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2013年 6月

vol. 8414
「直観力を磨こう」  (2013/6/30 [Sun])
 経営者はもちろんのこと、仕事の現場においては、
A案か、B案かと大きな選択をしなければならないときがあります。

そのとき、AもBも間違ってない、どちらにも理はある、
でもどちらかに進まなければならないとすれば、
そのときが「直観力」の見せどころです。

 では、「直観力」とはいかなるものでしょうか?
あらかじめその答えを知っているがごとくの判断。
極めて的確で理にかなったヒラメキ。
直観力とはそういうものではないかと思います。

人間の知覚、認識力には、三つあると言います。
一つ目は、知識力です。まず物事を知り、記憶し、
さらにそれを引き出す能力といってもいいでしょう。

二つ目は、知恵力です。応用力ですが、創造力、
類似力などを含み、教えられないこと、知らないこと、
あやふやなことにも答えを出し得る能力といえます。

そして三つめが直観力です。
これは、一切の思考を通さず、
瞬間に正しい答えが出る能力のことです。

そして、これらは、知識力がなければ知恵力はつかないし、
知恵力がないと直観力はつかないという関係にあります。

直観力をつけるためには、まず知識を真剣に
蓄積することから始めなければなりません。
次に知恵は、経験から得るしかありません。
コツコツと経験を積み上げていくことでしか知恵はつきません。

直観力は日常生活の上での不断の努力、
人間性の向上、プラス発想することで、
おのずと開発されてくるものだと言えましょう。

直観力が磨かれると意思決定、決断が速くなり、
経営、仕事、生活も、何もかもが効率化されてきます。

「人を育てる自分を育てる」より

vol. 8413
「大将のいましめ」  (2013/6/29 [Sat])
徳川家康公の残された言葉
大将のいましめ 〜徳川家康〜

大将というものは
 敬われているようで
 その家来に絶えず落度を探られているものだ
 恐れられているようで侮られ
 親しまれているようで疎んじられ
 好かれているようで憎まれているものじゃ
大将というものは
 絶えず勉強せねばならぬし
 礼儀もわきまえねばならぬ
 よい家来をもとうと思うなら
 我が食へらしても家来にひもじい思いをさせてはならなぬ
 自分一人では何も出来ぬ
 これが三十二年間つくづく思い知らされた家康が経験ぞ
家来というものは
 禄でつないでならず 機嫌をとってはならず
 遠ざけてはならず 近づけてはならず
 怒らせてはならず
 油断させてはならぬものだ
 『ではどうすればよいので』
 家来には惚れさせねばならぬものよ
      ―――元和二年六月(1616年)

 これは、徳川家康が死ぬ直前に書いたという、
実に素晴らしい教えです。
人の上に立つ人にはぜひ知ってほしいことです。
今のように難しく、大変化の世の中になると、
「勉強好き」「素直」「プラス発想」の
成功の三条件のほかにも必要な条件があります。

「自主的」「前向き」「自己責任」です。
まずは自己に対するリーダーシップ、自主性を発揮し
、家康のように自分をいましめながらも周囲を引っ張り、
「夢」と「希望」を持ち続けて、よい世の中を創っていきましょう。

「人を育てる自分を育てる」より

vol. 8412
「本物を見つめる目を持ちたい」  (2013/6/28 [Fri])
「本物」の条件と定義はシンプルなものです。
1・つき合うものを害さない
2・つき合うものをよくする
3・高品質で安全
4・単純でしかも万能である
5・経済的である

 いま世の中には、たったこれだけの条件を
満たす技術や商品が非常に少ないと言われています。

「本物」もっと簡単に言いますと
「本当に優れたよいもの」のことです。私たちの体を健康にして、
元気にして、イキイキした生活を送れるように
応援してくれるものだといえます。
 
 「もの」には、4つの種類があります。
 1・よい「気」が充満していて、悪い「気」を入れようとしても入らない「もの」
 2・よい「気」が充満しているが、悪い「気」が入ってしまう「もの」
 3・特別の人に特別の場合だけよい。
 しかし、大半の人にとって良くない「もの」
 4・誰にとってもよくない「もの」

このうち、1・と2・が「本物」なのです。
「本物」は波動値が極めて高いですが、
悪い「気」に対して、びくともしない「もの」とそうでない
「もの」がありますが本質的には「本物」です。

