vol. 3784
「物質と心の波動」 (2013/5/31 [Fri]) 仏教では、物質を素粒子のレベルでみて、
地・水・火・風の四つの要素としてとらえています。
地は質量をつくる力、水は引き寄せる力、
火は熱であり変化させる力、風は引き離す力です。
物質とはそのような性質が構成されたものなのです。
そして、その物質の構成を認識するのは、心です。
言い換えれば、心は地・水・火・風を知るのです。
認識するのです。しかし、だれもこのことに気づきません。
感情にかられて貪瞋痴でデータを捏造して、
苦しみを司る俗世間的な知識世界を合成しているのです。
「ブッダの教え一日一語」より
地・水・火・風の四つの要素としてとらえています。
地は質量をつくる力、水は引き寄せる力、
火は熱であり変化させる力、風は引き離す力です。
物質とはそのような性質が構成されたものなのです。
そして、その物質の構成を認識するのは、心です。
言い換えれば、心は地・水・火・風を知るのです。
認識するのです。しかし、だれもこのことに気づきません。
感情にかられて貪瞋痴でデータを捏造して、
苦しみを司る俗世間的な知識世界を合成しているのです。
「ブッダの教え一日一語」より
vol. 3783
「ことばが浮いている」 (2013/5/30 [Thu]) いろいろな宗教が素晴らしい教えを説きますが、
なかなか人間は道徳を守りません。
それは、なぜでしょうか。
そこに言葉の重さがなく、浮いているからです。
例えば、西洋では「愛」生き方を掲げています。
けれども、そのような生き方をしてきたわけではありません。
西洋ほど人を殺した文化はありませんね。
機関銃やダイナマイトや原子爆弾をつくったのは、
どこの文化でしょうか。
自分たちだけ大量に核兵器をもって、
「おまえたちはつくるな、もつな」と平気で言うのです。
「ブッダの教え一日一語」より
なかなか人間は道徳を守りません。
それは、なぜでしょうか。
そこに言葉の重さがなく、浮いているからです。
例えば、西洋では「愛」生き方を掲げています。
けれども、そのような生き方をしてきたわけではありません。
西洋ほど人を殺した文化はありませんね。
機関銃やダイナマイトや原子爆弾をつくったのは、
どこの文化でしょうか。
自分たちだけ大量に核兵器をもって、
「おまえたちはつくるな、もつな」と平気で言うのです。
「ブッダの教え一日一語」より
vol. 3782
「どんなに獲得しても、完成はない」 (2013/5/29 [Wed]) 生きるということは、チャレンジです。
生きているうえで、何かを獲得するために、
いろいろなことにチャレンジします。
しかし、何かを獲得しても、完成というものはないのです。
音楽で一流になっても、世界の頂点に達しても、
完成ではないのです。もっと優れている人が出てくるかもしれない。
いくら獲得しても、完全に満たされたということ、
やりおえたということは、成り立たないのです。
「ブッダの教え一日一語」より
生きているうえで、何かを獲得するために、
いろいろなことにチャレンジします。
しかし、何かを獲得しても、完成というものはないのです。
音楽で一流になっても、世界の頂点に達しても、
完成ではないのです。もっと優れている人が出てくるかもしれない。
いくら獲得しても、完全に満たされたということ、
やりおえたということは、成り立たないのです。
「ブッダの教え一日一語」より
vol. 3781
「死にそうな人に対して」 (2013/5/28 [Tue]) 死にそうな人に対して、
どのようにお見舞いしたらいいのでしょうか。
死にそうだからといって、深刻な顔をする必要はありません。
その人が元気なときのように、普通に合えばいいのです。
「いろいろ楽しかったね」「あちこちに行ったよね」と、
世間話するのもいい。
そして、「あなたはよくやってきたね。
ほんとうに親切してくれた」と感謝し、ほめればいいのです。
人は、感謝されると、
「自分なりにこの人生をがんばってきたのだ」と
満足するのです。
「ブッダの教え一日一語」より
どのようにお見舞いしたらいいのでしょうか。
死にそうだからといって、深刻な顔をする必要はありません。
その人が元気なときのように、普通に合えばいいのです。
「いろいろ楽しかったね」「あちこちに行ったよね」と、
世間話するのもいい。
そして、「あなたはよくやってきたね。
