2007年01月の日記

「潜在意識の現状維持メカニズムの基礎はおよそ0〜10歳までに出来上がる」 (2007.1.31[Wed])
ここで僕が何度もお話ししていることで「自己評価を高める」というものがあります。
おおよそ人間が生きていくためには、「自分は存在価値がある」「生きてていいんだ」という、いわゆる自己評価が、最も大切なものです。ところが、僕たちは、それをじゅうぶん、子どもの時代に育まれてきていません。

自己評価とは、何かをやらせて、ほめて、育まれるものではありません。それだと、期待どおりにならないときは、逆に自己否定の方向に向かいます。
自己評価を育む、ということは、子どもの今のそのままを認めていくということです。塾に行っても行かなくても、勉強ができてもできなくても、子どもなりに、一生懸命生きている、それをまず認めて、あなたはとても素敵だよ、大切な子どもなんだよ、ということを伝えていくのです。

そういう土台があって初めて、子どもは、塾でも、さまざまなことに挑戦する意欲を培い、さらに自信をつけたり、挫折しても、またやり直そうという勇気が出るのです。
ただ決してこれは子どものことだけではありません。大人になっても自己評価が育っていない人があまりにも多い。つまり「自分は存在価値がある」「生きてていいんだ」という自己肯定感を持てない大人があまりにも多いのです。

その原因は子どもの頃に親から自己評価をしっかり育まれなかったことにあると思われます。自己評価の反対は自己否定です。「自分は存在価値がない」「生きてる意味がない」というネガティブな感覚です。潜在意識の現状維持メカニズムが強く働く人には、実はこういうタイプが多い。
自分では頭の中では理解できていないけど、小さな時に自己評価が育まれてないばかりに、潜在意識自体も「自分は価値がない」「自分はやっても無理だ」と思い込んでしまったのです。

例えばあなたに聞きたい。あなたはあなたのことが「大好き」ですか。「自分には存在価値がある」「生きてる自体が幸せだ」と思えますか。思える。実感できる。と即答できる人は小さい時に「自己評価」を育まれてきた人です。
「う〜ん・・・」と考えてしまう人は、そうでない人。小さい頃に自己評価が育まれてこなかった人です。だから否定的な「現状維持メカニズム」の引っ張りが結構強い。表面意識では「これはいい。こうなりたい」と思うことでも、結局は現状維持メカニズムによって「やっぱり無理よね」と引っ張られてしまう。自分自身がいつまでも変化できない。これは悲しいことだし、それでは死ぬとき辛いです。

多くの皆さんはこの潜在意識の現状維持メカニズムを変化させるために、「ダイナマイトモチベーション6カ月プログラム」を実行していると思います。
それで、僕からのお願いなんですが、夜寝る前に鏡に向かって自分に対して心をこめ微笑みながら7回「ありがとう」を言ってみて下さい。そして今日からこの自分に対する笑顔の「ありがとう」を口癖にしてみて下さい。自然とあなたは「自己評価」が育っていきます。ありのままの自分をまず認める。自分に感謝する、そういうことができればあなたの潜在意識も自己否定型から自己肯定型に少しずつ変化していきます。
継続は力なりですよ。
☆ 夜寝る前に鏡の自分に向かって笑顔で7回「ありがとう」を言い続けることによって、あなたの自己評価は必ず高まっていく。自己評価とは「自分は存在価値がある」「生きてていいんだ」という自尊感覚のこと。

「一日の96l同じコトを繰り返している」 (2007.1.30[Tue])
皆さん「ダイナマイトモチベーション」続けて楽しく頑張ってますか?

さて、人間が一日に頭を使うのは、なんと6万項目あるそうです。今日はいい日だ、曇っている、寒い、暑い、今日の出前は何を取ろうか、あの人は挨拶がいい、あの人は感じがいい、これは嬉しい、これは楽しくない・・・といった判断を6万項目選択しているのだそうです。

「ボ〜」としているとか、「全然頭なんて使ってない」と思ってる人でも、実は人は等しく物凄く頭を使っているのです。
そこから学習力のある人とない人に分かれてきます。
ほとんどの人は、6万項目のうち98lは繰り返しのパターンにはまってるんだそうです。

こう聞くと「う〜んそうかもしれない・・・」となんとなく思い当たるでしょ。現状維持メカニズムのままほぼ毎日を繰り返している。昨日と今日で同じことを繰り返しているのです。

それが学習力のない人です。

たった2lしか、それも食事の内容を酢豚から肉野菜炒めぐらいしか昨日とは変えていないんです。

最もつまらない生活は、刑務所で毎日同じことをさせられることです。人間は毎日違うことをさせられたら、刺激があります。でも、どんなに快適でも同じことをさせられたら、飽きてつまらなくなるもんです。

人間はほおっておくと、98l昨日と同じことを繰り返します。昨日と同じことを繰り返せば、どんなに楽しいことでも3回目ぐらいには嫌になります。つらくても楽しくない日を2回、3回と繰り返せば、嫌になるか、ただ惰性に流されているかです。
でも、ほとんどの人がそれを繰り返したまま死んでいくのです。
そういう人は、一日24時間ではなく、実は自分の“いのち”を何分かしか生きていないのです。実はこのまま死んだら、はっきり言ってヤバイのです。生まれてきた目的の一つは、学習能力をつけて変化成長していくことなのです。
学習力は、パターンにはまっていない新しい何かを感じ取る力です。

 今まで「なんか嫌だなあ」と思っていた女性が、意外に「かわいいとこあるじゃん」と思えるようになると、それは昨日より変化成長してきているのです。
変化していることが学習です。学習すると、人の悪口を言わなくなっていきます。
悪口は、自分の持っている過去の知識のパターンに当てはめて人を評価することです。悪口も噂話も、ほとんどがパターンで動いています。だから生産性がないのです。
 だけど昨日と違うことをすると、それは必ず変化して必ずプラスの表現になっていきます。今まで好きなタイプだと思っていたのに、たいしたことないというマイナスの判断は、新しいことをしてないと変化がなく後退してるのでそうなってくるのです。

もう一回聞きますよ。皆さん日々ダナマイトモチベーションで変化成長してますか。
☆昨日と違うことをして変化させよう

「有意義にお金を使うことができるのか」 (2007.1.29[Mon])
付き合っていて“気持ちいい”と感じる人間関係のバランスは、実は金銭感覚のレベルで決まります。 金銭感覚が合っていない人とはうまく付き合えません。生きてる次元が違うからです。

中途半端な小銭持ちにとって一番大事なものはお金です。
だけど本当のお金持ちの一番大事なものはお金ではない。なぜならお金は余ってるからです。貧乏な人の大事なものもお金ではありません。一番大事なものであると思われるお金がそもそもないから、そんなものに価値を感じないのです。

今はほとんどの人が貯金をして小金持ちの状態にいますから、お金が一番大事という社会で生きています。だからこそ、お金で一番苦労する。

こんな拝金主義の中から抜け出すためには、お金以外であなたがサービスできることは何かないかと一生懸命考えることです。
一万円手にして、その一万円のお金を使うことは簡単です。ただ、そのお金を使うために体を動かして汗をかき、頭を使わないと、その一万円を有意義には使えません。

お金を生かそうとすればエネルギーがいるのです。有意義に使おうとすればするほど。

たくさんお金を使うのが浪費ではない。浪費とは、汗をかくこともなく、頭を使う事なく、体を動かすこともなく、イージーにお金を使った、たとえ100円でも浪費なのです。そのお金は、その人の身につかないからです。

知恵を絞って、汗をかいてお金を使うから、その100円が生きるのです。100円が100万円になっても、知恵を絞って、汗をかいて使った100万円は必ず身につきます。

これはプレゼントなんか一番よくわかります。高いものだからといって相手が喜ぶとは限りません。安いものだからといって相手が喜ばないとは限りません。
100円ショップで選んだプレゼントだとしても、プレゼントを贈る相手に対してどれだけ知恵を絞って、頭に汗をかいて、考え抜いて贈ったプレゼントはその人の心を動かします。それは意味があるのです。それはケチということではないですね。

例えば100万円のプレゼントをしたとしても、そこに絞った知恵も流した汗も何もなかったら、それは相手に伝わらないし、心からの喜びは与えられません。
「ありがとう」と言ってくれても、口先だけの「ありがとう」で、あしたになったら誰からもらったのかさえ忘れてしまいます。
こういうお金の使い方は浪費です。

お金を使うのはいかに大変か。
「お金を稼ぐのは大変だ」と言ってる人は、まだお金の使い方の苦労を知らない人だってことです。

☆プレゼントは金額の大小ではない。頭を使い、汗をかいて、知恵を絞った贈り物ほど人の心を動かす。 そういう人が有意義なお金を使える。

「お金が手元に残らないような生き方がいい」 2007.1.28[Sun]
お金の使い方、お金の稼ぎ方、どちらが大切なのでしょうか。
お金の使い方がわかってきたら、稼ぎ方はおのずからついてくるものです。
でも人間は、まず最初にお金の稼ぎ方ばかりを考えようとします。どうやったら稼げるかばかりを考えます。使い方がわからないのにです。
手元にお金が残らないように正しく使って行けば、どんどんお金は返ってきます。お金の使い方は難しくありません。お金で難しいのは残そうとするからです。お金が手元に残らないようにするにはどうしたらいいかと考えていけば、お金で苦労することはありません。

例えば、田舎からリンゴが送られてきました。自分では食べ切れないので、このリンゴが傷まないうちに誰かにあげないといけませんよね。誰にあげようかと考えた時、その人に友人や知人がいなかったら、そのリンゴは腐ってしまいます。
でも、今まで一度も話したことがなかった隣人や、職場の人や、いつも会う人にあげてみよう、ということで、人間関係が広がっていきます。
そこでリンゴを腐らせてしまう人は、結局は、せっかくのリンゴを上手に生かすことを知らないのです。

