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2012年11月

vol. 3691
「反対されることを期待して、相談しない」  (2012/11/30 [Fri])
 反対されることを期待して、相談していないか?
反対されて、内心ホッとしていないか?
相談する人の大半は、反対してくれることを望んでいるのです。
反対されることで、行動に移さない言い訳をつくりたいのです。
「そうか、仕方ないな」と、がっかりしながら、
内心ホッとしているのです。

 世の中には「やめたほうがいい」と反対してくれる人が
たくさんいます。そのほうが、親身になっているような気分に
浸れるからです。反対されることを期待している人と、
反対してくれる人が大勢いるから、
ほとんどの人が何もしないで終わります。

 賛成を求めるなら、相談する必要はありません。
人間は行動する人と相談する人の二通りに分かれます。
相談する人は、永遠に始めることができないのです。


 中谷彰宏著「運命を変える50の小さな習慣」より

vol. 3690
「「…さえあれば」と言わないようにしよう」  (2012/11/29 [Thu])
「…さえあれば、幸せになれる」と考えているうちは、
「…」が手に入っても幸せにはなれない。
1つだけ希望を叶えてあげると言われたら、
あなたなら、どうしますか?

「お金さえあれば、幸せになれる」
「結婚さえすれば、幸せになれる」
「才能さえあれば」「美人でさえあれば」
「出世さえすれば」と考えていませんか。

「…さえあれば、幸せになれる」と考えてしまっている人は、
「…」が手に入っても、幸せになることはできません。

「…」に、自分が幸せになれない原因を押しつけて
しまっているからです。あなたは幸せではないとしたら
、その原因は、「…」がないことでしょうか。
本当は、そうではないはずです。
「…」がなくても幸せになることはできます。


中谷彰宏著
「運命を変える50の小さな習慣」より


vol. 3689
「欲しいものは、注文して買おう」  (2012/11/28 [Wed])
 本当に欲しいものは簡単には手に入らない。
「欲しいものが見つからない」と言う人がいます。
よく聞いてみると大して探していないのです。
この人は、本当はそのものがそれほど好きじゃないのです。

そういう人は、それを手に入れる資格はありません。
欲しいものは、なくて当たり前です。
ないものは注文して手に入れるものなのです。

 これからは目の前に全くモノが並んでいない時代になります。
そのかわり、それがどこにあるのか調べようと思えば
いくらでも調べることができる時代です。

そこで、差がつくのは、注文して手に入れようという姿勢です。
目の前にないからといって諦めてしまう人には、
永遠に手に入りません。目の前になければもう要らないようなら、
それは本当に欲しいものではないということです。


中谷彰宏著
「運命を変える50の小さな習慣」より

vol. 3688
「緊張することほど、ゆったりした気持ちでしよう」  (2012/11/27 [Tue])
 新しいものに挑戦するコツは、羊の毛を刈るコツと同じ。
ゆったりした気持ちで大胆にすること。羊の毛を刈るコツは、
怯えないことです。刈る側が、痛そうだなと思って怯えたら、
その怯えは必ず羊に伝わります。病院で注射をする時に、
看護婦さんが震えながら針を持ってきたら、
こちらまで不安になるのと同じです。

 何か新しいことに挑戦しようとする時は必ずドキドキします。
何かに挑戦する時、大体人間はドキドキするものですが、
あなたのドキドキが相手に伝わってしまったら、
うまくいくこともうまくいきません。

 羊の毛を刈る時は、ゆったりとした気持ちでまず羊を
安心させてやって、それから大胆に刈ればいいのです。
オドオドし心で控え目にやってしまうとダメなんです。


中谷彰宏著
「運命を変える50の小さな習慣」より

vol. 3687
「する前から、予防線を用意しない」  (2012/11/26 [Mon])
試してみる前から、いいわけや予防線ばかりを用意していませんか?
選ぶということは、はずれるというリスクを背負うことです。

「みんなと一緒でいい」と言うことにしていれば、たとえはずれても、
自分で決めてはずれたのではないから仕方がないと
自分を慰めることができます。みんながはずれたんだから
仕方がないというふうに、言い訳もできます。

 思うようにいかなかった時のために、先回りして、
自分を慰めるための予防線ばかりを張ってしまっていませんか。
予防線を張ることが得意になってしまうと、
予防線を張ることが人生の目的になってしまいます。

 言い訳ばかりを考えていたのでは、
あなたが納得できる自分だけの人生は送ることができないのです。


中谷彰宏著
「運命を変える50の小さな習慣」より

vol. 3686
「行き詰ったら、「でも、OK」と言おう」  (2012/11/25 [Sun])
「YES,but No」ではなく「NO,but YES」と考えよう。
何かを相談されたら、「僕だったらこうしますね」と答えます。
すると、ほとんどの人が、「なるほど。でも……」と言うのです。
「でも」と言うということは、すでにその人の答えは決まっているのです。
つまり、頭の中が「YES,but No」という構造になっているのです。

 結局その人は何もできません。
一生懸命考えているフリをしているけれども、
考えることで動くことをやめてしまっているのです。
「YES,but No」と考えるよりも、
「NO,but YES」と考えるようにしましょう。

実は、同じことなのです。
同じことをこんなふうに置き換えて考えてみると、
もっと軽々と生きることができるのです。


中谷彰宏著
「運命を変える50の小さな習慣」より

vol. 3685
「人と話をしないで2時間集中できるものを持とう」  (2012/11/24 [Sat])
 人が話しているときにおしゃべりをする人は、
いざという時に話せない。
 子供の時にいちばん身につけなければいけないものは、
集中力です。集中力以外には何も身につけないでいいというくらいです。

 子供がすべてのことを忘れて、何かにじっと見とれている力。
そこから創造力も、コミュニケーション力も生まれてきます。

 ところが、大人になると、集中できない人がいます。
生まれた時は皆同じ集中力をもっている。
それが、やがて集中できる人とできない人に大きく分かれていくのです。

 集中力のない人は、誰かが話している時に、
黙って聞くことができません。集中できない人は、
まっしぐらに、つまらない人間になります。


中谷彰宏著
「運命を変える52の小さな習慣」より

「大事なものが見つからなかったら、余計なものを捨てよう」  (2012/11/23 [Fri])
 余計なものを捨てさせるために、仏さまは、時々パスポートを隠す。
海外旅行に行く直前に、パスポートが見つからなくて
焦ったことはありませんか?

