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2015年 7月

vol. 9688
「愚禿が心は、内は愚にして外は賢なり」親鸞  (2015/7/31 [Fri])
良い所を見せよう、賢く思われたい……そんな気持ちから、
私たちは必要以上に自分を飾り、
知識のあることを見せびらかそうとします。

しかし、それは自らの中身が乏しく、自信のない証拠。
自信がない故に、外を飾ることで、自分を守ろうとするのです。

それに対して自分の信じる道をしっかりと歩む人は、
外を飾り立てて自分を守る必要はありません。
不要な知識を自慢することもありません。

そのため、人から見るとむしろ愚かな人のように見えることさえあるのです。

「名僧の言葉」より抜粋

vol. 9687
「高山に登る者は必ず下り、我、人を軽しめれば還って我身、人に軽易せられん」日蓮  (2015/7/30 [Thu])
高い山に登って世界を見渡していても、やがては山を下り、
ほかの人から見下ろされる存在になります。

同じように、優位な立場にあって、相手を軽んじていても、
やがては立場が逆転し、自分が軽く扱われるようになります。

そもそも人間同士の上下関係は、
周囲の状況によって変化する見かけだけのもの。
本来は、必ず対等なのです。そのことを知っていれば、
人を軽んじることはできなくなりますし、軽んじられても気にならないはずです。

「名僧の言葉」より抜粋

vol. 9686
「月は山より出でて山をてらす。わざわいは口より出でて身をやぶる。さいわいは心より出でて我をかざる」日蓮  (2015/7/29 [Wed])
月は山の向こうから上がり、山を明るく照らします。
同じように災いは、自分の口から出て、自分自身を貶めます。

また幸せは普段の心のあり様によって生まれ、
自分を明るくしてくれます。

つまり、自分がどのような状態なのかは、
自分の言動や心がけを反映したものになるのです。
もしあなたが人から疎んじられているのであれば、
それはあなたの言動がもたらしたものです。

逆に優しく正直な心を持って生きれば、
周りの人々もあなたにとって優しく正直な存在となるでしょう。

「名僧の言葉」より抜粋

vol. 9685
「以心伝心」作者不詳  (2015/7/28 [Tue])
コミュニケーションは言葉に頼らざるを得ません。
しかし、どれほど言葉を尽くしても、
自分の思いをすべて正確に伝え、
相手の思いをすべて受け止めることはできないのです。

必ず抜け落ちてしまう部分があります。
その抜け落ちる部分を通わせるのが、
心と心のコミュニケーション―――以心伝心です。

もちろん誰にでもできるわけではありません。
同じ目標を持ち、お互いの思いを知り尽くした者同士にのみ、
できることです。そんな仲間を見つけられれば、
大きな喜びになるでしょう。

「名僧の言葉」より抜粋

vol. 9684
「遇うと遇わざると、何ぞそれ遼かなり哉」空海  (2015/7/27 [Mon])
縁によって、人生はまったく違うものになります。
水に浮かべない岩も、
船と出会えば大海を渡ることができるように、
ある人との出会いが、
自分を思わぬ場所に連れ出してくれるきっかけになり、
大きく世界が開けることがあります。

世界が広がれば、自分も大きく成長できます。
もし、世界を広げ、自分を成長させたいのであれば、
良い縁を大切の育てる気持ちを持ちましょう。

「名僧の言葉」より抜粋

vol. 9648
「衆生ほんらい仏なり 水と氷の如くにて 水を離れて氷なく 衆生のほかに仏なし」白隠  (2015/7/26 [Sun])
人は皆、もともと優しく慈愛にあふれた存在です。
しかし、自分も他の人々も、欲望や怠惰から、
氷のように自分の殻に固く閉じこもり、
の冷たい存在になっています。

そのため、お互いを信じられず、
心を十分に通わすことができないのです。

自らの欲望を取り除けば、氷が解けて水になるように、
人は本来の姿に戻り、お互いにつながり合うことができます。
氷は水が姿を変えただけであるように、
人はもともと仏が姿を変えた存在なのですから。