人間の体には、よいものとよくないものを見分ける感性があります。
私たちも「本物」を見分けることができるように感性を磨きたいものです。
 
 「人を育てる自分を育てる」より




vol. 8411
「よい思いは伝わる」  (2013/6/27 [Thu])
 よい思いは伝わる。よい行動も伝わる。
しかも時空を超えて・・・。
よい思いやよい行動は、ひとりからもうひとりへ。
さらに次の二人へ。
こうして臨界点を超える数まで広がったとき、
まったく無関係の場所や人々に時空を
超えて伝わっていくという現象。
「これが百匹目のサル現象」です。

 この現象で有名な幸島のサルたちに、
サツマイモで餌づけをはじめた京都大学の故・今西錦司教授は
「今の地球上では、人間のエゴのために競争や足の引っ張り
合いが絶えず、そういったエゴによる行動はすべての
動植物にまで悪影響を及ぼしているのではないだろうか」

という仮説を立てられました。
よってできるだけ人間の手を加えない状態にすれば、
自然本来の調和が回復できるのではないかと考えられたようです。

 現在の幸島では今西教授の考えに基づいてできるだけ
人の手が加わらない形で自然が守られています。
本来の自然に戻った島では、不思議な現象が起こりました。

代表的なものを上げますと、サルのボス争いがなくなった。
また、ほとんどが同族結婚なのですが奇形のサルが
生まれなくなった。さらには病気もほとんどなくなりました。
一番びっくりするのは、メス猿や小猿が真っ先にエサを
食べ始めても他のオス猿がそれを認めているように見えたそうです。

これは「波動の原理」で説明できます。
それは「同じ波動は引き合う」「異なる波動は反発する」
「出した波動は返ってくる」
「優位の波動が劣位の波動をコントロールする」
という四つの原理です。

よい思いは伝わる。よい行動も伝わる。
よい思いやよい行動だから伝わるのです。
同じ思いや行動を持つ人同士は、
同じは波動を持っているようです。
だから同じもの同士が引き合った結果、
時空を超えていくのではないでしょうか。
単なる仮説にすぎませんが、
これからはますます「思い」の時代になるように思います。

「人を育てる自分を育てる」より

vol. 8410
「お客様は神様です」  (2013/6/26 [Wed])
 お客様との対応では、次の3つを心がけるとよいです。

1・感謝の気持ちを持つ
 お客様に「感謝の気持ちをもって」いただきたいということです。
こちらが感謝の気持ちで接していれば、
相手にもそれは通じるものです。
お客様に感謝の気持ちがないような企業は、
永続的に発展するのはむずかしいといわれています。

2・分けへだてをしない
 一番大事なお客様に対するときの心遣いを
どんな来訪者に対しても行う。
決して「分けへだてをしない」ということ。
分けへだてをするというのは、その人や会社が
「本物」ではないという証拠であるといいます。
ある会社では受付の女子社員や秘書の、
その人に対する印象を参考にします。
会長、社長には誰も失礼な態度はとりませんが、
残念ながら受付や秘書に対してはまったく正反対の
態度をとられる方もおられます。
「相手によって態度を変えるか変えないか」というのが、
人を見る際の大きな目安のなるのです。
「誰にでも同じ」が基本です。

3・気の付く人になる
 「よく気のつく」人や企業でありたいということです。
これは、その人の性格とか天性の能力というよりも、
仕事や会社、人に対する思い入れの深さによって、
普通の人が見えないところも見えてくるようになる、
ということだと思います。経営者は一般的にとても
細かいところまでよく気が付くものです。
どんなに豪放磊落に見える方、部下に任せっぱなしに見える方も
、実は、非常に鋭くみていらっしゃるのです。
責任感や自覚に裏打ちされたプロ意識というものです。

 「お客様神様です」歌手の故・三波春夫さんがおっしゃっていました。
ホントにその通りです。
「皆さんは、誰からお給料をいただいていますか」と
聞かれて「お給料はお客様から」。
これが基本中の基本です。

「人を育てる自分を育てる」より

vol. 8409
「君の一番商品は?」  (2013/6/25 [Tue])
人は誰でも商品と関わって生きています。
わずか一日のうちでも、
何百、何千の商品と関わって生活しているのです。

自分をひとつの商品としてとらえると、
商品としてどう伝えていくのか、
そしてお客様や周囲からどのように支持していただくのか、
といった、商品にかかわるテーマを追求せざるを得ません。
もともと人はトレーニングさえすれば、
周囲から支持される「オンリーワン」商品に
なれる元を持っているといいます、

 私たち自身が「商品」として確立されるためには
何が必要でしょうか。ポイントをあげます。
自分自身の「使用価値」=「お客様から求められていること」
を知っているか。または相手から求められるレベルの何かを持っているか。