これと同じようにリンゴも生モノ、お金も生モノです。リンゴと同じようにほおっておいたら腐るのです。「じゃあ投資として使うのですね」という人もいます。投資とはお金を稼ぐという発想です。稼ぐことが目的ではなく、人生の喜びが目的として使うのです。人生の喜びとは、自分の好きなことができて、成長し合える友達や仲間がいることです。
好きなことができて友達や仲間がいるという目的のために、お金を使うのです。投資の発想でいくと、常に見返りを求めてますから、その人の目的は、結局はお金を増やす先行投資のためとなってしまいます。「こうしたら、いくら返ってくるのか」という考えでは決して楽しくは使えないです。
それより「返ってきたら、それ以上にお返しをしよう」と考える人のほうが、お金はどんどん入ってくるものです。

例えばあなたのところへお金が入ってきたら、たまたま代表でお金を受け取ったと考えるのです。決してあなた個人にお金が入ってきたわけではない。あくまで仲間の代表としてです。今度はそのお金を仲間の豊かさと成長のために分配していかなければなりません。
周りの人たちの助けや、教え導いてくれる人があって、代表でお金が入ってきているわけです。だから、利益は分配するのです。自分一人の努力で稼いだ訳わけではないのです。ここで勘違いすると、とかく自分や家族のためだけに使って、周りの人とのコミニュケーションが終わってしまいます。

周りに借りができているのに、あなたはまわりに借りができていることを意識できていない。自分にだけ現金が残らないようにしていくためには、周りの人にも受け取ってもらうことなのです。お金は流れているものですから、流れを止めたら、もうそれ以上のお金は入ってきません。
 お金は苦労して稼いだものだから、そう簡単には使えないと思っています。でも苦労して稼いでも、あなたのところにお金がたまったまま使われないとしていたら、あなたがお金を使わないことで、お金の流れが滞っていきます。
お金は一人で持つのではなく、全員で持つという発想。それが無理だったら、全員のために使うという発想を持ちましょう。自分はできるだけ空にして、身軽にしておくことです。
☆ お金は稼ぎ方よりも、使い方や生かし方を覚えよう。

「お金は人生の旅行費」 2007.1.27[Sat]
僕の祖父がいつも言っていました。「お金は残すものじゃない。自分が心の豊かさを経験するために使うものだ」と。祖父は自分の人生の豊かさを得るためにお金を使い切ってお浄土へ還りました。見事でしたね。一切子孫には残さなかったわけですから。

祖父が決めていたことは、死ぬまでにちゃんとお金を使い切って、借金もなく、かといって貯金もなく終わること。こういう生き方がもっともお金の使い方がうまい人の生き方なのだって言ってました。じゃあ残された祖母や家族はどうすればいいのかという問題じゃない。「なるようになる」なのです。それぞれが自覚を持って自立していくものなのです。

いい使い方が見つからないから使えないと、ずっと貯金している人がいます。
 いい使い方が見つかったらお金を使おうと考えていると、結局はその人はいつまでたってもお金を使えません。お金のいい使い道はないかと考えて立ち止まるから、つい貯金してしまうのです。

人は何かに使おうと目標があるから考え、実際に使うことで、初めて人間はお金の使い方がうまくなっていくものなのです。

「100万円あったらどうしますか」「1000万円あったらどうしますか」と聞かれたら、たいていの人はまず「将来のための貯金です」と考えます。

う〜ん、結局その人は「今やりたいこと」「引かれるもの」がない。

つまり、「何に使うか」と考えることは、人生の目標を見つけていくことです。自分は何をやりたいのか、これからどこへ行くのか。行きたいところがない人はお金が必要ないから、みんな将来の不安に対する貯金になってしまいます。

これは一見もっともそうですが、実はこれをやっていること自体が、潜在意識の現状維持メカニズムの最たる例ですから、まず今の位置とは何ら変わらないし、今いるところから何ら前進することはできません。これは借金を返済していてもです。5lでも自分の目標のために使うということが必要なのです。

いかにして使うかということは、自分はどこに行くのかを見つけることです。
目的地に行くには旅費がかかるのです。人間は一生の旅をしていて、お金はそのための旅費なのです。
「教育費」とか「交際費」が大切と言いましたが、その二つは、結局人生という旅をするための旅費なのです。費用をかけないと前には進めないのです。

☆豊かな経験を得るために、お金は使い切って死んでいこう。

「お金を使ってやってるのではない、使わせていただくのです」 (2007.1.26[Fri])
お金を使うときになるとほとんどの人が「私はお客よ」「俺は客だぞ」と頭を傲慢に上げます。こういう人はお金の使い方がムチャクチャ下手な人です。
人はお金をもらうとき、やたら相手に媚びたりします。そんな人に限ってお金を払うときには、急に高飛車になるものです。

僕がよくフロントや営業の人たちに言ってることは、「ミスはミスとして認め謝罪しなければならないけど、お金の使い方(傲慢な人)が違ってる人は何かトラブルがあったら縁を切るように」です。こういう人は必ずトラブルメーカーとして会社のエネルギーをマイナスに引っ張るからです。そういう人とは早く縁を切って、気持ちの良い人とプラスの信頼関係を築く方がよほど商売的にも効率的で気持ち良く儲かります。

お金は、「使ってやる」のではありません。「使わせていただく」のです。

「お金を使わせていただきます」というぐらいの謙虚な姿勢をとって、初めていいお客さんになれます。つまり同じ1万円を使っても、そこで傲慢な態度をする人は8000円以下の楽しみしか得れません。
だけど謙虚にしているとそれだけで2万円以上の値打ちを与えられたりするものです。
ふだんお金を使っていない人ほど、たまにお金を使うと急に高飛車になりますが、それはお金は何のために存在してるのか全く分かってないからです。自分の我欲を満たすものがお金だと勘違いしているからです。

お金は「ありがとう」と使えば使うほど自分自身が磨かれます。お金を使うことで友達も増えます。お金をコツコツ残していったら、結局そのお金は水が滞って腐るように結局は死んでしまうのです。
これからの時代は、どんどんデフレに向かってます。モノをいくら持っていても、モノの価値がどんどん下がっていく。これは短期間のことではなくて、長期的な時代の流れです。モノの値段が下がっていく時代には、モノを買うよりも有意義なお金の使い方を考えることなのです。

例えば、生きたお金を使ったという思い込みには、モノとして「何かが残っていると良い」などと考えたりします。昔の結納金はタンスや食器道具一式を買うみたいなもんです。
これからの時代は形のないものにお金をかけないといけません。お金を使うことによって、経験と感性の中に刻まれているというものにです。

現在はあきらかにモノから心の時代になっているわけです。だからモノばかりにお金をかけていたのではいけない。世の中の流れがデフレに進むと、モノよりも現金を持ってる人が強いと言われてます。でも、お金の時代になるとしたら、貯金することがいいのかということになります。そんなことしたら、この世のあなたの自身の“いのち”はなんら磨かれないし、生きるはずはありません。

お金を現金で持っているだけでは、生かすことができないのです。モノよりお金、お金よりお金を使って得た「経験」「体験」の方が大事なのです。目に見えないものに「お金使わせていいだきます」ことの方が絶対に運が向いてくるのです。

☆お金は「使う」じゃなく「使わせていただく」もの。目に見えないものにお金を使うと運が向く。

「値切るのはお金の使い方のヘタな人です」 (2007.1.25[Thu])
お金を値切る人はお金の使い方がムチャクチチャ下手な人です。
よく「いくらまけてもらったよ。いや〜儲かった!」と自慢たらたらの人がいますが、実は儲かってはいません。値切られた分だけその後のサービスやアフターを省略されるからです。

家を新築したりリフォームをする時、「もうちょっとまけてよ」「安くしてよ」と言うと、「う〜ん、じゃあここまでギリギリで」と言って、いくらか安くしてくれます。でも、それは原価の材料費などをケチっているわけです。
業者は、損をしてまで仕事を引き受けるなんて絶対にない。「これでは、うちは赤字になりますよ」と言いながら、実は原価をケチって利益を出します。そんな事情は素人にはわからない。値切っている方は、原価を削られていることに気づかれず、得をした錯覚に陥っているだけです。

また同じ商品を売ってるのに店によって値段に差がつくのは、すべてサービスの違いです。モノには必ずサービスがのって金額が決まってます。
モノの値段が「原価+利益」だった時代は、もうとっくの昔に終わってます。モノの値段は「原価+利益+サービス」です。

だから例えば1万円のものを8000円に値切ることによって、2000円分の目に見えないサービスをハッキリと削られるのです。メンテナンスもです。それ以上に、売る側の人との人間関係を削られています。

ところが、お金の使い方のうまい人は、1万円のものに2000円のチップをのせて1万2000円で買ったら、2000円のサービス代がのせられて、実際にはもっとたくさんのサービスが返ってくることを知っています。結果的には2万円分の品物とサービスを手にしてしまう。

だから相手が「これは1万円の商品です」と言ったら、「じゃあ、1万円とあなたの手間賃やサービス料として1万2000円お支払いします。また何か皆さんで美味しいものでも食べて下さい」と言います。値切られるのには慣れていても、この場合は金額を追加されるわけですから、2000円のチップがのっているわけです。

相手は「えっ!」と驚きます。

そしてこの2000円まのチップに何かでこたえないといけないと思い、結局は2000円以上のサービスをしてしまいます。

いわゆるこれは「先払い」の発想なんですが、こうしておくことで、あとからいろいろな錠のサービスがあったり、メンテナンスが良くなって結局は2000円以上の価値を得れるのです。このことをよく知っておいて下さい。上手なお金の使い方はねぎるのではなく、逆にチップをはずんであげることなんだってことを。

