2009年1月の日記

1月31日「未来は自分の意識によって創られる」 (2009.01.31[Sat])

よく僕が一人ひとりに聞くのが、「それって恐れから?」「それって喜びから?」です。
人間は仕事をするにしても、何をするにしても、その動機が問題だってことです。
「恐れ」「義務」「不安」が動機であれば、必ずマイナスの現実が引寄せられてきますし、「喜び」「自主的」「安心」が動機であれば、必ずプラスの現実が引寄せられてきます。これは見事にです。

言い換えてみれば、あなたが、今、体験している世界は、自分の信念が現実化したものです。また、あなたの未来も、自分の信念が現実化されたものです。
今の社会は「恐れ」がベースになってます。だから、自分が生き残るためにはお金がないと不安なので、そのためには仕事で成果を上げなくてはいけないとか、どうしても欲望や、競争が生まれやすくなります。

こうしたマイナスの動機に縛られると心もダウンして、マイナスの現実を引寄せます。でも逆に、恐れがベースの信念から自由になって心が軽くなり、たとえば、「お金なんてくても、必要なときにはどこから回って来るよ。仏さんに任せていれば大丈夫。」というようなプラスの発想ができるようになると、プラスのエネルギーがプラスの現実を引寄せてきます。
そうなれると、仏教でいうところの苦しみの生死流転からの脱出、浄土に生まれる我が身が定まったということかもしれない・・・。

では、喜びをベースに生きるにはどうすればいいのでしょうか?
日々体験する問題は、自分の持ってる信念に基づいて現れてきます。それを、これまでと同じ思考パターンや行動パターンで対処していたのでは永遠に解決しないし、心もプラスの方向にシフトすることはありません。現実もね。
そうではなく、これまでと違う思考や行動をとることで解決することによって、繰り返し繰り返し起こってくる問題からひとつひとつ自由になれます。

つまり、無用な信念がなくなったら、その分心身共に身軽になり、プラスの思考や行動が取れて、結果的にプラスの現実を引寄せれることができます。
今の社会で言えば、人類最大の誤った信念は「お金」です。そのために世界的金融不安が起こってきていますが、やれることはやった上で、「あとは、仏さんに任せていけばいい。いざとなればお金がなくても、みんなで助け合って生きていける。」と信じることで、誰もが本当は安心の世界を生きることができるんです。
とにかく、今日を真剣に生きることですね。
そして、問題に正面から向き合い、自分の頑なな思考や行動を変えていくこと。誤った信念に執着すれば不安を増殖させて不安な現実をより引寄せていくばかりです。
とにかく、一歩でも二歩でも前向きに行動するうちに、あなたは世間的な不安にも影響されなくなっていきます。
日々この場では、一人ひとりの思考や行動の動機が「不安」か「喜びか」、瞬間的に感じたら、すぐにレクチャーを繰り返し、その人の思考や行動の「動機」や「癖」をマイナスからプラスに転換していくトレーニングが行なわれています。

問題の根はすべて自分の中にあるのです。

1月30日「現実をすべて自分で選んで引寄せている」 (2009.01.30[Fri])

  皆さん、今日の「ボスそら」の写真というか、絵というか、一体何に見えますか? 実は二パターン見えるでしょ。よくよく見て下さい。さあ、じっくりと・・・。
で、何が見えました?
  「鼻のとがったおばあさん?」それとも「帽子をかぶった女の人?」。
あなたの心は自分で望んだものを見てるって分かります?実際、この絵の中から自分が選んだイメージを選び出してるんですよ。

  あなたが今見ている現実もまったくこれと一緒なんです。
同じ環境にいても、人はそれぞれ違う捉え方をしているし、違う視点で同じ物を見てるわけです。
  現実の中にあふれている天文学的な数の風景から、自分が意識したものを選び出してるんです。

  たとえば、エルメスのバッグを買うと、町中でエルメスを見かけるようになります。
洋服のプレスをやりだすと、いたるところで歩く人の洋服のシワやラインがメチャメチャ気になるようになります。
  「実は高級だった」と値段を知ると、その食べ物やワインが急に美味しくなったりします。
  あの車欲しいなあと思うと、いたるところにその車が走っている姿が目に入る。
  そういうことってありませんか?

  「これらの現象を引寄せている」という言い方もできるし、無数に存在する現実の中から、あなたが意識したことが浮かび上がってくる、と言ってもいい。
目の前で見えて、聞こえて、感じられる現実。それが、自分にとってはいたって当然の出来事のように思ってます。
  だけど本当は自分の意識が選り好みして、枠や制限をかけた風景を、勝手に現実だと思い込んで見てるって気づいた方がいい。

  現実は何層もの世界が重なり合ってなされていて、その中から自分が見たい現実を選び取っているんだってことを。
  僕は、念仏の現実、浄土の現実をその何層もの世界から選び取るって決めてます。
すると、本当にその世界が引寄せられるって、なんとなく分かってもらえますか?
とにかく、あなた自身の意識が「おばあさん」「女の人」どちらかを選び取ってたわけで、それと同じことが一杯日々の中で起こってるんですよ。
  さあ、あなたはどの世界の現実を引寄せますか?

1月29日「企業人ほど念仏が必要」 (2009.01.29[Thu])

  よくデパートに働いていた人たちの話を聞くんだけど、これはデパートの人たちだけでなく多くの企業人が同じことを言ってる。
  それは「今まで夢中になって働いてきて、幸せを感じる余裕なんてまったくなかった。追い立てられるように働いてきて、気がついたら歳を取ってた」という言葉だね。この気持は、一時期私もそこを生きてた人間としては痛いほど分かる。
  というのも、企業社会は「商品をたくさん売ろう」「他人より、他の部署よりいい成績を上げよう」といったエゴの目的を追求する文化に染まっているわけで、そこで働く人たちは日々心身に鎧をまとって戦っているから。小さなことで傷つかないよう心をガードし、その傷みに鈍感にならなければ、とてもビジネスで勝ち続けることは不可能。
  だから、社会的に活躍している人ほど、心の鎧を着込んでる。で、この鎧を身にまといながら素早く行動できる体力のある人ほど、社会的に成功してきたわけだね。しかし、もうそういう時代は終わりを迎えようとしているってぇのが、今の時代の100年に一度の大不況なんだ。
  結局、鎧を着込んだ人ほどどこか満たされず、「もっと幸せな生き方があるはずだ」って求めてる。ただ、そういう人に限って鎧で身にまとわれてるので感性が鈍ってるし、なかなか癒されないという皮肉な矛盾があるんだね。
  そんなとき、重ね着した鎧をほんの少しずつゆるめ、外の風を取れいれることをきっかけとして、お念仏するということは大いに役立つ。念仏は誤解が多く、死者儀礼のためって、宗教行事用って一般的に思われているけどそうじゃない。宇宙の愛を受けとることによって、鎧を脱いでくってことなんだ。だから、念仏は浄土といわれる愛の世界へ向かう旅路の羅針盤であると同時に、競争社会の中で、また日常の人間関係の中で、自分を見失わないトレーニングにもなる。
  日々、少しずつ念仏しながら、一気に沢山の鎧は脱げなくても、一枚一枚脱いでいくプロセスを楽しむことはできる。仏の愛に包まれて、肩の力を抜いて心にまとった鎧を脱ぎ、人生という川の流れに身を任せたとき、私たちはその流れに沿ってしかるべき場所にたどりつくことができる。念仏が教えてくれるのは、まさに「今、ここを生きる喜び」なんだね。
  それと、念仏をとなえて仏さんの愛に包まれるって感覚なんだけど、それは母親の胎内にいたとき、つまり胎児だったときを感覚的に思い出すってことかもしれない。胎児は母親の愛に包まれて、羊水の中という重力の無い場所で、フワフワと力を抜いたまま浮かんでいるよね。そういった胎児として過ごしてきた期間の私たちの意識状態こそ、実は仏さんの愛に包まれた状態そのものなんだ。だけど、私たちは年を取るにしたがって体や心にたくさんの鎧を着込んでしまうので、すべてゆだねてまどろみの中に漂うことが難しくなっていくんだ。念仏とは、鎧を一枚一枚脱いで、自由で自在で絶対安心の胎児の状態の感覚に戻ること。そういうことなんだって、理解しておいてね。

