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2012年12月

vol. 3919
「人を傷つけていませんか?」  (2012/12/30 [Sun])
 「わずかなことが人を喜ばせる。なぜなら、
わずかなことが人を悲しませるから」
これはパスカルの言葉です。

 自分にとっては何でもない言葉が、
相手を傷つけることがありあます。
 だから人間関係は難しい。

落ち込んだ時は、敏感になる私たちです。
「こんなことを言ってはダメだ」と意識しているうちはいいのです。

怖いのは、気がつかないうちに、人を傷つけていること。
小さい種がやがて大きな樹となります。

意識しないものほど大切に、
小さなことほど気をつけたいものですね。



川村妙慶著
「心の荷物をおろす108の知恵」より

vol. 3918
「会話のコツ」  (2012/12/29 [Sat])
 元プロ野球選手からうかがったお話です。
 野球の基本は「キャッチボール」ですが、
たとえば壁に向かって、毎日ひとりでキャッチボールしても、
上達するどころか肩を痛めやすいのだそうです。

 そうではなくて、常に人に向かって、相手の呼吸に合わせて、
取りやすい球を投げてあげること。
それが上達への早道だと言います。

 会話にも同じことが言えます。
相手の言葉をしっかり受け止めて、
そして返す、という作業が大切。

 
何をするにも、相手があってのことなのです。


川村妙慶著
「心の荷物をおろす108の知恵」より

vol. 3917
「自分の基準で人を判断しない」  (2012/12/28 [Fri])
私たちは「善と悪」を基準に、ものごとを判断しがちです。
でも、こんなことはないでしょうか。

たとえば、嫌いと思った人が親切をしてくれたとします。
そうすると、それまで嫌いだった人が、
一瞬でいい人になりかわってしまうのです。
それくらい、私たちの善悪はあやふやです。

 親鸞上人は「煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界は、
「よろずのこと、みなもって、そらごとたわごと、まことあることなし」
(「歎異抄」後序より)と言われました。

 私たち人間は、すぐにカッとなったり、ムッとしたり、
嫉妬や妬みにもかられがちな凡夫であり、
私たちの住む世界もまた、まるで火のついた家のように
危険や迷いに満ちた無情の世界です。

 こうした世界を、煩悩にふりまわされて生きる私たちのいとなみは、
あらゆることが虚構のように空しく、
まことの事実など何ひとつないのだ、と言っています。

 だからこそ、自分を基準とした色めがねで
人間を判断してしまうのではなく、煩悩にまみれた自分自身を、
しっかり自覚することが大切なのです。

 何もかも決め付けるのではなく、固くなった自我の心やエゴを、
そっともみほぐしてあげましょう。


川村妙慶著
「心の荷物をおろす108の知恵」より

vol. 3718
「心の目を開くと真実が見える」  (2012/12/27 [Thu])
 私たちは、平和で汚れのない、清らかな世界を求めます。
しかし、自分を棚に上げて、まわりにばかり
平和を求めていないでしょうか。


また、「自分は平和主義なのに、おかしいのはまわりだ」
と考えていないでしょうか。
 たいせつなのは、自分の心に、


平和というものがあるかどうかを確認することです。
まずは心を開きましょう。そして肉体だけの目ではなく、
心の目を開きましょう。自分の考えを強くすると何も見えてきません。


人間の心眼をくもらす欲情を「無明」と言います。
心の目が開かれたとき、はじめてまわりも認めることができるのです。
こうした心に光をあててくださるのが仏さんなのですよ。


川村妙慶著
「心の荷物をおろす108の知恵」より

vol. 3717
「争いの原因」  (2012/12/26 [Wed])
 「私は良いことをしているのに、なぜわからないの?」
こうした主張ほど、よく争いの原因になるものです。

 しかし、「相手のためによかれと思ったこと」が
本当に良いことだとは限りません。

 また、「良いことをしている」という気持ちが強すぎると、
相手もしんどくなるものです。

だからこそ、「これは相手にとって必要なことなのかな」
という問いかけが大切なのですね。


川村妙慶著
「心の荷物をおろす108の知恵」より

vol. 3716
「勝ってはダメ」  (2012/12/25 [Tue])
 議論では勝ち負けは関係ありません。
お互いの気持ちが伝えられればそれでいいのです。