ほんとうに親切してくれた」と感謝し、ほめればいいのです。
人は、感謝されると、
「自分なりにこの人生をがんばってきたのだ」と
満足するのです。
「ブッダの教え一日一語」より
vol. 3780
「何を「がんばる」のか」 (2013/5/27 [Mon]) 我々は、口ぐせのように、他人に「がんばってください」と言います。
それは単なる挨拶のようになっています。
ほんとうは、人が挑戦していることに対して
「諦めないでください、やり遂げなさい」というニュアンスで
「がんばってください」というものなのです。
そして、ブッダも勧めた最も優れたがんばりとはと言えば、
自分の欠点を克服するために、善行為をするために、
人格を完成するために「がんばる」ことなのです。
「ブッダの教え一日一語」より
それは単なる挨拶のようになっています。
ほんとうは、人が挑戦していることに対して
「諦めないでください、やり遂げなさい」というニュアンスで
「がんばってください」というものなのです。
そして、ブッダも勧めた最も優れたがんばりとはと言えば、
自分の欠点を克服するために、善行為をするために、
人格を完成するために「がんばる」ことなのです。
「ブッダの教え一日一語」より
vol. 3779
「末期の人をお見舞いするとき」 (2013/5/26 [Sun]) 末期の人のお見舞いをするときは、
「がんばってください」と言わないこと。
「そのうち治ります」と言わないこと。
「今の状態はどうでしょうか」と聞くのです。
末期の人は、自分の苦しみと不自由を語るでしょう。
それは語らせてあげる。
ただそれを聞きながら、
「人生というのは、だれでもそんなものです。
結局はすべて虚しいのですよ」と、
相づちを打ってあげる。
最後に、「やっぱりきれいな心でいるしかないのですね」
と話を終了するのです。
「ブッダの教え一日一語」より
「がんばってください」と言わないこと。
「そのうち治ります」と言わないこと。
「今の状態はどうでしょうか」と聞くのです。
末期の人は、自分の苦しみと不自由を語るでしょう。
それは語らせてあげる。
ただそれを聞きながら、
「人生というのは、だれでもそんなものです。
結局はすべて虚しいのですよ」と、
相づちを打ってあげる。
最後に、「やっぱりきれいな心でいるしかないのですね」
と話を終了するのです。
「ブッダの教え一日一語」より
vol. 3778
「勝ち負けを超越した道」 (2013/5/25 [Sat]) 仏教の教えは、「戦え、がんばれ」ということではありません。
「今ここで戦うよりも、もっと優れた道はないか」という、
勝ち負けを超越した道を教えます。
大切なことは、戦いの泥沼に足を入れずに、
戦いを「乗り越える」ことなのです。
ブッダは、「聖者は、勝ち負けも乗り越えて平安に住む」と説きました。
誰かに勝つ必要もないし、
だれかに負ける必要もないのです。
「ブッダの教え一日一語」より
「今ここで戦うよりも、もっと優れた道はないか」という、
勝ち負けを超越した道を教えます。
大切なことは、戦いの泥沼に足を入れずに、
戦いを「乗り越える」ことなのです。
ブッダは、「聖者は、勝ち負けも乗り越えて平安に住む」と説きました。
誰かに勝つ必要もないし、
だれかに負ける必要もないのです。
「ブッダの教え一日一語」より
vol. 3777
「日常の暮らしを戦場にする」 (2013/5/24 [Fri]) 「人生とは戦って勝つものだ」というような心で生きていたら、
いたるところで争いを起こし、よけいな苦しみを生むだけです。
日本の社会は、日常の暮らしを戦場にしています。
ただでさえ苦しむことがいっぱいあるのに、
苦しみを積み上げているのです。
それはあまりに不幸な生き方です。
「ブッダの教え一日一語」より
いたるところで争いを起こし、よけいな苦しみを生むだけです。
日本の社会は、日常の暮らしを戦場にしています。
ただでさえ苦しむことがいっぱいあるのに、
苦しみを積み上げているのです。
それはあまりに不幸な生き方です。
「ブッダの教え一日一語」より
vol. 3776
「戦いに勝つのは一人もいない」 (2013/5/23 [Thu]) 戦って勝つことが、幸福への道ではありません。
戦いを挑んだら、勝つ人は一人もいないのです。
負けた人は負けて悔しい思いをします。
勝った人は負けた人に恨まれます。
さらに敵が増える結果になります。