1月28日「慈悲の本質」 (2009.01.28[Wed])

  今日は慈悲について考えてみます。 
  この慈悲とはまたったく次元の異なったところにあるのではなく、私たちの身近にいっぱいあるもの、そうおもうのです。

  人として成長していける人にはある共通点があります。
  それは「至らない自分の自覚がある」ということです。
  自分自身を振り返れない人、このままでいいと満足できる人は、本質的に目覚めて成長していけるということは、なかなか難しい、そう人を見ていて感じます。

  人間は足らないことばかりです。不足なところばかり、未熟なところばかり、至らないところばかりです。
  しかし、そういう自分自身への自覚があるからこそ、さらに高度なものへの目覚めがあります。そういう人間であるからこそ、理想というものを追い求めることができます。そして、これが結局、自己成長の原動力となっていくわけです。

  人間は、みずからの至らないところを知れば知るほど、逆に仏さんの大きな慈悲に目覚めていきます。仏さんとは理想そのものです。理想を愛することが、仏さんを愛するということでもあります。
  そして「学仏大悲心」という言葉の通り、理想である仏さんの大きな慈悲の心を学び、その慈悲の心を人に与えていくことが人間が生きる目的でもあります。

  慈悲の本質とは、すべてのもののなかに光り輝くものを見出し、それをほめるという気持ちがあります。虫や花など、どんなに小さな生き物のなかにも、素晴しいものを見出して、かわいがっていくという気持ち、どんな人の中にも、光り輝いている仏性を見出していくと気持ち、ここに慈悲の心があります。

  また、慈悲とは厳しさも含みます。道を正しく教え、仕事を正しく遂行する、人を教え導いていくためには、叱ることもあります。相手が憎いけではない。叱るとは相手のことを心から慈しむという、慈悲のあらわれでもあるのです。

  慈悲というと、決して柔らかなソフトムードで人と接していくことだけを、よいことだとは考えてはいけません。やはり、慈悲の奥にも、もっともっと強い部分、勇気とつながった部分があるのです。
  慈悲とは、優しさと勇気ある芯の強さにある、その心をたちは学んでいるのですよ。

1月27日「人生の価値」 (2009.01.27[Tue])

  昨日は久々に鎌倉に行ってきました。鎌倉の街並みを歩きながら、また古い喫茶店に入っていろんなことを考えていました。
  子どものとき、他人との比較にばかりふけっていた日々。さまざまな経験を積み、さまざまな人と出会い、また、いろんな体験をする中で自身の本質が目覚めていった喜び。人間の価値は、自分に与えられた物の量や世間の評価にあるのではなく、自身が人生の途上で発見した真理の質にあり、味わっていく深さにある。

  「自分は、死んであの世に還るとき、地位や名誉、財産、物質は何一つ持っていくこともできず、持って還れるものは心しかない。持って還れるものが心しかないのなら、その心をもっと磨いて、より大きなものにする以外に、人間が生きる目的はありえない。
  この真実を自分はどう味わいながら、今を生きているのか。」そんなことをずっと考えていました。一人になって自分を静かに振り返ってみる、人間は自身を内観する時間がとても必要です。

  人の人生はゼロからスタートし、どんな環境や境遇で生きていようと、実は多くの人々から多くの恩や愛を受けてきています。
  だから、自らの人生も価値は、結局は自らが創り出しているものだし、自ら創り出していくものなのです。
  ゼロから人生をスタートし、多くの人々から面倒を見てもらいながらも、それでもまだ、自分に与えられた環境に不平不満を言い続けて生きている人もいっぱいいます。逆に、真理にであって、感謝ということを胸に秘めて、報恩という行為で自分の仕事や様々な事柄をもって、社会に還元する生き方をしている人もいます。

  「念仏申さんとおもいたつ心のおこるとき」。
  この言葉は歎異抄に出てくる言葉なのですが、この「おもいたつ心が起こる」とは、「万障万物を生かし、育み、調和させようとする心、すべてを成長させようとする仏の大きな愛の念いを受け取ったとき」ということです。
  仏の大きな愛の心を受け取った瞬間、私たちの生き方は変わります。不平不満から、感謝と報恩の行為にひっくり返ります。そして、日々の努力目標が、人に喜びを与えたいと働き出します。喜びとは恵みです。それも、善き恵みであり、他人を少しでも生かしたいという働きです。

   縁あって人生の途上に出会った人々に、生きていく勇気を与え、力を与え、希望を与える働き、仏の心を受け取る、念仏を生きるとは、まさにそういった喜びの人生に転換されていくということです。
  嫉妬や利己心や自己保存欲や自己満足は仏の願いの対極にあるものです。 
考えてみれば、仏さんの慈悲は、一日も休むことなく、無償で人々に光と熱エネルギーを与え続ける太陽の働みたいなものです。縁ある人々に対して、勇気を、力を、希望を、元気を与え続けること、それが仏の願いの中心ですね。

  そのためにいかに自分のエゴを捨てて大いなるものの心に従っていけるのか、ナチュラルクリーンという場で仏の願いを生きるとは・・・。常に仏さんからそのことを問われている。ずっ〜〜〜〜と、そんなことばっかり考えながら鎌倉を後にしていました。
  人生の価値とは、いかに仏の願いを生きるか、ただそれだけですから。

1月26日「感動する人には感動する出来事が訪れる」 (2009.01.26[Mon])

何でもないことに感動できてますか?当たり前って思ってることに感動できてますか?
感動するような出来事は、感動できる人に訪れるって知ってますか?
日々、「引寄せの法則」は実に見事に働いていくれます。
喜びは喜びを引寄せるし、感謝は感謝を引寄せるし、感動は感動を引寄せる。

世の中は実に単純でシンプルにできていると思います。あなたが出した波動はブーメランのように返ってきます。それは良いも悪いも。  

仕事をしていて常にこのことを感じています。
相手のことを思って細かい気配りをした仕事や行動、スピードのあるレスポンスでポジティブな行動を取っていれば、絶対にお客さんともトラブルもないし、感謝や感動はあっても、もめることはまずありません。
それが、打って変って、忙しさに流されて配慮にかけていたり、スローなレスポンスでネガティブな対応であったりすると、必ずお客さんとトラブルになるし、結果的には「弁償してください」と最悪の状況になっていきます。 

いつも、同じ人が同じような「快現象」を引寄せていきます。逆に、同じ人が同じような「不快現象」を引き寄せていきます。
快現象は「繊細」「心配り」「感動」「感謝」「謙虚」「素直」「スピード対応」に引寄せ られます。逆に不快現象は「怠惰」「自分の思い込み」「マンネリ」「義務」「傲慢」「小手先」「スロー対応」に引寄せられます。
この「不快現象」をストップさせるためには、「不快現象」を引き寄せてしまう、自らの「悪しき心の癖」「悪しき傾向性」に気づき、「快現象」を引寄せる「良き心の癖」「良き傾向性」に転ずる必要があるのです。

もう、これは日々の仕事や家庭生活はそのためのトレーニング場みたいなものです。自分の悪しき癖に気づき、良き癖に転換させていく。
お念仏を称えるとは、ありのままの自分に気づき、仏さんの願いを生きるということですから、この気づき転換の繰り返しの人生こそ、仏さんと共に生きるお念仏の人生なのです。
「引寄せの法則」を通して、「不快現象」を体験するたびに、自らの強い思い込みや、こだわり、かたよりに何度も何度も気づかされていくわけです。
その人が本当に目覚めるまで。ということは、すべては゛愛の働であるってわかりますよね。その人がそれでよくなっていくために起こってくるわけですから。

1月24日「決断力と行動力のない人は運も金運もつかめない」 (2009.01.24[Sat])