今さら、再交付の手続きをしていたのでは、
間に合わない。どうしようと、真っ青になってしまいます。

 見つからないものを探すコツは、いったん探すのをやめて、
後片付けを始めることです。

捨ててもいいものの中に混じってしまっているので、
紛れて見つからないのです。
見つからないものを見つけるには、余計なものを捨てることです。

 仏さまは、時々、わざと大事なものを隠して私たちを困らせます。
そうやって「余計なものは捨てなさいよ」ということを教えてくれるのです。
大事なものが見つからなかったら、捨ててもいいものを捨てるチャンスです。


中谷彰宏曙
「運命を変える50の小さな習慣」より

vol. 3683
「買わなくても「ありがとう」と言って店を出よう」  (2012/11/22 [Thu])
 買い物をした側のときでも、「ありがとう」を忘れないお客さんが、
いいお客さんになれる。

買い物をした時は、なんと言って品物を受け取っていますか?
あなたが、品物を売る側だったら「ありがとうございました」と言うでしょう。
買う側のときは、つい、黙って受け取ってしまいがちです。

買う側の時も、売る時と同じように、「ありがとう」の一言を添えましょう。
こっちはお金を払っているんだから、お礼など言う必要はないと考えたら、
傲慢です。お金があるから、その品物を手に入れることが
できたのではありません。その店の人のおかげで、
あなたはその品物を手に入れることができたのです。

 たとえ、何も買わなくても、お店を出る時は、
「また来ます。ありがとう」と言って出ることにしましょう。

 中谷彰宏著
「運命を変える50の小さな習慣」より


vol. 3682
「何でもいい」と言わずに、自分で選ぶ」  (2012/11/21 [Wed])
選択した回数が、あなたを作る。優柔不断な人は、
多数意見に合わせがち。だから、自分が選んでいるつもりでも、
実は選んでいないことが多いのです。

転職するかしないかというような大きい選択ならまだしも、
ファミリーレストランで、コーヒーにするか紅茶にするかといった
小さなことさえ決められない人もいます。

コーヒーか紅茶かすら選べない人は、何も選べません。
小さな選択をしていくことでやがては人生を左右するような
大きな決断もできるようになるのです。
 
自分で選べない人は、「何でもいいです」と言ってしまう。
メニューも最初から読まない。「みんなと一緒でいい」と
言ってしまいます。世の中はどっちでもいいことが、
いっぱいあるのです。でも、どっちかにこだわって
選んでいくことが自分の人生なのです。

中谷彰宏著「運命を変える50の小さな習慣」より

vol. 3681
「尊敬する人の、考え方のモノマネをしよう」  (2012/11/20 [Tue])
 尊敬する○○さんだったらこんな時どうするだろう、
と考えてみよう。

 あなたには、尊敬できる人や、刺激になる人、
凄いなと思える人がいますか。

そういう人がいたら、迷った時に、
「こんな時、○○さんだったら、どうするかな?」と考えてみます。

それはマネをしろという事ではありません。
尊敬する人のコンピュータを借りることで、
堂々巡りから抜け出せるのです。

 その人の思考回路をとことん好きになって、分析します。
好きになったら、思考回路まで感情移入してしまうものです。

その人のしゃべっていること、書いていること、みんな知りたくなって
その人よりその人らしくなっているはずです。

 尊敬できる人が、もし今、いなかったら、ぜひ探してみて下さい。


中谷彰宏著
「運命を変える50の小さな習慣」より



vol. 3680
「お祈りをする時は、大切な人の分も忘れずに」  (2012/11/19 [Mon])
 他人の分までお祈りをする人の願い事を、仏さまは聞いてくれる。
神社やお寺に行ってお祈りをする時は、
たった1つのことだけを覚えておきましょう。自分のことだけでなくて、
あなたの大切な人のこともついでに感謝し、頼んでおくのです。

 友達のこと、恋人のこと、家族のこと、大事にしている人、大好きな人、
片思いの人のことでもいいのです。あなたのまわりの人の分まで
ちゃんと感謝とお祈りをしてあげましょう。

 それができる人は、自分の夢も叶うのです。自分のことばかり、
10個も20個も頼んでいるような人には、仏さまも味方しません。
周りの人のことを考える余裕のない人は、
今自分自身がやっていることもうまくいきません。
ひょっとしたら、まわりの人に対して犠牲を強いているかもしれません。


中谷彰宏著「運命を変える50の小さな習慣」より

vol. 3679
「自分がどう見えるか、人に聞くのはやめよう」  (2012/11/18 [Sun])
「私は個性的ですか?」と聞く人に、個性的な人はいない。
「私、個性的に見えますか?」という質問をされることがあります。

それに対しては「普通の人です」と言うほかありません。
なぜならそんな質問があまりに多いからです。
どういうふうに見られるかということばかりに
興味を持っているうちは、個性は芽生えません。