☆値切る人はお金の使い方がムチャクチャ下手な人です。お金の使い方の上手い人は値切らずに、チップをのせます。

「お金を使うことはすべて授業料」 (2007.1.24[Wed])
少しばかりお金についての考え方、とらえ方をお話しします。
よく廣瀬のお母さんが「お金を使うことはすべて授業料なんよ」と言われてますが、その通りです。人生を豊かにするためには、2つしなければいけないことがあります。

1つは、自分を磨くこと。これは教育費です。
もう1つは、共感できる人の和をつくること。会社でいう接待交際費です。

お金の使い方には「教育費」と「交際費」があるのです。
お金を使うことはすべて授業料であり、教育費であると知っておくことなのです。

習い事をしに行くと、それは教育費としてカウントされます。レストランに美味しいものを食べにいくと、家計としては飲食費にカウントされます。でも、おいしいものを食べることも立派な教育費です。それはインテリアを見る、ウェイターのサービスを感じる、器を見る、美味しい料理を味わう、周りにいる大人たちの立ち振る舞いを見て学ぶ。
それは、結局習い事をしに行っているのと同じことなのです。
サービスの良いホテルに宿泊する、自己啓発の勉強会に出席する、資格習得のためのセミナーに参加する、旅に出る、本を買う、服装のお洒落を楽しむ、体のメンテナンスをするためのお金を使うことはすべて教育費なのです。

教育費というと、家庭教師代、塾の費用、自分自身の習い事ということばかり考えてしまいますが、決してそうではない。
お金を使うことはすべて教育費なんです。また交際費は、別の言い方をすれば人間関係をつくっていくために使わなければならないお金です。

お金は、自分の人生をより豊かにするために使うものですから、授業料だと思って、お金を使うことです。と考えておくと、服装にしてもいいものだけは一着持って、という考え方はおかしいのです。毎日着ているスーツや洋服がみすぼらしいのに、年に一回着るか着ないかのスーツにお金をかけてしまうのは、授業料になっていません。

潜在意識のメカニズム的に言うと、まず毎日着るスーツや洋服に思い切ってお金をかける。お金をやたらめったらどんどん使えということではありません。大事なのは、結局は何を買って何を買わないのかという配分です。とにかくお金は豊かになるため、使うためだということを知っておくことです。
大抵の人は「貯金」第一と考えますが、その人は「やりたいこと」「目指す豊かさ」がないということも知っておかねばなりません。自分を豊かにする方法や方向が「ない」「分からない」だから、「貯金」になってしまっているのです。

☆お金を使うことはすべて授業料です。授業料は「教育費」と「交際費」の二つがあります。とにかくより自分の人生を豊かにするためには、「とりあえず貯金」という発想から抜け出し、感性が豊かになる体験を得るために使っていきましょう。

「見方を変えると結果が変わる」 (2007.1.23[Tue])
小さいころから傷ついてきた人、周りの人からいろいろされてきたほど”強い”です。大人になっても傷つきにくい。逆に、小さいころ「訓練」が少なかった人は、大人になって傷つきやすい。どちらにしても、誰の人生であっても人生の中で「傷つく」総量は変わりません。

 この人は少なくて、この人は多いということはない。トータル的に見ると一緒です。「傷つきやすい」のが早いのか遅いのかの違いだけ。キリストが言った「貧しきものは幸いである」というのは、観念論や宗教論ではなく、おおよそそうなっているということを言ってるわけです。

このキリストの言葉は、日本で昔から言う「楽は苦の種、苦は楽の種」や「若いときの苦労は買ってでもしろ」という思想と合致しています。いつまでたっても「苦労が多い」「貧しい」「病弱」「ツイてない」と思ってる人は、過去のマイナスをひきずってる人です。あの苦しいことがあったからこそ、今の自分があると、自分の過去を受け容れ見方を変えていくと「苦は楽」に転じていくのが法則なのです。この事実に早く気づくことだと思いますね、自分はいつまでも「ツイてない」と思ってる人は。

さて「ものごとの見方」や「とらえ方」は一生涯かけて学ぶ価値のあるものです。

ある旅館の経営者が「夕食後の後片付けをしていたのに、お客さんがなかなか席を立ってくれない」と悩んでました。
僕は彼にこう言いました。「あのねえ、旅館の雰囲気が悪けりゃあ、お客さんはとっとと食堂から無言で出て行くけど、居心地がいい場合は食べ終わってもグズグズして、なかなか食堂から離れられないもんよ」

その話を聞いた日から彼は、夕食後のお客さんがグズグズしているのを見て、大変「幸せ」を感じるようになったとのことです。
まあ、こういうことなんです。現象は何も変わってない。「見方」や「とらえ方」が変わっただけなんですが、その結果、「イライラ」し、「不快に思っていた」ことが、逆に、喜びや幸せになったりしたのです。

事故に遇ってもそうです。僕は事故に遇って入院して、「入院費をもらいながら本が集中して読める」と一カ月の入院を「静養期間」を仏さんから与えられたと感謝しました。お陰さんで、本は読めるし、自然に病院内で法話会を開くようになるし、多くの人とご縁をいただいて楽しかったし、僕にとっては、いたれりつくせりの入院だったわけです。

これは手のひらを骨折した時もそうでしたね。手術は目ん玉が飛び出すぐらい痛かったけど、それ以上にいろんな事をその入院生活で学べたというか、やはりなんでも「見方」や「とらえ方」次第だって実感しています。

☆目の前にくる現象やものの「見方」や「とらえ方」次第で、その後がツクかツカないかが天と地ほど差がでます。何でも目の前に来ることは好意的に受け取ることがポイント。

「一喜一憂しない」 (2007.1.22[Mon])
よく「強い精神力を持つこと」と言われると、つい力んで頑張りますが、それでは強い精神力なんて持てるはずがありません。

実は「強い精神力」を持つには「ボッ〜」とすることです。構えない自分、過剰にならない自分でいるということです。

「神経をはりつめて何者をもはねかえすこと」ではありません。ガードすることでもなく、自分の周りを自分の思い好みどおりにつくりかえることでもありません。闘って状況を変えることが、強いと思ったら大間違い。

そういう人はハッキリ言って弱いです。傷つきたくなくて、ガードしている人は、強くみせているけど、実は脆い。弱い。バカにされても「そうかもしれんなあ〜」と笑って、傷つかない人が、一番強い。
メンツ、プライドを傷つけられても、笑っていられるのが本当に強い人であり、そのためには、一喜一憂しない自分になればいい。何があっても「仏さんが与えてくれたんだから必要なんだ」と受け容れればいい。

すぐに「一喜一憂」するということは、やはり「私が」という思いが強いんでしょうね。その強い「私が」が自分を縛っていくんです。だから逆に脆く、弱くなっていく。あまり「私が」と思わない人はそれがない。だから「私が」に縛られない。縛られてないから、実に心が柔軟で軽い。だからこそ強いんです。

例えば、「私一人の力で頑張ってるぞ」という人いますよね。はたから見てたらよく分かる。そういう人の力量は、一です。
だけど「私にはそんな力はない」と思っている人が、百人の人に感謝していくと、その力量は、百です。百人に感謝すれば百人の味方を得るということです。

さらに五百人に感謝することができたら、五百の力を頂ける。もし千人の人に感謝できたら千人の力を得ることができる。と言う事は、「千にん」は「仙人」かもしれれません。山を駆け上がったり、雲の上に昇ったり、それはもうすごいパワーがでるということになる。そのことを昔から千人力と言うんじゃないでしょうか。しかしそこには千人の人への感謝の心があるということです。

だから「私が」にあまりとらわれない方がいい。一喜一憂せずに、淡々と「ありがとう」と感謝しておけばいい。その方が絶対に精神力というのは強く発揮できるんですから。

☆「私が」という自意識に縛られつかまればつかまるほど、クタクタになって精神力は弱くなっていきます。逆に「私が」という自意識から解放されればされるほど、心豊かになって精神力は強くなっていきます

「三つの“さ”」 2007.1.21[Sun]
三つの“さ”を覚えて下さい。「ひたむきさ」と「謙虚さ」と「奥深さ」です。

「ひたむき」で「誠実」な仕事ぶりであったなら、会社を辞めても“評価”は残ります。さらにもう一つ、“奥深さ”があったなら、あなたは魅力的な人として、ずっと付き合っていきたい存在になります。それは同僚からも上司からも同じです。

そして「謙虚さ」です。一つは、仏さんの流れや願いに対して、自分の好き嫌いでものを選ばないこと。そういうのを実は「無我」と言い、「謙虚」というんです。仏さんが周りや上司を使って「こういうことをやりなさい」という提示があって、そのような流れが始まったとき、その流れに船を浮かべ、流れに抵抗せずに下っていくこと、それこそが「謙虚」であるということなんです。

「謙虚さ」というものには、もう一つの側面があります。それは、自分が常に未熟であり、完成された者でなはないということ、まだまだ向上する余地があるということです。そのように思っている結果として、勉強し続ける。

人生の折り返し地点(前半生)までは、努力し頑張ることが追い風になってくれます。ところが、折り返し地点を過ぎると(後半生)、努力して求めれば求めるほど、同じ風が逆風になります。逆に捨てていくことが追い風になります。
この捨てるというのは、物ではなくて「こころ」の話。自我、欲望、要望、欲求、執着、そういうものを気づいて「まっいいか」と捨てれば捨てるほど、後半生が楽に生きれます。つまり捨てれば捨てるほど「謙虚さ」が身についていくということなんです。
 そうすると必ず追い風が吹いてくるのです。

宇宙の仕組みって実によくできてると思いますよ。

☆三つの“さ”を大切にしよう。その“さ”とは「ひたむきさ」「謙虚さ」「奥深さ」です。特に「謙虚さ」は自分はまだまだ未熟者だと認識できる気持ちから起こってきます。この気持ちが起こってくる以上、あなたはまだまだ向上できる余地ありなのです。

