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2014年 3月

vol. 4665
「迷ったら『イエス』だ」  (2014/3/31 [Mon])
「できない」言い訳ばかり考えながら生きている人がいます。
面白そうな仕事を依頼されたり、誰かに頼まれ事をされたりしても、
「今、他にやっていることがあるから」「お金がないから」
「そのような能力がない」「関心がない」などと、
さまざまな言い訳をつくって「できません」と答えてしまう人です。


 しかし、そのように「できない」と答えることは、
チャンスを狭めてしまう結果になるのではないでしょうか。
もちろん、どうしても引き受けられないこともあるでしょう。
しかし、そういう事情がない限り、頼まれたことは
「できる」と答えてみたほうがいいのではないでしょうか。
そうすることで、自分でも気づいていなかった
自分の才能に気づくことも多いと思います。


 おヴィディウスという古代ローマの詩人は、
「釣れないと思うところに魚がいる」という言葉を残しました。
「運をつかむチャンスは、思いがけないところにある」
という意味です。「できない」と言わずに、
可能な限り何でも引き受けてみることで、
チャンスを得られるかもしれません。

「『ひと言』セラピー」より抜粋

vol. 4664
「準備がチャンスをつくる」  (2014/3/30 [Sun])
 悪い出来事が二度、三度を重なって訪れることは、
人生ではよくあることです。しかし、
転機をもたらすような大きな成功のチャンスになると、
二度、三度と重なって訪れることはないようです。


ですから成功者は、チャンスは決して逃しません。
言い変えれば、成功者は、チャンスが来た時のため
に事前の準備をしておきます。ですから、
チャンスがやって来た時に、即座に決断し、
行動できます。チャンス到来の好機に、
どうしよう」などとグズグズしていれば、
みすみす逃す結果になるでしょう。


明治の実業家に岩崎弥太郎という人物がいます。
現在の三菱グループの創始者です。この岩崎弥太郎が、
次のような意味の言葉を残しています。
「魚の群れを発見してから網をつくっているようでは遅い。
魚の群れは逃げてしまう。魚を獲ろうと思えば、
日頃からちゃんと網を用意しておかねばならない。
人生におけるすべてのチャンスをつかむのも、
同じことだ」しっかり準備をしておけば、
大きなチャンスをものにできます。


「『ひと言』セラピー」より抜粋

vol. 4663
「『今』を逃すな」  (2014/3/29 [Sat])
 「鉄は熱いうちに打て」ということわざがあります。
「何事も、やる気のあるうちにするのが成功の秘訣だ。
時期をはずすと、うまくいくものも、うまくいかない」
という意味です。


物事を始めるには、タイミングがあると思います。
「こんな商品を開発したら大ヒット間違いなしだ。
成功したら職場でヒーローになれる」といった
アイディアを思いついて、すぐに企画書を書いて
上司へ報告する人は、それだけの成功の
チャンスが広がるでしょう。


 そこで、「でも、もう少し考えてから、提案してみよう」
「上司は多忙だから、少し様子を見よう」などと考えていると、
せっかくうまくいくものも、
うまくいかなくなってしまう場合が多いようです。


誰かに先を越される場合もあるでしょう。
自分自身の気持ちが冷めてしまって、
商品開発への意欲を失ってしまう場合もあると思います。
自分の気持ちが熱いうちに、どんどん行動を起こしてこそ、
成功が生まれる可能性が高まると思います。


「『ひと言』セラピー」より抜粋

vol. 4662
「がんばりすぎずに、がんばろう」  (2014/3/28 [Fri])
 一度に、あまりにもたくさんのことをやろうと
思ってはいけません、幸せな人生を実現するためには、
もちろん努力が必要になりますが、
しかし、がんばりすぎは禁物です。
タフな生き物として知られているロバも、
あまり多くの荷物を背負わされると、
重さに耐えきれなくなってしまいます。
死んでしまうことだってあるでしょう


 人間も同じです。どんなに体力がある人でも、
がんばりすぎずれば倒れてしまでしょう。
どんなに我慢づよい人であっても、
限界というものがあるのです。
ですから自分自身の体力、能力、
限界といったものをよく知って、
その範囲の中でがんばっていくことが大切になると思います。


 大きなことを成し遂げられる人は、
人一倍体力や能力のある人なのではありません。
自分の限界を知って、マイペースで物事を進めていく人です。
そういうタイプの人が、自足的な努力によって、
大きなことを成し遂げられると思います。


 「『ひと言』セラピー」より抜粋

vol. 4661
「反省するが後悔はしない」  (2014/3/27 [Thu])
 江戸初期の剣豪、宮本武蔵は、「吾後とにおいて後悔せず」
という有名な言葉を残しています。
「やったことを後悔しても意味がない。
いい意味で開き直って、早く忘れてしまうほうが、
今すべきことに集中できる」という意味です。


 不幸な出来事を、「なぜあんな事態になってしまったのか。
自分のどこが悪かったのか」「タイムマシーンがあったら、
あの時に帰って生き直したい」などと、
いつまでも悔やんでいてもしょうがない、
という意味だと思います。


悔やめば悔やむほど、自己嫌悪の感情がつのっていきます。
自分の将来に希望を失っていきます。
生きていくことがイヤになっていきます。
その結果、気持ちが落ち込んでいって、
さらに大きい不幸な出来事を自分の
人生に招いてしまう結果になりやすいのです。