 個性のない人ほど「私は人と違うように見られたい」と思います。
本当に個性のある人は「自分は特にどこも変わったところはない」
と思っていますが、やはり個性的です。

「私は変なことばかりしてるんですよ」と言う人は、
それが変だと感じているのだから全然変な人ではありません。

 本当に変な人は、変だと感じないでやる人です。
それが個性のある人です。


 中谷彰宏著「運命を変える50の小さな習慣」より


vol. 3678
「一日に一度は「よかったね」と言おう」  (2012/11/17 [Sat])
いいことがあった人には、素直に、「よかったね」と喜んであげよう。
最近、あなたの大切な友達から「こんな嬉しいことがあったのよ」と
連絡があったとき、あなたはどうしたか、思い出してみてください。

「今日こんないいことがあった」と話をした時に、
「よかったね」の一言を言ってあげられましたか。
「今日、こんないいことがあったのよ」と言った時に、
「あまり有頂天にならないようにね」と
話の腰を折ってしまいませんでしたか?

 「よかったね」という一秒の言葉が言えることが言える
ことが大事です。そこで必要なのは、忠告よりも、
一緒に喜んであげることです。特に親しい人であればあるほど、
うれしいことがあるとその人に話したくなります。

人に話すことで、ますますその喜びが大きくなるし、
「よかったね」とその人も喜んでくれたらもっとうれしくなります。

 中谷彰宏著 「運命を変える50の小さな習慣」より


vol. 3677
「エレベーターがあるところでも、階段で上がろう」  (2012/11/16 [Fri])
 エレベーターに乗ってしまうと、すれちがってしまう。
階段で上がると、出会いがある。

 あなたはいつも行くところへ階段で上がったことがありますか?
ビルの中にある場所へいく場合、たいていエレベーターで

上がってしまいます。ある時、エレベーターが調整中だったために、
階段で上がってみました。すると、幼なじみとばったり出会いました。
彼は、そこでずっと前から働いていたのです。

 年がら年中通っているビルなのに、エレベーターに乗っているために、
すれちがってしまっていたのです。出会いは、
行ったことのないところへ行くことではありません。
いつも行っているところでも、エレベーターに乗らずに、
階段で上がることで、出会いがあるのです。


 中谷彰宏著「運命を変える50の小さな習慣」より


vol. 3676
「挨拶しなくてもいい人にも、挨拶してみよう」  (2012/11/15 [Thu])
 挨拶をかわせる人を、1日1人ずつ増やそう。

朝会った時に「おはようございます」と言える人が何人いますか?
道ですれ違った時、「こんにちは」と言える人が、何にいますか?
向こうから近所のおばさんがやってきたのに、
気づかないフリをして通り過ぎてしまうことはありませんか。

 挨拶してもいいけれども、しなくてもそれほど問題はない
という人たちが意外に大勢いるのです。
これは近所の人だけではなくて、会社でも同じです。

 1回したら、もう明日から挨拶することができるようになっています。
それを1日1人ずつ増やしていきます。
今日から全員そうしなさいと言っても、これまた大変です。
昨日挨拶できた人には、今日は簡単にできるはずです。


中谷彰宏著「運命を変える50の小さな習慣」より


vol. 3675
「受け取るときに「素晴らしい」と言おう」  (2012/11/14 [Wed])
 当たり前のことに「素晴らしい」と言える人に、
感動する出来事が訪れる。

 何でもないことに、感動できますか?
当たり前のことに、感動してますか?

感動するような出来事は、感動できる人に訪れるのです。

レストランで料理を出されて、「これ、なんていう料理?」と
言っていませんか?

クリーニング屋さんから、洗濯したての洋服を受け取るとき
「確かに」と言っていませんか?

洋服のサイズを直してもらって、
試着したときに「大丈夫です」と言ってしまっていませんか?

そんなあなたは、大事な言葉を忘れてしまっています。
それは、「素晴らしい」という言葉です。
「素晴らしい」という言葉です。
「素晴らしい」こそ、感動を呼ぶ呪文なのです。

受け取るときに「素晴らしい」と言おう。


中谷 彰宥著
「小さな運命を変える50の小さな習慣」より

vol. 3674
「あと3秒早く、こちらから挨拶しよう」  (2012/11/13 [Tue])
 挨拶の上手な人は、相手が気づく前に名前を呼び、
ふりむいたら、ニッコリ笑って挨拶をする。

 挨拶をする時、ついタイミングを外してしまっていませんか?
ほとんどの場合、挨拶が中途半端になるのは、早すぎるのではなく、
ちょっと遅れてしまうことが原因です。

 向こうから、あなたの知っている人がやって来た。
相手の人はまだあなたに気づいていません。
そういう時、相手の人があなたに気がついてから、
声をかけようとするから、タイミングが遅れてしまうのです。

気がつかないうちに、名前を呼んで、声をかけるのです。
そして、相手の人があなたに気がついたら、挨拶をするのです。

3秒だけ、挨拶をするタイミングを早くするのです。
そうすれば、3秒長い挨拶ができるのです。

中谷 彰宏著
「運命を変える50の小さな習慣」より

vol. 3673
「豪華なものより、ずっと大切なもの」  (2012/11/12 [Mon])
 仏さまの説話から「長者の万灯より貧女の一灯」
というお話を紹介いたします。

昔々、インドのある町に一人の貧しい女性が住んでいました。
ある日、その町にお釈迦さまがお越しになり、
説法をしてくださることになりました。
町の長者たちはこぞって油を買い、
お釈迦さまのために豪華な万灯を灯しました。

 「私もお釈迦さまのお役に立ちたい」と、貧しい女性は、
自分の大切な髪を売り、わずかな油を手に入れ、小さな一灯を灯しました。
そして、お釈迦さまがお弟子を連れて町に近づいて来られました。

すると、突然、強風が吹き荒れ、たくさんあった灯明は皆消えてしまい、
町は暗闇に包まれてしまいました。しかし、たったひとつ、
あの貧しき女性の火だけは決して消えることはありませんでした。
そして、真心のこもったその小さな光は、お釈迦さまご一行を、
無事に町へと導いたのでした。

 現代の社会は、効率のよさ、合理性などを重視し、
それに沿った能力の有無で、人の価値を決めてしまいがちです。
しかし、それだけで、本当に人の価値は決まってしまうのでしょうか?
私たちは、この社会の中に合って、
「大切な何か」を忘れてはいないのでしょうか?

