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2015年 6月

vol. 9602
「疑いを強くして答えをかまうべし」日蓮  (2015/6/30 [Tue])
教えられたことを、深く掘り下げることなく、
そのまま受け入れていると表面だけの理解にとどまってしまいます。

物事を掘り下げるには、教えられたことに対して
疑問や疑いを持つようにすることです。

「なぜ?どうして?」「本当だろうか?」という疑問は、
答えを知りたいという強い気持ちを引き起こします。

その気持ちがさらなる学びや深い思索、実践を生み出します。

そして答えは再び疑問を生み出し、理解がますます深まっていくのです。

「名僧の言葉」より抜粋

「亀鏡なければ我が顔を見ず。敵なければ我が非をしらず」  (2015/6/29 [Mon])
欠点や間違いは、成長を妨げるものです。
しかし、欠点を客観的見つけて自分で直していくことは難しいもの。

そんな時に役立ってくれるのがライバルの存在です。
ライバルと主張をぶつけ合い競い合う中で、
客観的に自分を見つめる機会を与えられて、
自分の非を知ることができるのです。

ライバルとは、自分の姿を映し出す鏡のようなもの。
ライバルなくして成長を望むのは、
鏡なしで顔についた汚れを見つけようとするのと同じです。

「名僧の言葉」より抜粋

vol. 9600
「老婆心」作者不詳  (2015/6/28 [Sun])
年老いた祖母は孫に対して、大きな愛を持って接します。
手取り足取り懇切丁寧に面倒を見て、孫は安心して育っていきます。

同じような心を持って人に接し、教え導くことができれば、
人は安心して成長していけるでしょう。しかし、孫も成長し、
やがて大人になっていきます。

大人になっても手取り足取り面倒を見ていては、
それ以上の成長を阻むことになってしまいます。
自分で学び取る力がある者への老婆心は無益なものとなるのです。

「名僧の言葉」より抜粋

vol. 9599
「南斗は随い運れども、北極は移らず」空海  (2015/6/27 [Sat])
世の中は常に変化しています。
それは満天の星が天を巡るのと同じです。

私たちの心や姿も、その時の状況によって変わりますし、
変わらなくてはならないときもあります。

しかし、星々は好き勝手に動いているわけではありません。
一点、北極星を中心にして動き、その北極星は決して動きません。
私たちも臨機応変さは必要ですが、
決して動かない部分を持つ必要があります。
それは自分の信念ともいえる部分であり、
また、他者との関りの中で必要な優しさや自愛でもあるのです。



「名僧の言葉」より抜粋

vol. 9598
「聖人の薬を投ずること、機の深浅に随う」空海  (2015/6/26 [Fri])
人にはそれぞれ成長の段階があります。
同じように成長を望んでいても、低い階段にいる人と、
より高い段階にいる人とでは、必要としているものが違います。

また、成長するスピードも人によって違います。
人に教える時は、その人のことを理解し、
成長の段階に応じた助けを的確に与えなくてはなりません。

また成長しようとする人は、
自分に合う教えを自ら選び取らなくてはならないのです。

「名僧の言葉」より抜粋

vol. 9597
「学問をするは心を直さんがためなり」叡尊  (2015/6/25 [Thu])
「学問をするは心を直さんがためなり」叡尊

勉強は、現実的な目的を持っていることがほとんどです。
それは悪いことではありません。

しかし、目的があるということは、
何かの利益につながるということです。

欲を満たすためとも言えます。
ただ単に自分の欲を満たすためだけに勉強していては知識が増えるだけで、
人として成長することはおぼつきません。

時には現実的な目的、つまり欲を離れて、
心をまっすぐにしようという気持ちで学ぶことで、
人間としての成長をうながせるのです。

「名僧の言葉」より抜粋

vol. 9596
「修行とは、われを尽くすことなり」鈴木正三  (2015/6/24 [Wed])
どんなことでも成長するための努力は欠かせません。
でも、どう努力してもうまくいかない時もあります。

そんな時は「自分」を意識しすぎていないか考えてみましょう。
「自分が、自分が」と強く思うと、そこには欲や高慢、
偏見が生まれ、物事を判断する力を曇らせてしまいます。

成長は、むしろ欲や偏見を取り除き、
人のことにも配慮できる爽やかな心でいる時に実現します。

自分を捨て去ろうとすることが成長するための努力なのです。

「名僧の言葉」より抜粋

vol. 9595
「真実般若の智慧というのは、妄想分別をはなれて、大虚空のごとくなるをいうなり」一休  (2015/6/23 [Tue])
私たちは、学校などで様々な知識を身につけます。しかし、その知識を、欲や偏見、慢心などつまらない心を満足させるために使うことがほとんどではないでしょうか。それでは知識が増えれば増えるほど、多くの迷いが生まれます。私たちが目指すべきは、むしろそうしたつまらない心から離れ、囚われのない自由な心を持つことです。そのために必要なのは知識ではなく、より大きな心を持つために自ら経験し、学び取る知恵です。知識よりも智慧を磨くことを大切にしましょう。