不幸な出来事は、早く忘れて、
前を見て生きていくように心がけましょう。
そうすれば、新しい希望が生まれ、
運命が好転していくと思います。


「『ひと言』セラピー」より抜粋


 

vol. 4660
「一息つこうよ」  (2014/3/26 [Wed])
 『イソップ物語』に、『葦とオリーブの木』という話があります。
葦とオリーブの木が、「どちらが強いか」
ということで言い争いになりました。
オリーブの木は、葦を、「おまえは強い風が吹くと、
すぐに曲がってしまうではないか。
私は、どんな風が吹いていてもビクともしない。
おまえは弱く、私は強い」とバカにしました。


 ある日、強い風が吹きました。葦は風に逆らえず、
曲がってしまいました。一方、オリーブの木は
風に耐えていましたが、耐えきれなくなって、
折れてしまいました。この話は、「本当の強さとは、
物事に柔軟に対応し、しなやかに生きることだ」
ということを表しています。


 どんな状況になろうとも、
あくまで自分の意思を貫こうとする人がいます。
そのような生き方は、確かに「強い」のでしょうが、
障害が大きくなりすぎると、
イソップ物語のオリーブの木のように、
耐えられなくなって折れることもあります。
葦のように柔軟に対応し、時には妥協したりしながら、
しなやかに生きていくほうがほんとうは強いのです。


「『ひと言』セラピー」より抜粋

vol. 4659
「ムチャは避ける」  (2014/3/25 [Tue])
 日本の戦国時代の剣豪に、塚原卜伝という人物がいました。
卜伝に、次のようなエピソードが残されています。


ある男が、塚原卜伝がどれだけ勇敢な剣豪なのか、
試してみることにしました。
そして、暴れ馬を連れてきて、卜伝に
「馬の後ろを通ると、馬に蹴飛ばされる。
しかし、おまえなら、馬に蹴飛ばれても、
身をかわせるだろう。やってみろ」といいました。


卜伝は、その話を聞いて、馬の後ろ側ではなく、
前を通って歩いていきました。
その男は「臆病者め。馬に蹴飛ばされるのが怖くて、
前を通ったのか」とバカにしました。
しかし、卜伝は、平然として「真に勇敢な武芸者は、
わざわざ自分から危険に身を置かぬものだ。
馬に蹴られれば怪我をする。
それをわかっていて、馬の後ろを通るのは、
おろかな人がすることだ」と答えました。


この話しは、「恐れを知らない行いをするのが、
勇者なのではない。真の勇者は、
自分がケガをするような無茶な真似はあえてしないものだ」
ということを表しています。無茶をする人は、
自分に酔っているだけのナルシストなのです。
無茶をしないで生きた方が、かえって自身は育っていきます。


「『ひと言』セラピー」より抜粋

vol. 4658
「一気にやる」  (2014/3/24 [Mon])
 人は、やりたくないこと、つらいこと、
苦労が多いことなどを、ついつい後回しにしてしまいがちです。
やろうと思えば、今日やることができるのに、
つい「明日、やればいい」と物事を先送りしてしまいます。


 しかし明日になれば、また「明日でも、かまわない」
と先延ばしします。結局、どんどん先延ばしになっていって、
結局、いつまでも手をつけられないままでいる、
というケースも多いのではないかと思います。
そのために心の重荷を取り払われず、
いつまでも気分は晴れません。
やりたくないことほど、
できる時に、だらだら時間をかけずに、
一気にやってしまいましょう。


 それが、軽い心で、日々暮らしていくコツのひとつになります。
「やりたくない」とか「つらい」とか、余計なことは考えずに、
無心で一気に片づけてしまうのです。
そうすれば、せいせいした気持ちで、明日は迎えられます。


「『ひと言』セラピー」より抜粋

vol. 4657
「自分でやろう」  (2014/3/23 [Sun])
 「天は、みずから助くるものを助く」
ということわざがあります。
「他人の力を頼って幸福を願う依存心の強い者を、
天は助けはしない。
自分の力で努力していく心構えがある人に、
天は力を貸す」という意味です。


 これから成し遂げようと思っている願望が
大きいものであればあるほど、依存心を捨て、
それを実現する覚悟と勇気を持たなければなりません。
まわりの人達に甘える性格の強い人は、
とても小さな願望しか成し遂げることができないでしょう。


また、次のようにいえると思います。
人に甘えて願望を実現できたとしても、
本人が感じられる喜びは大きくないでしょう。
甘えや依存心を捨てて自力で成し遂げてこそ、
「たってやったぞ」「生きていてよかった」
という大きな喜びが得られるのです。


 山登りと同じです。誰かにオンブしてもらって
頂上に立ったとしても、達成感はさほど得られないでしょう。
自分の足で、苦しい思いをしながら、
頂上にたどりついてこそ、大きな達成感が生まれるのです。


「『ひと言』セラピー」より抜粋

vol. 4656
「まず動こう」  (2014/3/22 [Sat])
 自転車に初めて乗ろうとした時のことを思い出してください。
「転んだらケガをする。痛い思いをする」と、
恐怖を感じたのではないでしょうか。


しかし、いざペダルをこぎ始めれば、
自転車を操ることに夢中になって、
恐怖感など忘れてしまいます。それどころか、
「この調子で、もっと先へ自転車を進めていける」と、
勇気がわいてくるものです。


 そして、いつの間にか自転車に乗れるようになっているのです。
人生とは、すべて、そういうものではないかと思います。
会社へ就職する時も、結婚する時も、
るいは新規プロジェクトを始めるときなど、
経験のないことを始めようとするときは、
誰でも恐いのです。しかし、思い切って決断し、
行動し始めれば、恐怖感は消え、反対に勇気がわいてきます。