感情論ではなく、意見交換する中でお互いが何かに気づく、
ということが大切です。

議論は勝ったらダメなのです。
勝つためではなく、
わかってもらうためのものなのです。


川村妙慶著
「心の荷物をおろす108の知恵」より

vol. 3715
「怨みかえさない」  (2012/12/24 [Mon])
先日、福岡で法話のご縁をいただきました。
タクシーで博多駅に向かう途中、運転手さんと
仏教の話題で盛り上がりました。

すると、さっきまで明るく話していた運転手さんが、
「じつは私は、目の前で父親が射殺されたのです。
今は犯人を殺すことしか考えていません」
とおっしゃったのです。

本来なら、仕事中にあまり個人的な会話はしないものですが、
人生にはいろんなことがあるものだと考えさせられました。

しかし、これも縁です。「犯人に仕返ししたい」という
気持ちを私なりに理解させていただきながら、でも、
「恨みだけで終わってほしくない!」
「自分の人生をどう過ごすのかを考えてほしい」
など、いろいろお話をさせていただきました。

 以前読んだ本に、こんなことが載っていました。
第二次世界大戦が終結し、敗戦国となった日本に、
各国から賠償請求があった中、
スリランカ(当時はセイロン国)は損害賠償を放棄したといいます。
そのときの演説には、お釈迦さまの言葉が引用されたそうです。

「もろもろの怨みは怨み返すことによっては、決して鎮まらない。
もろもろの怨みは、怨み返さないことによって鎮まる。
これは永遠の真理である」 (ダンマパダ)

「怨みは怨みで返す」ということが、
どこかで納得されつつある世の中です。

しかし、正論を言うようですが、
これは大きなあやまちであることに気がつかなければなりません。
怨みはまたつぎの怨みを生みます。

暴力や戦争では何も伝わりません。
運転手さんが「私は怨んでます」と正直な気持ちを話してくれたこと。
そこから彼の出発があるのですね。

 国の問題となると時間もかかるのでしょうが、
その前に、私たち人一人ひとりの問題として、
心を込めて考えていきたいものです。


川村妙慶著
「心の荷物をおろす108の知恵」より


vol. 3714
「「我」をもみほぐしましょう」  (2012/12/23 [Sun])
 秋とともに深まるのは紅葉です。
では、人間が年を重ねるごとに深まっていくものはなんでしょう?
それは「我」なのです。

あの人には負けたくない、あの人にはバカにされたくない。

「戦」という字と、「我」という字の右側を見てください。
「戈(“ほこ”という武器)」という、人を傷つける字がついています。

つねに自分を都合よく守りながら、
他人を攻撃しているのが「我」なのです。

「私もたいへんだけど、あの人もたいへん」と、
自分も他人も認めていきましょう。

親鸞上人は「我」を取り去りましょうと言っているのではありません。
年齢とともに固くなっていく「我」を、
もみほぐしましょうと言っています。

車に車検があるように、「我」も点検しましょう。それが仏教なのです。



川村妙慶著
「心の荷物をおろす108の知恵」より

vol. 3713
「悪口を言うと自分も傷つく」  (2012/12/22 [Sat])
 人はなぜ悪口を言ってしまうのでしょう。

曇鸞大師は、その心を「傲慢心」と言っておられます。

自分の考えは正しいという思い上がりから来る心です。

 悪口は、口の業のひとつです。相手も傷つけますが、
じつは自分も傷ついているのです。

なぜなら悪口を言っている自分の心は乱れているから。

そんなときは、胸の前で静かに合掌しましょう。

そっと阿弥陀さんが問いかけてくれます。


川村妙慶著
「心の荷物を下す108の知恵」より


vol. 3712
「話し方が上手な人が魅力的とは限らない」  (2012/12/21 [Fri])
話し言葉、トークが上手な人が、
おもしろくて魅力的な人とは限りません。
言葉が大切だと思えば思うほど、
なかなか口に出てこないという人もいるでしょう。