「使用価値」を備えた「商品」になりきることができるか。
自分自身を売る、商品を売ることで、人間的に成長できているか。

 人における「主力」とは、自分が得意なこと。
「〜なら誰々」といわれるくらいになったら、
それが「一番商品」ということです。
商品における「主力」、他者を圧倒するくらいの
品質や長所を持ち、大きな需要があるものです。
これが「一番商品」です。独自固有の長所、
各自が一番得意とするものを伸ばしていくと
主力が見つかります。
長所伸展法の延長線上で、「主力作り」もできます。

 最終的に、自分が「商品」になるためには、
長所を自分自身に与えられた役割の中で、
具体的にどのように生かしていくかということです。
それで、初めて商品となります。

「人を育てる自分を育てる」より


vol. 8408
「愛を与えよう」  (2013/6/24 [Mon])
 「慈愛」とは、「他者を慈しみ、愛する」こと、
また「かわいがり、大切にすること。愛情」を示します。

基本的な人間の性質として、自然に本質的な強い愛情を
持ち備えているのが正常な姿であると思われます。

この世に等しく生を受け、生かされている私たちの存在を考えると、
どの生も尊く、大切なものです。また誰もが自分のことは、
何より大事なものでしょうから、
他者もまた自分のことを大事に思っているはずです。

 「慈愛」とは、自分を慈しむように他人を慈しむことを意味します。
慈愛の心で人と接すれば自分だけでなく周囲も巻き込んで、
大いなる幸福につながってくるといいます。
「慈愛」の心を行動レベルに置き換える、
親身になってすべてに対処すること、
親が子に対する気持ちと同様に他人と接する。子
供に対する思いを少しでも持って接することができれば、
世の中愛情に満ち満ちてくるように思います。

 人間が成長していきますと、知性・愛情・意識が豊かに
なってくるようです。そして、バランスよく生かしていると
、「慈愛」の心が生まれてくるといいます。「

慈愛」の心が出るほどに成長すると、
知性や愛情や意識は全部包み込んでしまいますから、
「慈愛」だけで生きていけるようです。
成長するとはなんと素晴らしいことでしょうか。

 「慈愛」の「慈」とはもともと「楽しみや喜びを分け与える」
だそうです。ここから考えると「慈愛」とは「愛を与える」こととなります。
自分に対するのと同じように、他のものにも対するようになれること、
そしてあらゆることを受け入れて、
許せるようになることだとも理解できます。
「慈愛」を目指し、よいことを実行すると私たちは成長を続けられるようです。

 「人を育てる自分を育てる」より

vol. 8407
「つき合い方の基本」  (2013/6/23 [Sun])
世の中いろんな人がいますが、いろんな人の中で、
ひとつだけ共通している点があるのは、
誰でも自分自身のことは大切だということ。

私たちが大切だと思っているのと同様に、
周囲の人々もみな同様に自分のことが大切だと思っています。
このことに気づけば、
人との付き合い方に答えが出せるのではないかと思います。

「至誠」という言葉があります。至誠=本気。
本気で人とつき合ったら、何かをみつけることができます。
私たちは常に人間関係の中に生きているわけですから、
「至誠」でつき合うことの大切さは理解できるのではないでしょうか。

私たちは、助け、助けられて生きています。
人というのは、自分のために何かをするだけでなく、
世のためや他人のために尽くせる能力をも持っています。
できるだけ他者のことを思い、
他者のためにも行動したほうがよいはずです。
人を大切にする人のところには、人は集まってくるものです。

人とつき合う基本は、「信じること」に尽きると思われます。
信じられず、任せられないというのでは、
人とつき合うことはできません。
人は「信じられている」「任されている」と感じて、
はじめて最大能力を発揮してくれるのだと思います。
人を信じて、自分が相手に期待することを、
相手に対して行えば、相手もきっと期待に応えてくれるでしょう。
決して、相手に自分の考えや気持ちを
押しつけることはできないのです。
本気=至誠でつき合うとはこんな感じなのでしょう。

「人を育てる自分を育てる」より

vol. 8406
「与え上手になりたい」  (2013/6/22 [Sat])
 「人に何かを差し上げることは大事だ」といいます。
また「与えるものが受け取るもの」だとも言います。
確かに、ツイてる人や、ノッてる人は、差し上げ上手です。
なので、まずお客様を目の前にして考えるべきことは、
「私はこの方に何か差し上げるものがあるだろうか」
ということだと思うのです。