 恐怖感が強まって、体がガタガタふるえて身動きができなくなる前に、
思い切って行動するようにすれば、後は、
とんとん拍子で物事は進んでいくでしょう。
振り返れば「あの時にやってよかった」と思うに違いありません。


「『ひと言』セラピー」より抜粋

vol. 4655
「怖がるな」  (2014/3/21 [Fri])
 古代中国の歴史書である『史記』に、
「断じて行えば鬼神、これを避く」という言葉があります。
「思い切って決断し、大胆に行動すれば、何事も可能になる」
という意味です。


人生において大事な決断を下すときには、
もちろん慎重にものを考えなければならないでしょう。
深く考えず、その場の勢いだけで決断すれば、
後で後悔する結果にもなりかねません。
しかし一方で、よく考えたからといって、
いい結果が得られるとは限らない、
とも言えるではないでしょうか。

考えすぎてしまうと、「失敗したくない。無難に乗り越えたい」
という気持ちが強くなって、思い切った決断、
大胆な行動がとれなくなる場合もあるようです。
その結果、失敗の危険は減りますが、
望んでいたような大きなことも成し遂げられないのです。


 大事な決断を下すときには、慎重に考えるのも大切ですが、
同時に、「うまくいくか、いかないか」といったことを気にせず、
大胆に行動することも大切だと思います。
そうすれば、大きな夢を実現できるかもしれません。

「『ひと言』セラピー」より抜粋


vol. 4654
「自分は役立っている」  (2014/3/20 [Thu])
 ある人は、
「私は人のため、世の中のため、とても役立つ人間だ」
と信じています。


もう一人の人は、
「どうせ私は、何の役にも立たない人間だ」
と信じ込んでいます。
この両者では、運命に決定的に違いが生じるでしょう。


前者は、自分の運命を積極的に切り開き、
充実した人生を実現することができるでしょう。
しかし後者は、得るものが少ない、
むなしい人生を送ることになるのではないでしょうか。
いい人生を過ごしたかったら、
「私は有益な人間だ」と
自分に言い聞かせるようにしてほしいと思います。


 実際に役に立っているかどうかが問題なのではありません。
頭から「私は有益だ」と信じ込むことが大切なのです。
曹洞宗の開祖、道元禅師は
「一心に思っていることは、必ず実現する」と述べています。


 この道元の言葉にしたがって考えてみると、
「私は役立つ人間だ。たくさん人の幸福のために
大きな貢献ができるんだ」と
一心に信じていくことができれば、
本当にそのような人物になれる、ということになります。


 「『ひと言』セラピー」より抜粋

vol. 4653
「自分にはできる」  (2014/3/19 [Wed])
  広告代理店の電通に『鬼十足』と呼ばれる有名な社訓があります。
昭和26年、社長だった吉田秀雄によってつくられました。
その一つを紹介しておきます。
「自信を持て。自信がないから君の仕事には、
迫力も粘りも、そして厚みすらがない」という言葉です。


 物事がうまく進まなかったり、
誰かから自分の欠点を叱られたときには、
誰でも自信を失います。
「どうせ私は何をやってもダメなんだ」と考えてしまいます。
しかし、そんなときこそ大切なのは、もう一度、
自分が持っている力を信じることだと思います。


 「私という人間は、素晴らしい力を持っている」と、
自分自身を尊敬する気持ちを取り戻すことではないかと思います。
物事がうまく進まないときでも、
「私の実力をもってすれば、必ず挽回できる」と信じてみます。


誰かから、「あなたみたいな能力のない人は見たことがない」
と指摘されたときも、「いや私には才能がある。必ずや見返してやる」
と信じてみます。自分を信じ、
自分を尊敬する気持ちを持ち続ければ、必ずいい仕事ができるのです。


「『ひと言』セラピー」より抜粋

vol. 4652
「八分で十分」  (2014/3/18 [Tue])
 昭和の有名な実業家に、小林一三という人物がいます。
現在の阪急グループの創始者です。
この小林一三は、「八分目」を、
モットーとしていたそうです。
仕事が望みどりにいかなくても、八分目、
つまり80パーセント程度、満足のいく結果がでれば、
「それでよし」と考えました。
それを、小林一三は常に心がけていたのです。


 「そうすれば、調子に乗りすぎて失敗することはない。
他人から『あいつは、がめつい』と悪口を言われなくてすむ。
世渡りで最も大切なことは、八分目で満足することだ」
という意味のことを言っていたということです。

 
人生には、望み通りにならないことがたくさんあります。
しかし、見方を変えれば「100パーセント望み通りには
いかなかったが、80パーセントは満足のいく結果だ」
ということは、たくさんあるのではないでしょうか。
その「80パーセントで、よし」と考える習慣を持てば、
大きな失敗をせずに、
満足して生きていけるのではないかと思います。


「『ひと言』セラピー」より抜粋

vol. 4651
「『まあまあ』でいいじゃないか」  (2014/3/17 [Mon])
 たとえ今日、事前に計画していた通り、
きっちり物事が終わらなかったとしても、
思い悩むことはありません。


そもそも「百パーセント計画通りに物事が終わる日」など、
メタにないと思います。
一年三百六十五日のうち、
二日か三日程度ではないでしょうか。


 百パーセント計画通りにならなかったことを
思い悩んでいたら、残りの三百六十二日から三百六十三日を、
くよくよ思い悩んでいなければならないことになります。
そんなふうに一年を送り、それを毎年くり返していたら、
人生全体が不幸なものになってしまうでしょう。


 「まあまあ計画通りにいった」ということであれば、
それでいいのではないかと思います。
百パーセント完璧を求めることはありません。
「まあまあうまくいった」ということに満足しながら、
計画を進めていきましょう。