「渡部さんに数波分析してもらいました」 2007.1.20[Sat]
数波分析とは「自分の名前からの暗号」「自分の生年月日からの暗号」「自分の名前+生年月日を重ね合わせた更に深い暗号」によって、自分自身をさらに深く知って、より大調和の世界を生きようという意図で開発された「数字時統計分析学」です。20年かけて、よくもまあこんな数式を考えついたもんだと渡部さんの探求心と継続力にはただただ脱帽です。
僕の名前は「中田輝道」です。この名前を数字に表すと、(表)4893(裏)6726(臆)10629
これと同調する波波動詞(表面・肉体意識)は、
◆性格→◎執着が無い◎ゆっくりと落ち着いて取り組めばいい。◆性格の傾向性→◎期待・頼られる・信頼されることによって真っすぐ伸びて行くタイプ ◆意識する言葉→◎「はい歓んでさせていた だきます」←人生の中で頼まれ事が多い◆ 運気→◎社会で大活躍するタイプ◆ラッキー花 → ◎白いチューリップ◆人生全般のテーマ→◎いつもお天とう様・仏様・神様と一緒です。
こういう詞と僕の名前の数波とが同調するわけです。「う〜ん当たってる」と思わず呟いてしまいました。次に僕の生年月日は「1957,1.4」です。これを数字に出して同調する波動詞(潜在意識の自自分は、(表)1956(裏)9663(臆)10629
◆仕事の成功と人生の成功の縁を人(物・金・人と心のバランスを取って成功に導く人)◆宇宙の中心のエネルギーを組織の中心より発振して世の中をプラスの方向へ変えていける人◆営業は自分を素直に売り込めば結果が出てくる人◆天・人・地のバンスを保ち発展させる地上最強の商人◆常に嬉しい気持ちで仕事ができる人◆自分が備え持つ数波エネルギー(身・口・意)で人を幸せに導ける人◆宇宙の中心と心の根っこが太くつながっている人
と出ました。褒め過ぎじゃない?と思えますが、僕の潜在意識の中にはこういう一杯いいものが宿っていると教えてくれているわけです。これを知るのは凄いというか、ありがたいなあ〜と感謝しました。
次に「なかたてるみち195714」と名前と生年月日を入力すると、(表)4893(裏)6423(臆)10326
これと同調する波動詞(いのちの自分)、このメッセージはより自分の心の奥底から来たものです。
◆出会う人のご縁を大切にするんだよ◆「ありがとう」と「和」を大切にしていく◆「調和元年」美しい日本詞を大切にしていく◆移動することで気持ちが変わり運も変わります◆「何で生まれてきたんだろう」「何で生きているんだろう」と常に問い続ける人
ここまでくるとまったく自分が意識できない自分です。ここでは自分の“いのち”から人との縁、そして詞の大切さを教えてくれています。また一つ場所に止まるのではなく、常に移動して「気」を変えることによって運が大きく開くことも教えてくれています。また自分への「問い」は“ドキッ”としました。僕が昔から癖のように思い続けていたことですから。ただその問いがあったから、精神的に深まっていったわけですから、これも生まれた時から仕組まれていたんだ〜と納得しました。
次に「中田輝道の人生とは」をコンピューターに入力して出てきた数波が (表)44210(裏)6996(臆)10427
です。この数波から出てきた人生のキーワードが、
◎豊かな人生を創り出す◎喜びと感謝の詞を毎日使います ◎人とのご縁を大切に育てます ◎相手に与える中から力をいただいていきます◎目標は達成するまで想い続けることで達成できます ◎相手に喜んでいただくことが一番大切なのです
でした。「な〜るほどなあ〜」と更に納得。とにかく皆さんの「肉体意識」「潜在意識」「いのち」「人生のキーワード」、すべて数波分析で調べることができます。
今日は渡部さんが開発した数波分析をお知らせしました。興味のある人は、インターネット「数波」をのページを開いて、自分でやって見ると面白いよ。ただ今回はっきりと自分の特性が分かったということ。あなたの特性は?占い的なものでなく(渡部さん的には、人の観念が入るから駄目)、統計的数字分析学で調べてみるのも新たな自分を発見できて楽しいですよ。

「プラス面を評価する」 (2007.1.19[Fri])
極端な場合を除き、どんな出来事・事象にも、プラスに見えるところとマイナスに見えるところが同じように同居しています。
ものに表(光が当たっているところ)と裏(影になっているところ)があるように、常にプラス面とマイナス面があり、その表の部分(プラス面)を評価するようにしていくと、ものや人の見方やとらえ方が変わっていきます。

人生にトラブルが多いのは、多分、人や出来事のマイナス面ばかりを見ていて、批判的だからです。自分が物事を好意的に、プラス面に見始めると、それほど嫌なことに囲まれているわけではないことに気づきます。
そうなると発散される気がとげとげしくないから、多くの人が笑顔で近づいてくるようになり、頼み事も笑顔でやってくるようになり、人生が楽しくなります。つまりツイてることが頻繁に起こるようになってくるのです。

僕は30代前半の頃、交通事故で一カ月間入院したことがあります。
リハビリ中ある人が先生から「あなたねえ、できないことばかりを挙げてないで、できることを考えて、挙げましょうよ」といわれていました。その人はその後「ハッ」としたといいます。考えてみたら、できる事の方が圧倒的に多いのに、「できないことばかりをあげていた」というのです。

足を骨折していたとしても、テレビは見れるし、食事もじゅうぶんできる。手紙もかけるし、本も読めるし、電話でお喋りもできる。よく考えてみると、できないことより、「できること」の方が圧倒的に多いのです。
 そういう事実に気づき、それを理解し、「できること」に感謝して意識を向けだしたら、今までと全く違う早さで体が治り始めたのです。

入院中に分かったことですが、「笑う」と老化予防され、反対に、眉間にシワを寄せると老化物質が出るらしい。

また鎖骨と鎖骨の間に、指が一本くらい入るくぼみがあります。ここは、強く押すと息が止まってしまう急所でもあり、免疫を司っている非常に重要なツボで、体の縦と横の神経が交差しています。
面白いことに、首を縦に振ると、このツボが刺激されて免疫力がアップされます。つまり、頷くことによって免疫力がアップして元気になるのです。

反対に、首を横に振ると、免疫力が低下するようにツボが刺激されるらしい。否定をすると体が弱るというような仕組みになっているのです。不思議でしょ?

人間の潜在意識も凄く不思議ですよね。ウソでもいいから「20才にしか見えない」と鏡に向かって言い続けると、体は自然と反応してくれます。「もしかして、私は若いのではないか?」と細胞が思い始めるのです。

☆ 自分の思いや言葉というものは、実はとんでもなく強力に、自らの体や人生をコントロールしており、僕たちが何げなく言った一言によって、体や人生は物凄くプラスにもマイナスにも律義に素直に反応してくれていることをお忘れなく。

「あなたの行動の97lは潜在意識がコントロールしている」 (2007.1.18[Thu])
うち会社では全スタッフが“ダイナマイトプログラム6カ月”のテープで自分自身の潜在意識”の書き換え作業を日々実践しています。
人生が思い通りに進まないのは、ほとんどの場合、この潜在意識の現状維持メカニズムが作用してます。つまり過去の自分を「変化させたくない」無意識メカニズムです。
誰だって前向きに前進したいと思ってます。少しでも成長したいと願ってます。それにもかかわらず、心にストップがかかってしまうのは、潜在意識の現状維持メカニズムが作用しているからなんです。
潜在意識に悪意はありません。あなたの現状をでるだけ維持することで、あなたを守ってくれようとしているだけなのです。

子どもの頃、あなたがちょっとしたチャレンジをしようとすと、お母さんは何と言ったでしょうか?「危ないからやめときなさい」と言われた、という記憶もあるでしょ。お母さんには決して悪気があったわけではない。
 あなたを大切に思うがあまり、あなたにちょっとでもリスクがあることには、過剰に警戒し、やめさせようとします。親心です。
潜在意識の現状維持メカニズムがまさにこれです。

しかし、今の自分からステップアップしようとするときには、せっかくの潜在意識のこの“親心”が、どうしてもマイナスに作用してしまう。じゃあどうしたらいいのか?
潜在意識を、新しい自分に徐々に慣らしていけばいい。
つまり自分自身の潜在意識を、新しい自分に徐々に慣らしていけばいい。新しく好ましい癖づけををしていけばいい。その癖を気持ち良く潜在意識に書き込んでいけばいい。それが現在取り組んでいる「ダイナマイトプログラム6カ月」です。

で、このスタートは、繰り返して、できるだけゆっくり気持ち良くやる。
これを心掛けることで、潜在意識の現状維持メカニズムをなだめすかすことができます。
よくやるのはこのスタート時に、一気にきばってトップギヤに入れてしまうこと。すると目標をもっていながら、中途挫折してしまう。こういう場合、潜在意識が「危ない!」とストップをかけたのです。 だから、最初の成果は本当に目に見えないくらいにわずかなほうがいい。しかし、そのわずかな変化が、実は物凄く大きなことを実現したことになるのです。

さて、うちの会社で、このプログラムをスタートして、今年は7月にある繊維製品品質管理士の受験をするスタッフが12名います。テキスト代14,190円の内、半額の7,000円は会社の方で援助しちゃいましょう。やまっちは、パソコンを習いにいくみたいだし。みんな目標設定してるよね。
 また青山学院の長岡と山口大の花房、両名が5月13日(土)AM9:30〜PM5:50より東京会場で開催されるTES受験講習会カリュキュラムを受講して、他のスタッフには毎週水曜日の君津工場でPM7:00〜9:00まで受験学習ポイントを教え伝えていきます。奴らは得ですよね、二度も勉強できるんだから、より合格に近い。
今年はスキル的な技能審査も定期的に実施していく予定ですから、6カ月後に成りたい自分を具体的にイメージして頑張ろう!まずは勇気を出して第一歩なんです。
☆「心のブレーキ」とは、誰もが心の奥底に持つ「潜在意識の現状維持メカニズム」のこと。このメカ ニズムが働く限り、あなたの人生は何ら変わりません。だからこそ、ダイナマイトプログラム6カ月 をコツコツ楽しく実践していこう!
◇・幸ちゃん昨日の手術どうだった?日曜日は「凡夫の会」の後、ちょっくらみんなでお見舞持って病 院にいくからね(凡夫の会はam9:00〜pm12:00まで。テーマは《潜在意識と念仏 〜他 力が自力を使い切る生き方とは〜》)。
・19日(金)pm6:00~の保育園の職員研修は「自己評価と潜在意識のはたらき」についてです。そし て個々の6カ月後の目指す仏教保育具体的実践イメージと、そのために日々実践する3つの「覚悟」を 発表しましょう。

