ち主になることです!

 人生、砕けまくってきたお坊さんより……。


 太陽出版 望月泰彦著
『「どうせ自分なんか」から「こんな自分でも」へ』より
 

vol. 3653
「皆」  (2012/10/02 [Tue])
 20歳以上の方で、「人生、これまでずっと順風満帆だった」と、
胸を張って言える人は、いったい何人いるでしょうか?
百人中0人かもしれませんね。

 人間、生きていれば、何かしら壁に突き当たります。
時には、「なぜ自分だけが……」と思ってしまう時もあるでしょう。
そんな時そっと見てもらいたい言葉です。

 「誰もが皆、悩みを抱えている。みんな心に傷を持っている。
それでも前に進んでいるんだよ。」
 
 以前、私が、ある老人ホームに慰問に行った時、
一人のおばあさんが、ベットで泣いていました。
私が、「どうされたんですか?」と訊ねると、おばあさんは、
「病気で毎日身体が苦しいんです」と訴えました。
私は、ありとあらゆる言葉で、慰めたのですが、
残念ながらおばあさんの心には届きませんでした。

その月、私はいくつかの老人ホームを慰問し、
様々な利用者と接しましたが、皆、
それぞれに身体に何かしらハンディを抱えられ、おつらそうでした。

 翌月、私は再び、あの泣いていたおばあさんの施設に慰問し、
お話をさせてもらいました。私は、
ほかの施設の様々な利用者の様子を伝えました。
皆さんのおつらい状況をお話ししたんです。
すると、おばあさんは、興味津々に聞いてくださいました。

 そして、「私だけが苦しいんじゃないんですね」とおっしゃって、
涙を流されました。この涙はけっして、哀しみの涙ではありません。
浄めと救いの涙です。おばあさんに取って、どんな慰めの言葉よりも、
自分と同じように、つらい思いを強いられながらも、
それでも頑張っていらっしゃる方々がいるという事実が、
ずっとずっと、力になったんです。

 おばあさんにとって、必要だったのは、
表面上のキレイな慰めや憐れみではなく、
苦しいのは自分ひとりじゃない!という心だったんです。

 それからのおばあさんは笑顔になってくださいました。
孤独とは、自分が、この世に生きる意味を見失うことです。
自分だけがつらいと思ったら、誰もが孤独に陥ります。
でもそれは違います。皆、何かしら心に悩みを持っています。
皆、苦しいんです。赤信号は皆で渡れば怖くないの言葉の如く、
人生も、みんな苦しいのだから怖くないのです。

理屈だけの人間にならぬよう、これからも実践の中から、
大切な心を学んでいきたいと思っています。


太陽出版 望月泰彦著『「どうせ自分なんか」から「こんな自分でも」へ』より

vol. 3652
『「どうせ自分なんか」から「こんな自分でも」へ』  (2012/10/01 [Mon])
こんな質問をいただきました。
私は今、自分に自信が持てません。心がくじけそうです。
どうすれば心に勇気がわきますか?」

私はこれまで、挫折の連続の人生でした。
自分自身に自信が持てず、心の行き場を失ったりもしました。
私はもっと若い頃、職を失い、長期間、路頭に迷った時期がありました。

いい歳をして、定職に就いていない自分が惨めになり、
日増しに、自分に自信を失くしていき、
そんな情けない自分に心が折れそうになっていました。
「どうせ自分なんか……何をやってもダメだ」って
思いこんでしまっていました。

 そして、いつの間にか「どうせ自分なんか……」が
口ぐせになっていました。しかし、このままではいけないと思い、
見栄も外聞も捨て去り、期間限定のアルバイトをすることにしました。
工場の製造業でした。不器用で物覚えの悪い私は、
毎日上司に怒鳴られながら仕事をしました。
まるでボロ雑巾のようでした。

 それでも、必死に頑張りました。自分の全力を出し尽くしました。
「ここで挫けたら、自分は一生ダメな奴だ!」と思って、働きました。
最後はそこの上司に「よくやってくれた、ありがとう」
という言葉をいただきました。とても嬉しかったです。
その時の私にとって、宝石のような言葉でした。
「こんな自分でも、できるんだ……」と
少しだけ希望を持てる自分になれたんです。

 その時から、私の口ぐせは、「どうせ自分なんか……」から
「こんな自分でも……」へ変わりました。
「どうせ自分なんか……」という言葉は、
現在の惨めな姿だけを見て嘆いて、「何をやってもダメだ」と、
そこであきらめてしまう言葉です。つまり、視野が狭いんです。

 それに比べ、「こんな自分でも……」は未来に気持ちを向けて、
たとえ現状はダメでも、「きっと良くなっていく」という希望を持てる言葉です。
つまり視野が広い。

 このほんのチョットの違いが、人生を好転させてくれるんです。
「どうせ自分なんか……」から「こんな自分でも」へ、
口ぐせを変えてからの私は積極的に行動できる自分にかわっていきました。
「今はダメでもいいんだ」と気持ちにゆとりを持つことで、
行動が軽やかになりました。ものごとが上手くいってない時は、
誰だって、気持ちが沈みます。

 挫けそうになります。心が折れそうになります。
自分が情けなくなります。自分に自信がなくなります。
それは目の前の自分だけに捉われすぎているからです。
そんな時こそ遠くを見ましょう。つらい場所から動いてみましょう。

 自分の中にある「どうせ自分なんか……」を、心の消しゴムで消して、
新たに「こんな自分でも……」と書き換えてみましょう。
前に進める自分になれるはずです。つらい時こそ遠くをみよう。
今すぐは無理でも、いつかきっと良くなるって思うことが大切です。
結果を急がないことです。


太陽出版 望月泰彦著『「どうせ自分なんか」から「こんな自分でも」へ』より


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