あきらめないこと、くさらないことが大切です。
完璧主義者になって自分や周囲の人を責めるのをやめると、
軽やかに、楽しく生きていくことができるでしょう。


「『ひと言』セラピー」より抜粋



vol. 4650
「いい思い出になる」  (2014/3/16 [Sun])
 「艱難、汝を玉にす」ということわざがあります。
「人間は、苦労や困難を乗り越えていくことによって、
立派な人間になる」という意味です。


「こんなつらい、苦しい思いは、もうしたくない」と、
ため息が出てしまうほどの苦労であっても、
明日になれば気持ちに余裕が出てきて、
「いい体験をした」と思えるようになるものです。
さらに、苦労した経験は、
自分自身を成長させていく栄養分にもなります。


 ですから、そこでヤケになって、
「こんな会社、辞めてやる」
「私に苦労を負わせる、あんな人とは縁を切る」
などと考えないほうがいいと思います。
苦労はそう長続きしないものです。


ですから、「今日がまんすれば、あすは状況が変わる」
と信じてみてもよいでしょう。
苦労することを途中で放棄してしまえば、
得るものはなにもありません。
放棄しなければ、自分への自信も得られます。
また、勉強になることも、たくさんあると思います。
死ぬほどの苦労が「いい経験」「いい勉強」になっていくのです。


「『ひと言』セラピー」より抜粋

vol. 4649
「無心になれ」  (2014/3/15 [Sat])
 禅宗の創始者であると言われる達磨大師に、
このようなエピソードがあります。
弟子が達磨に「座禅をすれば、どのような、
いいことがあるのですか」と尋ねました。
それに対して達磨は、ただ一言、
「いいことなど何一つない」と答えたというのです。


 この達磨の言葉には、「『これをする結果、
どのような、いいことがあるか』などと、
余計なことを考えているから座禅に集中できなくなる。
無心になって、何も考えずに、
今すべきことに集中してこそ悟りを得られる」
という意味があります。
この話は、大いに私たち現代人の参考になると思います。


 「この仕事をして、どんな意味があるのだろう。
どんな、いいことがあるのだろう」と心を惑わすよりも、
「無心になって、自分が今すべきことに集中すること」
「時間が過ぎることも忘れて、熱中すること」を
モットーにして生きていくのです。


 そうすれば集中力が増し、結果的に、
いい成果を出すことができます。
成功を目的にするのではなく、
「無心になって、がんばっていく」
ことに心がければ、いい結果を得られるのです。

「『ひと言』セラピー」より抜粋 

vol. 4648
「全力を尽くす」  (2014/3/14 [Fri])
スコットランドから移民としてアメリカに渡り、
電報配達人から仕事を始め、やがて鉄鋼業界で
大成功をおさめたアンドリュー・カーネギー
という人物がいます。現在のカーネギー財団の創始者です。


 カーネギーは、成功の秘訣は何だったのかと質問されて、
「私は与えられた仕事に全力を尽くしてきただけだ」
と答えたそうです。このカーネギーの述べたことと、
同じことを言ってる人物がいます。
アメリカのデパート業界で大成功をおさめた、
ジョン・ワナメーカーです。


 このワナ・メーカーも、「成功の秘訣は、全力を尽くすことだ」
と言っています。「成功の秘訣」をたくさん学び、
たくさん知っているだけでは、成功はできません。
自らの人生を成功させるために必要なのは、
学んだことを実践することです。


 自分の仕事に全力を尽くすことです。
一生懸命になって行動をすることなくして、
成功はつかめません。そのためには、
一日一日を精一杯、全力で生き、
今日やるべきことに力を尽くしていくことが大切なのだと思います。


「『ひと言』セラピー」より抜粋
 

vol. 4647
「一つ発見しよう」  (2014/3/13 [Thu])
 人間が成長していくためには、毎日、
何か一つでもいいから、新しいことを学ぶことです。
新しいことを学ぶ意欲を失わない限り、
人間はどこまでも、いつまでも成長します。


五十歳になっても、七十歳になっても、九十歳になっても、
新しいことを学び続ける限り、成長します。


学ぶ意欲をずっと持ち続けるために、
たとえば次のようなことを実践してみる方法もあります。


〇言葉の言語を一つ調べてみる 
〇俳句の季語(季節のことば)を覚えてみる 
〇料理のレシピを覚えてみる


朝、「今日はこれを学んでみよう」というものを一つ決めて、
チャレンジする習慣を持ってみるのです。
そうすれば、日々一つずつ、新しい知識を積み重ねていけます。


それは一年後、二年後には、大きな知識になっているはずです。
学ぶことを生きる喜びにすれば、
やがて賢者と呼ばれるようになるでしょう。


「『ひと言』セラピー」より抜粋

vol. 4646
「まず一つを終わらせる」  (2014/3/12 [Wed])
 現代のようなあわただしい世の中では、
気持ちを落ち着けて仕事をすることが、
なかなかできません。


しかし、あわただしい中でも、
落ち着いた気持ちで仕事に取り組んでいる人もたくさんいます。
そうなるためにハ、コツがあるように思います。


 「一つの仕事にメドをつけてから、次の仕事に移る」
ということです。今やっていることを
中途半端にしたまま次の仕事に移ってしまうと、
頭が混乱して自分が何をやっているのか、
わからなくなっていきます。


そのために、バタバタと動き回っているわりには
仕事が効率的に進まない、という事態になるのです。


 鎌倉時代の随筆家、吉田兼好は、
「二つの矢を持つことなかれ」という言葉を残しています。
同時に二つのことをやろうとすれば、
どちらも中途半端に終わってしまう」という意味です。
仕事は一つ一つ着実に片づけていけば、
効率的な生活が可能になります。