「ラッキーな人」と「アンラッキーな人」 (2007.1.17[Wed])
僕は正直言って「ラッキー」な人の部類に入るんだと思います。
ですから自分のことをツイてる、強運、好運、幸せと思って仕事も生活も楽しく過ごしています。

じゃあ、どうやったら「ラッキー」な人になれるのか。それは、一人一人の“いのち”を大切にしない人に「ラッキー」はないと思いますね。つまり、良いものが運ばれてくることはない。
逆に一人一人の“いのち”を大切にしている人、気配れる人、思いやれる人、本気になって考えられる人、関心を持っている人は、「ラッキー」を手に入れてます。それは、金銭的、経済的にプラスになるということだけではなくて、目に見えない「運のよさ」というものです。

「今まで自分は、運が悪かった」「ツイてなかった」と嘆く人は、おおよそ「私が、わしが」で、一人一人を大切にして来なかったのではないでしょうか。
もう一度、自分の日常生活を見つめ直してみましょう。経済や、報酬や、仕事というものに関わっていなくても、自分と縁のある人、不思議な偶然で出会う人、などが必ずいるはずです。その一人一人をできるだけに大切にしていくことです。

ちょっと聞いてみたいんですが、あなたは正月一日に着くように、お世話になっている人、上司、同僚、友人や知人、親類や親戚などに年賀状を送っていますか。一言添えて。また夏の暑中見舞いもそうですね。特にお世話になっている人にはお中元やお歳暮を送るというのは 日本人としての礼儀だし常識だと僕は思っています。まずこれができない人には「ラッキー」はなかなか来ません。

またあなたは周りの人のために食べ物でも何でもちょっと気がきいたものを買ってきて、「みんなで食べてね」て与えていますか。おおよそ、いつも与える人は与えっぱなし。受け取る人は受け取りっぱなしのような気がします。いつも受け取りっぱなしの人は「ラッキー」はなかなか来ません。
とにかく「ラッキーが来ない人」は、言われてみれば「ああ、そうだよね」と、当たり前のことができていないし、それをすることに気づいていないのです。つまり良い習慣や癖、礼儀正しさが身についてない。それじゃあ、人との縁を生かすこともできないし、「ラッキー」なんかくるはずがありません。

例えば、自分自身がウツ病状態の人は、「世の中が自分には何もしてくれない」「いいことが何もない」「悲しくて辛いことばかり」「なぜかツイてないことばかり起きる」という“受け身”の態度をやめ、自ら「人に喜んでもらう」ことを次々とやってみることです。人や社会が自分に何をしてくれたか、くれるかという「受け身」を嘆くのではなく、自分から「投げかける」わけです。

ゴミや空き缶を拾う、落ち葉を掃く、何かみんなに買っていく、頼まれ事を「はい、分かりました」と受ける。人に喜んでもらうと、生きるエネルギーがどんどん湧いてきます。
宇宙の法則として、「投げかけたものが返ってくる」というものがありますが、自分に返って来るものについて「宇宙は倍返し」というのが方程式です。そして、投げかけたものが返ってこない間、つまらないマイナスの言葉は一切口にしない、ということで、二倍のものが返ってくるようです。宇宙は律義な律義なプラスもマイナスも「倍返しの法則」があることを忘れずに。

☆宇宙は良いも悪いも「あなたが投げかけたものは二倍返しで返ってくる」という法則があります。
ツイてる人は、周りの人を大切にできる人です。大切にしてするから周りから二倍大切にされて運が向くのです。

“らしさ ” (2007.1.16[Tue])
どうも最近いろいろな場面で、「らしさ」がなくなってきているんじゃないかと思ってしまっています。

男らしさとか、女らしさ、教師らしさ、医者らしさ、政治家らしさなどいろいろあります。一昔前なら男らしさと言えば、誰もが強く逞しく優しくという言葉を思い浮かべ、女らしさと言えば優しく母性的と大らかな人を連想したものです。

ところが今は、非常にラッキーなことに世の中が平和で、男も女もみんな仲良くという教育が行き渡って、「らしさ」を発揮できる場面がほとんどなくなっています。

この「らしさ」を象徴するもので思いつくのが、

強く 優しく 男の子 優しく 強く 女の子

と言う言葉です。

実はこれ、童話作家の浜田広介さんの言葉なのですが、なかなかうまいところを突いています。最初にくる得意な技は男と女では違うけれど、トータルすれば、人間として持っていなくてはならないものは同じことというのが、わかりやすくていい。

当たり前のことではありますが、これをきっちりやっていこうと思ったら、けっこうハードな生き方になります。あのハードボイル作家のレイモンド・チャンドラーも同じようなことを言ってます。

「男はタフでなくては生きてはいけない。優しくなくては生きていく資格がない」

この言葉には、自分に強く、他人に優しいを付け加えたい。他人に強く、自分に優しいというのでは単なるわがままなヤツです。たまたまケンカが強かったりすると、こういうヤツは周囲に害を及ぼす狂犬レベルになってしまいます。

まあそこまではいかないまでも、自分に強い男はいるし、他人に優しい男もいっぱいいます。でも両方兼ね備えたヤツはと、見渡すと、そんなのはいません。女の子も同じです。とりあえず「どっちか一本で突っ走っちゃえ」というのが多すぎる。

男としても女としても生きるには、それなりの覚悟が必要なのです。

それでも、とりあえず一つでもあれば、それが持ち味になるものです。自分に欠けているものは何かと言う自覚があれば、「男らしい男」や「女らしい女」に育っていくはずです。

じゃあそれが育っていったらどうなるかというと、もっともっと世の中に潤いが出てくると思います。逆に自分に優しく他人に強いというヤツばかりの世の中になってしまうと、世の中はギスギスしてきます。ハリミズミがハリを逆立てて満員電車に乗っているイメージをもったらいい。とてもじゃないけどやってられません。

世の中住みづらくなってきたと感じるのは、きっとみんなが自分のことばかり中心に考えて、ちょっとした刺激にもピリピリ神経を尖らせているからに違いありません。はっきり言って、自分に優しくというのは聞こえはいいんですが、覚悟がいらない分、流されていくには便利に生き方なのです。当然、男も女も区別なんていりません。

もう一度言いますが、自分にきっちり覚悟をつけて、男なら男らしく、女なら女らしく堂々と生きていけば、もっと潤いのある爽やかな世の中になると思うのです。

☆世の中が潤っていくためには、強く優しく男の子。優しく強く女の子で生きる覚悟を決める。

“子どもや部下に何を教えていくのか ” (2007.1.15[Mon])
子どもや部下を教育するというのは、子どもや部下に自分の考え方、生き方をちゃんと伝えていくということです。僕らが父親や祖父母、また上司から学んだことを子どもや部下に伝えていく。まずそういう爽やかで心重くない覚悟がなくてはならないと僕は思っています。

躾とは一種の強制であり、子どもや部下を鋳型にはめることです。

こう言うと、わがままに生きてきた覚悟のない親や上司は強制することを嫌います。強制と言うと、なにか凄く重苦しいイメージがありますが、躾というものは、数学でいう「公理」のようなものだから、あれこれ理屈ではなく、そうしなければならないのだと強制するしか身につかないものなのです。

躾の中にはマナーもあるし、モラルもあるし、ルールもあります。いわば公理を教えるのですから、そんなにあれもこれもというと分からなくなるものです。ですから命令口調にならざるを得ないから簡単な言葉でビシッと言うわけです。

 例えば「道にツバを吐くな」「そんなところにゴミを捨てるな」「自分から挨拶しろ」「お世話になったんだから感謝の電話ぐらいしろ」「人の家にお邪魔するんだったらお土産ぐらい持っていけよ」「人が嫌がることを言うな」、というごく簡単なことです。

こういう躾は本来家庭で学んでくるものですが、社会人になってもなかなか身についてないのが現状ですね。

最近平気で道にゴミを捨てる子どもを見ます。何でだろと思っていたら、この前、駐車している車のドアが開いて、灰皿の吸い殻を道路にパッと捨て、バタンとドアを閉めて走り去るのを見ました。

「そうか、こういう大人を見習ってるのか」とちょっと愕然としました。躾が身についてないのです。 道路にゴミをポイと捨てて平然としている、こんな躾のできていない大人に子どもは何も期待しません。もうこれからの日本の国は子どもに期待するしかできないと思うのですが、その子どもの親が、こうした親だとしたら、将来は絶望的と言っていいです。

どうも最近の親は、というとなんだかオジン臭いのですが、躾というと人間教育の根幹のところをほおっておいて、親の果たせなかった夢を子どもに押しつけるという反対のことをしているような気がします。親がする教育や躾というのは、子どもが社会に出た時に(会社の場合は部下は会社の看板を背負う子どもですから当然、大人としての躾をしなくてはなりません)きちんと自分を律することができるということだけでいいのです。あとはどう生きようと子どもの自由だし、親の責任でもない、ただし、「これは!?」と思えることに限っては厳しく躾するのが親の愛でもあります。