 私もサラリーマン時代、様々な人たちと仕事をしてきましたが、
仕事をこなせる人間=人として立派な人間ではないことを、
さんざん思い知らされました。つまり現代社会は能力が高いだけで、
それに人徳が備わっていない人間があまりにも多すぎるのです。

 人として尊敬できない人の下で働いている人たちが
その中で過剰にストレスを溜めこみ、現代病を患ってしまうのです。
これはまさに、この複雑で多様化しすぎた
社会が生んでしまったゆがみなのです。

 この「貧女の一灯」というお話……。
強風によって、町の長者たちの万灯は皆消えてしまったが、
貧しき女性が、お釈迦さまのために、自分の髪を売って、
灯した小さな一灯だけが、いつまでも消えなかったという……。
これは大金をかけたものよりも、わずかでも真心の
こもったもののほうが尊い、というたとえです。

 このたとえを現代社会に置き換え、私たちは、
何を学んだらいいのか?それは……、
たとえどんな社会的弱者であろうとも、その社会的地位や、
能力の高さ低さに関係なく、真心だけは持てるということなのです。
そして、それこそが、人として最も尊い宝だということです。
だから今、自分がどのような状況にあろうとも、
すべてを失ったとしても、「自分にはまだ、
真心という宝物があるじゃないか」と
胸を張って生きていいのではないでしょうか。

この真心さえ、しっかり抱いていれば、
人としての誇りを失うことは、決してないのです。

 年々、複雑化・多様化していく、このストレス社会の中で、
今、本当に求められる心、それは、真心です!


太陽出版 望月泰彦著
「そのままで大丈夫」より


vol. 3672
「不器用でいい」   (2012/11/10 [Sat])
 仏さまの説話から「周利槃特(しゅりはんどく)」と
いうお話を紹介いたします。

『お釈迦さまの弟子に周利槃特という者がおりました。
彼は、弟子の中で一番物覚えが悪く、
自分の名前さえ忘れてしまうほどでした。

他の弟子たちにバカにされていた周利槃特は、
自分のダメさ加減が情けなくなり、
お釈迦さまに「私はあまりにも出来悪いので、
ここにはもういられません」と言いました。

 そのとき、お釈迦さまは周利槃特を諭すようにおっしゃいました。
「自分を愚かだと思っている人は、愚かではない、
自分のことを賢いと思い込んでいる者こそ、本当は愚かなのだ」
そしてお釈迦さまは、彼に、修行として掃除することを課しました。
さらに、掃除をしながら
「塵を払い、垢を除かん」と称えるように言いました。

 「これなら、私にもできそうです」と周利槃特は、
お釈迦さまに言われた通り、一心に掃除をしました。
一年が経ち、二年が経ち、気がつくと何十年という時が
経っていました。それでも彼は、お釈迦さまを信じて、
この修行をひたむきに続けました。
最初はバカにしていた他の弟子たちも、
しだいに彼を認めるようになりました。

 そしてある日、彼は、掃いても掃いてもいっこうになくならない
この塵と垢の姿こそが、人間の心の中にある煩悩そのものだと
いうことを悟ったのでした。そして、これこそが第一の悟りの境地であり、
この修行を一筋に貫いた周利槃特は誰よりも早くこの境地に
達したことを、お釈迦さまに認めていただいたのです。

 世の中には、何をやっても人よりも劣っている人間、
何をやっても不器用な人間が存在します。
それは、先天的なことからくるものが強く、どうにかしたくても、
どうにもならないものなのです。かくゆう私自身が、
まんまそのものですので、これまでかなり、
自分自身の不器用さに苦労してきました。
学生時代も、成績はそこそこでしたし、サラリーマン時代も、
できのいい社員ではありません。修業時代も、劣等生でした。
そんな不器用な自分が嫌いな時期もありました。

 しかし、どうあがいたところで、それが、ありなままの自分の姿であり、
それを受け入れて生きていくしかないのです。
だから、この周利槃特のお話は、まるで、
自分のことのように思ってしまいます。このお話は、
私のような不器用な人間の模範となるものです。

 昨今、せっかく就職しても三年以内に離職してしまう人が
増えていると聞きます。しかしながら、たとえ離職しても、
人生が良くなることは稀なのです。なぜなら、今は、
何の仕事についても、何かしらの困難がつきまとうからです。
確かに目の前の現象だけにとらわれてしまうと
人生が嫌になってしまいます。嫌なことが毎日のように続けば、
誰だって、そこから逃げたくなります。

しかし、つらいから逃げるのではなく、逃げるから、
より辛くなるのです。不器用でいいんです。
人より劣っていたっていいんです。それがどうしたっていうんですか!
世の中には、大器晩成と言って、苦労した経験をいかして、
のちのち素晴らしい人生を手にする人だって多いのです。
それは、耐えがたきを耐えた結果なのです。

今すぐに、活躍できなくたっていいんです。人生は長い!
決して焦ることはないんです。上手くいかなくてもいい。
人間、苦しんだ数だけ成長しているんです。
挫けそうになったときこそ、己の内面を磨く最大のチャンスなんです。
その経験こそが、のちのち人生の宝となるんです。
才能がなくていい!能力が低くてもいい!
仏さまは、あえてそういう試練を与えてくださったのだと、
私は、信じています!