「『ひと言』セラピー」より抜粋

vol. 4645
「今日を走り切るんだ」  (2014/3/11 [Tue])
 明治大正時代に活躍し、ホテルや建設業界で成功した
大倉喜八郎という実業家がいます。
彼は「『今日はよく働いた』という満足感ほど、
私を幸福にするものはない」と述べていたそうです。


 人生で大切なのは、今日という日を、
いかに満足のいくものにするかにあります。
長い人生は一日一日の積み重ねです。
今日という一日を、毎日大切にして、一生懸命に生きていくことで、
長い人生が素晴らしいものになっていきます。


 長い人生の中では、将来の自分が不安に思えてくることもあるでしょう。
やりきれない気持ちになって、落ち込んでしまうこともあると思います。
大きな壁にぶつかって、迷いが生じてしまうこともあると思います。


しかし、いずれにしても、今日という日を
一生懸命になって生きることでしか、
問題を解決することはできません。
将来への不安や、過去の後悔は、
ひとまず横に置いておいて、今日やるべきことに集中しましょう。
夢中になって今日という日を生きていくうちに、
「気づいたら問題は解決していた」ということも、人生にはよくあります。

「『ひと言』セラピー」より抜粋

vol. 4644
「楽しもう」  (2014/3/10 [Mon])
 チャールズ・シュワップはアメリカの実業家で、
鉄鋼王とも呼ばれた人物です。彼が1900年代初めに、
アメリカ最大の鉄鋼会社USスチールの
社長として他社から採用されたときの話があります。


じつはUSスチールの社長の座はシュワップ本人が
望んだわけではなく、彼を推薦した人物がいます。
その人物は「シュワップを年俸200万ドルで採用すべきだ」と、
強くUSスチールに働きかけました。


 当時の200万ドルは、とんでもない高額で、
アメリカでもそんな年俸をもらっている経営者はいませんでした。
しかしシュワップの手腕を高く評価していたUSスチールは、
その年俸を受け入れました。
そして、年俸200万ドルの契約書をシュワップへ手渡しました。


 するとシュワップは、契約書を破り捨て、
「私は金のために働くのではない。働くのが面白いから、働くのだ」
と言いました。この仕事に登場する、シュワップの考え方は
あらゆる成功者に共通するものではないかと思います。


働くことを面白いと思い、仕事を楽しむ気持ちがあるからこそ、
世間を驚かせるような、いい仕事ができるのだと思います。


 「『ひと言』セラピー」より抜粋

vol. 4643
「自分の声を聞こう」  (2014/3/09 [Sun])
 やりたくない仕事でも、上司からの命令であれば、
従わなければなりません。したくない勉強でも、
希望する学校へ進みたいと思えば、
我慢して勉強しなければなりません。
しかし、それだけでは、生きる喜びを見いだせなくなります。


「人から命じられたことを、イヤイヤながらやる」
「やりたくないことを、がまんしてやる」
ことも大切です。上司の命令を忠実に果たしたり、
がまんして勉強に励むことは社会生活に欠かせません。


 ですが、それと同じくらい「自分が好きなこと」
「自分がやりたいこと」も大切だと思います。
「好きなこと」に熱中すれば、生きる喜びが生まれます。
「やりたいこと」にがんばれば、
より豊かで充実感のある人生を実現できます。


 古代中国の思想家、韓非は「韓非子」という著作の中で、
「他人を頼るのではなく、自ら持っている
可能性や能力をもっと信じて生きるべきだ」
と述べています。自分の力を信じ、
自分の心の声にすなおに従えば、
新しい運命が開かれるに違いありません。


「『ひと言』セラピー」より抜粋




vol. 4642
「『自分だけは手抜きしていい』なんて許されない」  (2014/3/08 [Sat])
仕事をするには、才能が必要です。
何もかもできる必要はありませんが、
自分が担っている分野、求められている範囲において、
才能は不可欠です。


「この仕事に関して、私はあまり才能はありませんが、
精一杯頑張ります」なんてことが、
許される世界ではありません。


そういうと、「そんなの厳しすぎる」という人がいますが、
実際、世界がそうなっているのだから、
仕方ありません。私だって、あなただって、
他人の仕事にはいつも完璧を求めているでしょう。


 私たちは、求められている仕事に対して
才能を持っていなければいけないし、
その能力を最大限発揮できるよう努力し、
完璧な結果を出さなければなりません。


あなたは自分の仕事を完璧にこなしていますか?
自分の仕事は手抜きするが、相手の完璧を求めるなんて、
そんな都合のいいことは許されませんよ。
仕事とはそういうものです。


 世の中は、完璧な仕事を求めている。
この話を読むにあったって、もっとも大切なのは
「自分のこととしてとらえる」という素直な姿勢です。
これは仏教を学ぶ上でも、とても大事な要素です。
世の中が完璧な仕事を求めているからと言って、
他人の仕事に口を出し、「完璧にやれ」というようでは、
物事の本質から完全にずれています。
あくまでも、これはあなたの話だからです。
あなた自身が仕事をするとき
「手抜きせず完璧にこなす」という話です。


 たとえば、仏教では殺生を禁じていますね。
この話をすると、「では、漁師はどうしたらいいですか?」
という人が必ずいます。「漁師は魚を殺しているじゃないか」
というわけです。ところが、その人自身が漁師で
「私は漁師なのですが、この先どうしたらいいでしょう?」
という話は聞いたことがありません。