そう言う人は、世間では「損」ををするかもしれません。

 たいせつなのは、聞こえた言葉に左右されるのではなく、
自分に接してくれる表情、目、雰囲気そのもの見ていけるかどうかです。
 
言葉だけにこだわるのではなく、ひとそのものを見て行きたいものです。


川村妙慶著
「心の荷物をおろす108の知恵」より

vol. 3711
「詫びることの大切さ」  (2012/12/20 [Thu])
 「ごめんなさい」このあたり前のひとことが、
なかなか言えないものです。いえないばっかりに、

それが大きな憎しみに発展してしまう。
また、形の上で詫びたとしても、内心では
「自分だけが悪いのではない」とつい思いがちです。


私たちは、自分の考えを中心にした「あたり前」から、
なかなか逃れられません。

しかし、気づかないところで、
私たちはいつでも多くの人のお世話になっています。

迷惑もかけているものです。自分ひとりで何とかなっているというのは、
ただの思い過ごしです。
詫びるとは、「こんなにいろんな人にお世話になり、
迷惑をかけていたなんて知らなかった」とその事実に頭が下がることなのです。

川村妙慶著
「心の荷物をおろす108の知恵」より

vol. 3710
「いい人」になろうというのは思い上がり」  (2012/12/19 [Wed])
 「いい人」になることが、仏教の教えと思っていました。

しかし、いい人になりたいというのが、そもそも思い上がりなのです。

私は「いい人にならなくてもいいよ。
人間というものは、立派になって助かるんやない。
愚者になって助かるんです」と先生から学びました。

い人になりたい、しかし心はなれない……。
そんな自分に限界を感じたとき、阿弥陀さんの前に座りました。
私もまた、悩みながら、矛盾だらけの人生を生きています。


川村妙慶著
「心の荷物をおろす108の知恵」より

「本当の孤独とは」  (2012/12/18 [Tue])
 人は、つながりやぬくもりを求めています。
私たちが一番辛く悲しいのは、自分の存在が無視されたとき。

また、自分がここにいることに気づいてもらえないとき。

私たちが最も孤独を感じるのは、人里離れた山の中ではなく、
自分の声が届かない、雑踏の中にあるのかもしれません。


川村妙慶著
「心の荷物をおろす108の知恵」より

vol. 3708
「隣人の受け入れ方」  (2012/12/17 [Mon])
 友人のドクターによると、人間はだれしも何らかの病をもっていて、
たとえば「自律神経失調症」は、誰にでも当てはまる病だそうです。

人間は同じ気分では生きられません。
イライラしたり、ご機嫌だったり、いろいろです。

もっとやっかいな病があります。
「言いたい病」という病です。
子供の顔を見ると「勉強しなさい」、若い人を見ると
「最近の若者はつまらん」、人を見ると
「あの人なによ。おかしいわ」「あなたはこれをするべきよ」……。
本人が病気と自覚していれば、まだマシなのでしょうが、
自覚していないなら手の施しようがありません。

人はだれしも個性をもって生きています。
人はそれぞれの生き方があって、
なかなか自分の思いどおりにはなりません。
しかし、「右の曲がって」と言われて、
みんなが右に曲がるとしたら、
そんな世の中もまた恐ろしいものなのです。

まずは隣の存在を受け入れること。
そして、自分には知りえない生き方を認めること。
物ごとを決めつけるのではなく、
ありのままの状況をまず見ていくことが大切です。


川村妙慶著
「心の荷物をおろす108の知恵」より


vol. 3707
「お互いを認めるヒント」  (2012/12/16 [Sun])
 私たちは決して一人で生きることはできません。

「人間」とは「人の間」を生きるということ。

間を生きるとは、つながりを生きるということ。

つながりを生きるとは、まわりを見ていけるということ。

まわりを見ていけるということは、
他人の悲しみも自分の悲しみも知るということ。

知るということは、お互いを認めていけるということ。

経済の「経」という字も、約束の「約」という字も、
すべて“糸へん”でしょう。

すべて世の中は「縁」という「糸」でつながっているのです。


川村妙慶著
「心の荷物をおろす108の知恵」より

vol. 3706
「強さだけでは伝わりません」  (2012/12/15 [Sat])
「北風と太陽」という物語を覚えていますか?