「名僧の言葉」より抜粋

vol. 9647
「無等等」親鸞  (2015/7/25 [Sat])
世の中には、さまざまな人がいます。
それぞれに長所があり、また欠点があります。

人の長所を見てうらやましく思うこともあれば、
自分の欠点が情けなく落ち込んでしまう時もあるでしょう。

しかし、長所も欠点も、時代や場所、
人の価値観によって左右されるもの。

本来、どんな存在も平等であり、
地上の生命として光に照らされるべきものなのです。
自分の欠点をことさら気にして、落ち込むよりも、
光り輝く存在としての自分を大切にしましょう。

「名僧の言葉」より抜粋

vol. 9646
「道(い)うことなかれ人の短 説くこと勿れ己の長」空海  (2015/7/24 [Fri])
自分の短所を気にしない人はいません。
人知れず悩み。短所がなくなることを望んでいるはずです。

たとえ親切な忠告のつもりでも、その短所をことさら言い立てると、
相手はどのように感じるでしょうか。

傷つき萎縮してしまう場合がほとんどです。
また自分の長所自慢することは、やはりその長所を持たない人を委縮させ、
嫉妬を招きます。

人の短所を指摘しても、自分の長所を自慢しても、
一つもいいことはないのです。

「名僧の言葉」より抜粋

vol. 9645
「一期一会」山上宗二  (2015/7/23 [Thu])
出会いはいつも一度きりです。
同じ人と会うことは二度とありません。
昨日会ったあの人も、今日会う時は昨日とは違う考え、
気持ち、関心を持っています。明日もまた違います。

ありとあらゆるものは常に先変万化し、
同じようにとどまってはいないのです。

もちろん自分自身も。
ですから、その時に出会うものすべてが一度かぎりの縁。
その縁を大切にする気持ちを持って、
心を尽くして臨まなくてはならないのです。

「名僧の言葉」より抜粋

vol. 9644
「それ説法は、直にすべからく応時応節なるべし」道元  (2015/7/22 [Wed])
一生懸命、大切な話をしているのに、相手が全然聞いてくれない。
そんな時はイライラしてしまいます。

しかし、必ずしも相手が悪いわけではありません。
人はそれぞれの時間を生きています。

自分がしたいときに話をして、
いつも分かってもらおうというのはわがまま。

大切な話を伝える時は、
相手が受け入れられるタイミングかどうかをしっかりと見極め、
そうでなければじっくりと待つしかないのです。

タイミングを外したコミュニケーションは、
結局すべて無駄なものになってしまいます。

「名僧の言葉」より抜粋

vol. 9643
「和光同塵」老子  (2015/7/21 [Tue])
優れた能力を持ち、人を助けようとする人は、
自分の光り輝く力を隠します。

なぜなら、自分の才能を見せびらかしていては、
人々は決して心を開いてくれないからです。

さらに世間の人と同じような生活し、俗世間にまみれます。
なぜなら、人々のことを知り、共感できなければ、
人を救うことなどできないからです。

人を助け、教える時は、救ってやる、
教えてやるというような高飛車な態度ではうまくいきません。
一緒に進もうという気持ちが必要なのです。

「名僧の言葉」より抜粋

vol. 9642
「良工の材を用うる、その木屈せずして厦を構える」空海  (2015/7/20 [Mon])

腕の良い大工が木材を使う時は、
その木の特性を変えずにうまく生かして大きな家を建てます。

それは大工が木の特性や家の構造をしっかりと把握しているから。
人を用いる時も同じ。

人の性格を無視せずに、長所をうまく生かして使うことで、
大きな仕事を成し遂げることができます。

そのためには、まず人のことをよく理解し、
さらにその仕事を細部まで把握しなくてはなりません。

この二つを心がければ、
質が高く誰もが認める仕事を成し遂げられるでしょう。

「名僧の言葉」より抜粋

vol. 9641
「単刀直入」作者不詳  (2015/7/19 [Sun])
物事を進める時は、本題にずばりと切り込んでいくことが時には必要です。
自分の臆病さや相手への気遣いから本題を避けてしまうと、
相手はまるで自分が避けられているように感じてしまいます。