運にして、金運にしても、まあ同じことなのですが、決断力と行動力のない人のところには絶対に集ってきません。
決断や行動には間違いもありますよ。でも、失敗はありません。間違えた決断や行動でも、必ずそれはめぐりめぐってきて、決断と行動をしたことで新たな縁や、いい結果が必ず訪れてきたりするものなのです。

失敗とは、決断と行動をしないことです。
すぐに決断しない人、できない人というのは、もう少し様子を見ておこうとなります。だけど、そんな生き方ではいつまでたっても何も変化していきません。運はつかめません。
自分が脱皮していくことも、生まれ変わることもありません。
それっぽいもどきはあっても、実は何も変わっていけないし、流れも変わらないのです。

私は、決して何でも盲信的にすぐに何でも決めて行動しろと言ってるわけではありません。
自分の直感、本音を信じなさいと言っているのです。
ワクワクしたときの自分は本音の自分です。そのあとから「やっぱり・・」とか「まあこうなれば思います・・」とかウダウダ考えるのを言うのをやめなさい、と言っているのです。

そのウダウダは自身のエゴから起こってくるのであって、本音の自分ではないからです。 まさしく、心の中にいるもう一人の自分、「恐れ」「不安」「変化」から身を守ろうとする「何もしない方があなたは傷つかないのよ」という大勢のお母さんの潜在意識なのです。この大勢のお母さんに共感してもらうか、その声を振り払って一気に決断して行動していくのか、その人の運や金運はその一点にかかっています。

いつも感じることがあります。
それは、私と会って話していたりすると、その人の本質が感応して「それっていいですね」とワクワクしています。
ただ、帰って一晩寝ると、もとのエゴに翻弄される自分に戻って「やっぱり・・・」といろんな理屈をつけて、その人に対するヒントを打ち消していきます。
それを聞くたびに、「ああそうですか。」いつもそれで終わりなのですが、内心は「もったいないなあ〜」と思ってしまいます。世間ではこういう人は山ほどいます。

決断と行動のない人は、間違いもありませんが、成功もワクワクの喜びもありません。そのワクワクの喜びがない限り、幸せでないということなのです。仏さんの大きな愛の願いとはま逆の生き方なのです。
仏さんの大きな愛の願いとは、「小さな世界から出て勇気を出して大きな世界へ行ってごらん。もっとあなたがいきいきするよ、大きな自分に脱皮していくよ」ですから、まったく違うのです。運も金運も「法則」「流れ」ですから、決断と行動するところしか生まれてこないのです。

「デザートが3種類ありますが、どれを選びます?」と聞かれて「う〜ん」とうなって選べない人。レストランに入ってなかなかメニューを決められない人。いつも何かを決めようとすると迷う人です。こういう人は運や金運は絶対に向いていきません。
もしそうでなくて何かを与えられたとしてもそれはタナボタですから、自分、子ども、孫のいずれかに厳しいリバウンドが必ず来るようになっています。これは普遍的法則、「宇宙のルール」ですから逃げようがないのです。

もう一度言いますよ。決断力と行動力のない人は、自分の直感、本音、良心、仏の心から起こってくるメッセージを、とにかく大切に頷いて決断と行動を繰り返していきましょう。
それが実は仏さんの願いであったということに気づいて、勇気を出して決断と行動を繰り返していく、それが仏の願いに沿った生き方、仏さんと共に生きるってことなのですよ。

1月23日「一つのことを続ければ、何でも続く」 (2009.01.23[Fri])

  この「ボスそら」が今日で2334号です。

  雨の日も風の日も、休みの日も・・・。そんな大げさなもんじゃあありませんが、役6年半続けてるわけです。

  この社内報「ボスそら」で、随分NCのスタッフたちは成長してくれました。また、他の組織からも、同じような話を聞きます。嬉しいですね、そういう話を聞けば。

  で、最近では、NCホームページ内に「ボスのありのまま日記」を新たに設けました。、このコーナーでは日々私が感じているありのままの本音を楽しく書くことにしました。

  そして「YUKIO YAMADAクリーニングはお任せ」、このコーナーではクリーニング品の「シミ抜き」「色修正」「復元加工」の工程写真や技術解説を松村誠が楽しく書いてくれています。

  また、「トレンド最前線ISETAN日記」のコーナーでは、伊勢丹でのお客様応対の様子やトレンディなクリーニング品の数々の写真を廣瀬智子が大阪のラテン系ののりで掲載してくれています。

  「スタッフブログ」では、新人のポッキーすすきが、悪戦苦闘の日々の中で新たな気づきを写真と共に生々しく掲載してくれてさらに、早々にショップ・全国宅配のお客様向けに「服好コミニュケーションズ」。地元リーガルのお客様向けに「エコ・リーガル出会いの場」を開設することにしました。

  これだけオープンにすれば、うちの会社は丸裸です。安心と共感を与えるためには、裸にならないとね。またNCの技術だけでなく、気風や文化も伝わっていきます。

  この各コーナーは、開設したら「ボスそら」と同じで、日々続けていくって決めていますし、スタッフたちにもその意味をよく伝えています。

  「習慣」は、習慣化するまでが大変です。始めは目新しさも手伝って、一気にいくんですが、途中で根気は続かなくなるし、ネタはなくなるし、一時は「う〜〜〜ん」という時期も当然来ます。
  ただこれを乗り越えて習慣化したら楽になります。

  まあ、ここの連中は鍛えられてきていますから、「やる以上は、楽しんで続けます」と言ったら必ず続けてくれる人たちばかりなので何の心配もしてませんが、普通は簡単にできることを毎日一つ、続けるんです。

   難しいことはダメ。簡単なことでも、毎日続ければあなたの潜在意識は「なんだ、できるじゃん」とという気持になって、それがあなたの自信になっていきます。

  そうなれば、もっと難しいことでも続けていけるようになります。
  簡単なことでいいから、何か一つでいいから続けてみましょう。他のことも続くようになるためにも。

1月22日「ワクワクはスピードの中から生まれる」 (2009.01.22[Thu])

  ネットで三つのブログをスタートさせてからというもの、みんなの視点が変わっています。当たり前に通り過ぎていたいつもの風景や仕事からネタを探そうとすると、風景や仕事に対する見方が180度変わるのです。

  周りのスタッフたちを見ていたらそれが面白いほどよく分かります。  

  当たり前の風景や仕事が当たり前でなくなると忘れかけていた好奇心が甦ります。  きっかけは、「インターネットは仏さんからのプレゼントかあ・・・なるほど。」

  良いと思ったらとりあえずすぐやってみる。チャンスはスピードなのです。  そのスピードをつかめるか、つかめないかで人生はゴロッと変わります。    

  思っててもなかなかやらない人は、精神的にぐずぐずしていてなかなかスタートが切れません。夢を実現する人、納得したい人は決断が早いし、スピード感のある人です。

   私は「なるほど」と感じたら即行動する人ですから、スタッフはみんなその勢いにあおられていきます。  

   スタートの動機が「義務感」じゃなく「ワクワク」ですから、スタッフにもウィルスのように「ワクワクが伝染」していきます。
  そしてスタッフのワクワクはお客さんにも伝染していきます。ワクワクはワクワクの波紋を呼んでいくのです。  

  行動力がワクワクを生み出していきます。
  昔、カメラマンの加藤さんが「行ってみましょうか。ネパールへ」と冗談で言ったつもりが、「じゃあ行きましょう!」で二週間後にはネパールに行ってしまいました。
  ご本人は「行かないだろう」って、たかをくくっていましたが、そうはいきません。

  お陰で一ヶ月間というもの物凄い美味しい体験やたくさんの感動を味わって、「もう帰るの!?」って、シブシブ帰国しました。このときのことは、その人生に大きく影響を与えてくれました。
 
  チャンスもワクワクもスピードの中にあります。

1月21日「損得よりも納得を選ぶ」 (2009.01.21[Wed])