この視点からスタートすれば、
謙虚さや誠実さを忘れることもないだろうと思います。

 人間や、企業の成長には、三つの段階があるのだそうです。
最初は、テイク&テイク。
つまり、周囲からいただいてばかりです。
次のステップはギブ&テイク。
何かを与えることができる段階。
そして、最終ステップはギブ&ギブ。
与えるばかりになったら、成長した証拠だと。
ギブとテイクのバランス感覚です。

 企業における人材の成長段階においても、
まずは「プラス勘定人間」になることが大切です。
入社して間もないころは、先輩、上司、
お客様からいろんなものをいただいてばかり。
そのうち自力や知識や情報が備わってくると、
しだいにお返しができるようになります。
いただいたものと差し上げたもの、
この収支のバランスがゼロ以上になった状態が
「プラス勘定人間」の段階。
っとギブ&テイクの収支がとれるようになった段階です。
企業も人も、一日も早くここまで成長しないといけません。
企業も赤字たれ流し状態では、つぶれてしまします。

 お客様を訪問する際に、もし、
何も差し上げるものがないなら、
せめてお土産だけでもお持ちするようにしなさいと。
ちょっとしたお土産なら、
新人君でも差し上げることができますから、
「与えぐせ」をつけるためには、実はとても大切な習慣なのです。

 「人を育てる自分を育てる」より

vol. 8405
「本物のありがとう」を言いたい。  (2013/6/21 [Fri])
最近では、何かをしてもらったのに、
または何かをいただいたのに、「ありがとう」という
言葉すら使えない子供たちもいます。

大人の中にも、「ありがとう」を言えない人が
いるのですから仕方がありません。
ひとつには、親、教師、組織、会社などが、
『「ありがとう」というんだよ』と教えてあげないからです。

最初はまず「ありがとう」を口にすることから。
とにかくスタートはここからです。
そして、だんだんと人生や経験を重ねるうちに、
「ありがとう」を発する心も成長していくように思います。

感謝の思いをいつも心に抱きながら仕事に励み、
お客様に精神誠意対応し、
本物の「ありがとう」を言える日を迎えてほしいと思います。

本物の「ありがとう」を言う、まさに目指すところはこれです。
こうした姿勢を忘れぬよう謙虚に着実に成長していきたいものです。
「ありがとう」のレベルを引き上げたいものです。
「ありがとう」は、ツキを呼ぶためのスイッチですから。

「人を育てる自分を育てる」より

vol. 3804
「人それぞれに役割がある」  (2013/6/20 [Thu])
 人それぞれにそれぞれの役割があり、
人はそれを果たすために生まれてきたのだといわれます。

私たちが日々行っているそれぞれの仕事も、
その役割を果たすための手段であるかんがえるとよくわかります。
日々の仕事の中から、自分の役割を見出し、
その役割を徹底することで生き方の指針が見つかります。

 人は何のために働くのか。
人には誰にでも役割がありその役割を果たすために働く。
役割を果たすには、まずその役割を発見すること。
そのためには人一倍一生懸命働くことです。
一生懸命働けば、世のために役だつ人間になる。

人のために何かができる。そして、自分も大きく成長します。
それには一日も早く「役割」を発見することです。

 人は何か「大きな意思」によって生かされていることを
実感することがあります。
やはり、人はそれぞれ何かの役割をもって、
この世に生かされています。

「人を育てる自分を育てる」より


vol. 3803
「まず自分を知ろう2」  (2013/6/19 [Wed])
個々の人間において「長所を活かす」ということを、
原点から見つめなおしてみようと思います。

私たちは様々な個性をもってこの世に生を受けます。
その人の生きている意味、果たすべき「役割」や「使命」は、
その人自身の特徴、主に長所に表われます。

一方、短所と見える個々の特性は、あくまで長所を伸ばし、
生きている目的、果たすべき使命や役割を成し遂げるための
補助的な特徴として備えることになったものだというのです。

よって、あまり深くつきつめる必要はないのです。
むしろ触れてはいけないのかもしれません。

長所を伸ばすこと、活かすことを積極的に考えれば、
短所と見えていたことの意味もだんだん
わかってくるものだと思うようになりました。

なぜなら、利点や長所を伸ばすと欠点や短所は
カバーできるようになっているからです。

つまり、短所が長所に包み込まれて、
そのうち気にならなくなってくるものなのだと。

自分自身の長所は固有のものであって、
人と競争する必要がないのです。

自分しか持ち得ないもの、つまり「オンリーワン」なのです。
それは自分が自分であることの証し。
自分自身にだけ与えられたもの。

であるのなら、その長所を活かすこと自体が
自分自身に与えられた「役割」です。

この「役割」を徹底追及していく延長線上に、
自分の「使命」に対する気づきがあるのではないかと思います。

「人を育てる自分を育てる」より

vol. 3802
「まず自分のことを知ろう」  (2013/6/18 [Tue])
 その企業のよい点やよく売れているものに注目し、
それをひたすら伸ばせば業績が向上する。
この「長所伸展法」はビックリするほど効果があります。