ある日、北風が男性のきたコートを強い風で脱がせようとします。

しかし、男性はからだに力を入れて、脱ごうとしません。

一方、太陽がやわらかい日差しを注ぐと、
男性はコートを脱ぎました。

この話の教訓は、人と人との関係も、
「強さ」だけでは何も伝わらないということなのです。


川村妙慶著
「心の荷物をおろす108の知恵」より

vol. 3705
「スポンジのように柔軟に生きる」  (2012/12/14 [Fri])
 親鸞上人は、柔軟に生きることを教えてくれています。
 自分の心を頑なにしてしまうと、
どこまでも他人と出会うことはできません。

「私の考えは絶対に変えない!」
「あなたが変わればいい!」――。

 みんながそう思っていては、
世の中は決して変わりません。

 台所のスポンジを見てください。

 スポンジは自らカタチを変えて、茶碗を包みます。

 無数の穴で、吸収します。押しつぶされても、もとに戻ります。

 スポンジのように、柔軟に生きましょう。

 
 川村 妙慶著
 「心の荷物をおろす108の知恵」より


vol. 3704
「心の器が大きいほうがいいのはなぜ?」  (2012/12/13 [Thu])
 器ひとつで、料理が美味しそうに見えたりします。
人間の度量の大きさも、器にたとえることが多いですね。

 心の器が小さいと、「自分の考え」という料理だけで
いっぱいになってしまい
「自分以外の料理」入れることができないのです。

 心の器が大きいと、自分の意見はとりあえず横によせて、
他人の意見や存在も、同じ器に入れることができます。

 心の器に、色とりどりのご馳走を盛ることができるのです。


川村妙慶著
「心の荷物をおろす108の知恵」より

vol. 3703
「相手の『いい加減さ』が気になるときは」  (2012/12/12 [Wed])
「いい加減」という言葉があります。
「アイツはいい加減なヤツだ」と非難するときに使います。

たとえば、約束を破った相手に対して
「許せない、認められない」という気持ち。

しかし、相手への期待が強すぎて、
自分のルールを固定しすぎると、
さらに相手へのいい加減さが目立ちます。
そして結局、そこばかりに氣を取られている
自分の方がしんどいのです。
だから、そんなときは、視点を少しズラしましょう。

 「いい加減」ではなく、「いい」「加減」に持っていくのです。

 相手に求めすぎて、
いつも頭を熱湯のように沸かすのではなく、
いい湯加減で物ごとを見ていきたいものですね。


川村妙慶著
「心の荷物をおろす108の知恵」より

vol. 3702
「電話を切る時に「プチー」と言ってみよう」  (2012/12/11 [Tue])
 「それじゃあ切るよ。プチー」と切る音を口で入れるところに優しさがある。

 タレントのぼんちおさむさんとご一緒させていただいたときに、
子供さんに電話をかけているのを聞きました。
「ほな、切るよ。プチー」と口で言って切られました。
これが思いやりなんです。

 電話を切る音は誰でも心地よくありません。
先に相手に切ってもらうために、
こっちが自分の言葉で「プチー」と言う。
相手はそれで切りやすいわけです。
相手が切ったのを聞いて自分が切る。
相手に負担をかけないで、イヤな思いもさせずにすみます。
そういえば私の両親も、「プチー」を言っていることに気がつきました。
電話だけではなく、「プチー」にあたることを大事にすることが
コミュニケーションで大事なことなのです。

中谷彰宏著
「運命を変える50の小さな習慣」より

vol. 3701
「いきあたりばったりでやってみる」  (2012/12/10 [Mon])
  コミュニケーションのコツは、相手の答えを先回りして考えないこと。

先々のことを考えて行動しなさい、と学校では教えられました。
先々のことを予測して、その次にとる行動の準備をして行動しなさい、
と会社では教わりました。

 でも、時には、先々のことを全く予測しないで行動することも大切です。
予測していると、出遅れてしまうのです。
次に起こる問題を予測して、
それを解決するための次の作戦が思い付かないために、
第一歩が踏み出せないようになってしまうのです。