勝ってもいいことはないのです。
「ブッダの教え一日一語」より
戦いを挑んだら、勝つ人は一人もいないのです。
負けた人は負けて悔しい思いをします。
勝った人は負けた人に恨まれます。
さらに敵が増える結果になります。
勝ってもいいことはないのです。
「ブッダの教え一日一語」より
vol. 3775
「殺人者があらわれること」 (2013/5/22 [Wed]) 一人の人が孤立して怒りや憎しみに
固まって無差別に人を殺すことがあります。
このような理不尽な犯罪が起こる原因は、
社会全体にもあるのです。
犯人は、殺人を起こすところまで孤立していたのでしょう。
犯人が、怒りで固まっているとき、
なぜ周りの人々が優しくしたり、
気持ちを理解してあげたりできなかったのでしょうか。
なぜ未然にやめさせることができなかったのでしょうか。
結果として、それができなかった社会にも原因があるのです。
私たちは互いに心配しケアしあう義務があるのです。
「ブッダの教え一日一語」より
固まって無差別に人を殺すことがあります。
このような理不尽な犯罪が起こる原因は、
社会全体にもあるのです。
犯人は、殺人を起こすところまで孤立していたのでしょう。
犯人が、怒りで固まっているとき、
なぜ周りの人々が優しくしたり、
気持ちを理解してあげたりできなかったのでしょうか。
なぜ未然にやめさせることができなかったのでしょうか。
結果として、それができなかった社会にも原因があるのです。
私たちは互いに心配しケアしあう義務があるのです。
「ブッダの教え一日一語」より
vol. 3774
「頼まれごと」 (2013/5/21 [Tue]) 人から頼まれごとをされやすいというのは、
本人が親切で優しいからでしょう。
自我が薄くて明るい人に、人は頼みごとをします。
頼まれやすい人だということは、
とてもありがたいことなのです。
頼まれてばかりで、
自分の人生は何も成り立たなくなったとしても、
その人はやはり立派です。
ただ、そのことで、自分のすべきことができないなら、
苦労ばかりです。頼まれごとは、
自分に害を与えない程度でやらなくてはいけないのです。
「ブッダの教え一日一語」より
本人が親切で優しいからでしょう。
自我が薄くて明るい人に、人は頼みごとをします。
頼まれやすい人だということは、
とてもありがたいことなのです。
頼まれてばかりで、
自分の人生は何も成り立たなくなったとしても、
その人はやはり立派です。
ただ、そのことで、自分のすべきことができないなら、
苦労ばかりです。頼まれごとは、
自分に害を与えない程度でやらなくてはいけないのです。
「ブッダの教え一日一語」より
vol. 3773
「自分が悪くないのなら幸せなはず」 (2013/5/20 [Mon]) 私たちは、不幸の原因は自分の外にあるように思っています。
「経済状態が悪いから」「血圧が高いから」「謝金さえなければ」
「あいつがいなければ」「妻がもっとしっかりやってくれたら」……、
など「他のだれか」や「何か」のせいにするのです。
他人のアラを自分の不幸の原因にして、自分は悪くないと思っています。
しかし、自分が悪くないならば、ほんとうは幸福なはずなのです。
「ブッダの教え一日一語」より
「経済状態が悪いから」「血圧が高いから」「謝金さえなければ」
「あいつがいなければ」「妻がもっとしっかりやってくれたら」……、
など「他のだれか」や「何か」のせいにするのです。
他人のアラを自分の不幸の原因にして、自分は悪くないと思っています。
しかし、自分が悪くないならば、ほんとうは幸福なはずなのです。
「ブッダの教え一日一語」より
vol. 3772
「不幸になる秘訣」 (2013/5/19 [Sun]) 「親の育て方が悪かった」と思っている人は、
不幸であることが折り紙付きで確定しています。
苦労して育ててくれた親に対してイチャモンをつける人は、
自ら幸福になりたい気持ちすらないのです。
ましてや、他人を助けて社会の役に立つ人間にはならないのです。
大きな人物として成長する第一歩は、
親に対する感謝の気持ちなのです。
「ブッダの教え一日一語」より
不幸であることが折り紙付きで確定しています。
苦労して育ててくれた親に対してイチャモンをつける人は、
自ら幸福になりたい気持ちすらないのです。
ましてや、他人を助けて社会の役に立つ人間にはならないのです。