 この「長所伸展法」も自分の長所を知らなければ活用できないわけで、
まずは自分探しをしてみましょう。
自分探しとは「自分自身の棚卸作業」です。
自分自身の中にあるものすべてを外に吐き出すことから始まりますが、
自分のことはわかっているようで、案外わかっていない。

このことを「ジョハリの窓」で説明すると、
人には四つの窓があります。
1. 自分も他人も知っている、
2. 自分は知っているが他人は知らない、
3. 自分は知らないが他人は知っている、
4. 自分も他人も知らない、
というものです。

この中で、自己認識のためには、2.と3.が重要です。
自分では短所やマイナスの特性であるとかんがえていた部分でも、
実は他者からは長所やプラスの特性の一部であると
評価されていることもあるからです。

自身の特性を知るためには「まず書くこと」です。
頭で漠然と考えているだけでは、思考は深まりません。
実際に書き出してみることで、
「自分自身の棚卸作業」が進み自己認識レベルも高くなるものです。

そこで、H流「自分との対話」という自己発見法を紹介します。
書き出すポイントは六つです。

1. 自分の性格的な長所…あなたの特性そのものです。

2. 得意なこと…生まれ持った基本的な特性。

3. 信条としていること…あなたの生き方の願望。

4. これまで楽しかったこと、のめりこんだこと…
  往々にして潜在力がはじめて発揮された時が
  この段階で注目すべき特性。

5. やっていて飽きないこと、苦にならないこと…
  自身の役割が示されている可能性があります。

6. やってみたいこと、あこがれていること…頭で考えたり、
  エゴ的な発想によるところもあるので参考程度にしたほうがいい。

自分自身のことを見つめなおす機会をつくり、
自分を知れば自分を育てるポイントが見つかります。
長所伸展は、ここからがスタートです。

「人を育てる自分を育てる」より


vol. 3801
「ヒトは人間性を高めるのが仕事」  (2013/6/17 [Mon])
 人間性とひとことで言っても、ひろすぎてとらえどころがないですが、
間性が高まるとどうなるか、ある方は次のようにとらえています。

1、エゴが減ってくる。
 エゴが減ってくると、具体的には、ヤキモチが減る、
否定しなくなる、批判しなくなる、責任逃れをしなくなる、
逃げなくなる、自慢が減ってくる、主観的でなく客観的になります。
自他、自分と他人とを同じように見ることができるようになる。

2、嫌いなものが減ってくる。
好き嫌いがだんだん減ってきて、
たいていのものが好きになってきたら、
それは人間性が高まってきた証拠だといいます。

3、とらわれ、こだわりが減ってくる。

4、約束が守れるようになる。

5、責任感が強くなる。

6、楽しく生きられるようになってくる。
 過去を気にせず、未来を心配せず、あるがまま、
なるがままで楽しく生きられるようになってくるといいます。

7、開けっ放しになる。
変に自分の気持ちを隠そうとしなくなり、
無駄な戦略も使わなくなります。
猜疑心もだんだん消えてくるようです。

ここをめざし人として大きく成長するには、
日々の経験とその度ごとの反省によって、
前向きに素直にまじめにやっていれば、自分も会社も、
地球も、宇宙もスパイラル的に成長するといいます。
少しずつ、少しずつが大切です。

「人を育てる自分を育てる」より

vol. 3800
「早起きは三文の得」  (2013/6/16 [Sun])
ナチュラルクリーンの朝は早く、早朝5時にはスタートです。
朝早く気持ちよくスタートを切るためには、
前日に仕事の下準備が整然とできていることが必要です。

早起きするためには、今日の仕事が効率よく終わり、
翌日の仕事にムリが出ないように、
ムダな時間を過ごさないように、
ムラなくコツコツと続けることがとても大事なことだと思います。

自らのムリ、ムダ、ムラによって効率が阻害されていることが多く、
検討することが必要です。
目標をしっかり定め、主体的にその目標に向けてすべての
焦点を合わせていくことが不可欠です。

 早起きすることにより、朝の清々しさの中でゆったりと
時間を使うことができ、一日の目標に向かって、
シュミレーション、イメージすることで効率的に
やるべきことを済ませることができる、
やはり、早起きは三文の得です。