 「こんなことを言ったら、相手はどういうふうに出てくるだろうか」
などということを考えていたら、
コミュニケーションをとることはできません。


中谷彰宏著
「運命を変える50の小さな習慣」より


vol. 3700
「たとえ1時間後に会う人でも、連絡を入れよう」  (2012/12/09 [Sun])
 フットワークは、大きさよりも軽さが勝負。
これからの時代はスピードです。チャンスはスピードなのです。
そのスピードをつかめる人とつかめない人がいます。

 遅れる人は、足が遅いのではなくて、
精神的にグズグズしていてスタートが遅いのです。
夢を実現できる人は、スピード感のある人です。
行動力のない人は「よっこらしょ」と腰を上げますが、
行動力のある人は気がついたらもう一歩を踏み出しています。

 例えば、1時間後に誰かに会う。
その人に対してなにか伝えたいことが今分かった時、
「会うときに話せばいいか。どうせ1時間後に会うんだから」では、
遅いのです。「一時間後に会った時お話してもいいのですけど…」と
電話をかけることができる人が、
一時間早い未来の時間を生きています。


中谷彰宏著
「運命を変える50の小さな習慣」より

vol. 3699
「先天的な理由のせいにするのはやめよう」  (2012/12/08 [Sat])
生まれついてのメリットなんて人生では役に立たない。
先天的な要素の責任にしている人は、努力を怠っている。

 あなたがそれをできないのは、どうしてですか?

できない理由を考えるとき、後天的な努力を理由にするのではなくて、
必ず先天的な理由を持っていこうとしていませんか。

納得できる人生を送っている人は、ほとんど後天的な努力からです。
先天的なもので幸せになっている人は1人もいません。
先天的な理由というのは、人生においては全く意味を持ちません。

 男性にもてないのは、じぶんはが美人ではないからだと
言っている女性は、持てなくて当たり前です。
なぜならば、自分の内面的なものを磨こうと
する努力を全くしていないからです。


中谷彰宏著
「運命を変える50の小さな習慣」より

vol. 3698
「謝っている相手の話を最後まで聞いてあげよう」  (2012/12/07 [Fri])
 謝るより、謝られる方が難しい。正しい謝られ方を覚えよう。
相手の人が一生懸命あなたに対して謝っているのに、
イライラして「もういい、わかった」と
相手の話をさえぎってしまうことはありませんか?

 例えば、あなたがクレームを言った時に、
相手の人が一生懸命謝っているのに、
最後まで話を聞いていません。
相手の人が一生懸命謝っている最中には、
絶対に途中で「ああ、もういい。わかった、わかった」と
言わないようにしましょう。

 この人は一生懸命誤ってくれているのだから」と
最後までちゃんと話を聞くようにしましょう。
それが正しい謝られ方です。


中谷彰宏著
「運命を変える50の小さな習慣」より

vol. 3697
「損得よりも、納得で選ぼう」  (2012/12/06 [Thu])
成功しても納得できない人生より、失敗しても納得できる人生を送ろう。

納得できる人生というのは、成功することばかりではありません。
自分はこっちの道を選んで、思いっきり失敗した、
でも楽しかった、というのが納得できる人生です。

成功したから納得できる、失敗したから納得できない、
ではありません。自分がそれを選んで、
間違っても選んだかいがあった、というのが納得できる人生です。

成功だけが納得できるのではありません。
納得できる失敗もあります。また、納得できない成功もあります。
勝ってもつまらない勝ちもあります。
最初から勝ちがわかっているギャンブルほど、
面白くないものはありません。

小さなことでも、得をすることよりも、納得することを選びましょう。


中谷彰宏著
「運命を変える50の小さな習慣」より

「嫌な人を、自分の鏡にしよう」  (2012/12/05 [Wed])
 仏さまは嫌な人に化けて、あなたも同じことをしていると教えてくれる。
仕事場などで、嫌なお客さんにぶつかることもあります。
どうしてこの人は、こんな思いやりがない人なのだろうち、
落ち込んでしまいます。