大きな人物として成長する第一歩は、
親に対する感謝の気持ちなのです。
「ブッダの教え一日一語」より
vol. 3771
「親は一生、子供の心配をしている」 (2013/5/18 [Sat]) 「親は一生、子供の心配をしている」
親から「もう、おまえとは親子の縁を切った。
敷居をまたぐな」と言われても、
親は、ほんとうは心配で仕方がない。
「何とか立派になってもらいたい」と思っているのです。
「子供に対する親に気持ちは、骨髄まで響く。
でも、子供はそれを知らない」というスリランカの歌があります。
親の愛情は一生涯、続くものなのです。
だからと言って、子供は親の所有物ではありません。
「ブッダの教え一日一語」より
親から「もう、おまえとは親子の縁を切った。
敷居をまたぐな」と言われても、
親は、ほんとうは心配で仕方がない。
「何とか立派になってもらいたい」と思っているのです。
「子供に対する親に気持ちは、骨髄まで響く。
でも、子供はそれを知らない」というスリランカの歌があります。
親の愛情は一生涯、続くものなのです。
だからと言って、子供は親の所有物ではありません。
「ブッダの教え一日一語」より
vol. 3770
「親孝行できる人」 (2013/5/17 [Fri]) 親に頼らない人が、親孝行しているのです。
早く自立して、親に頼らないようになった人は、
ちゃんと親を喜ばせます。
そして、親が優しくしてくれたこと、親切にしてくれたこと、
叱られたこと、叩かれたことなど、思い出すたびに、
「ずいぶんよくやってくれたなあ……」と
感じたり思い出したりして、
笑ってしまえるなら、それは親孝行できる人です。
「ブッダの教え一日一語」より
早く自立して、親に頼らないようになった人は、
ちゃんと親を喜ばせます。
そして、親が優しくしてくれたこと、親切にしてくれたこと、
叱られたこと、叩かれたことなど、思い出すたびに、
「ずいぶんよくやってくれたなあ……」と
感じたり思い出したりして、
笑ってしまえるなら、それは親孝行できる人です。
「ブッダの教え一日一語」より
vol. 3769
「だれの意見でもない正しい意見」 (2013/5/16 [Thu]) 多くの人は「自分が正しい、相手がまちがっている」
ということで議論する傾向があります。
しかし、すでに議論が起きているということは、
明らかにみんな正しくないのです。
みんな正しくないのだから、互いに話しあってだれの意見でもない
正しい意見を見出さなければいけないのです。
それがブッダの説かれた「中道」の生き方です。
「ブッダの教え一日一語」より
ということで議論する傾向があります。
しかし、すでに議論が起きているということは、
明らかにみんな正しくないのです。
みんな正しくないのだから、互いに話しあってだれの意見でもない
正しい意見を見出さなければいけないのです。
それがブッダの説かれた「中道」の生き方です。
「ブッダの教え一日一語」より
vol. 3768
「どう話せばいいのか」 (2013/5/15 [Wed]) 自分の利益のみで話すと、ケンカになります。
自分の利益も他人の利益も、
ともに実るようにと考えて話すならば理想的です。
「私もあなたも得する方法は何だろうか」というのが、
正しい話し方なのです。
「ブッダの教え一日一語」より
自分の利益も他人の利益も、
ともに実るようにと考えて話すならば理想的です。
「私もあなたも得する方法は何だろうか」というのが、
正しい話し方なのです。
「ブッダの教え一日一語」より
vol. 3767
「共通点を必死でさがす」 (2013/5/14 [Tue]) まちがいを指摘したり、攻撃することで相手の性格がなおることは、
けっしてありません。ただ、争いの泥沼に陥るだけです。
相手の不完全なところをさがしだすのは、意味がありません。
そんなことよりも、「どこか仲良くできることはないか。
どこか共通点はないか」を、必死にさがしたほうがいいのです。
「ブッダの教え一日一語」より
けっしてありません。ただ、争いの泥沼に陥るだけです。
相手の不完全なところをさがしだすのは、意味がありません。
そんなことよりも、「どこか仲良くできることはないか。
どこか共通点はないか」を、必死にさがしたほうがいいのです。
「ブッダの教え一日一語」より
vol. 3766
「自分でまずやってみてから」 (2013/5/13 [Mon]) 人の過失をみつけては説教する人は、嫌われます。