「人を育てる自分を育てる」より

vol. 3799
「まず「読み」、まず「書く」こと」  (2013/6/15 [Sat])
仕事の勉強に一番役立つのは、
「聞く」「見る」「見習いをする」という手法だといわれます。
そして読書です。

ただ、これを読まなければならない、
あれを読まなければならないという堅苦しい考え方をすると、
そうはいってもなかなか読めないものです。

ですから私はヒマを見つけては書店に立ち寄り、
興味のある本を購入して読むのですが、
中にはサワリだけ読んでほったらかしにしているものもあります。
それでもとにかく読むことに徹しています。

ある会社では、原則として読書好きな人を採用しています。
採用試験は非常に単純なもので、
制限時間30分で便箋5〜6枚に自分あての手紙を書くというものです。

ワープロ世代の私たちは、
漢字を自筆で書くという機会が激減していますから、
基本的な漢字が書けないことにショックを受けることがあります。
しかも、読書量の少ない人は、誤字、脱字が多いうえに、
表現力も乏しかったりします。手紙を書かせるというものは、
履歴書などの公のものとは違い、
その人の仕事をするための基礎力はもちろん、
人となりも見えてきますから、一石二鳥です。

やはり読むこと、書くことはすべての基本中の基本です。
仕事の様々な場面において、駆使できるよう鍛えたいものです。


「人を育てる自分を育てる」より

vol. 3798
「とにかく「メモ」をとろう。」  (2013/6/14 [Fri])
読み、書き、そろばんは勉強の基礎です。
そして、実は仕事の基礎でもあります。

社会に出て思うのは、学校の勉強ができることよりも、
この基礎部分がどれだけできているか、
礼儀や判断力や行動力、
さらにはコミュニケーション力などのレベルが
どれだけ高いかのほうが、はるかに大事だということです。

学校の勉強はできるに越したことはありませんが、
「勉強だけできる人」が社会人になったとき、
現場で再教育しなければならないことも、
今では周知の事実となっています。

 ほんとうの「勉強好き」というのは、
仕事や生活の中から、今の自分に必要なものを
吸収し深めていくことを指します。
だから、メキメキ力をつけて伸びる人は、
総じて勉強好きでメモ魔が多いのです。

 講演会などでも、勉強好きで前向きな方は、
最前列の真ん中に座り、とにかくメモをたくさんとり、
いつも手帳やノートを持ち歩き、
様々なことがらをびっしりと書き込んでいることも事実です。

講演などで人の話を聞いたり、本や雑誌で知り得た事柄を
しっかり覚えておこうと思っても、
時間の経過とともに人間の記憶はどんどん薄れていきます。

二時間もたてば講演の内容は
ほとんど覚えていないのが人間の常ですから、
興味があることはできるだけメモをしておくようにしたほうがいいです。

 また、そのメモを「まとめ」たり「整理」して、
すぐに実践で使えるように復習しておくマメさも必要です。

さあ、すぐにメモをとって、仕事の実践で活かしましょう。

「人を育てる自分を育てる」より

vol. 3797
「集中力をつけよう」  (2013/6/13 [Thu])
「集中力」というものは、言葉を換えると「効率化」となります。
ひとつの仕事に少しでも短い時間でやれたら、
他の仕事をやる時間を生むことにつながります。

個々がだらだらと非生産的な仕事をやっていては、
いつしか沈滞ムード漂う組織へと退化していきます。
それは個人であっても同様です。

しかし、なかなか「集中力」を鍛えることは難しいようです。

某社では、若手社員育成のためには
「とにかく徹底的に働かせる」、
まず上司やチームの下働きをとことんやらせるのです。
仕事量が極限状態になると、
人は知らぬ間に「集中力」と「効率化」を身につけます。

そうした下積み時代を経て、人財となります。

何かひとつのことに徹底して集中すれば、企業も人も伸びる。
ただ一点集中といっても、集中の中身も大事です。
同じ集中するなら、徹底集中するのが得策といっていいでしょう。

逃げ道を残すと言い訳を生みます。
逃げ場のない状況を自らに課すことは大きな決断がいりますが、
それこそそこから逃げていては何も生まれません。
腹をくくって集中力をつけるかは自分次第なんです。


「人を育てる自分を育てる」より 

vol. 3796
「もしものときの判断基準」  (2013/6/12 [Wed])
 わたしたちは生きている限り、
日々一瞬一瞬、何がしかの判断を迫られています。
今からとる行動ひとつにしても、
選択肢があるものないもの、小さな判断の連続です。

 人それぞれ、意識するしないにかかわらず、
何らかの判断基準を持っているはずです。
しかし、どうしても判断に迷うことにぶつかるのが人間です。
そんなとき、「何らかの判断基準があるといいなあ」と思いませんか。