「名僧の言葉」より抜粋

vol. 9594
「皓玉、瑕無し、琢磨洗馬輝きを増す」道元  (2015/6/22 [Mon])
一つの目標にこだわると、その目標に達したとたん油断が生じます。
するとそこで成長が止まってしまいます。

それは目標をゴールと考えて、自分で限界を作ってしまうからです。

しかし、人間の成長に限界はありません、
成長しようという気持ちさえあれば、どこまでも伸びていきます。
真剣に成長したいと願うならば、成長するための
努力と行動を最も大切にしなくてはなりません。

目標は一つの通過点に過ぎないのです。

「名僧の言葉」より抜粋

vol. 9593
「まことに一事をこととせざれば、一智に達することなし」道元  (2015/6/21 [Sun])
人生にはあまりにも多くの選択肢があり、それぞれに魅力的です。
欲張っていろいろなことに手を出してしまうこともあります。

しかし、たくさんのことを学ぼうと思っても、
それは単に知識が広がるだけで、深く理解できるわけではありません。

また、一つのことを学ぼうとしていても、学び方が一定ではなく、
いくつものやり方を試していては、深く学べません。
一つのことを徹底的に磨き上げなければ、成長できません。

それほど、学び、理解することは厳しい道なのです。

「名僧の言葉」より抜粋

vol. 9592
「正師を得ざれば、学ばざるにしかず」道元  (2015/6/20 [Sat])
物事を正しく学ぶことは想像以上に難しいものです。
気づかないうちにひどく遠まわりしていたり、
場合によってはまったく違う方向に進んでいることさえあります。

間違った方向に進んでいては、学ぶ意味さえ疑われます。
そんな時に助けになってくれるのが、
その道を極めた先達や指導者の存在です。

行動と言葉で、正しい道を指し示し、
学習者の大きな助けとなってくれるのです。

真剣に何かを学ぼうと思うなら、
最初に良い指導者を見つけなくてはなりません。

「名僧の言葉」より抜粋


vol. 9591
「主人公」作者不詳  (2015/6/19 [Fri])
人それぞれ、その人生の主人公です。
当たり前のようですが、実際には自分が
主人公の人生を送ることは案外難しいものです。

多くの人は周囲の情報や意見に左右され、
自分本来の姿や意志を忘れて、
流されるように生きてしまいます。
それでは人生の主人公とはいえません。

自分をよく見つめ、どんな道を進むべきなのか、
本来の自分とは何なのか、日々考えて、
自ら情報や意見を選び取り、自分の判断で行動します。
それが人生の主人公になることなのです。

「名僧の言葉」より抜粋

vol. 9590
「よみかきゆだんすべからざる事」良寛  (2015/6/18 [Thu])
文章を読む時、漫然と読んでいると、大切なことを読み落としたり、文章をくみ取れなかったりします。注意深く、行間に隠れた意味も余さず丁寧に読み取るようにしなくてはなりません。

また文章を書く時も同様です。自分の言いたいことや考えがしっかりと伝わるように、一文字一文字気持ちを込めて書かなくてはなりません。ちょっとした油断が大きな勘違いを生み、自分や人を貶めてしまうこともあるのです。

「名僧の言葉」より抜粋

vol. 9589
「もっとも急ぐべし、はげむべし」 法然  (2015/6/17 [Wed])
世の中はどんどん移り変わり、永遠に同じものはありません。
若くして死んでしまうこともあれば、
死がすぐ間近にせまっているのに気づかないこともあります。

だからこそ、成長したいと願うならば、一刻を争うように急いで、
必死に努力しなくてはならないのです。

のんびりと明日やろう、いつかやろうなどと思っていると、
あっという間に時間が過ぎ去り、一歩も進まないうちに
終わってしまうかもしれません。


「名僧の言葉」より抜粋

vol. 9588
「学問すべからず、ただし念仏往生を信ぜん程はこれを学すべし」 法然  (2015/6/16 [Tue])
学ぶことが自分を不幸にしたり、人を傷つけたりするものであれば、何も学ばないほうがいいでしょう。いくら新たな知識を身につけ、自分なりに考えを発展させていっても、それが人として生きていくために大切なものと結びつかなければ何もならないのです。自分や他者を救うために役立つものを選び取る、それが学びの目的であり、それ以上でも以下でもありません。