人に説教するのは、「大きなお世話」なのです。
説教ばかりする人は、「はやく帰ってくれ」と嫌がられます。
やがては孤立して、寂しい人生になります。
では、まったく説教をしないほうがいいのでしょうか。
そうではありません。
自分でまずやってみてから言えばいいのです。
自分自身が行ったことを他人に伝える場合には、
とても説得力があります。
「ブッダの教え一日一語」より
人に説教するのは、「大きなお世話」なのです。
説教ばかりする人は、「はやく帰ってくれ」と嫌がられます。
やがては孤立して、寂しい人生になります。
では、まったく説教をしないほうがいいのでしょうか。
そうではありません。
自分でまずやってみてから言えばいいのです。
自分自身が行ったことを他人に伝える場合には、
とても説得力があります。
「ブッダの教え一日一語」より
vol. 3765
「他人のことは、ほうっておく」 (2013/5/12 [Sun]) 他人の欠点や過失をみていては、
永久に問題解決にはなりません。
他人のことは、ほうっておけばいいんです。
自分のやるべきことだけを、きちんとはたしていけば、
ものごとはうまくいくのです。
ブッダの大切な教えは、
「他人のやったこと、やらなかったことをみるのではなく、
自分自身のことをみなさい」ということです。
「ブッダの教え一日一語」より
永久に問題解決にはなりません。
他人のことは、ほうっておけばいいんです。
自分のやるべきことだけを、きちんとはたしていけば、
ものごとはうまくいくのです。
ブッダの大切な教えは、
「他人のやったこと、やらなかったことをみるのではなく、
自分自身のことをみなさい」ということです。
「ブッダの教え一日一語」より
vol. 3764
「人をどうこう言えるほど立派か」 (2013/5/11 [Sat]) 自分というものは、人のことを、
どうこう言えるほど立派ではないのです。
「あの人はまちがっている」と指摘しても、
自分がその立場になったら、
同じことをする可能性があるのです。
「あの人は嘘をつく、けしからん」と言っても、
自分だって不利になったりその場を逃れようとすると、
嘘をついてしまうんじゃないでしょうか。
「あの人は頼りにならない」と言っても、
自分が同じ立場になったら、
人から信頼されるふるまいができるでしょうか。
「ブッダの教え一日一語」より
どうこう言えるほど立派ではないのです。
「あの人はまちがっている」と指摘しても、
自分がその立場になったら、
同じことをする可能性があるのです。
「あの人は嘘をつく、けしからん」と言っても、
自分だって不利になったりその場を逃れようとすると、
嘘をついてしまうんじゃないでしょうか。
「あの人は頼りにならない」と言っても、
自分が同じ立場になったら、
人から信頼されるふるまいができるでしょうか。
「ブッダの教え一日一語」より
vol. 3763
「自分の過ちが見えているか」 (2013/5/10 [Fri]) 他人の過ちはみえやすいものです。
しかし、ほんとうにみえているわけではありません。
自分の勝手な思い込みでみていることが、よくあります。
自分が同じ過ちやもっとひどい過ちを犯したときには、
「たいしたことはない」とごまかしたり、
あらゆる工夫をして正当化しようとします。
自分に対するその態度を、
どうして他人に対してもとうとしないのでしょうか。
「ブッダの教え一日一語」より
しかし、ほんとうにみえているわけではありません。
自分の勝手な思い込みでみていることが、よくあります。
自分が同じ過ちやもっとひどい過ちを犯したときには、
「たいしたことはない」とごまかしたり、
あらゆる工夫をして正当化しようとします。
自分に対するその態度を、
どうして他人に対してもとうとしないのでしょうか。
「ブッダの教え一日一語」より
vol. 3762
「叩きやすいだれかをみつけがち」 (2013/5/09 [Thu]) 世の中の人は、自分たちは批判されない場所にいながら、
他を責任追及して、ぶん殴りたいと思ってアラをさがしているのです。
怒りのはけ口のために、
叩きやすいだれかを見つけようとしています。
何か他人の失敗をみつけたら、やたらと批判して、
自分はまちがいを犯すことなんてないつもりなのです。
弁解できない弱いものを一方的に非難するのは、世の常です。