  毎朝の朝礼は、日々のテーマや報告連絡相談が行なわれながら、結局は私のライブになってみんな爆笑してます。
  この爆笑によってみんな心がオープンになって、ワクワクでスタートを切っていきます。

  ワクワクでスタートを切れるということは、納得して本気で事に当たれるということです。
  納得して本気で仕事をしていっても、人生を生きてもうまくいくことばかりではありません。時には失敗もしますし、「げっ?!」ということもあります。
  
  私は義務的な人生、なんとなく一日が過ぎたといった流される人生だけは生きたくないです。
  この世に生まれさせてくれた仏さんにもうしわけないですからね。
  失敗しても、成功しても、とにかく納得した生き方のほうが気持ちいい。そのほうが快です。
  失敗しても、おもいっきりやってみて楽しかったというのが納得した人生です。

  失敗していつまでもぐじぐじしている人も、なんとなく流され心の中で面白くないと思いながら生きてる人も、結局自分がどんな人生を生きるのかをはっきり選択してないんです。選択してないと成功しても納得できません。

  成功したら納得できる、失敗したら納得できないってことじゃあないですね。自分がそれを選んで、間違っていても、選んだかいがあった、というのが納得できる人生ってことです。

  自分の人生を振り返ってみると、いろんな出来事が思い出されます。失敗も、成功も、大失敗も、大成功もありました。ただどれを取ってみても納得できるし、あのお陰で今があるって思えます。

  人生にはまったく無駄はないし、すべてはよくなるために起こってきます。最初から勝ちが分かっているゲームほど面白くないものはありません。

  小さなことでも、得をするよりも納得することを選びましょう。損得よりも、納得で選んだ方が絶対に後悔がありませんから。

1月20日「インターネットは仏様からの贈り物」 (2009.01.20[Tue])

  人間関係にしてもビジネスにして結局はその人、その会社の「本当の姿」に「快」「共感」を得れるかどうかだ、と私は思っています。
  よく会社の「ビジョン」「ミッション」「経営方針」「環境方針」には素晴しいことが書いてあるけど、実際現場に行くと「う~ん、イメージしてたのとは全然違う・・・・・?」。

  昨日は「物事の本質」というお話をしました。その中で、スキルやテクニック以上に大切なのが、人間としての三原則である「正直」「誠実」「親切」であり、愛に目覚めれば目覚めるほどそれらが自然と行なっていけると。
  誰もがそんな人と付き合いたいし、会社にしてもそうではない会社とは付き合いたくないと。つまり技術やテクの前に「人間性」がすべてなんだとお伝えしたわけです。
  その人間性が育っていれば専門知識とスキルを持ち合わせた「いいプロ集団」が生まれていくんだと。ただそれをどうやって多くの人たちへ伝えていけるのか?

  昨年のことですが、日光江戸村の野口さんから素晴しいヒントを頂きました。それはインターネットによるコミニュケーションシステムについてです。いくらその人の人間性が豊かであっても、それが伝わるシステムがなければ意味がありません。
  私はインターネットにはまったく興味のない人でした。時代錯誤もはなはだしい、そういう人でした。ただ、野口さんとの話の中で彼は私にこう言いました。

  「代表はひょっとしたらネットの悪い部分ばかりを毛嫌いされてるのではないでしょうか。悪質な書き込みとか、心無いメールのやり取りとか。低俗なブログとか。誇大広告されたホームページとか・・。
  ただ私はそんなものには意識は向けておりません。それよりも、日光江戸村で頑張っている役者一人ひとのありのままの姿を知らせたい。感じもらいたい。私たちのサービス精心をよくご理解していただいた上で江戸村にお越しいただきたい。そして私たちと末永くお付き合い願いたい。私はネットを単なるマーケッティングのツールとは思っておりません。仏様が与えて下さった人と人との最高のコミニュケーションツールである、そう思っています。」

  この言葉には目から鱗でした。「はっ」と目が覚めるものがありました。その後、いろんなホームページを見たりブログを読みました。そして思いました。私たちはいかに情報を発信してなかったんだろうか、と。心配りあるサービスを提供していたり、高い品質の商品を扱っているのならば、そのことをできるだけ多くのお客さんに伝えなければならない。 情報を発信しなければならない。それが私たちの義務だと実感しました。
  そして早々ホームページ内に「技術のクオリティ」「サービスの実際」「気風や文化」この三つがありのまま伝わるブログを設けました。このブログの数はもっと早々増やして、それぞれのスタッフが仕事で取り組む専門分野の情報が発信され、私たちのミッションが多くの人たちへ伝わって共感の輪が広がっていけばと思っています。ということは、インターネットは、やっぱり仏様が与えてくれた「心配り」なんですね。

1月19日「物事の本質」 (2009.01.19[Mon])

  今日は仕事というか、物事の本質としてとても大切なお話をします。 
  朝の朝礼では日々感じることをみんなに伝えます。今年になって今一度基本的なことを話しています。それは、仕事をする人間として一番大切なことは、専門的知識やスキル、テクニックがすぐれてることじゃない。技術か゛すぐれていることでもない。それ以前に、一番大切なことがある。
  それは「人に好かれる能力を育む」ってことなんだ、と。何も立派な人格者になれとか、自分を善人として偽って偽善者になれというのではない。そんなのはすぐバレます。そういうことを言ってるのできなくて、その人自身からハッピーなオーラというかエネルギーが出てるってこと。そのためには、人間関係を円滑にするコミニュケーション能力と人間力が重要なスキルになるよって伝えているわけです。
  コミニュケーション能力とは相手に伝えるスキルのことで、相手に分かりやすくトークするとか、コピーライティングなどがこれに当たりますよね。人間力とは、人から信頼され、安心され、慕われるための基本原則を行動で示すことのできる能力のことです。
  じゃあ、どういう人が信頼され、安心され、慕われるかというと、それは具体的には正直であり、誠実であり、親切や心配りができる人です。この三つを聞いて何を思い出しますか?
  もう八十四になりましたが、うちの母が小さな頃から私にいつもこう言ってました。
  「ウソをつかない、人をだまさない、本当のことを伝えんさいよ。正直に生きるんよ」。
  「約束は守らんといけん。言ったことはやらんといけん。誠実じゃない人間はいけん」。
  「相手の立場に立たって考えんと。相手のことを思って親切にしてあげんと」。
  「・・・・わかっとる。もういいんさんな」。
  とにかく耳にたこができるほど母に言われ続けてきました。
  あなたもこの内容を聞いても、「そりゃあそうよね」と当たり前すぎて何も不思議ではないでしょう。ただこれが子どもも大人も自然にできるかというと、そうじゃないんです。  
  この三つを言うことは簡単ですが、本当に自然とできてるのかというと「う~ん・・・?」なのです。そんなことを考えていると人間って実に弱い存在だと思いますね。
  いいときはいいんですが、すぐに、ヤバイことがあると、自分本位や自己保身にひっくり返ってしまいます。結局、心に中に「怖れ」「不安」が強いと条件反射的に保身的になってしまうんです。逆に愛と安心で満たされてるとグッと正しい方向で踏ん張れる勇気が出るもんです。
  ただ、これらが欠けてる人と正直言って付き合いたいと思います?これら一つでも欠ける人や会社から何か買いたいと思います?誰も思わないですよね。
  だから、この三原則が義務的・強制的に身につけさせようとするのではなく、自然と身についていくことができるのが本来の会社のあるべき姿だと私は思っています。常に愛が中心にないといい仕事なんか絶対にできるわけがないから。
  会社の中心、人の心の中心に愛があるからこそ、専門的知識、スキル、テクニック、技術、サービスを自発的に身につけようとできるのですから。
  また会社とは「いい人の集団」を作るのが目的ではありません。「人がいい」人は世の中にたくさんいます。そうじゃなくて、専門知識とスキルを持ち合わせている「いいプロの集団」をつくることが目的です。
  ただそれ以前に、人間として小さな頃から言われ続けてきた人間としての三原則が自然と身についてない限り、何をやっても中途半端になってしまう。異業種研修の講師に行っても、クリーニング業界を客観的に見ていてもそう実感しています。
  ということで、当たり前のことですが、「正直」「誠実」「親切」この三つの三原則をモットーに、さらに進化するそれぞれのプロを目差していきましょう。