 結局、漁師でない人が他人の話として物事をとらえ、
文句を言っているのです。そんなものには、
まるで意味がありません。理屈をこねるのが目的ではなく、
自分自身が学び、成長することが最も大事なのです。
完璧な仕事をするのも、殺生をしないのも、
「自分のこととしてとらえ、自分が実践する」
ことが大切。その素直な心があれば、
あなたの働き方は、きっと変わってくるはず。


「一生仕事で悩まないためのブッダの教え」より抜粋

vol. 4641
「仕事とは「社会のために」何かすること」  (2014/3/07 [Fri])
この仕事は自分に向いているのか、向いていないのか。
そんな悩みを持ったこともあるでしょう。
どんな人にも向き、不向きはあります。
その仕事を面白いと感じるか、
つまらないと感じるかとは関係なしにあるものです。
ずっと前から「こんなことがやりたい」
と熱望していた仕事に就けたからといって、
それが向いているとは限りません。
ここが、なかなかむずかしいところです。


 ここでは、「まず向き不向き」について
簡単な見分け方を紹介しましょう。
その仕事をやっていること自体は楽しいんだけれど、
なんとなく苦しいと感じる。
あるいは、周囲の人に認められるほど成果を
上げることができない。これはもう、
「才能がない」状態です。
つまり向いていません。


 一方、そんなにおもしろくはないんだけど、
たんたんと続けることができる。
それなりに成果も上げられる。
これはまさに「才能がある」状態。
要するに向いているのです。
やりたいか、やりたくないか」
「楽しいか、楽しくないか」とは
ちょっと違った視点で、
「目の前の仕事を淡々と継続することができるか」
「相応に評価されているか」をシビアに検証してみてください。
つまるところ、それが向き不向きです。


 仕事とは「相手のため、会社のため」にすることですから、
やはり「才能がある状態」でやらなければなりません。
「こんな仕事がやりたいんだ」と、
いくらあなたが望んでも、才能がなければやっぱりダメです。
残念ながら仕事というのは、
本人が「ちょっと面白くないな」
と思っているくらいのところで、
才能が発揮されていることが多い。
だいたいそんなものです。
才能のある分野で働いていると、
それほど苦労しなくても淡々とできてしまう。
たいていの人は、「簡単にできてしまうこと」
をあまり面白がりませんね。
できないことをやるからこそ、「これは面白い」
「これができるようになりたい」と思うわけです。


 才能のない分野で仕事をしていると、
結局はストレスが溜まり、精神的に苦しくなってきます。
たとえそれが自分にとって「憧れの仕事」だったとしても、
続けることは難しいのです。
反対に、才能がある分野で仕事をしていると、
淡々と物事を進めることができます。
それがたとえ、あなたにとって「つまらない仕事」でも、
周囲はそこに価値を認め、必要としてくれるものですよ。
仕事とは社会のためにやるもの。
その前提に立ち返るなら、
「あなたの能力を社会が買ってくれるかどうか」が、
仕事として成立するか否かの分かれ目です。
そこにあなたの好き嫌いはまったく介在しないのです。

 「一生仕事で悩まないためのブッダの教え」より抜粋

vol. 4640
「恐怖、おそれを整理するには背すじを伸ばして歩く」  (2014/3/06 [Thu])
 腎臓が健康な人は、姿勢がよく、
すーっとしたたたずまいが特徴です。
物腰が柔らかく、ゆっくりとしていて、
手先、足先がしなやか。目もどこかゆったりと、
鷹揚さを感じさせ、かすかに笑みを浮かべた
ような表情をしています。女性なら、
濡れたようなまつ毛と、
つやのある黒髪がセクシーさを感じさせます。


 腎臓は、両腕を下したときの、ちょうどひじの
高さにあります。胸を開いて、ひじをぐーっと
背中側に引いたとき、ちょうどひじの先あたりに、
右腎、左腎があるんですね。背中側からカラダを見守る、
というのが腎臓のポジションです。体内においても
血液をろ過して浄化するという、
血液をしっかり見守る役割を果たしています。


 腎臓が元気に機能している人は、「安心感」を
周囲に人に与えます。悩みごとなどを相談される
ことも多いですね。「私はいつもここにいて見守っているよ」
というような雰囲気をまとっているのです。
ただ、この機能が行き過ぎた場合は、
優柔不断な態度に見えてしまい、
相手をイライラさせることもあります。
そうなると、相手を不快にさせたことで
自分自身が焦ってしまうことも。


 腎臓のよさを生かすには、立つとき、歩くとき、
とにかく「お尻の穴を締める」ということを意識して
過ごしてみてください。お尻の穴を締めるだけで、
自然と背筋が伸びるはずです。あらゆる場面で、
この意識を忘れずに。二週間続けられたなら、
姿勢がスーッと伸びて、体型もよくなるはずです。
見た目が格段にスリムになるでしょう。


肛門に意識を持っていくと、最初は慣れていないためか、
なんだか呼吸がしにくいという人が多いようです。
でも二週間続ける意味はそこにあります。
自然にお尻の穴が締まるような姿勢。
しかも呼吸がラクにできるポイント。
それを上手につかんでください。
優柔不断は恐れの表われ。すっと伸びたカラダは、
優柔不断な心は宿りにくくなるのです。

「感情にとらわれると病気になる」より抜粋

vol. 4639
「足のむくみは人生の方向がわからないというおそれ」  (2014/3/05 [Wed])
 足に出るいちばん多い自覚症状は「むくみ」です。
足の症状は、未来や、自分が進むべき方向に迷いや
おそれがあるときに出ることが多いのです。
足のむくみは、じつは呼吸と関係があります。
呼吸が浅いと、全身の血液循環が弱くなります。
血液の循環は、心臓の力だけで行われている
わけではなくて、心臓、肺、それに、
足の筋肉の三位一体のなせる技なのです。