それは、ハイエナが弱い動物を食べて肥えるようなものです。
「ブッダの教え一日一語」より
他を責任追及して、ぶん殴りたいと思ってアラをさがしているのです。
怒りのはけ口のために、
叩きやすいだれかを見つけようとしています。
何か他人の失敗をみつけたら、やたらと批判して、
自分はまちがいを犯すことなんてないつもりなのです。
弁解できない弱いものを一方的に非難するのは、世の常です。
それは、ハイエナが弱い動物を食べて肥えるようなものです。
「ブッダの教え一日一語」より
vol. 3761
「自分が正しいという思い込み」 (2013/5/08 [Wed]) 相手を許さないのは、
「自分が正しい」と思い込んでいるからです。
しかし、「自分が正しい」というのは、
この世ではありえないことです。
ケチをつけようと思えば、だれにもつけられます。
しかし、その権利が自分にあるのかどうかです。
よくみれば、自分だってよくまちがうし、失敗するのです。
すべてのものは不完全。
なに一つ完全なものはない。
それが真理です。
「いかに完全に近づくのか」ということが生きる道です。
その道は限りなく、一生続くのです。
「ブッダの教え一日一語」より
「自分が正しい」と思い込んでいるからです。
しかし、「自分が正しい」というのは、
この世ではありえないことです。
ケチをつけようと思えば、だれにもつけられます。
しかし、その権利が自分にあるのかどうかです。
よくみれば、自分だってよくまちがうし、失敗するのです。
すべてのものは不完全。
なに一つ完全なものはない。
それが真理です。
「いかに完全に近づくのか」ということが生きる道です。
その道は限りなく、一生続くのです。
「ブッダの教え一日一語」より
vol. 3760
「どこかで隙間や過ちが」 (2013/5/07 [Tue]) 相手の間違いを厳しく指摘したり、
なかなか許さない、という人がいます。
しかし、そういう人だって、
自分をよくみればいろいろな失敗や過ちがあるのです。
人はとにかく不完全なものです。
何をやっても、どこかで隙間や過ちが生まれます。
ブッダでさえ、どんな人に対しても、
いきなり「あなたはまちがっている」ということはありませんでした。
「ブッダの教え一日一語」より
なかなか許さない、という人がいます。
しかし、そういう人だって、
自分をよくみればいろいろな失敗や過ちがあるのです。
人はとにかく不完全なものです。
何をやっても、どこかで隙間や過ちが生まれます。
ブッダでさえ、どんな人に対しても、
いきなり「あなたはまちがっている」ということはありませんでした。
「ブッダの教え一日一語」より
vol. 3759
「いつまでも恨み続ける心」 (2013/5/06 [Mon]) 自分の幸福を壊すのは、
自分に悪いことをした「嫌な人々」ではありません。
それは、悪いことを忘れないでいつまでも
恨み続ける「自分の心」なのです。
あなたを攻撃したり意地悪した人も、
やりたくてやったわけではなくて、
ただ真理がわからなかったから過ちを犯したのだと思いましょう。
相手に仕返しをすることで、けっして幸福は得られません。
子供が何か過ちをしでかしても、許してあげられるように、
人を恨むのではなく、許してあげるのが賢い生き方です。
「ブッダの教え一日一語」より
自分に悪いことをした「嫌な人々」ではありません。
それは、悪いことを忘れないでいつまでも
恨み続ける「自分の心」なのです。
あなたを攻撃したり意地悪した人も、
やりたくてやったわけではなくて、
ただ真理がわからなかったから過ちを犯したのだと思いましょう。
相手に仕返しをすることで、けっして幸福は得られません。
子供が何か過ちをしでかしても、許してあげられるように、
人を恨むのではなく、許してあげるのが賢い生き方です。
「ブッダの教え一日一語」より
vol. 3758
「傾いた基礎」 (2013/5/05 [Sun]) 人を恨み、人の過ちを許せない人は、心が育ちません。
「許さない」という心は、土台が傾いているようなものです。
傾いた土台の上に建物をつくれば、
そのまま傾いて、いつか壊れてしまいます。
だから、恨みはさっぱりと捨てることです。
「ブッダの教え一日一語」より
「許さない」という心は、土台が傾いているようなものです。
傾いた土台の上に建物をつくれば、
そのまま傾いて、いつか壊れてしまいます。