1月17日「リセット」 (2009.01.17[Sat])

  昨日テレビで「リセット」という番組をやっていました。今の環境や人生に満足してない人が、過去に戻って人生の転換期を「リセット」して新たな人生を生きていったらどうなるのか?そういう番組でした。
  で、結論は、「リセット」してもその人のイメージの中にある「理想」をずっと追い求めていくわけだから、外的な状況や環境は激変しても相変わらずブ〜たれてました。
  今日はまた角度を変えて、幸せの構造をお話しします。幸せには「パラダイス」と「ユートピア」という二つの考え方があるります。「パラダイス」というのは、外から見てその人がとても幸せそうで、目に見えて分かりやすく言えば「天国にいるなあ」と分かるものを言います。「ユートピア」というのは、その人が浄土にいることが見えないんですが、心は浄土という自由で開放された枠のない大きな世界を生きてる状態のことです。
  ここで「天国」と「浄土」の違いって何かと言うと、「天国」のイメージはこの世の価値観の延長にあるもの。まあ物質的に恵まれて家族もみんな元気みたいな。「浄土」はこの世の価値観を超えた「こだわり」「かたより」「とらわれ」がない、物凄く自由でオープンな大きな世界を生きてるってこと。だから執着につかまってないから心がすごく軽い。
  「パラダイス」ではエゴの欲求がすべてがない、とどまるところを知りません。強い弱いは別として、基本的にはもっともっとです。でも、この「パラダイス」状態は永遠に実現することがないのです。なぜなら、人間の望みや欲望は「これでよし」というラインがないからね。
  結局、「リセット」した人たちが全員求めていたものがこの「パラダイス」だったわけです。だから「リセット」して結婚相手が変わったり、環境や人生が変わっても「これでよし」ということがない。逆に「リセットしたのになぜ?」という不満が増していきました。
  一方で、「ユートピア」は、論理的に言えば「心の中に幸せを感じるメカニズムができる」ということだから、「ああ、幸せだよね」と思った瞬間にその状態にス~と入ることができる。だから、家庭でも、仕事でも、何をやっていても、その環境や人間関係の中から「ああ、幸せだなあ」と「ユートピア」を生きることができるんです。「リセット」してもね。
  つまり、幸せというのは、条件が整備されて、その条件をクリアしたら「幸せ」になれるってことじゃない。今が「幸せだ」と思えたら、幸せが手に入るわけです。
  どこにもない「パラダイス」を人間は追い求めて探すわけ。これは外的にも内的にも。実は宗教やってる人たちもこういう人だらけで、自意識やエゴから思う通りにならない人や環境を裁いてしまう。それよりも自分が「ユートピア」を生きなさいって仏さんは言われてるんだけど、自分が幸せになれない原因は宗教を理解できてない人にあるって思い込むわけだ。そういう場合は表面的には「ユートピア」を求めてるようで、実はエゴを満たそうとする「パラダイス」を求めてたりしてる。
  はっきり言うと、「今が幸せ」でない人は「パラダイス」を求めてて、どんな環境でも「今が幸せ」と思える人は「ユートピア」を生きてるってこと。分かりやすいでしょ。そのキーワードがこれまた単純で、「環境」「身の回りの物」「人」「縁」に対して「感謝」があるかないか、ただそれだけなんですよ。
  心から感謝がある人の心は「ユートピア」。浄土を生きてるってことなんです。当然そういう環境も必要なんだけど、準備ができてる人は自然と「ユートピア」的な場に引寄せられていくしね。ユートピア、浄土を生きる人たちがこの世に一杯増えればいいなっていうのを、仏さんは一番願ってるわけなんだ。

1月16日「本当の自己実現とは」 (2009.01.16[Fri])

  さて、昨日に引き続き、今日は本当の自己実現って何かをお話しますね。昨日は、ナンマンダブツをとなえることによって宇宙の愛が自分に届くと、自分のエゴに気づかされて、仏心に戻って「本当の自分」「無理のない自分」を生きることができるよって、話ましたよね。それってむちゃくちゃ気持ちの良い、ワクワクの愛の世界だってことも。
  あなたの旦那さんであるポッキーは、そのワクワクの愛の世界を生き始めた。彼は人一倍、大きな愛の世界を生きたいと願って生まれてきた「いのち」なんだ。その彼が様々な葛藤を繰り返して、やっとこの場にたどり着けた。
  だから彼は毎日、ワクワクで楽しくてしょうがない。凄く気持ちいい日々を送ってる。仕事で身体は疲れるけど、心はまったく疲れない。疲れるどころか生き生きしてる。そんな彼の影響もあって、あなたも彼と同じ世界を生きたいって思い始めた。だから話が通じ合うようになったでしょ。今までは、ひょっとしたらまったく通じ合ってなかったかもしれない。表面的には話を頑張ってあわせたとしていても、どこか無理があるって感じで。でも、もうそんな感覚ってないでしょ。ポッキーのご両親ともそうなっていくよ。あなたの心が少しずつオープンになってきてるから。
  それはあなたが自分のエゴに気づけ、仏心の本当の自分を生きようと歩み始めたからなんだ。どうですか?気持がとても穏やかで、楽でしょ。無理してないよね、今の自分は。今までみたいに、完全主義を求めてないし、「まっいいか。なるようになる」って思えるようになってきたでしょ。私と出会って、何日だと思う?時間ってまったく関係ないって分かるでしょ。あなたが目覚め、気づき、新しい人生を歩み始めるため、縁が熟したときに、仏さんは私と出会わせてくれたんだよ。スゴイでしょ。仏さんって。
  だから、これからはあなた一人で頑張って生きるのではなくて、もっと仏さんに甘えて、 ナンマンダブツをとなえながら、仏さんと一緒に生きていってほしいね。いつでもあなたと共に仏さんはいてくれるんだから、仏さんはあなたを守ってくれてるから、何も心配ないよ。赤ちゃんも一緒にね。
  そうそう、「本当の自己実現」でした。私たち人間はそれぞれ独自の才能や長所を持って生まれてきてるんだけど、ほとんどの人はそれを発揮してない。でも、ナンマンダブツをとなえていると、自分の潜在能力がどんどん目覚めていくので、私たちはこの人生を大いに楽しむことができるようになるんだよ。
  ただ、ここで話そうとする自己実現とは、よく「成功を手に入れよう」という「自己実現セミナー」の「自己実現」じゃなくて、「本当の自分の思い」「仏心の思い」、つまり「より高次な自分」の願いを叶えるという意味であって、あなたのエゴの欲求を満たすという意味じゃない。ここは間違わないでね。
  例えば、「お金が欲しい」「出世したい」「人よりもよく見られたい」という願いはエゴの欲求で、自己実現欲求とはほど遠いものなんだ。そのようなエゴの欲求に振り回されながら仕事をしても、本当の意味での自分の能力は発揮できない。
  それに対して、「心からワクワクする仕事をしたい」「やりがいある仕事をしたい」という願いは、自己実現欲求だね。そして実のところ、エゴの声に邪魔されず、心の奥底に潜む「本当の自分」の声に従うとき、私たちは才能や長所を開花させることができるんだよ。
  ここで、じゃあ何故今の日本人がエゴの自己実現をしゃかりきになって目差してるかって学んでおきましょう。これはね、東洋と西洋の考え方の違いにある。例えば、西洋ではエゴを確立することが重要だって教育されていくんだ。つまり、衣食住に満足し、幸せな社会生活を営もうとするプロセスを踏んで、エゴが完全に発達してこそ、「本当の自分の思い」を実現されると考えてるわけ。この西洋の価値観が戦後日本は導入されて、学校教育でも物質やお金を優先させていく価値観を私たちは洗脳され続けてきたし、そういう社会ができあがっていったんだね。そして「それってやっぱおかしいでしょ」という事象が現在全世界で起こってる、資本主義の崩壊のシナリオなんだよ。
  一方、東洋の宗教である仏教や哲学は、エゴの発達についてはあまり言及せず、むしろエゴの肥大を抑えることによって心を成長させようとしてきた。「執着するな」「捨て去れ」という仏教の教えは、エゴのとらわれから自由になることを勧めてるわけだ。
  西洋はマズローの生理的欲求・安全欲求・愛情欲求・承認欲求・自己実現欲求を段階的に満足させてエゴを抜けていこうとするんだけど、そういう人はまずまれ。ほとんどの人が途中でエゴにつかまって呪縛していってるね。東洋の教えの素晴しさは、この欲求をするりとくぐりぬけ、一気に本当の自己実現へと向かうようになっている。これって実は別々のものじゃなくて、行き着くところは同じなんだ。というのも、西洋が「自分独自の能力に気づく大切さ」を強調する一方、東洋は「エゴの欲求に振り回されない大切さ」を指摘しているわけだから。そして、私たちが本当に「自分独自の能力や長所を発揮」できるのは、「エゴの欲求に振り回されない」ときだから。エゴに縛られてる人は、仕事やっててもフンフン言ってる。また迷ったりしてね。そういう人は、自意識というエゴがいつも邪魔してるんだ。そんなので死んだら、迷いっぱなし。こりゃあまずい。
  つまり、「エゴの声」にとらわれず、「もう一人の自分」のピュアな思いを実現して個性や能力を充分に発揮していくことこそが、本来の意味でのワクワクの自己実現なんだよ。こういう真実に気づけると、あなたの考え方や価値観も、また随分変わると思うよ。
  それとポッキーがなぜ毎日ワクワクなのか?それはここに集まってる人たちが、「本当の自分」をみんな生きてるから。そして、そういう自由で開放された愛の場がナチュラルクリーンだってことなんだよ。今日は随分お勉強になったでしょ。