この正月から今日まで、僕は20〜25歳の男の子どもたち三人に「うん!?」と感じた度に女房にその旨を伝えて僕の方に連絡を取らせ、その都度、それなりの躾をしてきました。

 「どんなにめんどくさいことでも筋を通せ」「その都度、報告や現状連絡をしろ」「お礼の電話を忘れるな」まだまだ扶養家族である彼らにとって、そういう一連の礼儀や謙虚さを学ぶということは中田家としての家庭教育であり、彼らが社会人として自律していくための癖づけとして必要なことだからです。これは、会社の部下に対してもそうですね。子どもや部下に何を教え、躾けるか。まず親や上司のほうから覚悟を決めていかなくてはならないと思っています。

☆ 躾とは数学の公理のようなものだから、理屈より強制でなくては身につかない。子どもや部下に何を教え、躾けるるか。子どもや部下のためを思えばこそ、覚悟を決めて躾を身につけさせていきましょう。

“叱られ上手の一つの原則と三つのポイント ” 2007.1.14[Sun]
子どもや部下に対する躾のことをお伝えする前に、「躾は相互の自己評価、信頼関係」が育った上でないと意味は成さないということを知っておいて下さい。「絆なきところに教育なし」ですから。

今日は「叱られ上手になれ」をお話しします。

間違ったと気づいたら、その場で明るく「すいません」とあやまってしまう。そんな覚悟さえあれば人生は明るく楽しく過ごせるものです。

こんなことを言えるのも僕が叱られ上手だったからだと思いますね。まあ、よく失敗したから叱られたわけで、あまり自慢できることではないかもしれない。ただ、どんなにつまらないことからでも人生の教訓をみつけだせるところが、僕のすごいところでもある。そう言い切るところもすごいのだけど。

教育委員会に勤めているころ、僕はよく叱られました。六割は僕の失敗、四割は他人のミスか上司の理不尽だったと思いますが、いっさいがっさいひっくるめて、あやまろうと決めた時は、努めて明るくあやまるように心掛けていました。

誰だってあんまりダラダラと叱られたくないのが本音です。非を認めたということはもうそれを繰り返さないと自分に誓っているのですから、長い時間叱られるのは嫌だし、逆に叱られながらも反発心が芽生えていくのでは叱られる意味がありません。

その当時、「叱られ上手には一つの原則と三つのポイントがある」ということを上司から教わりました。

原則というのは言うまでもなく、いかに叱られる時間を短くするかということです。この一点に目標を絞ったらやるべきことは三つあります。

第一は、「でもあのときは・・・」なんて、一切の言い訳をしないと腹をくくること。

第二は、相手の目を見て全身で誠意を示すこと。

第三は、あまり多くのあやまり言葉を言わないこと。

まず、この三つを心掛けること。

叱る方は、ここは一言言っておいたほうが本人のためだと思ったら、人のいないところでビシッと言って、みんなの前では何事もなかったようにようにふるまうほうがはるかに効果はあります。

もう一つ、言いっ放しで終わらせないこと。悪いところを見直すことが目的だから、相手にうまく飲み込ませることが必要です。

昔の人は「三分クサシテ七分ホメ」というようなことを言ってましたが、いいところはいいと言い、だけどここは駄目だというようにやるほうが、「わかりました」という言葉は出させやすい。これが一番の叱り方です。人間は叱ったり叱られたりしながら成長していきます。ただ感情のみで叱っている親や上司は、いつか必ず子どもや部下に寝首をかかれることだけは覚悟しておいた方がいいですね。

☆叱られ上手は1.一切の言い訳をしない。2.相手の目を見て誠意を示す。3.多くのあやまり言葉を言わない。叱り上手は「三分クサシテ七分ホメ」がベスト。

“子どもや部下に何を与えるべきか ” 2007.1.13[Sat]
僕たちが生きていく上で、一番大切なことは、「自己評価」「自己肯定感」というものを持つことです。この「自己評価」「自己肯定感」とは、

「私は存在価値があるんだ、大切な人間なんだ、生きていていいんだ」という安心感覚です。

この心の土台が、僕たちに築かれるのが、年齢でいうと、だいたい0〜3歳くらいといわれています。 お母さんに抱っこされたり、よしよししてもらったり、だだをこねたり、一緒に笑ったり、そういうことを通じて、このような安心感覚が育まれていくのです。

この「安心感覚」を土台にして、次に可能になるのが、「躾」「生活習慣」といわれるものです。これが身につくのが、だいたい4歳から6歳といわれます。

さらに、この自己評価、躾を土台にして、初めて可能になるのが、「勉強」です。これが、だいたい7歳からです。

それまでに、自己評価を育み、躾をある程度身につけた子どもは、7歳くらいになると、いろいろなものに対する好奇心が出てきます。そういうときに、ちゃんと教えてもらうと、よく身につきます。

ただ、現在多くの子ども(大人も含む)を見ていると、「躾」「生活習慣」「勉強」以前に、その前提となっている「自己評価」の部分が、しっかりできてない、育ってない子どもがあまりにも多いと感じています。

  そういう子どもに「勉強」(大人の場合は仕事のスキル)を教えようとしても、身につかないばかりか、逆にすぐに「自分は駄目だ」と「自己評価」をさらに下げてしまう、傷つけてしまうことになりません。

「言えば言うほど、逆効果」「叱れば叱るほど、悪循環」という子ども(大人)は、たいてい、この一番大切な、「自己評価」の部分が、しっかりできていないのです。つまり親の愛を受け取れなかった分だけ、心の中の潜在意識に「不安」「恐れ」のマイナス感覚がしっかりインプットされ、現状維持メカニズムの働きによって「躾」や「勉強」が身につかないのです。

子育て(大人の場合は社員教育)で一番大切なのは、この「自己評価」をしっかり育むことなんです。自己評価とは、「私は存在価値があるんだ、大切な人間なんだ、生きていていいんだ」という安心感覚です。僕は子どもに対しても、部下に対してもこの「あなたの“いのち”を認めているよ」という安心感覚を与えていくことが一番大切なことだと思っています。

 また、この安心感覚さえしっかりできていれば、その後、子どもにしても大人にしても、躾や、勉強(スキルアップや能力開発)も、それなりに、自然と身についてくるものなのです。

こういう「自己評価」を与えた上で、親や上司は子どもや部下にしっかり教えけばならないことがあります。それは「躾」です。明日からは子どもや部下に教えていかなければならない、躾についてお伝えします。躾とは一種の強制であり、子どもや部下を鋳型にはめるということ。数字でいう「公理」ですから、理屈ではなく、「そうすること」と強制していくことから始めます。

☆多くの子どもや大人は「自己評価」が育ってません。まず相手の“いのち”を認め、相手に関心を持つことによって自他共に「自己評価」「自己肯定感」を育んでいきましょう。

“自己啓発や能力開発の本当の目的 ” (2007.1.12[Fri])
日々こうやって社内報「すなお」を発行しているのは、皆さんの自己啓発や能力開発に少しでも役に立てばと思っているからです。

僕は皆さんに仏教的経営を提唱しているわけですが、「自己啓発や能力開発の本当の目的」は、個人の幸せだけじゃなく、まずは社会を良くしながら、そのなかで自分も良くなっていくことを目指すことだと思っています。

例えば、僕たちの会社の周りがごみだらけだったら?毎朝、ごみをよけながら出勤する。それじゃあ、どんなに良い仕事をしていたとしても、喜びは感じないでしょうね。

というのも、心は環境に影響されるからです。身の回りがごみだらけでは、気持ちは淀むでしょう。これでは、絶対に幸せや豊かさなんて感じられるわけがない。

それとは逆に、身の回りがきれいな状態なら、気持ちも清々しい。だから、「幸せだなあ」と実感できるのです。

さて、ここで僕が言いたいことは、「小さな喜びを大きな喜びに感じられる人」が、本当の意味ですばらしい能力の持ち主なんじゃないかって。

日常のささいなことでも幸せになれるし、仮に大きな不幸が襲ってきても、小さな出来事にしか感じられないからです。つまり小さな出来事にも「ありがとう」と感謝できる人は、本当の自己啓発者、能力開発者ではないかって思っています。

反対に「大きな喜びも小さな喜びにしか感じられない人」は、めったに幸福を実感できないでしょうね。そのうえ、小さな災難も大きなことに感じてしまいます。

小さなことを喜べない理由の一つは何だと思います?

人との比較です。周りと比較すると、苦労して手に入れたものも色あせて見えて、幸せなんて実感できません。

ではどうしたらいいのか?