だから、恨みはさっぱりと捨てることです。
「ブッダの教え一日一語」より
しつけとは、世の中でしっかりと生きるために何を学べばいいかと、
一つひとつを教えてあげることです。
子どもは何も知らないのだから、「これはこういうふうにやるといい」と、
やりかたを教える。
「それはまちがっている」と怒れば、子どもは反発します。
まちがっているのではなくて、子供は知らないのですから。
「ちゃんと、こんにちはと挨拶しなさい」と頭ごなしに叱っても、
うまくいきません。
挨拶することはカッコいい、賢いことなんだと教えましょう。
ほめながらしつけるのです。
「ブッダの教え一日一語」より
一つひとつを教えてあげることです。
子どもは何も知らないのだから、「これはこういうふうにやるといい」と、
やりかたを教える。
「それはまちがっている」と怒れば、子どもは反発します。
まちがっているのではなくて、子供は知らないのですから。
「ちゃんと、こんにちはと挨拶しなさい」と頭ごなしに叱っても、
うまくいきません。
挨拶することはカッコいい、賢いことなんだと教えましょう。
ほめながらしつけるのです。
「ブッダの教え一日一語」より
vol. 3756
「子供は宇宙人だと思って育てる」 (2013/5/03 [Fri]) 子育てをするとき、自分のもの、自分の子供、
という思いが入ると、かなりストレスになります。
子どもは自分のものではありません。
むしろ「宇宙人」だと思ったらいいです。
宇宙人だから、この地球のことは、何一つわからない。
宇宙人にとって、世の中は不思議で仕方がありません。
だから、一つひとつ丹念に教えてあげてください。
やがて、子どもが大きくなったら、
「もう一人前の独立した人間であって、だれのものでもない」
という気持ちで接するとよいです。
「ブッダの教え一日一語」より
という思いが入ると、かなりストレスになります。
子どもは自分のものではありません。
むしろ「宇宙人」だと思ったらいいです。
宇宙人だから、この地球のことは、何一つわからない。
宇宙人にとって、世の中は不思議で仕方がありません。
だから、一つひとつ丹念に教えてあげてください。
やがて、子どもが大きくなったら、
「もう一人前の独立した人間であって、だれのものでもない」
という気持ちで接するとよいです。
「ブッダの教え一日一語」より
vol. 3755
「自己犠牲もまちがい」 (2013/5/02 [Thu]) 自己主張が強いと、あちこちでトラブルが起きます。
あまりに自分のことばかり考えて生きていると、
生きづらい環境をつくってしまうのです。
逆に、人の世話をすることがカッコいいとも思わないほうがいいのです。
自分のことさえもろくに知らないのに、
その人にとって本当に何が必要なのか分かるはずがないのです。
自己犠牲によって人の役に立とうとするのは、
ただの大きなお世話になってしまうのです。
「ブッダの教え一日一語」より
あまりに自分のことばかり考えて生きていると、
生きづらい環境をつくってしまうのです。
逆に、人の世話をすることがカッコいいとも思わないほうがいいのです。
自分のことさえもろくに知らないのに、
その人にとって本当に何が必要なのか分かるはずがないのです。
自己犠牲によって人の役に立とうとするのは、
ただの大きなお世話になってしまうのです。
「ブッダの教え一日一語」より
vol. 3754
「我が強すぎる人」 (2013/5/01 [Wed]) 自我という代物が、苦しみの原因の一つになっています。
それは「自分が偉い」という思考から発生します。
我が強すぎると、何事もうまくいきません。
学校ではいじめられるし、会社に行っても苦労します。
競争社会の中では、衝突ばかりなのです。
学校に行っても、会社に行っても苦しみばかりです。
家庭でも、楽々できることでさえ、わざと戦争にしています。
我が強いために、わざわざ生き地獄をつくってしまうのです。
「ブッダの教え一日一語」より
それは「自分が偉い」という思考から発生します。
我が強すぎると、何事もうまくいきません。
学校ではいじめられるし、会社に行っても苦労します。
競争社会の中では、衝突ばかりなのです。
学校に行っても、会社に行っても苦しみばかりです。
家庭でも、楽々できることでさえ、わざと戦争にしています。
我が強いために、わざわざ生き地獄をつくってしまうのです。
「ブッダの教え一日一語」より