1月15日「真実が届く」 (2009.01.15[Thu])

  今日はポッキーの奥さんのために書きますね。
  まずは、次のステップに行ける準備が出来ておめでとう。君が私と本音で話すことによって、やっと、自分の心の中にあった(潜在意識)さまざまな頑なな思いや感覚が浮かんできたよね。そして、それを味合うことによって、それまで目を逸らしてきた心の闇や傷になんとなく気づけた。この気づけたことが実に大きいんです。それによって、これからは、無意識のうちに自分を駆り立ててきた、そんな衝動や言動をきちんと把握できるようになるので、それに振り回されずに、「あっ、またやってる。これは違う」って、意識的に対処できる可能性が広がっていく。
  さらに、「ボスそら」で味わった安心の感覚を大切に日々生活していくと、「自分の本質」、「本音」、「良心」、「仏心」に少しずつ目覚めていけるんだよ。
  過去を振り返ってごらん。何かの出来事が起こると、心は波立ち、意地を張ったり、喜怒哀楽といった感情がすぐに渦巻いてなかった?そういった表面的に揺れる心を「自我」とか「我執」とか「エゴ」と呼んでる。でもね、君の心の奥底には、出来事をありのまま素直に受け止められて、「泣いたり笑ったり怒ったり、移りゆく感情のままに揺れ動いている自分、エゴに惑わされない本当の自分(仏心)」がある。
  今後は、エゴが起こってきても「あっ、またやってる」と気づいて、本当のあなたである、仏心に出合っていくんだ。すると、エゴより仏心のほうを選択して生きていくようになっていく。すると、過去自分が正しいと思い込んでいた観念、価値観、思い込みなんかの「こだわり」「かたより」「とらわれ」なんかが、もうどうだってよくなっていく。だって、そんなエゴにとらわれていたから、人と争ったり、自分は正しいって、実にちっぽけで狭い世界を生きてきたわけで、そうじゃなくて、それよりも、仏心が、嬉しい、ワクワク、楽しいことを感じて生きていったほうが、人ともオープンになって向き合えるし、大きな広い世界を生きていけるので、「これが本当の私だったんだ。気負いの無いありのままの自分だったんだ」って気づいていくよ。すると毎日がとても気持よくなるし、楽しくなるし、面白くなっていって、いろんなことに興味が湧いてきて、ワクワク幸せって感じられるようになっていく。これが自分の壁を超えたってこと。過去から身につけてきた「怖れ」「不安」「頑固」な鎧を一枚一枚脱いで、少しずつ自由になっていく道を歩み始めたってことなんだ。ワクワクの人生をね。
  そういう安心のあなたは幸せな愛の波動を出してるから、引寄せの法則で、幸せな愛の現象が自然に引き寄せられていく。「恐れ」「不安」は「恐れ」「不安」の現象を引寄せ、「安心」「ワクワク」は「安心」「ワクワク」の現象を引寄せていく。当たり前のことなんだけど、みんなそんなこと知らないからマイナスの言葉や思いを自ら発信しては、そのマイナスの現実を引寄せてるんだ。
  当然、あなたが幸せに気づけば、赤ちゃんもお母さんの幸せな愛の波動に包まれて、安心してるから、自然と湿疹は治っていく。彼の湿疹はお母さんの「不安」「恐れ」「頑固さ」に対する体を張ったメッセージだったわけで、「お母さんがそれに気づき、生き方や価値観がコロッと安心の方向へ転換されたら」、彼の目的は達成されたわけで、湿疹は自然と嘘みたいに消えてなくなっていくよ。必ずね。
  で、君に伝えておきたいのは、「ナンマンダブツ」っていつでも言ってごらん。ナンマンダブツは宇宙原語で、宇宙が始まるときに生まれた「幸せになろうね。必ずおまえを救うよ。守るよ。本当の世界へ導くよ」という人間の叡智を超えた大宇宙から届いてくる愛の言葉なんだ。自分がつかまってるエゴに気づかせてくれて、君を本当の自分である仏心に戻してくれる、愛の言葉、真実の言葉、実は仏さんなんだって覚えておいて。
  深い意味は考えなくていい。とにかく口癖のように「ナンマンダブツ」って言ってごらん。宇宙から愛が届いてきて自然と心が開かれて楽になっていくから。またぐじゅぐじゅ考えていたら「ナンマンダブツ」。すると「そうかあ、まっいいか。もっと楽しく、オープンに生きよう」って、不思議と心が明るくオープンになっていくから。
  まずは、今日からいつでも、どこでも、どんなときでも、「ナンマンダブツ」。この「ナンマンダブツ」が口から自然に数多く出てきだしたら、それは、本当の自分を生きて、仏さんの愛に包まれて安心して生きてる証なんだよ。赤ちゃんもお母さんと共に仏さんの愛に包まれてる。いいよねえ〜、そういう安心の世界って。

1月14日「運が強くなる縁を大切に」 (2009.01.14[wed])