不器用な人間が、ひたむきに生きるからこそ、そこに感動が生まれる!!


太陽出版望月泰彦著
「そのままで大丈夫」より

 

vol. 3671
「同じ条件下であっても」  (2012/11/09 [Fri])
 仏教の逸話から「地獄の国と仏の国」というお話を
紹介いたします。

昔、ある者が地獄の国の食事を覗きに行きました。

テーブルの上には御馳走がズラリと並んでいました。
しかし、それを食する方法は、1メートルあるような
大きなスプーンしかありませんでした。

目の前にご馳走があるにもかかわらず、誰一人、
スプーンが長すぎるため食べることができまず、地獄の住人は皆、
骨と皮ばかりにやせこけ、常にイライラが絶えませんでした。

次にその者は、仏の国の食事を覗きに行きました。
しかし、そこも地獄の国の食事と同じく、テーブルには
1メートルもあるような大きなスプーンしかありませんでした。

 ところが、仏の国の方々、その大きなスプーンを使い、
向かい合った相手に、お互いにご馳走を食べさせあっていたのでした。
仏の国の方々は皆、歓びに満ち溢れ、常に笑顔が絶えませんでした。


私たちは、とかく物事がうまくいかない理由を、
環境や他のもののせいにしてしまいがちです。

確かに今、生きづらい世の中であることは間違いありません。
しかし、「すべて世の中が悪いんだ」といったところで、
自分自身の人生が、よくなるわけではありません。

同じ条件下にあって、人間には二つの生き方があるのです。
それは、今ある状況を嘆くだけの人生と、
今ある状況を生かす人生です。

つまり、物事のマイナス面ばかりにとらわれ、
「この状況じゃ何をやってもダメだ」と思うか?
それとも、その中にあるプラス面を見出し、
「この状況の中でしか学べないことがある」と思うか?
それによって人生は変わってくるのです。

地獄の国の食事と、仏の国の食事は、まったく同じ条件でした。
しかし、その心の在りようによって、地獄となるか、浄土となるか、
決まってしまいました。

同じように私たちも、今ある環境の中で、
どのような心持で生きるかによって、
そこが地獄となるか浄土となるかが決まってしまうものです。

たとえば、ある職場で不満があって転職しても、
そこには、また新たな不満が生じてしまうのです。
結局、堂々めぐりです。

自分の都合にあった完璧な職場なんて、どこにもないのです。
それよりも、まず、今ある環境の中で、自分が学べる事が
きっと、あるはずです。そこの意識を向けて生きましょう。

その環境でしかできないことが必ずあります!

そこが、地獄となるか、浄土となるかは、自分しだい!


太陽出版 望月泰彦著
「そのままで大丈夫」より





「人は染められやすきもの!」  (2012/11/08 [Thu])
 仏さまの説話から「捨て縄の教え」というお話を紹介いたします。

 『ある日、お釈迦さまが弟子たちを連れて歩いていると、
道に一本の縄が落ちていました。お釈迦さまは、
弟子の一人ににおいを嗅ぐように言いました。
弟子は「この縄は、嫌なにおいがいたします。
生臭い魚のにおいです」と答えました。

 しばらくすると、今度は一枚の紙が落ちていました。
お釈迦さまは、同じようににおいを嗅ぐように言いました。
弟子は、「これは、とてもよい香りがいたします。
芳しいお香のにおいです。と答えました。

 そこでお釈迦さまは、諭すように、
「縄も紙も、最初からそのようなにおいがしていたのではない。
縄は、魚と縁を結ぶことで、生臭くなり、紙は、
お香と縁を結ぶことで、良い香りになったのだ。
人もまた知らず知らず、交わる人によって善くもなり、悪くもなるのだ。
交わる友は、心して選ばなければならない」と教えられました。』

 「自分の人生を変えたい」と思っている人は、多いと思います。
しかし、現実には、何も変わらない毎日が続いてしまっています。
どうしたら変えられるのか?そのひとつの答えのとして、
つきあう人や仲間を変えてみるということが言えます。

 私たちは、互いに影響し合って生きています。
つきあう人間によって、私たちは、向上したり、
逆に悪影響を受けたりもするのです。
たとえ、もともと善き資質を持った人間であっても、悪しき友によって、
人生を壊してしまう人もいれば、すばらしい縁によって、
人生を飛躍させる人もいます。

 私も、お寺の長男としてこの世に生を受けながら、
仏教には、まったく関心がありませんでした。
しかし、修行時代、良き恩師、よき指導者に恵まれて、
仏教の素晴らしさ、尊さを体感し、僧侶として、
高い志しを持つことが叶いました。

 信仰に対しては、とても厳しい姿勢を持った恩師でしたが、
その奥底には、慈悲の心が溢れていました。
私たち修行僧を、「よき僧に育てたい」というお気持ちが、
全身に伝わってきたのです。私は、その恩師の期待に報いるべく、
これまで頑張ってきました。もしも、違う方に指導してもらったならば、
私はまったく違う僧侶になっていたと思います。
まさに恩師とのご縁が、私の人生を変えたのです。

 人生には、二つの勇気が必要となります。
ひとつは悪しき縁を絶つ勇気!そして、もうひとつは
良き縁をみずから求める勇気!この勇気を持てれば、
人生は好転していきます!