「名僧の言葉」より抜粋

vol. 9587
「学問ははじめて見たつるは、きわめて大事なり、師の説を伝習はやすきなり」法然  (2015/6/15 [Mon])
本に書いてあることや、人に教えてもらった知識をそのまま覚えることは案外簡単なものです。しかし、覚えたことをそのまま繰り返すだけなら、オウムだってできます。多くの知識を得たからといって、たくさん学んだと思っていては大間違いです。学ぶとは、まず自分で問題意識を持つこと。そしてその問題意識にかなうように厳選して学び、練り上げ、新たな自分の考えを見つけ出すことです。得た知識をさらに発展させてこそ、学んだことになるのです。

「名僧の言葉」より抜粋

vol. 9586
「本願他力」 親鸞  (2015/6/14 [Sun])
願いや志を達成した時、あるいは達成しようとする時、私たちはその力のすべて自分の努力によるものと考えがちです。しかし、何かを成し遂げる時、他の何かに必ず支えられています。自分の命そのものが、両親をはじめとして、たくさんの人に支えられて続くものであると考えれば当然のことです。どんなことであれ、他者の力すなわち他力に支えられているのです。他力こそが私たちを生かし、支え、それぞれの願いをかなえてくれるものなのです。

「名僧の言葉」より抜粋

vol. 9585
「染香人」 親鸞  (2015/6/13 [Sat])
毎日のようにお香を焚いている部屋は、お香を焚いていない時でも、香りが立ち込め心が安らぎます。それは、香りが部屋の隅々にまで染み込み、部屋そのものがお香のようになるからです。人も同じです。毎日のように良い行動を繰り返していると、その人自身が優れた人格者に成長します。もちろん逆も……。人が行動を決めるのではなく、毎日の行動や習慣がその人を作り出すのです。成長は、繰り返しから生まれるのです。

「名僧の言葉」より抜粋

vol. 9584
「大という心をしらんとならば、まずわが小さき心を尽くすべし」一休  (2015/6/12 [Fri])
自らを成長させたいと感じた時、多くの人は理想の自分を思い描き、それに近づこうとします。そのことは間違いではありませんが、その前にすべきことがあります。それは、心の中から、理想の実現を邪魔するものを取り除くことです。欲、怠け心、偏見、わがまま……こうしたものがなくなっていけば、自然と理想に近づき、自分を成長させられます。良いものになろうとするより、心の中を見つめ悪いものをなくそうとすることが、良いものになる近道なのです。

「名僧の言葉」より抜粋

vol. 9583
「極楽百年の修行は穢土の一日の功に及ばず」 日蓮  (2015/6/11 [Thu])
悩みのない国へ行きたい。楽をして暮らしたい。
人は天国のような場所に住むことを夢見てしまいます。
確かに私たちの住む世界は、苦しいことが多く、
争いも絶えません。生きていくには辛い世の中です。
しかし、そうした世の中で、悩みながらも必死に生きてくことで、
お互いの優しさを知り、人を理解し、自分もまた成長できるのです。
天国で暮らすよりも、この世で生きるほうがお互いに成長しあえるのです。

「名僧の言葉」より抜粋

vol. 9582
「いのちと申す物は、一切の財の中で第一の財なり」 日蓮  (2015/6/10 [Wed])
どんな命でもこの世にたった一つしかありません。
それぞれの喜び、怒り、悲しみ、楽しみは、その人だけのものです。

命がなくなれば、すべて消えてしまいます。
夢も、心の中にある優しさや慈しみも、
他の人とのつながりも、何もかもです。

命を粗末に扱うということは、
この世で大切な宝物を捨ててしまうということ。

生きることがつらくなることは誰にでもあります。
でも、本当に大切なものは、その人の命と心なのです。

「名僧の言葉」より抜粋


vol. 9581
「己有を識らず、貧これに過ぎたるは無し」 空海  (2015/6/09 [Tue])
どんな人でも心の中に素晴らしいものを持っています。
いかなる宝物よりも貴重なものです。

それなのに、それに気づかず生きている人ほど
貧しい人はいません。
私たちがもっとも大切にするべき豊かさとは、
目に見え、手で触れられる金銭などではありません。

誰もが必ず持っている優しさや慈しみなのです。
それに気づけばさらに豊かに生きられるでしょう。

「名僧の言葉」より抜粋

vol. 9580
「自然法爾」 親鸞  (2015/6/08 [Mon])
すべてのことは、あるがまま。
自分の力で運命を変えてしまおうと考えたり、
ある出来事を自分のおかげだと思ったり、
逆に人のせいにしたりしていませんか。