小さなことを喜べる「能力」を身につけるためには、実は「掃除」が大きな力を発揮するのです。掃除は一つゴミを拾えば、その分だけきれいになります。そのことは、ほかの場所と比較しなくてもわかります。

また、掃除を実践すれば、いつでも必ず効果が出ます。

そして、身の回りがきれいになれば心も磨かれて、自然と「小さな喜びを大きな喜びせに感じる人」に返信していくのです。


☆小さな掃除の実践で、社会をよくすることができる。それが個人の幸せにつながってゆく。

“映画“不都合な真実”を観るべし! ” (2007.1.11[Thu])
1月20日からいよいよ「不都合な真実」という映画が全国的に公開されます。

この映画に登場する人物は、アメリカの元副大統領のアル・ゴア氏だから、噂には聞いていましたが、実は「本気なんや〜」と驚いてしまいました。

彼は1960代より、ロジャー・レヴェル氏の環境問題に関する警告に心動かされ、70年代後半には、聴聞会をまとめるサポートをはじめ、その後、京都議定書など、多くの交渉の場に参加した元・副大統領アル・ゴア氏です。

その彼が、地球環境への危機感を強めたのは、89年に起きた当時6歳の息子さんが交通事故により1カ月生死の境をさ迷い、奇跡的に命を取りとめたという体験のときでした。

苦しみの中で、人と人とのつながりの「癒し」に目覚め、息子に対する「喪失感」の感情が、「息子の世代が生きる場所を残さないといけない」という切迫した思いに昇華し、「環境の現状について真実を伝えよう!」と、世界中を訪問するスライド講演会となり、その内容が、ドキュメンタリーとしてこの映画に描かれたわけです。

この映画を観れば、今、地球で何が起きていて、何から始めればいいのかが明確にわかるそうです。僕も是非観たいと思っています。

ちなみに映画「不都合な真実」で訴えている私たちにできる10のことは、

・省エネルギー型の電化製品や電球を使用しよう。

・停車中はエンジンを切り、エコドライブにしよう。

・リサイクル製品を積極的に利用しよう。

・タイヤの空気圧をチェックしよう。

(車の燃費基準を上げれば、無駄なエネルギー消費を防げる)

・こまめに蛇口をしめよう。

(水道の送水に使用されるエネルギーを削減することができる)

・過剰包装、レジ袋を断ろう。買い物はリサイクル エコバックを使おう。

・エアコンの設定温度を変えて、エネルギー削減をしよう。

・たくさんの木を植えよう。1本の木は、その生育中に1トン以上の二酸化炭素を吸収していきます。・環境危機について、もっと学ぼう。そして学んだ知識を行動に移そう。

・この映画を観て地球の危機について知り、友達にもすすめよう。

「なるほどなあ〜」と思えることばかり。感じたら即行動ですから、出来ることからやっていけぱいいね。

☆観終わった後にやる気と希望が起きる映画です。みんなで必ず観に行きましょう!

““マイお箸”を持ち歩きましょう! ” (2007.1.10[Wed])
一燈薗の石川洋先生って覚えてます?

以前NCにも自己啓発のためにおいでいただいた先生です。

この石川先生が提唱されている運動の一つに「箸を割らない運動」というのがあります。つまり「“マイお箸”を持ち歩きましょう」という市民レベルの地球環境保全運動です。


こんな話をしていると必ず「割り箸の材料には間伐材を使っているので、森林破壊にはつながらないんだよ」と言ってくる人がいるんですが、 さて・・・、木を切った方がいいのか?悪いのか?

ここで整理したいのは、自然林から切り出されたのか、それとも人工林からなのかということです。人工林なら、切らないと、森林全体の生育に関わるわけで、・・・本当に間伐材の活用なら、有効利用と考えられます。

しかし、割り箸は、毎年250億膳使われ、そのまま捨てられてのが現状です。しかも、その97%は中国からの輸入材。つまり、無駄な木材の有効利用とはなっていません。

ここで森林について少しお勉強しましょう。森林の働きとして、

1.洪水を防ぎ、渇水を緩和する機能があります。

2.水を浄化する働きがあります。

3.土砂が流れるのを防ぎます。

4.大気中の二酸化炭素を吸収し、固定し、地球温暖化を防ぎます。

5.空気を浄化し、騒音を防ぐなど、快適な生活環境をつくります。

こうした働きで、僕たちを守ってきてくれたわけです。

ところが、今地球では、急激な森林破壊が進んでいます。その主な原因は、先進国による商業伐採。途上国で伐採された木材の大部分は先進国へと運ばれ、大量消費されます。

さらに、森林を切り開き、工業団地や農地、リゾートが多数造成され、どんどん破壊が進んでます。

日本は、緑の多さではフィンランドに次ぎ、世界第2位です。一方、世界有数の木材輸入国てもあるんです。すでに1960年代にはフィリピン、70年代にはインドネシアの森林材を乱伐。80年代にはマレーシア、現在はパプアニュギニア、オーストラリア、ロシア、カナダなどから大量に輸入し続けてます。現地を経済的には潤わせてきたわけですが、その分大事な地球環境を徹底的に犠牲にしてきました。

いまや熱帯林の95%はすでに危機的な状態になってるって知ってます?アマゾンなど地球上の主要な森林は、今後50年ほどで砂漠化されるらしい。森林を失ったため、自然災害に見舞われ、砂漠化や土壌侵食で農業生産が落ち込み、水や炭の不足に苦しめられ、今後の存続さえ危ぶまれる国々もたくさんあるのが現実なのです。 つまりこのまま木を切り続けたら地球は完全に砂漠化してしまうのです。

だから、せめて明るく「マイお箸」! 「なるほどな〜」と事実に気づいた人から、やっていきましょう。ちなみに僕も誕生日のプレゼントに社長から「マイお箸」をいただきました。環境破壊の実態を知れば知るほど「うそお〜」と驚愕の事実が分かってきます。またクリーニングはやっぱり「水洗い」じゃないと、という意味もハッキリしてきます。。

☆NCのみんなも「マイお箸」を持ち歩き、地球の砂漠化をくい止める一旦を担おう。

“テンションが低くても、“ハイ”という返事がいいこと ” (2007.1.9[Tue])
「ハイ」という返事が元気な人と元気でない人がいます。

 伸びる人、ツク人は「ハイ」の返事が元気です。僕は学生時代、運動部でしたので、会社でも「仕事はまあまあだけど、返事だけはいい」と言われていました。

流行っていないお店のオヤジは、返事が悪いです。時には全く返事すらないこともあります。返事が悪いと、お客さんの足は遠のきます。そのお店は、ますます売上が悪くなって、ますます貧乏になって、ますます返事の元気がなくなります。

調子が悪いときほど元気のいい返事をすることで、元気を盛り返せます。元気のいい返事をするところに、仏さんは寄ってきます。

タクシーの運転手さんで返事の悪い人は、売上が悪い人です。の

乗った瞬間に分かります。ムッとしているので、ますます売上が悪くなるのです。だけどこの運転手さんは、売上の悪さが自分の返事の悪さとは思ってもいません。

元気のいい「ハイ」は、サービスのスタートラインです。

返事のいい人は、自分の返事のいいことに気づいていません。

元気にやっているように見せるためにも、返事をよくする良い習慣をつけることです。気持ちのいい返事をする人は、子供でも利口そうに見えます。

「ハ・・・イ」という返事では、まず利口そうには見えません。

「ハイ、はい」も、何にもわかっていないみたいです。

話している途中に食いつくように「ハイ」「ハイ」と言うのも、何か気ぜわしくてあまりいい感じてはありません。

「ハイ」とは「礼拝」の「拝」という意味があります。

「ハイ」とは「相手の“いのち”を拝むこと。認める」です。

「ハイ」という明るい返事をする時、実は「相手」のことを素直に受容している波動が出ます。実はの明るく温かい受容の波動がツキを呼び込むのです。

元気のいい会社、ツイてる会社、儲かっている会社には共通点があります。

スタッフ全員、明るく元気に「ハイ」という返事が自然とできるということです。

とにかく「ハイ」は明るく元気よく、テンションの下がった時ほど呪文のように元気を出して「ハイ」を言いましょう。

必ず自分も会社もツイていきます。

☆ハイはサービスのスタートライン!儲かってる会社のスタッフはみんな「ハイ」が明るく元気です。

“仏さんは、努力している人を、見逃さない ” (2007.1.8[Mon])
仏さんは、努力している人を、決して見逃しません。どこまでも追いかけて、「成功させてあげる」と言います。

「仏さんは助けてくれない」と言う人は、ただ努力が足らないんです。仏さんの努力に関しての追及は、税務署より厳しいです。

努力していれば必ず、仏さんは気づいてくれます。

仏さんが認めてくれるかどうかをくよくよ考えていたら、努力にエネルギーがなくなります。努力のし過ぎは必ず、仏さんに見つかります。

それと仏さんに気に入ってもらおうと思ったら、社内で仕事を一番楽しんでいる社員になる、と決めることです。「仕事を楽しむ社員」で棒グラフを作ったら、自分が一番になるように目標設定するのです。

悲惨に一生懸命やるよりは、楽しんで一生懸命やるほうがいい。楽しんでやることは、一生懸命になれます。

楽しんでやることには、全力を注ぎ込めます。楽しみながら、全力を注ぎましょう。仏さんは、そんな人を見逃しません。

で、努力するためには何のためにやっているのか?これをはっきり分かってないとね。

もう一度再確認しましょう。何故努力するのか?

それは、お客さんに喜んでもらうことが、仕事であるからです。

この本質に立ち返れば、仕事で手抜きやごまかしはできません。品質を良くしようとする努力、納期を守ろうとする努力、自分のスキルを今以上アップしようとする努力、お客さんを喜ばすという目的があれば、どんな努力でもできるはずなのです。

もし自分が「努力してないな〜」と思ったら、目的を思い出しましょう。

努力する目的とは、「お客さんを喜ばせること」です。もうこれはハッキリしています。

日々の目標に追われ、つい目的を見失ってしまうと、人は努力から遠ざかります。

常に仕事の目的を考える。

その目的さえしっかり心の中に染み込んでおれば、人は努力せずにおれなくなります。

何故努力する人を仏さんはムチャクチャ応援するのか?

それは「お客さんが喜び」「会社が喜び」「自分が喜べる」からです。

仏さんは喜びの世界、歓喜の世界が大好きだからです。

☆「喜びの目的」があるから努力ができる。その人を仏さんはムチャクャ応援します!