刀一本で敵の陣地に切り込むように、思い切り飛び込めば、
相手だって決して負けてはいません。

やはり刀を取って戦うでしょう。
しかし、その戦いの中から交流が生まれ、
信頼し合うことができるようになるのです。

つまり、飛び込まなければ何も生まれないのです。

「名僧の言葉」より抜粋

vol. 9640
「此世の人、来たとおもえば、苦労もなし」沢庵  (2015/7/18 [Sat])
何かつらいことがあって、生きているのがいやになった時は、
こう考えるのです。

わたしたちにとって、この世界は一時の住処、
やがて生まれる前にいた所に帰っていく。

つまり私たちは、この世にとってお客さんのようなもの。

お客さんなら、おいしくない食事もおいしいと
言って食べなくてはなりませんし、

暑くても寒くても我慢しなくてはなりません。

一緒に暮らす人々もお客さん同士。
そう思って仲良く笑って暮らすほうが円満にいくのです。

「名僧の言葉」より抜粋

vol. 9639
「忘己利他」最澄  (2015/7/17 [Fri])
人は「自分」にどうしてもこだわってしまいます。
「自分」が欲しい、「自分」がやる、「自分」がしてあげた……。

人のためにしてあげていることさえ、「自分」を忘れられません。
そんな自分へのこだわりを捨てられらた時、
今まで見えなかった人の気持ちが見えるようになり、
本当に人が必要としているものが分かるようになります。

その時にこそ、人のためになることができるようになるのです。
「自分」をいったん忘れて、一歩後ろに下がって物事を見るようにしてみませんか。

「名僧の言葉」より抜粋

vol. 9638
「異体同心なれば万事を成じ、同体異心なれば諸事叶うことなし」日蓮  (2015/7/16 [Thu])
人と人とのつながりがあれば、どんなに難しいことも成し遂げられます。
人とのつながりが一人では決して生み出せない知恵や力、
勢いを生み出すからです。

しかし、たとえどんなに多くの人が集まっても心がバラバラでは、
簡単なことさえ達成できません。

なぜなら、それぞれが違う方向を向いている時は、
お互いの力を削り取ってしまい、
本当なら一人でできることさえできなくなってしまうからです。

心を合わせられるかどうかが、何事にも大切なのです。

「名僧の言葉」より抜粋

vol. 9637
「挨拶」 作者不詳  (2015/7/15 [Wed])
生活の中で私たちは挨拶を普通に交わします。
この挨拶の「挨」も「拶」も押すという意味で、
もともとはお互いに真理を求めて交わす問答のことをいいました。

つまり、挨拶を交わす二人の間には真剣なやり取りがあり、
お互いの真心を込めていたのです。現在の挨拶を振り返ってみましょう。

単なる習慣として、うわの空で挨拶していないでしょうか。
心を込めて真剣に挨拶することで、お互いのつながりが生まれるのです。


「名僧の言葉」より抜粋

vol. 9636
「余の人を縁とせず」親鸞  (2015/7/14 [Tue])
私たちは周囲の人々の力によって生かされています。
しかし、うまくいかないことを人のせいにしたり、
自分勝手なことで人を当てにしたりするのは、
他者の力によりかかって生きることです。

自分で最大限の努力を払い、人々への感謝を忘れないのと、
最初から努力を放棄しているのとでは全く違うのです。

人は皆、他者との関り合いながら生きています。
人との縁は精一杯生きることで自然にうまれるものです。

その縁に最初から頼る気持ちでいては、
良い縁が生まれることはないでしょう。

「名僧の言葉」より抜粋

vol. 9635
「今日ほめて明日悪く言う人の口なくも笑うもうその世の中」一休  (2015/7/13 [Mon])
人の評判ほど当てにならないことはありません。
ほめていたかと思うと、その口で同じ人の
悪口をいうことなど日常茶飯事。