 その判断基準は「勇気」にあるといいます。
指針のひとつに、「良心に従い、よいと思うことはすぐ行い、
悪いと思うことはすぐに中止する勇気ある行動を癖づけること」
とあります。つまり「勇気」というキーワードは、

何か行動を起こす際の判断基準、
または行動規範ということになります。
わたしたちの日常は、何かを判断し、
決定を下すことの連続線上に成り立っているわけですから、
その判断に誤りがあると正しく生きていることにはならないわけです。
正しく生きるためには、その一瞬一瞬に正しい判断が求められます。

勇気を持った意思決定、行動決定のルールは、
「自分の心が100%納得することをやる」
「相性の悪いこと、したくないことはやらない」
「わくわくすること、したくてたまらないこと
自信のあることはどんどんする」
「責任からは絶対に逃げてはいけないから、
責任のとれることをする」
「世のため人のためにならないこと、
人に恨まれることはしない」です。

主体的で「勇気」のある意思決定が、今求められています。
「世のため、人のため」とマクロに自分自身の
行動をとらえてみたいものです。
まずは小さなことから「勇気」をもって!


「人を育てる 自分を育てる」より

vol. 3795
「すぐやるとうまくいく」  (2013/6/11 [Tue])
「ちょっと待って。今から電話をしてみるからね」
ある案件を審議していた時のことです。

その方は電話番号を調べるやいなや自ら電話をされ、
その案件は解決しました。
普段から「即時処理」が大切だと実践しておられるのです。

即時処理、ためないこと。
これができる人が常日ごろ実践している仕事の大原則のようです。
仕事はためてしまうと、無理やりやっつけてしまうはめになって、
仕事の楽しさを感じる余裕すらなくなってしまうのです。

自分の許容量を広げるために、
ある程度仕事を抱え込んでしまうことはよくあることです。

しかし、それもまたためないでどんどんその場でやってしまわないと、
力がつかないまま、ただの「やっつけ仕事」で終わってしまうのです。

私は普段からお客様に関しての対応は、
できたら「目の前対応」でやるようにアドバイスしています。
先日もある方からひとつの依頼を受けました。
そのお客様の目の前で電話をかけて即時対応したのです。
自分のために自分の目の前で対応してもらえるとだれでもうれしいものです。

すぐにやると忘れない。すぐにやると仕事がたまらない。
すぐにやるとお客様に喜んでいただける。
すぐにやると段取りを考えなくて済む。
このスピード時代、今の課題は今解決しないと
置き去りにされてしまいます。

何よりお客様や相手に安心を与えるのはすぐやることです。
だからすぐやるのです。
即時処理に勝る方法論は今のところないようです。
こんなシンプルな方法で仕事や生活の効率化ができるなら、
「やる」しかありませんよね。

「人を育てる 自分を育てる」より

vol. 3794
「はい」が人を育てる  (2013/6/10 [Mon])
 私たちは、何か頼みごとをするとき、どんな相手を選ぶでしょうか。
「自信がありません」「できません」という人、できない理由をいう、
つまり言い訳をする人に頼みますか?

いやいや、気持ちよく「はい」といえる人に頼みますよね。
ですから「はい」といえる人には頼まれごとが集まってきます。

必然的にやるべきことが増えるわけですから、
いろんなことにチャレンジしなければなりません。

そうしてチャレンジを重ねるうちに、その人の力量がアップし、
「引き出し」も増えてきます。

当社の創業当時、まだ右も左もわからない若手社員がいました。
M君です何かあれば「M君、これをやってくれるかな」
「次はこれをやっておいてほしい」と、
一日の中で何回名前をよんだかわかりません。

最初は「どうして自分ばかり」と思ったでしょうが、
彼は一貫して「はい」と言い続けました。
そして、その中で彼は“自然”に育ってくれました。

今では、当社の押しも押されもせぬ若手取締役として、
社員たちを日々引っ張ってくれています。

 「はい」という返事は、自分を伸ばす原点です。
まず、「はい」と返事をしたら、もう逃げられません。

「はい」という返事が重なって、仕事量が増えてきたら、
いよいよチャンスだと思ってください。

「はい」は自分の逃げ場をなくし、成長モードに乗せるスイッチなんです。

「人を育てる 自分を育てる」より

vol. 3793
「確信は自由への道」  (2013/6/09 [Sun])
 世間のことであれ、宗教のことであれ、
何でも言われるがまま信じるものではありません。