太陽出版 望月泰彦著
「そのままで大丈夫」より

vol. 3669
「悲しみを乗り越えるための言葉」  (2012/11/07 [Wed])
 仏様の説話から「キサー・ゴータミー」というお話をし紹介いたします。
『昔々、インドのある村に、キサー・ゴータミーという一人の女性がいました。
彼女は、結婚して間もなく、かわいい男の子を授かり、
大切に育てていたのですが、男の子が歩き始めた頃、
悲しいことに男の子は病で突然、逝ってしましました。
 
 彼女は、その事実を受け入れることができず、男の子を蘇らせようと、
必死に方々を訪ねてまわりました。
彼女は最後にお釈迦さまに助けを求めました。

 お釈迦さまは、彼女にこう諭しました。「この村の家々を訪ねて、
まだ一人も死者を出したことのない家から、ケシの実をもらい、
それを子に与えるのだ。そうすれば、その子は甦るであろう」

 彼女は喜び勇んで、村の家々を回りました。ところが……。
どの家に行っても、「ウチは、昨年お祖父さんを失くしたばかりですよ」
「ウチは、次男が生まれてすぐ亡くなってしまったんだよ」
「ウチは、亭主を失くして、女手ひとつで子供を育てているよ」などなど……。
死別の悲しみと無縁の家は、ただの一件もありませんでした。

 そこで初めて彼女は、自分だけが悲しい思いをしているのでは
ないことを悟り、男の子の死を受け入れ、
お釈迦さまの弟子になったのでした。』

 私たちは一生のうち、様々な悲しみを経験します。家族との別れ、
恋人との別れ、ペットとの別れなど、二度と会うことのできない別れに、
どめどなく涙を流すこともあるでしょう。
私もこれまで、たくさんの悲しみを経験しました。家族を亡くし、
親類を亡くし、友人を亡くし、職場の同僚を亡くし、愛犬を亡くし、
そのたびに、涙が溢れました。

 しかし、いくら悲しんだところで、失ってしまったものを
取り戻すことはできないのです。人によって、深い悲しみから立ち直る人、
いつまでも引きずってしまう人、様々です。
本来、悲しみというものは、時間が癒してくれるものです。
それなのになぜ、引きずってしまうのか?それは、
時間によって悲しみそのものは癒えていても、まだ、
孤独感が残ってしまっているからです。

 では、孤独感を拭い去るためには、どうすればいいのか?
ロングフェロー氏の言葉にこのようなものがございます……。
「雨は一人だけに降り注ぐわけではない」つまり、
孤独感を持つ人の心の中は、「自分だけが……」
という思いでいっぱいなのです。
これが過った自分自身の思い込みなのです。
ここを改めていけばいいのだと思います。

 つまり、「自分だけがつらい」を、「自分だけがつらいんじゃないんだ」と
思うと、気持ちがラクになるんです。もう孤独じゃなくなります。
悲しい目に合えば誰だってつらいんです。
しかし、悲しむだけ悲しめば、いつかきっと時間が、
悲しみを解いてくれます。皆、そうやって悲しみを乗り越えて
いっているんです。孤独感でいっぱいになったときは、
この言葉を唱えましょう……・

 自分だけがつらいんじゃない!

太陽出版望月泰彦著
「そのままで大丈夫」より


 

vol. 3668
「退屈な人生から脱却するには?」  (2012/11/06 [Tue])
こんな質問をいただきました……。
『私は、会社勤めをして、かれこれ二十年になりますが、
もはや出世街道からも外れ、毎日、目標もなく、
惰性で仕事をしています。まったくモチベーションが上がりません。
そんな惨めな毎日から脱したいのです。
何か良い方法はありますでしょうか?』

 人間、やる気満々で、毎日を生きている人もいれば、
逆に、惰性でつまらなさそうに生きている人もいます。
当然、誰だって、やる気を出して、
いきいきと毎日を過ごしたいに決まっています。

しかし、人間の気持ちというものは、
そう簡単にどうにかなるものではありません。
やりたくもないような仕事を、やる気を出してやれ
というほうが難しい話です。かといって、
そのまま虚しく人生を送るのは、あまりにも寂しすぎます。

 誰の人生だって、一度は輝いていたときがあるはずです。
その輝きを、もう一度取り戻すことはできないのでしょうか?
そもそも、なぜ、やる気が損なわれるのでしょか?
それは、「生活のために仕方なくやっている」
「生きるためにしょうがなくやっている」
という意識が強くなってしまっているからです。

 この仕事に対する気持ち、仕方ない、しょうがないが問題なのです。
つまり、仕事をする動機が消極的過ぎるのです!
これが、やる気を失わせている原因です。
では、そうすればいいか?それは、
「○○のためにやっている」の○○を消極的なものから、
もっと積極的なものへと変換すればいいのです。

 例えば、「生活のためにやってる」では、
「やりたくないけど、生活のために仕方なくやっている」
になってしまい、やる気も失せます!しかし、
これを「家族を守るためにやっている」に変換すれば、
「自分は大切な家族を守るために、毎日闘っているんだ」
という積極的な気持ちになります!

 他に例を挙げれば「生きるために、しょうがなくやっている」を、
「自分自身を磨くためにやっている」に変換すれば、
「たとえ、向いていない仕事で合っても自分を
成長させるための試練なんだ」とプラスに考えられます。
「しょうがなくやっている」「仕方なくやっている」をやめて、
もっと自分にとってプラスとなるものに、
動機を転換すれば、モチベーションが上げられるのです。

人生は、一日一日の積み重ねです!今日は昨日の結果であり、
明日は今日の結果となります。つまり、今日をどう生きるかで、
明日の自分自身のあり方が変わるのです!
やる気なく惰性で生きるか!いきいきと今日一日を過ごすか!
すべて、自分の気持ちひとつです!自分は何のために、
生きているのか!もう一度、見つめ直してみませんか!