  縁というものは絡み合っています。Aさんに会って、Bさんに会って、Cさんに会って、結局は自分の人生を変えてくれるぐらいのDさんに出会えた。この中の一人でも欠けたら、Dさんとの出会いはなかったわけで、ということは、どの一瞬の出会いもすべての出会いを含んでるわけです。
  だから、今ある目の前の人たちを大事にしていると、また次の大事な人との出会いがあります。今逆に、目の前の人を無視するということは、今までの自分を全部否定することになるのですから、先につながることはなくなります。
  ただ、この縁は運命ですから、必要な人とは必ず自然につながります。そしてこの縁は一生の縁となってお互いを育みます。こういう縁ほど大切にしなくてはならないものはありません。又どんなに頑張っても、縁がない場合は自然と離れていきます。どうやらこれも運命のような気がします。
  とにかく皆さんには運のいい人、一緒にいて居心地のいい人との縁、こういう運を高める縁を大切にしてもらいたいです。
  とにかく運は伝染します。運のいい人と一緒にいたり、つながっていると、まずその人のものの考え方に影響を受け、さらにその人が発しているオーラや波動などのプラスの影響を受けるので、その両方の効果で自分も運が上がっていきます。
  ですから、会っているだけで良い感情が湧いてくる人のそばにできるだけいるように心がけることですね。この良い感情とは、「気持ちよい」「やる気が出る」「いい人と感じる」「穏やかな気持になれる」「刺激を受ける」「笑いがある」「また会いたいと思う」「自己成長できる」「自分が深まれる」「感性が豊かになる」「プラスのエネルギーが強く元気になる」「気づきがある」などです。あなたがそう感じれる人との縁は大切にすること。こういう人のそばにいたり、定期的に会うことによって、それだけで運が引っ張り上げられます。
  逆に嫌な気分やモヤモヤする人、とくに人の悪口や批評や批判ばかりしたり、根性の悪い人との縁は思い切って距離を置きましょう。こういう人たちは習慣的に愚痴や不満や悪口を言ってしまって、なおりません。まるで趣味のように、口を開けば批判や悪口を言い続けている人たちの輪の中にいると、心が重くなっていくのを感じます。
  この心が重くなるというのは、あなたにとって悪い影響、強力なマイナスエネルギーを与えている証拠です。いるだけで楽しくなる空間や人があるように、その逆も必ずあるので、そういうところや人にはできるだけ近づかないほうがいいのです。結局は、骨折り損のくたびれもうけになるのが落ちなのですから。
  とにかく、気持ち悪いモヤモヤ系とは距離を置き、運が強くて気持ちいいワクワク系との縁を大切に育んでいきましょう。
  昔、蓮如さんという人が「信心のない人と付き合うな」と言われたのは、こういうことだと思いますね。

1月13日「自分の本音に正直に生きよう」 (2009.0112.13[Tue])

  この本音とは、「なんとなくいいな」とか「面白そうや」とか、別に理由や理屈では説明できない「なにげなくふと思う」感覚のことを言います。理屈抜きで「自然にふと何かを感じる」、これが直感です。ですから直感とはあなたの本音です。
  お念仏を深くいただくようになって、私の人生は一変しました。それまでは、どうしても理屈や理論が勝って左脳的で現実的で戦略的な生き方だったのですが、お念仏を味わえば味わうほど、こういう現実的なはからいは吹っ飛んで直感的になって生きていくようになってしまう。そりゃあそうですよね。仏法とは無我になること、無我とは自分のエゴのはからいを超えて他力(ご縁や本音に従って)に身を任せて生きていくことだから、そうならないとおかしいわけです。
  また「理由もないのに思いついた」とか「そう感じる」ということは頭で考えることではないので、そういうのはみんな仏さんから来ている情報なんです。その情報に素直に従っていけるのかが、仏法なんです。
  ですから、たとえば、なにかを聞いたとき、何かを見たとき、何かに会ったとき、「とてもいい気持がした」「すごく好きだと思った」「何かピンときた」「考えただけでワクワクする」「良い意味でどうしても気になる」「ものすごくそれがやりたくなる」というような気分が快になることは、仏さんが私たちに直感を与え「それをするといいよ」って教えてくれているので、迷わずにやってみましょう。絶対にうまくいきます。
  逆に、「どうしても気がのらない」「考えても楽しくない」「何か分からないけど引っかかるものがある」「違和感がある」というような気分が不快になるものは、やめたほうが絶対いい。また「ちょっとまって」って、客観的に様子をまずみましょう。こういった場合、仏さんが「やめたほうがいいよ」と教えてくれているのです。
  あなたが何かを決めなければならないとき、何かを選び取らなければならないとき、お念仏を称えながら、あなたの本音で感じるままに決めてみてください。そして、実験してみて下さい。たとえば「なんだか違うよな、気が乗らないなあ」と感じたことを無理にやってみると、全然うまくいかない方向に進んでいくことに驚きますから。
  逆に、「理由はないけど、それってすごくいい気がする」と快を感じことは、あなたにとってスムーズに物事が運んだり、楽しい展開になっていくことがわかると思いますよ。
  ということは、はじめから「気が進まない」ということは、選ばなくていいということです。これはエゴ的発想ではなく、その法があなたにとっても、周りの人たちにとっても物事がスムーズに運べる方法であるって仏さんが教えてくれているからです。はじめに変に気を使ったり、しがらみにしばられて、本音を無視すると、あとで回りを巻き込んでやっかいなことに発展したりするものなのです。とにかく「なんだか違うような気がする」と思いながら引き受けたことは、ろくなことになりません。よくよく考えてみてください。そういうことって今までありませんでした?
  はじめに感じる自分の本音は、それが快か不快かは、その物事の展開をはじめからきちんと仏さんが教えてくれているのです。どんなことでも、あなたが「本音」で感じていることが、あなたにとっての一番の答えなのです。それが良いとか、悪いとかという問題ではありません。仏さんが教えてくれる自分の本音に従って生きていくと、仏さんは本を通して答えを知らせてくれていることに気づきますよ。
  で、迷った時は、時間がたてば必ず本音がすっきりと決まるようなことが自然と起こるので、心配しなくても大丈夫です。まあ、そういう場合は本当はどっちでもいいことが多いのですけどね。
  お念仏を称えて、自分の心をオープンにして、仏さんから情報がくる計らいを超えた本音に従って生きてみましょう。はじめは頭が邪魔して勇気がいるかもしれませんが、本音に従ってると、いつの間にかワクワクを生きてることに気づけるはずですから。

1月12日「プラス発想の癖付けをしよう」 (2009.01.12[Mon])

  本屋さんではプラス発想の本が山のように積まれています。なぜここまで?というのには理由があります。人間は「どうでもいいことはこだわらず」「なんでも楽しもう」と意識して生きていったら、どんなことの中にでもプラスを見つけられて運が強くなっていくからです。
  親鸞さんの現世利益和讃などを解釈していくと、結局、念仏とは仏さんの大きな愛に救われて「どうでもいいことにはこだわらず」「なんでも喜んで楽しもう」になっていくわけです。まあ、そんな心が自然と起こってくるのか、起こそうとするかの違いはありますが、鶏と卵の原理と一緒で、最近の私はあまりこだわる必要はないと思ってます。
  とにかく、ちょっとした視点を変えれば、ほとんどのことは、大したことではありません。ムッとしたり、トーンが下がっていつもの深刻、複雑モードになった瞬間、カチッとスイッチを入れ替えてプラスの面を見ようとするのです。「とにかく、今日からなんでもプラスの面を見ることにしよう!」としっかり意識しているだけで、ずいぶん物の見方やとらえ方が変わ.るものです。
  運がよくなる方法は、自分の心をできるだけ楽しく、面白く、わくわく、穏やかに、イライラしない状態にしておくこと。お念仏とは仏に救われて大安心をいただく世界を生きていくわけですから、自然とそうなっちゃうはずなんですが、何故かお坊さんも門徒さんもま逆だし、実にこの世的で本音と建前の二面性が強いのが私は不思議でなりません。それって信を得てないってこと?まっ、いいか人のことは。
  とにかく、あなたはマイナス面を見続けるのが気持ちいいのか。プラス面を見続けるのが気持ちいいのか、これを機会にあなた自身がどちらを選ぶかはっきり選択することです。どっちでもいいんです。その人の自由意志だし、自己選択だし、人生は全部自己責任なんですから。
  ただ、毎日とは「起きたことに自分が反応する」連続ですから、そのたびにマイナス面ばかり見てムッとし続ける心と、「それっていいじゃん」と明るい面を見て楽しく思う心では、人生ものすごい差がでてくるって思いません?
  目の前でまったく同じことが起こっていても、そこにいる人は全然受け取り方が違います。 ある人は「どうしよう」と不安になるし、私みたいな人間は「これってチャンスじゃん」とワクワクしてるし。自分の生きてる世界の延長線をどうしてもイメージしてしまうのです。あの世って実は生きてる自分の世界の延長線上にあるものなんですよ。
  たとえば、仕事で嫌なことがあったとしても、プライベートでいいことがあると、仕事で嫌だったことなんて全然忘れてハッピーなんて思ったりする。とにかく心の状態がすべてを決めてるわけです。
  過去に起きてしまったことは変えることはできませんが、今の自分の気持は、100%自分で決めることができます。この自由を与えられているところが人間はすごいですよね。
  どんなに裕福な人でも、「まだ足りない」「寂しい、辛い」と思っていれば、不幸ですよね。恵まれているところをフォーカスすれば幸せなのに、足りないところばかり見た途端に不幸を感じてる人って多いです。何を人と比べてるんでしょうか?そんなことより自分はどう生きるかだけなんですけどね。
  これはどんな状況の人でも会社でも同じですね。今マイナス面ばかり見ている人は、どんなに良い状況になっても何かを探しては不満や不幸を持とうとします。もうこういう人はマイナス癖が見についてしまっているのです。何かよいことがあっても、必ずそのなかから足りない部分を見つけ出そうと探し出します。火の車おのがつくりておのが乗り行くです。気の毒に。
  もし、今のあなたが自分の前に起きている世界を「つまらない」とか「楽しくない」「何の意味もない」というように感じているのであれば、はっきり言います。それはあなたの心がマイナス面だけを眺めているからだって。
  プラス発想をはじめてプラスの面を見ていくと、今まで気になっていたどうでもいいことにイライラしなくなります。あほらしくなります。イライラすることが減ると、だんだん「毎日楽しいじゃん」というプラスの心に変わりはじめます。その心が積み重なっていくと、本当に楽しい大きな出来事を引寄せちゃいますから、とにかくプラス発想から始めましょうや。人生そんなに長くはないんですから。