だから、いちいち人のいうことを気にする必要などないのです。
誰が何と言おうと自分の道を歩むこと。

また心もっ悲しみと喜びの間を揺れ動きますが、
それもその時々の感情が生み出す幻のようなもの。
幻に惑わされずに、一歩一歩着実に歩むことが大切なのです。

「名僧の言葉」より抜粋

vol. 9634
「布施というは不貪なり。不貪というは、むさぼらざるなり」 道元  (2015/7/12 [Sun])
人に物をあげることは良いことですが、
その時に必要な心構えがあります。

それはあげるという気持ちを捨てること。

そもそも生きていくために必要なものはそれほど多くはありません。
人に物を上げられるということは、
もともと不要な物を持っていたということ。

つまり、むさぼるような欲望があったともいえるのです。
だから物を上げる時は、不要な物をもらっていただく
という感謝の気持ちを持つぐらいがちょうどよいのです。

「名僧の言葉」より抜粋

vol. 9613
「人のために火をともせば、我がまえあきらかなる」日蓮  (2015/7/11 [Sat])
人のために明りを灯せば、相手ばかりではなく、
自分の周りも明るくなります。また同じように、

人を助けるために我や欲を捨て去れば、
自分にも平明な心をもたらし、判断力が高まり、
物事の真理に近づくことになります。

助けた人からの感謝され、自分が困っている時に、
その人から助けられることもあります。

自分のことばかり考えていると、かえって執着や欲が生まれて、
自分や人を苦しめてしまうのです。
それでは人から助けてもらうこともないでしょう。

「名僧の言葉」より抜粋

vol. 9612
「本来無一物」慧能  (2015/7/10 [Fri])
人は所有することに強く執着し、
物を失うことを恐れ、悲しみます。
物ばかりではありません。

習慣、知識、思想、愛……あらゆるものを身につけること、
それを失わないことに必死になります。

しかし、私たちは本来何ももたずに生まれ、
何も持たずに死んでいくのです。
執着は、短い人生の中のはかない欲望に過ぎないのです。
そうした執着から解き放たれれば、より自由に生きていけます。

「名僧の言葉」より抜粋

vol. 9611
「強弱他に非ず、我が心能くなす」空海  (2015/7/09 [Thu])
自分の信じる道を力強く進んでいける時もあれば、
弱い心が生まれ、欲にとらわれてしまう時もあります。

このように心に強弱が生まれる原因は、
自分の内側、つまり心の中にあります。

悪いことの原因を人のせいにしてしまうと、
自分自身の成長が望めないばかりか、
周囲の人も傷つき、お互いにつらい思いをします。

迷いが自分の中に生まれることを知れば、
いつも強い心を持てるようになり、また人を傷つけることもなくなるでしょう。

「名僧の言葉」より抜粋

vol. 9610
「身を捐て世を棄てて、間者となり、初めて月と花とに余生を送る」良寛  (2015/7/08 [Wed])
欲や囚われの心を捨て、世間から遠く離れて、
ひっそりと暮らすことで、
ようやく月や花の美しさを心から楽しむことができます。

日々の生活で忙しい私たちにとっては難しいことですが、
ほんの少しでもそんな時間を持てたなら、
自然とともに生きる自分の存在を、
あらためて愛おしく思えるようになるでしょう。

何かに追われるように生きていくだけでは、
最も美しく価値のあるものを見逃してしまうかもしれません。

「名僧の言葉」より抜粋

vol. 9609
「たとえば大空の月、諸々の水に宿りたまうといえども、濁れる水には宿りたまわず」一休  (2015/7/07 [Tue])
水は空に浮かぶ月のその水面に映し出します。
しかし、水が濁っていると、何も映りません。

夜空の月を映し出せるのは、濁りのない水だけなのです。

同じように人の優しさや、真っ直ぐに生きようとする気持ちは、
誰の心にもあるものですが、その人の心が濁っていては
外に表すことができません。

人に優しさを伝えたい時は、
自分の心の欲を取り去り、清らかな心を持つようにしましょう。
そうすれば自然と気持ちが伝わります。

「名僧の言葉」より抜粋

vol. 9608
「愛語というは、衆生をみるにまず慈愛の心をおこし、顧愛の言語をほどこすなり」道元  (2015/7/06 [Mon])
人に対して分け隔てなく、慈しむ気持ちを持って接し、
優しい言葉を相手に伝えることはとても大切です。