 深い呼吸は、肺の伸び縮身を大きくします。
深く息を吐き出すと、心臓から肺に血液がグッと流れ込みます。
心臓からその上の肺に血液を引き上げるんですね。
心臓の力で全身へと押し出された血液を、
重力に逆らってまた心臓に戻すには、
足の筋肉の運動が欠かせません。
足の運動が血液を上に押し上げようとするわけですが、
足からおなかへ上がって、さらに心臓に戻っていくとき、
もうひとふんばりが必要になります。


 それが呼吸。心臓から、よいしょと血液を肺へ
持ち上げる力なのです。その呼吸の力が弱いと
足から血液を持ち上げる力にもブレーキがかかってしまいます。
それで、血液が足先に滞留してしまって、むくみの原因になるのです。


足の症状は、足だけの問題ではないのですね。
サルは上手に木の枝をつかみます。
二足歩行へと進化した人間は、木の枝はつかみませんが、
その代わりに大地をしっかりつかみます。
大地をしっかり踏みしめて、どっちに行くか、
その「方向」をつかむ。だから、足先には、
人生の進むべき道が象徴的に宿るのです。
そのときに必要なのがポリシーなのです。
世の中が不安定であればあるほど、
たくさんの情報に惑わされない自分なりの
ポリシーが必要になってきます。
そのポリシーは足に宿っていると
いうことを覚えておきましょう。


 ふだんあまり足先に注意することはありませんよね。
でもときにはしっかりと足先に意識を向けてあげてください。
出かける前に「いったん落ち着く」というのが
大事なポイントです。そうすると、歩いている
ときもなんとなく足先に意識が向く。
つま先に意識が向くだけで姿勢もよくなります。
優雅に歩いてみてください。ふだんの街並みも、
景色が違って見えます。そして、
カラダの底から自身もわいてくるはずです。

「感情にとらわれると病気になる」より抜粋

vol. 4638
「肩甲骨のこりは自由への欲求不満」  (2014/3/04 [Tue])
 肩甲骨のこりを自覚することはとても重要です。
最近はこりを自覚できない人も増えています。
あなたも、ボディマッサージで「こってますね〜」
と言われてはじめて気づいた、
という経験をしたことがあるかもしれません。
肩甲骨はかなりの負担がかかっている場所です。
人には、「なぜかわからないけど、私はこうしたい」
という、生まれながらにもっている欲求というようなものがあります。
それは肩甲骨に象徴的に宿るのです。

 もっと広く世間を知りたい、親元を離れたい、
ここ以外に自分が見つかる場所があるんじゃないか……
場所や移動にかかわるこれらの「空間的欲求」が、
肩甲骨には反映します。逆に言うと、
肩甲骨が強くこるという場合は、
一ヵ所とどめられているという心理的葛藤が
強いということです。職場、家庭、親元、地元からの束縛です。


ただそうは言っても、肉体としての人間は地に
足をつけることを求められます。
親から、パートナーから、職場の上司から。
だから肩甲骨のこりには「経済的自由」
についての葛藤も出やすいのです。
地に足をつける、つまり「グランディング」
も大事なことですが、誰かの欲求ばかりを背負って、
自分の翼を忘れてしまうのも考えものですね。


 肩甲骨と、肩の関節と、鎖骨、
この三つのセットで動くようになっています。
構造的には、上半身に鎧をかぶっている
格好になっているのですね。
肩甲骨には「甲」という字があてられている
くらいですから、ここのこりは「戦闘モード」
という意味もあるのです。


 空間的自由、経済的自由、戦闘モード。
肩甲骨にはとっても重大なものを背負っていますから、
自分の翼に気づかないままだと、
重たい鎧になってしまうのです。
ときにはその甲を脱いで、「意識的に」、
肩も腕もリラックスさせてやることが大事です。
甲を脱がないと、自分のほんとうの欲求もわかりませんから。


 肩甲骨は、腕の使い方や指先の使い方にも、
大きな影響を与えています。
腕や手はその人の自己表現の場ですから、
自分らしさの欲求表現が肩甲骨から
腕や手に伝わるということです。
誰かに肩甲骨をマッサージしてもらうことは、
束縛のおそれを克服し、
全身に自由の流れをもたらす作用があるのです。


「感情にとらわれると病気になる」より抜粋


vol. 4637
「大人ニキビは男らしさと女らしさの葛藤」  (2014/3/03 [Mon])
 ニキビや吹き出物は、上半身にできやすいですよね。
顔や首、背中でも上のほうにできることが多いです。
これは「気」が上昇している証拠です。
気が「上」と「表面」に集まっているのです。


 肌は、カラダの表面を覆う表皮層と、
その下にある真皮層に分けられます。
ニキビのココロをつかまえるためには、
表皮が「顕在意識」、真皮が「潜在意識」
に対応していると考えると分りやすくなります。
真皮層=潜在意識での葛藤が、もう、
表まであふれてしまいそう、
というのがニキビや吹き出物の訴えと
考えることができるのです。自己表現したい、
でもその方法がつかめない。
若いときのニキビはまさにそれを象徴しています。


 さて、ニキビや吹き出物にまったく縁のない人もいますよね。
それは、真皮層で自己解決できている人、
表皮に吹き出物を持ち出さないのです。
女性の場合、とくに黄体期(排卵後から月経までの期間)
に多くなります。その時期は、皮脂腺が刺激を受けて、
皮膚がオイリーになりやすいのです。
ニキビができやすい人は、本来ゆっくり過ごすべき
黄体期に男性性が強い行動をとっているかもしれません。