嫌な人に出会ったら、「自分ははたしてその人と
同じことをしていないだろうか」と振り返ってみるようにしましょう。

嫌な人は、仏様が化けているのです。
「時々あなたもこんなふうになっていますよ。
嫌じゃありませんか」と教えてくれているのです。
嫌な人に出会ったら仏さまだと思って、感謝しましょう。


中谷彰宏著
「運命を変える50の小さな習慣」より

vol. 3695
「後ろの人のために、もう1歩奥へつめよう」  (2012/12/04 [Tue])

 満員電車に何とか乗れてホッと立ち止まっているあなたが、
後ろの人の迷惑になっている。満員電車に何とか乗れました。

その時、あなたはどうしていますか?
「やれやれ、よかった」と思って、ホッとしてしまっていませんか?

 その時、あなたがホッとして立ち止まると、
あなたの後ろで乗ろうとしている人が、
乗れなくなってしまっているかもしれません。
自分が乗ることができると、
もう後ろの人のことは知らんぷりになってしまいます。

 自分が乗れたら、今度は少しでもつめて、
あなたの後ろの人が乗れるように気をつけましょう。
あなたは、列の1番後ろではありません。
あなたの後ろにはもう1人、その後ろには、
もう1人と続いているのです。


中谷彰宏著
「運命を変える50の習慣」より


vol. 3694
「バスの来る方を見ながら、バスを待たない」  (2012/12/03 [Mon])
 待ち時間を短くする方法は、ほかのことをして
待っているものを忘れることだ。
バス停でバスを待っている人たちは、
みんなバスの来る方を見ています。
しかし、バスの来る方を見ている間は、まずバスは来ないです。
それで、ますますイライラしてしまいます。

 例えば、バスを待っている時は、本を読んでいればいいのです。
そうすれば、その時間は生きて来るのです。
5分あれば本の1ページが読めたかもしれません。
「まだかな、まだかな」と思ってみていると、その間、
ほかのことは何もできません。
頭の中で、イライラだけがたまっていきます。

 待っている時は待っているものを忘れ、
ほかの事をしましょう。それが待ち時間を短くする方法です。
待っていることを意識すればするほど、待ち時間は長くなります。


中谷彰宏著
「運命を変える50の習慣」より

vol. 3693
「今度は早めに行ってみよう」  (2012/12/02 [Sun])
時計と待ち合わせするのではなく、人と待ち合わせをしよう。
待ち合わせをする時、早く来ている人と遅く来る人はいつも決まっています。
約束の時間に遅刻はしないとしても、
先に来るほうはいつも必ず先に来るのが当たり前になってしまいます。
時間に遅れていないから、いいのでしょうか?

 普通の感覚を持っていたら、
いつも相手が先に来ているとしたら
「待たせてばかりで悪いな」と思って、
今度は先に行って待っていようと思うでしょう。

 遅刻はしないけれど、いつも自分が待たせているという人は、
「時計」との待ち合わせをしているのです。
「時計」との待ち合わせには、遅れていないけれど、
「人」との待ち合わせには、遅れてしまっていることになるのです。


中谷彰宏著
「運命を変える50の小さな習慣」より

vol. 3692
「断られたら、熱意だめしだと考えよう」  (2012/12/01 [Sat])
 神様は、断ることで、あなたの決意を固めていく。
仕事においても、人生においても、恋愛のおいても、
「断られる」ことはあります。どんなに意志の強い人でも、
やっぱり嫌な気持ちになります。

 まず断られることを、できるだけ経験しましょう。
今の世の中は断られる経験がだんだんなくなってきています。
情報化社会は、どれくらい、
うまくいきそうかという予測がついてしまうからです。

 断られたとしても、あなたにチャンスがないというわけではありません。
仏様は、あなたの熱意だめしをやっているのです。断られるたびに、
決心は固くなっていくのです。
仏様は、あなたの決意を固めるために、断っているのです。



 中谷彰宏著
「運命を変える50の小さな習慣」より



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