だからといって難しく考える必要はありません。
毎日の挨拶、お礼の言葉、そしてちょっとした世間話…。
ほんの一言でも声をかけることが、
お互いにかけがえのない存在であることを思い出させるのです。

これを「愛語」といい、言葉とは本来そうあるべきものです。
相手を傷つける言葉は、言葉ではなく、
ただの暴力といってもよいでしょう。

「名僧の言葉」より抜粋

vol. 9607
「まどえる人の楽と思うは、苦をもって、楽と思えるなり」鉄眼道光  (2015/7/05 [Sun])
誰もが楽しく生きたいと思っています。
でも胸に手を当てて考えてみてください。

その楽しみを追い求める気持ちは、
つまらない欲や怠惰から生まれてきたものではありませんか。

もしそうなら、それは本当の楽しさとはいえません。
楽しく感じていても、それはあなたの真心や両親から
遠く離れる苦しみへの道なのです。

逆にたとえ大変な苦労をしていても、
良心を実現し、真理に近づこうとするなら、
それは本当の楽しみであり、幸せです。

「名僧の言葉」より抜粋

vol. 9606
「一切を捨離すべし」一遍  (2015/7/04 [Sat])
私たちはあまりにもたくさんの物に囲まれて生きています。
物を増やすことが幸せにつながるかのように。

しかし、欲には限りがありません。
物を増やせば増やすほど欲望は高まり、
永遠に満足することはないでしょう。

思い切って、物を捨て、最低限必要なものだけにすると、
物欲から心が離れて思いがけない安らぎが訪れます。

まず一つ、あなたのすぐそばにある不要なものを捨ててください。
そこから幸せが始まります。

「名僧の言葉」より抜粋

vol. 9605
「上をうやまい下をあわれみ、生あるもの、とりけだものにいたるまで、なさけをかくべき事」良寛  (2015/7/03 [Fri])
立場が上の人に対しては敬意を示し、
下の者には優しく接する。

生き物には、鳥や獣に対してまで情が欠けることのないようにする。
これは簡単なようでとても難しいことです。

自分の正しさを主張したいばかりに、
人に対する敬意を失うことでもありますし、
立場が下の者には、つらく当たってしまうこともあります。

害があるからと生き物を殺してしまうことなどは日常茶飯事です。
しかし、どんなものにも情けを持つことを
心がければ少しずつ優しさを身につけられるようになるのです。

「名僧の言葉」より抜粋

vol. 9604
「摂取不捨」親鸞  (2015/7/02 [Thu])
優しさや慈悲というと私たちは、世話を焼いたり、
気遣ったりすることを思い浮かべがちです。

しかし、たとえどんなに人を気遣っても、
相手が苦しいときに見捨ててしまっては、
その人が救われることありません。

本当の優しさとは、どんな相手でも受け入れて、
決して見捨てないことです。そうすれば、
相手はあなたの心に触れて、
いつか救われる時が必ず来るのです。
優しさや慈悲とは見捨てない心のことなのです。

vol. 9603
「大慈悲心」親鸞  (2015/7/01 [Wed])
罪に対して、罰を与えることは当然のように思われます。

しかし、罰によって罪が消えるわけではありません。
罰は、罪に対して怒りや悲しみをぶつけたもの。

罰を受けた人だけでなく、与える人の心さえ迷わせます。
罪に対して必要なのは、人を慈しみ育て、
苦しみから人を救い出そうとする気持ちです。

なぜなら、罪を犯した人も罪によって被害を受けた人も心に苦しみを抱え、
道に迷い悩んでいるからです。

そして、周囲の人が慈悲の心を持つことで、苦しむ人の心も癒せるのです。

「名僧の言葉」より抜粋

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