 やる気は、動機から湧き起こる。

太陽出版望月泰彦著
「そのままで大丈夫」より

vol. 3667
「他人は自分の鏡」  (2012/11/05 [Mon])
 こんな質問をいただきました……。
『私は、他人の欠点が気になって仕方がありません。
それが原因で疲れてしまいます。
どうしたら、気にならないでしょうか?』


 人の欠点というものは、気になるものです。
逆に、気にならない人のほうが不思議なくらいです。
なので、実は、気になるか、気にならないかということが
問題ではないのです。気にして大いに結構です。
ただし、問題となるのは、気にし方です。

 人の欠点を「許せない」と考えるのは、悪い気にし方です。
相手を責めてしまうことで、自分で自分を精神的に
疲れさせてしまうのです。どれだけ心の中で責めようとも、
人は根本的に変わらないのですから。

 では、良い気にし方とは何かというと、
人を自分の鏡としてみることです。つまり、人の欠点は、
自分自身の欠点を教えてくれているんだ、と考えることです。
例えば、すごい短気な人に理不尽に怒られたら、
誰だって嫌な思いをしますよね。

 しかし、自分にも多少なりとも、怒りっぽい性質がある!
それを教えてくれているんだ!ととらえれば、
自分が人に対して同じようなことをしそうになったとき、
自制することができます。人に、嫌な思いをさせずにすむのです。

 「人の振り見て我が振り直せ」のことわざのごとく、
人の欠点とは実は、自分自身を省みるチャンスなのです。
「こういうことをしてはいけないんだ、気をつけよう」
と教えてくれているんです。

 人間、自分が嫌な思いをすることで、身を持って体験することで、
人として、成長できるんです!それがなければ、知らず知らず、
自分も人に、嫌な思いをさせてしまうのです!なので、
他人の欠点は気にしたほうがいいんです!

 他人の欠点は自分の欠点でもある!

太陽出版望月泰彦著
「そのままで大丈夫」より

vol. 3666
「すべてが表裏一体」  (2012/11/04 [Sun])
こんな質問をいただきました……。
『私は、欠点だらけの人間です。そんな自分の性格が嫌でたまりません。
どうしたら、そんな自分のことを好きになれるでしょうか?』

 人間の性格は、変えようと思って、
簡単に変われるものではありません。
無理に自分でない自分に変えようとすれば、
その副作用みたいなものが出てしまい、結局、
自分自身を苦しめる結果になってしまいます。
なので、自分を変えようとせず、まず、
ありのままの自分を受け入れることから始めて欲しいのです。

 自分自身を好きになれないという人は、共通して、
自分の欠点を、短所としてとらえてしまう傾向にあります。
ここが、大きな間違いなのです。人間の欠点とは、
決して短所とは限らないのです。欠点とは、個性です。
自分にしかないオリジナリティなのです。

 ではなぜ、短所として、マイナスにとらえてしまうのか?
それは物事の一面しか見ていないからです。
どんなものも、すべて二面性を持っています!
表と裏、光と闇、柔と剛、白と黒、上と下、右と左、
前と後、などなど……。自分の欠点と思えるような性格も、
視点を変えれば、短所ではなく長所となりえるのです。

例えば、ひとつのことに集中できない性格の人は、
そこだけ見れば、間違いなく短所です。しかし、その反面、
いろんなことを同時にいくつもこなせるという性質も持っているのです。
それをいかせば、欠点と思えた自分の性格も長所となるのです。

自分はひとつのことに集中できない人間だ!で終わってしまえば、
自分のことは好きにはなれません。しかし、自分は、
ひとつのことに集中できない人間だ!%uE3809Dけど%uE3809F
いろんなことを同時にいくつもこなせる人間だ!
と続ければ、自分のことを好きになれると思うのです。

 他に例を挙げれば、
短気だけど、仕事をこなすのは早い人間だ
地味だけど、奥ゆかしい人間だ
弱いけど、人には優しい人間だ
話はへただけど、聞き上手な人間だ
平凡だけど、癒し系の人間だ
自己主張は強いけど、表裏がない人間だ
不器用だけど、ひたむきな人間だ
などなど……。

このように人間の性格は、二面性を持っています。
一面だけみるのをやめて、両面を見ることができれば、
ありのままの自分を好きになれます。

この世に[自分]という人間は、たった一人きりです!
一度きりの人生を自分のことを嫌いになったら、
もったいないです!自分のことを嫌いになりそうになったら、
[けど]という接続詞を使って、
自分にはもう一面があることに、気づきましょう。

×××だ。けど、○○○だ!