 そういう人には、戦闘モードが抜けなくて、
誰かとつながりたいけどできない、
自分を解放しきれないところがある場合が多いのです。
状況を変えていくには、まず思いを伝えることですが、
それができなくて、伝えられずにフタをされてしまった片思いが、
しつこいニキビにつながったりもします。
この体質を変えるには、戦闘モードを脱ぎ捨てて、
自分の気持ちに正直になることがいちばんです。


 また、女としての自己表現(女の美しさは、こうあらねばならない)、
男としての自己表現(男とは、こうあるべき)に
葛藤が強いほど、真皮層をはみ出して、
表皮まで出てきてしまう可能性は高くなります。
つまり、女性であれば、「自分らしい」美しさにちゃんと向き合う、
ということです。


 どうして私はニキビや吹き出物が多いんだろうと思ったら、
潜在的に隠されたココロのかあっ等をしっかりとつかまえましょう。
カラダと向き合うということは、
自分のココロに向き合うということでもあるのです。


「感情にとらわれると病気になる」より抜粋


vol. 4637
「大人ニキビは男らしさと女らしさの葛藤」  (2014/3/02 [Sun])
 ニキビや吹き出物は、上半身にできやすいですよね。
顔や首、背中でも上のほうにできることが多いです。
これは「気」が上昇している証拠です。
気が「上」と「表面」に集まっているのです。


 肌は、カラダの表面を覆う表皮層と、
その下にある真皮層に分けられます。
ニキビのココロをつかまえるためには、
表皮が「顕在意識」、真皮が「潜在意識」
に対応していると考えると分りやすくなります。
真皮層=潜在意識での葛藤が、もう、
表まであふれてしまいそう、
というのがニキビや吹き出物の訴えと
考えることができるのです。自己表現したい、
でもその方法がつかめない。
若いときのニキビはまさにそれを象徴しています。


 さて、ニキビや吹き出物にまったく縁のない人もいますよね。
それは、真皮層で自己解決できている人、
表皮に吹き出物を持ち出さないのです。
女性の場合、とくに黄体期(排卵後から月経までの期間)
に多くなります。その時期は、皮脂腺が刺激を受けて、
皮膚がオイリーになりやすいのです。
ニキビができやすい人は、本来ゆっくり過ごすべき
黄体期に男性性が強い行動をとっているかもしれません。


 そういう人には、戦闘モードが抜けなくて、
誰かとつながりたいけどできない、
自分を解放しきれないところがある場合が多いのです。
状況を変えていくには、まず思いを伝えることですが、
それができなくて、伝えられずにフタをされてしまった片思いが、
しつこいニキビにつながったりもします。
この体質を変えるには、戦闘モードを脱ぎ捨てて、
自分の気持ちに正直になることがいちばんです。


 また、女としての自己表現(女の美しさは、こうあらねばならない)、
男としての自己表現(男とは、こうあるべき)に
葛藤が強いほど、真皮層をはみ出して、
表皮まで出てきてしまう可能性は高くなります。
つまり、女性であれば、「自分らしい」美しさにちゃんと向き合う、
ということです。


 どうして私はニキビや吹き出物が多いんだろうと思ったら、
潜在的に隠されたココロのかあっ等をしっかりとつかまえましょう。
カラダと向き合うということは、
自分のココロに向き合うということでもあるのです。


「感情にとらわれると病気になる」より抜粋


vol. 4636
「頻尿感は自分を見失うおそれ」  (2014/3/01 [Sat])
 頻尿感や膀胱炎は、自分の基準にブレが
あるときに起ることが多い症状です。
なぜなら、それらの膀胱から生じる症状は、
じつはおへそと関係しているからです。
カラダの中心にあるおへそには、
「私の基準はこうです!」という心理が宿ります。
生まれる前の胎児はお腹の中にいるとき、
臍帯、つまりへその緒を通じて、酸素、栄養分、
その他のすべてのものを吸収しています。


 へその緒と膀胱をつなぐ管を「尿膜管」と言って、
胎児が成長するにつれて退化していきますが、
へそと膀胱がつながっていたとは驚きですね。
膀胱は尿をためるだけではなく、
カラダの血液が濃いときはより濃い尿を出して血液を薄めようとし、
逆に、カラダの血液が薄いときには、
より薄い尿を出して血液を濃くしようとします。
血液が「今の私」の状態を表すとすれば、
膀胱は今の私の調整役。そして、そのアンテナになるのが
「おへそ」ということなんです。


 おへそは、私たちが思っている以上に、
いろんなことを感じ取る力があります。
血液が濃いですよ、薄いですよ、血液が冷えていますよ、
熱がこもっていますよ……おへそがアンテナになって、
膀胱で血液の濃さを調整するのです。
これは、いまの自分の基準がどうなのかを確認するということなのです。


 今の世の中で、自分なりの基準をぶらさずに
生きるのは至難の業ですね。情報を集めようと
すればいくらでも集められます。
人は、この世の限られた一部を切り取って
生きているということになります。
つまり、何を知り、それをどう切り取るかで、
その人の「世界」が決まります。
「世界」は、自分が見るものや聞くもので
つくられていることを心がけて、
できるだけ楽しいものにフォーカスすることが、
人生を楽しく生きるコツ。


 そして、その基準はおへそに宿ります。
おへそを直接さわるのはよくないので、
背すじを伸ばし、おへそのまわりをときどき
指でさすってあげましょう。
感性のアンテナを磨くような意識で行ってください。


感情にとらわれると病気になる」より抜粋




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