 正しいか否か、なぜそのように言われるのかと、
我々はしっかり調べて、自分自身の責任で納得していくべきです。
このプロセスは、仏教が推薦する「確信」への道なのです。
そういう態度を貫きとおせば、マインドコントロールされたり、
支配されたりすることはなくなります。

 自分で調べて、理解して、納得するという仏教の「確信」は、
「信仰」と違って、自由への道なのです。


 「ブッダの教え一日一語」より

vol. 3792
「ブッダが説く「信」とは」  (2013/6/08 [Sat])
 ブッダが説く「信」とは、根拠もなく、
言われるままに信じることではありません。
何事も、自分でしっかり調べて、理解して、納得していくことなのです。

 仏教への「信」を確立するというのは、
ブッダの説かれた真理を自分自身で調べて、
理解して、納得することです。
「信」は、「智慧の開発」と切り離せないのです。
ですから、仏教が説く「信」は、「確信」と理解したほうがよいのです。


「ブッダの教え一日一語」より

vol. 3791
「信仰は足かせ」  (2013/6/07 [Fri])
 証明できないものに対しては、「信じる」か「信じない」
かしかなくなります。例えば一神教の説く「神」のように。

 そして、いったん信じることにすると、あとはただ、
信仰して生きるしかないのです。信仰におちいると、
それについて議論することも、疑問を抱くこともままならなくなります。
森羅万象を客観的に、科学的に調べることもできなくなります。

 信仰は、「智慧の開発」の足かせです。
信仰は人の心に鍵をかけてしまうのです。
ブッダは悟りをひらかれた直後に、「信仰を捨てよ」と説かれました。


「ブッダの教え一日一語」より

vol. 3790
「つねに具体的なものが必要」  (2013/6/06 [Thu])
 私たちが信ずるもののほとんどは、信じても信じなくても、
どうでもいいものばかりです。

 宇宙に生命がいてもいなくても、
いま生きている私たちには関係ないことです。

 だからそれは、信じる必要もないし、
否定する必要もないのです。

 私たちに必要なものは、抽象的な信ずる対象ではなく、
常に具体的なものなのです。


 「ブッダの教え一日一語」より

vol. 3789
「ごみの量を競う人々」  (2013/6/05 [Wed])
 人は、「どうでもいいこと」にかこつけて、
相手を潰そうとしたり、自分の強さや正しさを示そうとしたりします。

 一生懸命に、「相手にみじんでもアラがないか」と探そうとします。
そして、「どうでもいいこと」をみつけては、
先を争い、ケンカを仕掛けようとします。

 ただでさえ生きることは苦しいのに、必死になって敵をさがす。
好きこのんで争いを仕掛けて、そのうえ「争いがあるから苦しい」と、
文句まで言います。人間は、そういう矛盾した存在なのです。

 「ブッダの教え一日一語」より

vol. 3788
「真理は信じる必要がない」  (2013/6/04 [Tue])
 証拠にもとづいて成立して真理は、信じる必要がありません。

「地球が丸い」というのは客観的な事実だから、
信じる必要がないようなものです。
「宇宙に生命がいるか」「神は存在するか」については、
「信じるか、信じないか」ということになります。

 なぜなら、それらについての客観的な証拠はないからです。


「ブッダの教え一日一語」より

vol. 3787
「哲学的なことは生き方とは無関係」  (2013/6/03 [Mon])
 「宇宙の真理とは何か」「仏とは何か」などと、
えんえんと論じても、意味がありません。

 そのような論議は、生き方とは全く関係ないことであり、
それによって心が清らかになるわけではありません。

 そのような哲学的なことより、「私自身が平和であるためには、
どうしたらいいのか」と考えることが肝心です。

「ブッダの教え一日一語」より
 

vol. 3786
「どうぞ批判してください」  (2013/6/02 [Sun])
ブッダの教えは、「どうぞ批判してください」
「自由に議論してください」という立場なのです。

 例えば、科学的に実証された真理を批判から守る必要がありますか。

 それが真理であるのなら、
「どうぞ、まちがっていると証明してみてください」
と堂々としていられるでしょう。


 「ブッダの教え一日一語」より

vol. 3785
「教えが正しいものであれば」  (2013/6/01 [Sat])
 教えが正しいものであれば、
その教えは誰からも守ってもらう必要はないのです。

 だれがどう反論しようが、
真理そのものは崩れることはありません。
批判しようという人がいたら、
かえってそれを学んで納得してしまうのです。

 「批判は禁止する」「疑問を抱くな」という宗教であれば、
その一点だけをとっても、真理ではない。
教えがまちがっていることがわかるでしょう。


 「ブッダの教え一日一語」より

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