太陽出版望月泰彦著
「そのままで大丈夫」より


vol. 3665
「経験こそが、かけがえのない宝」  (2012/11/03 [Sat])
 こんな質問をいただきました……。
『私は、若い頃から自分に自信が持てず、何をやってもダメな人間です。
そんな自分が情けなくなります。いったいどうすれば、
自分に自信が持てるようになるのでしょうか?』

 世の中には、自信満々に明るく生きている人、逆に、
自分に自信が持てずにいつも憂鬱に過ごしている人、
人それぞれ様々です。誰だって自信を持って、
胸を張って生きていきたいです。ですが、自分に自信がない
人間にとって、それはそうたやすいことではないのです。

 しかし、よくよく考えると、自分に自信がない人には共通して、
ある特徴がみられるのです。それは何かというと……、
何ひとつ極めたことがないことです。つまり換言すると、
何をやっても中途半端に終わるということになります。

 私も元来、不器用な人間で、なかなか自分に自信を
持つことができませんでした。何をやっても中途半端な人間でした。
しかし、僧侶となるために、長期間の修行に臨み、
それを最後までやり遂げた経験が、
自分自身の大きな自信となりました。

 それ以後は、人生において、何か困難にぶつかっても、
「あの修行をやり遂げられたのだから、
今回もきっと乗り越えられる!」と自分自身に言い聞かせ、
自信を持って、立ち向かっていくことができるようになったのです。

 つまり、自分に自信を持つために必要なことは、何かというと……、
それは、ズバリ、何かを最後までやり遂げる経験です!
結果を残すことではなく、最後の最後まで食らいついていくことこそ、
あとあと自信につながるんです。

まさに経験こそが宝なのです!
大きなことじゃなくてもいいんです!どんな小さなことでもいいんです!
最後までやり遂げるんです!その経験を繰り返すことこそが、
自分自身の自信の源となるのです!

 自分にもっと自信を持ちたいのなら、仕事でもいい、
趣味でもいい、余計なことは考えずに……

最後までやりとげること


太陽出版望月泰彦著
「そのままで大丈夫」より

vol. 3664
「心をムチで叩く!」  (2012/11/02 [Fri])
こんな質問をいただきました……。
『私はプレッシャーに弱い人間です。
どうしたら、自分に襲いかかるプレッシャーに対して、
強い心をもって立ち向かうことができるでしょうか?』

 人生、何事もなく、平穏に物事が進んでくれればいいのですが、
ときとして、予期せぬ障害や窮地に立たされることがあります。
そんな状況に追い込まれると、人間は強いプレッシャーを感じ、
どう対処していいのかわからなくなり、うろたえてしまいます。

 しかし、そこから逃げたところで、また、新たな障害に遭遇し、
同じことの繰り返しになってしまいます。それに立ち向かい、
克服することでしか、その先に進めないことだってあります。
自分自身の弱さに打ち勝つためには、どうすればいいのか?

 私は、こんなとき、自分自身の心にムチをいれるために、
ある言葉を言い聞かせます。
それは、「こんなときこそ、試されている」という言葉です。
窮地に立たされてときや、プレッシャーに自分が負けそうに
なったとき、こんなときこそ……という言葉を言い聞かせると、
自分を発奮させ、マイナスをいっきにプラスに転換できるんです。

挫けそうになったとき、困難に立ち向かう勇気を、
もう一度、蘇らせることができるんです。
この言葉は、まさに、心へのムチなんです。

 さらに私は、気持ちが前向きな兆しになってきたら、
二つ目のムチとして、「やれる!やってやる!」と
言い聞かせます。これがとどめの言葉です。
ここまで来れば、プレッシャーを逆に、
自分への潤滑油にすることが叶います。

 人間は常に、自分の中の弱い心と闘いながら
生きているようなものです。
しかし、それは、人として成長するための必要な過程なのです!
乗り越えた向こうには、きっと、美しい夜明けが待っています。
プレッシャーを自身の成長につなげましょう!
プレッシャーに打ち勝つたこのふたつのムチを心に打つことです。

 こんなときこそ、試されている!
 やれる!やってやる!!



太陽出版望月泰彦著
「そのままで大丈夫」より

vol. 3663
「現実に負けないための言葉」  (2012/11/01 [Thu])
 こんな質問をいただきました……。
『苦しい現実に、自分の心が負けそうになってしまったとき、
力を与えてくれるような言葉、何かありますでしょうか?
あったら教えてください。』

私も心の弱い人間です。ちょっとしたことで、
すぐ挫けそうになってしまいます。それでも私は、
ここまで生きてきました。決して強くなったわけではありませんが、
生きる中で、身につけた知恵があるんです。

 今回は、私が苦しいとき、つらい現実に弱音を吐きそうなとき、
必ず口にしている言葉を紹介いたします。
人はとかく、つらく苦しい出来事をマイナスにとらえてしまいがちです。
しかし、実はその中にもプラス要素があり、
そこに目を向けることによって、
自分の気持ちを前向きに持っていけるんです。

 つらく苦しい現実に自分の心が負けそうなとき、
その中のプラス要素に気持ちを持っていくための言葉……それは、
「しかし、だからこそ」です。
この「しかし、だからこそ」という言葉は、
マイナスをプラスに転換する力を秘めています。

 百聞は一見にしかず!いくつか例を挙げてみます。

私は、人間関係に苦しんだ……
しかし、だからこそ、人に優しくすることを学んだ!

私は、闘病生活を強いられた……
しかし、だからこそ、健康の有り難さを知った!

私の人生は、挫折の連続だった……
しかし、だからこそ、どん底から立ち上げる力を持った!

以上、こんな感じです。

人は自分の身に悪いことが降りかかると、
ネガティヴな方向に心を奪われてしまいがちです。
しかし、その中にあるプラス要素に気づき、
そこに自分の意識を集中させることによって
その悪循環の渦から脱することが叶います!

無理に強くならなくていいんです。
弱いままの自分でいいんです。
心の強さ、弱さの問題ではなく、そこにある光に気づくか、
気づかないか、どこが問題です!!強さに変わる智慧を!

 ネガティヴをポジティヴに変換する言葉……

しかし、だからこそ

人生、いいことばかりじゃないです!
皆、そうです!自分の心持ちを変えていくしかない。


太陽出版望月泰彦著
「そのままで大丈夫」より

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