この世の中は、
一人の人間の力で回っているわけではありません。
宇宙や自然、ほかの人々……すべての力が
結びついて回っているのです。

今までのこと、これからのこと、
すべてはあるがままに進んでいきます。
そのことを受け入れ、感謝して、
大切にしていくことが私たちにできる唯一のことなのです。


「名僧の言葉」より抜粋

vol. 9579
「心暗きときは、すなわち遇うところことごとく禍なり。眼明らかなれば途にふれてみな宝なり」  (2015/6/07 [Sun])
落ち込んでいる時、やましい気持ちがある時は、
すべてのことが自分への災いのように感じられます。

しかし、物事を平明に見る気持ちがあれば、
同じものを見ていても、あらゆることが大切で
かけがえのないものであることに気づきます。

心のありようによって、自分を取り巻くものの
印象が全く異なるのです。
もし世の中がつらいものに感じられるならば、
自分の心の中にその原因を探ってみましょう。

「名僧の言葉」より抜粋

vol. 9578
「月はかけて満ち、潮は引いて満つこと疑いなし」 日蓮  (2015/6/06 [Sat])
月は欠けてもやがては満月になり、
潮も引いてはやがて満ちてきます。
人生もまた同じ。


いま、苦難の日々を送っていても、
やがて幸福な日々が訪れます。


また、幸せな毎日を送っていても、
いつ苦しい時代がやってくるか分かりません。
幸せであるとか不幸せであるとかは、
移ろい変わる表面的なもの。

そうした状況に流されて一喜一憂するよりも、
どんな時でも自分にとって大切なものを、
しっかりと守り育てていかなくてはならないのです。

「名僧の言葉」より抜粋

vol. 9577
「生れ生れ生れ生れて生の始めに暗く 死に死に死に死んで死の終わりに冥し」  (2015/6/05 [Fri])
人は、何度生まれ変わっても心理から遠く離れた場所にいて、
何度死を目前にしても迷いの闇の中にいるのです。

なぜなら、より良く生きて、真理に近づきたい
という気持ちを心の中に持っていても、
多くの人はそれに従って生きて行こうとしないからです。
それでは永遠に真理の光に包まれることはないでしょう。
心の中の真心を育てていく気持ちを大事にして、
どんなことがあっても、それに従うことが大切なのです。

「名僧の言葉」より抜粋

vol. 9576
「遠くして遠からざるはすなわち我が心なり」 空海  (2015/6/04 [Thu])
とらえどころがなく手の届かないところにあるようでいて、
いつもすぐそばに寄り添っているのは自分の真心です。

欲や怠惰にとらわれて毎日を過ごしていると、
自分にはまごころがなくなってしまったように感じることもあります。
自分が救いようのない人間のように思えることもあるでしょう。

しかし、真心は決してなくなることはありません。
欲や怠惰から抜け出し、真心とともにいきたいとおもった
その瞬間からあなたと共にあるのです。

「名僧の言葉」より抜粋

vol. 9575
「蔵の財よりも身の財すぐれたり。身の財より心の財第一なり」 日蓮  (2015/6/03 [Wed])
蔵に積まれた財宝よりも、体の宝すなわち健康が大切です。
そして体の健康よりもっと大切は心の健康です。

心の健康とは、誠実に正直に生き、
人々に愛情を持って接する気持ちのことです。

お金がなくては、日簿の暮らしが成り立ちません。
健康でなくては、十分に働くこともできません。

しかし、たとえお金があって、健康で毎日を無事に
過ごすことができても、心に誠実さがなければ、
人生はむなしいものになってしまいます。


「名僧の言葉」より抜粋

vol. 9574
「迷と悟とは相依りてなり、理と事とはこれ一般」良寛  (2015/6/02 [Tue])
人は皆、迷い苦しみながら、問題を解決しようと努力します。
そして解決できた時に、人生への新たな理解が生まれます。
つまり、迷いがあるからこそ、理解があります。


現実の日々を迷いながら生きていくことは、
すなわち人生の真理を深めることにつながるのです。
私たちが成長し、充実した人生を歩むためには、
特別なことをする必要はありません。
特別な言葉もいりません。
迷いや苦しみに立ち向かいながら日々を生きる。
それだけでよいのです。


心が澄みわたる「名僧の言葉」より抜粋

vol. 9573
「ほのおはそらにのぼり、水はくだりさまにながる」法然  (2015/6/01 [Mon])
炎は空高く上がり、水は海へ流れ下っていきます。
これは自然の摂理で、子どもでもわかることです。
自分にとって大切なことを懸命にやっていれば、
その結果として充実した人生を送れます。

しかし、日々を無駄に過ごし、
つまらないことに時間をつかっていれば、
実りのない人生になってしまいます。
これも炎が空に上がり、水が海へ下るように、
自然の摂理であって、当たり前のこと。
日々の過ごし方がその人の人生を決めるのです。

「名僧の言葉」より抜粋

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