“小さい仕事ができる人が、大きな仕事をする ” 2007.1.7[Sun]
「大きな仕事をしたい」と言う人は、小さな仕事をバカにします。でも、大きな仕事は、小さな仕事の積み重ねなのです。

大きな仕事は小さな仕事の掛算で大きくなっているのです。

最初から大きく見える仕事は、実は大きくありません。

小さな仕事をまめに一生懸命やっているから、「この人にはもう少し大きな仕事を頼もうか」ということになります。

仏さんも上司も、テストパターンとして小さな仕事を与えるのです。

「どうしてこんなつまらなくて面倒な仕事をやらなければならないんだろう」と思っていたら、「こいつには大きな仕事は与えられない」と思います。

潜在意識の現状維持メカニズムを変えるためには、とにかく小さな仕事を積極的に「私それやります!」と受けては一生懸命やることです。その小さな仕事の成功体験が、潜在意識をプラスに変化させていくのです。

また「めんどくさい頼まれ事」もそうです。めんどくさい頼まれ事をされやすい人と、されにくい人がいます。ただ運のいい人しか、めんどくさいことは頼まれません。だれも引き受けない、誰にも評価されない、そういうめんどくさい仕事を引き受ける人ほど、現状維持メカニズムは変化していきます。一見運が悪そうで、実は運がメチャクチャいいのです。

松下村塾で有名な吉田松陰という人がいました。吉田松陰はある日、塾生、入江杉蔵に尋ねられます。「志と言いますが、自らの志になかなか気づけない人は、どうしたら“志”が分かるのでしょうか?」すると吉田松陰は、

「毎日毎日、やらなければならないことを全力でやりなさい。勉強をする、掃除をする、庭の草取りをする。人からの頼まれ事を素直に引き受ける。それを続けるうちに必ず“志”が分かってゆく・・」と。

吉田松陰は「目の前の小さな仕事」「人からの頼まれ事」を素直にやり続けることによって、必ず自分が胸ときめくこと、ワクワクすること、自分はこれをしている時が一番楽しいな、と思える何かにぶつかる。

「それが真骨頂、君の長所だ。その長所が分かれば自らの長所を活かすように生きれるようになる。それが“志”へと導き大きな仕事をしていくのだよ」この事実を伝えたかったのです。

「目の前の小さな仕事」「人からの頼まれ事」を素直にやり続ける。その中でも「うわっ、めんどくさい」という仕事が来たら、チャンス!ラッキー!とむしろ喜ぶことです。

そうやって色々体験することによって、自分の長所に気づけるのです。そうしたら、その長所を活かすことを考えればいい。そういうことなんです。

☆「小さな仕事」で長所に気づき、その長所を伸ばしたら大きな仕事がてきるようになるよ。

“99パーセントが意図。1パーセントが方法と手段 ” 2007.1.6[Sat]
あなたは具体的に「成りたい自分」に向かって感じたら能動的に行動していると思います。

さて、意図というのは具体的な目標設定の具現化イメージのことを言うのですが、「意図と手段や方法というものがあるすれば何パーセントの比率で物事が出来上がると思います?」おおよその人は、「意図が30パーセントくらいで、方法や手段が70パーセントですかね」と答えます。

しかし結論から言うと「99パーセントが意図です。1パーセントが手段や方法」です。はっきり意図するものを決めているかどうかで、あなたの成りたい未来は決まると言っていい。

なりたい自分は、レストランで注文するのと同じです。

自分が注文したとおりの人間になります。今の自分は、過去の自分の考えていた自分です。今、こうなりたいと考えている自分が、未来の自分です。注文した自分と違ったものが出てくることはまずありません。

チャーハンと頼んだからチャーハンが出てくるし、中華丼を頼んだから中華丼が出てくる。ただそれだけです。

「99パーセントが意図」だというのはそういうことです。頼んだ物しか目の前に出てこない。ただ頼む物がハッキリしてないから、いつまでたっても何も出てこない、そういうことです。

例えば「6カ月後にはもっときれいになる!」という意図(具体的な思い)があったとします。その実現のために「きれいになる」という抽象的な言葉を「行動」に分解して紙に書き出してみると、自分が実現したいことの輪郭がハッキリ目に見えてきます。

「6カ月後にはもっときれいになる!」

☆「きれいになる」ために必要な行動とは何か?

エステに行く・食生活を見直し根菜類を多目に接種する・化粧品を見直す・服装を明るい色彩に変  える・音楽や芸術を鑑賞する・朝起きたら30分歩く

☆その行動を可能にするために必要な行動とは?

お金を貯める・時間をつくる・本などから情報を得る

☆重点的にきれいにしたのはどこなのか?

顔・足・爪・髪・声・しぐさ・・・

☆いつまでに

今年の7月までに

6カ月後の「成りたい自分」を具体的にはっきり決めて(動機)、今の自分に興味を持つより、未来の自分に興味を持っていきましょう。そうすれば、今することが分かります。となかく未来の自分に向かって能動的に行動していきましょう。

☆動機を実現させるためには、その動機「思い」を「行動」に分解して書き出してみよう!

“他人の喜びが自分の喜びで全体性のルールはオッケー ” (2007.1.5[Fri])
英国には、財布の中に6ペンス貸(日本で5円ぐらい)を入れておくと幸運がやってくる、というジンクスがあるそうです。ですから、英国人の多くは、6ペンス貸を使わずに財布に入れておく人も多いそうです。

英国のある百貨店では、どうせお客様は買った財布の中に6ペンス入れるんだから、「あらかじめサービスで入れておいたらどうか?」というアイデアを出しました。

そして、商品の財布の中に、6ペンス貸と「あなたが幸せになりますように」という紙を入れ、売りに出したのです。これが婦人たちに大ウケしたらしい。

このサービスは財布に対してだけだったのですが、その他の商品まで売れるようになって、結局は、お店全体の売上に大きく貢献しました(早々、うちの会社でもこの案はパクらせてもらいましたが・・・)。

つまり「1円でも多く、お客からお金をむしりとってやろう」

という考えだったら、こういうアイデアは出てきません。

「お客様、つまり相手の喜びや幸せを願う」ということは、お題目や社訓のようなものとしては、どの企業や組織でも言ってますが、それを本気で実践するところはほとんどないですね。

では、どうやったら、他の人の喜びや幸せを考えられるのでしょうか?

それには、まず「自分を好きになり」自分を好きになった分だけ「人を好きになる」ことです。

自分のことが好きな人は、会う人を好きになることができます。つまりホレっぽい人間になると言っていい。ホレっぽい人間になると、他人に心がオープンになって共感することができるようになります。つまり、他人の「喜び」や「幸せ」を我がことのように思えるようになる、ということなのです。

もしあなたが他人の「喜び」や「幸せ」を素直に喜べないとしたら、あなたの潜在意識の現状維持メカニズムが、「自分は幸せじゃない」とフックをかけているのです。すると「相手の幸せが妬ましく」なっていきます。自分が幸せでないのに人が幸せになるなんて許せないという感情が起こってきたりします。

まずこういう人は永遠に幸せになれない。

だからこそ、少しずつ潜在意識の現状維持メカニズムを「私はツイてる」「私はハッピー」の方向に導いてやらなければならない。

そのためには、ちょっとのことでも自己肯定してやる。自分のことを認め、褒め、「よくやってるよ」とねぎらってやる。

こういうプラスの言葉かけを自身に繰り返していくと、やがてあなたの潜在は「私は幸せなんだ」「私はツイてるんだ」「私は何をやっても楽しめるんだ」と思い込んでいくようになります。そうするとしめたものです。スタートは、繰り返し繰り返し、ゆっくりと「褒めて、認めて、感謝する」この繰り返し。

そうすることによって相手の喜びが自分の喜び、相手の幸せが自分の幸せとなっていく。不思議とそうなっていくのです。

“チーム全体で“ツキ”を呼び込め! ” (2007.1.4[Thu])
あけましておめでとうございます。

今日から仕事始めです。皆さん正月の、あのダラッ、モチ〜としたあのお雑煮のような気分を転じて、新たな「よっし!やるぞお〜!」の張り切ったテンションでスタートを切ってるかな?

さて、この内容は「(株)廣瀬」の「お、やおやはうす1月号」でも書かせてもらいましたが、NCでも絶対必要なポイントですから、あらためて伝えておきます。

仕事での成功は、個人的なツキに頼るというよりは、“集団のツキ”が大きく左右します。完全に自分一人で成功したいと思うなら、芸術家や一人でやる自営業になるしかありません。しかし、大抵の仕事では集団の力をあわせなければ“集団のツキ”というか、大きなポジティブな波は起こせません。

では仕事で“集団のツキ”がやってくるチームとはどんなチームなのでしょうか?

それは、

・“メンバーの一人ひとりの心がオープンで素直”

何より大切なのは、集団のメンバーが、なんでも話し合える雰囲気があるということです。そうい  う心がオープンな雰囲気だと、みんなが明るくなって、チームの可能性が高まっていきます。

・“チーム全体の精神健康度が高い”

やはり一人ひとりの物の見方や考え方がネガティブではなくポジテイブだということです。そうい  う人たちの集まるチームは全体的に精神健康度が高いので、集団のツキを呼びこみます。

・“共通の目標がある”

みんなで力をあわせて、どんな目標に向かって進んでいくのか。このはっきりした共通目標がなけ   れば、足並みが乱れます。NCの目標は「“水洗い”で全国に喜びと安心の輪を広げていく」です。  そのために個々のレベルアップと声かけによってチーム力のアップをはかり全体の生産性を向上さ  せる、です。

・“問題が起きても即時問題解決をする事を意識している"

どんなクレームでも即時対応能力を身につけておけば、そんなに大きな問題になることはありませ  ん。どんな仕事でも問題は必ず起こります。その後のスピードあるチーム間でのリカバリィが大切  なのです。

・“物事を柔軟に決めていく”

とにかく組織は柔軟さが欠けると、メンバーの息が詰まって実力が出し切れません。その都度、組  織のルールも変更していかないと、うまく機能しなくなっていきます。

今日は仕事始めということもあって、組織を成功に導く5つのポイントをあげてみました。

一つひとつは「当たり前やろ」だと思えることばかりですが、結構、この5つを“当たり前”で実践できているチームとなると、現実的には非常に少ないものなのです。

今年は是非「集団のツキ」を呼び込めるチームづくりを目指して、今日より「潜在意識バージョンアップ6カ月プログラム」を具体的に実施していきましょう

“オープン”“協調性がある”“共通の目標”“即時即応リカバリィ”“柔軟”がチームのツキを必ず呼びますから。

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