1月10日「自分の身体や回りの物に感謝しよう」 (2009.01.10[Sat])

  以前、健康セミナーを受けたとき、「皆さんはお風呂に入ったときに、自分の体を洗いながら、いつもありがとうって感謝したことがありますか?」と聞かれたことがありました。その時は、そんなことなんてまったく考えたこともなかったのでドキッとしました。
  そして思いました。そういえば、仏教では草木やあらゆる物には「いのち」が宿っていると言ってることを。自分の身体とは私の「いのち」が借りてる縫いぐるみみたいなものだが、その縫いぐるみにあまり感謝したことがないなあ。住んでる家に感謝したことがないなあ。洋服にも、食器にも、まわりの草花にも・・・・。ああ、なんちゅう傲慢な人間なんだと。
  その後、レクリィエーション協会の上級指導者の増田先生のお宅をお邪魔したときのことです。この家ではいつも人の笑い声があふれていて、お邪魔するととても楽しい気持になれます。ご夫婦のおもてなしの素晴しさや会話の楽しさからくるものだけでなく、なにか、その家自体が発している温かくて楽しいパワーがあるのです。
  またそこで私は思いました。そういえば、お坊さんとしてお参りする家で、確かに立派でキレイな家はたくさんあるけど、何か冷たいというか、パッとしないというか、温かくて楽しいパワーを感じたことが無いなあ、と。
  そのことを先生に聞いてみたら、いつも「君は本当にいい家だね。僕たちは幸せだよ」と話しかけてるそうです。そんな感謝やプラスの言葉を毎日聞いているのですから、持ち主や家族、お客さんにもプラスの影響を与えていて、この家もプラスのパワーで満たされているんだと思いました。
  また、私は車が好きでドイツ車を何台も乗ってきましたが、どうしても手放せない国産車が一台あります。それは初期アリストの3000ツインカムターボです。嫁さんは、「お父さん、この車にはもう一台買う以上にお金をつぎこんどるんよ」と機嫌の悪い車です。
  ただ私にとってはどうしても手放せない名車なのです。足回りやサスペンションはすべて特別なスポーツ使用ですし、タイヤは後ろ265の55、前245の55のピレリー、ホイルはマセラッティ使用のシルバーメッシュ。400馬力のフルチューン。アリストは一つ間違えると、若ボンのチャラチャラに見られがちなのですが、ここまでバチッと決めるとヨーロッパ風で気品があります。当事のキャッチが「羊の皮を被った狼」で、それに加えて400馬力にパワーアップですから、出足は後輪ドリフト発進でこれがスゴイ。ナナハン並みの加速を楽しめます。
  こういった車の話になるときりがないので、それはそれとして。以前、この車のエンジンがおかしくなり、この時に、先生の家のことを思い出して、「おまえいつもよく動いてくれるよな。ありがとうな。雑にあつかったらいかんよな。すまんな。ちょっと頼むけど動いてくれる」と話しかけていたら、突然エンジンが復活したことがありました。修理工場で見てもらったら、プラグが古かったみたいです。ただ、そこの整備員さんが「よくもまあこんなのでここまで持ちましたね」と不思議がられていました。それ以来、車だけでなく、いろんな物にそんな風に話しかければ話しかけるほど、感謝すれば感謝するほど、その物は生き生きパワーが増し始めることが分かりました。
  ただ「すべての物にはいのちが宿っている」これは、すべての物には生きた波動があるということですから、当然、物を粗雑に扱ったりする人と感謝して扱う人とでは、違いが でてきて当然です。物の側に自分が立てば、いつも自分を大切にして愛情を注いでくれれば力を発揮しようとするものです。本当にそういうことなんだと思います。また、クリーニング品ではこのことが顕著に現れますよ。
  とにかく工場内にはいたるところに「ありがとう」の張り紙をしていますが、「いつも頑張ってくれてありがとう」そう思うだけで、機械の一台一台が自分を支えてくれる大切なものに感じれますし、本当にパワー出してくれますもの。
  そういやあ、君津のボイラーはとっくの昔に寿命が来てるのですが、まだ頑張ってくれている。これも「ありがとう」の感謝のお陰なんでしょうね。

1月9日「言葉があなたをプラスにも、マイナスにも牽引していく」 (2009.01.09[Fri])

  何気なく使っている言葉が、あなたの未来を確実に創造してるって知ってます?
  昨日は私の運の強さ、根拠のない自信は、幼少時に受けた母親からの「あんたは運が強い」の洗脳の賜物であるというお話をしました。が、これは大人になってもまったく同じことなのです。
  逆に「あんたにはそれは無理でしょ。できないと思う、やめてたほうがいいと思うよ」と毎日言われ続ければ、どんなに自分が前向きな気持だったとしても、へたっていくでしょう。ただ、私の場合は、そう言われれば言われるほど、「まあ、みときんさい」と逆に火がついていくのでどうしょうもありませんが、一般的にはへたっていきますよね。
  まったく同じ状態であっても、「あんたなら大丈夫、運が味方してくれてるから」と力強く言われれば、「そうかもしれない」とい「その気」になっていくものです。それが続けば、実際に前向きな行動になっていきます。人間「その気」になれば、とにかく「プラスのその気」を引寄せてくれます。
  だから私は人に「絶対につまらん言葉、しょうもない言葉を使いんさんな」と言います。つまらない言葉、しょうもない言葉、否定的な言葉、批判的な言葉、何もメリットにならない言葉、悲しい言葉、辛い言葉を使えば使うほど、その人は「その気」になって、「マイナスのその気」を引っ張り込んでいくからです。
  言った言葉が良いも悪いも現実になると知っておけば、つまらない余分な一言は言わなくなるものです。私も若いときは、随分人の悪口や批判などの余分な言葉を使って、「なんじゃこりゃ」というような余分な現実を引寄せました。何もメリットのないこりごりは、もうこりごりです。
  ですから人の悪口や批判はしないと、まず決める。他人の悪口や批判をしているその言葉を聞いているのは自分の潜在意識です。潜在意識は良い悪い、自分か他人かなんてまったく分からないので、他人のことを言いながら実は自分がそんな人間なんだとマイナスのエネルギーをインプットし続けていくのです。これがたちが悪い。
  あいつは悪い奴だ。嫌われてる。嫌な目にあえばいいのに・・、ぜんぶ、自分に言い聞かせているってことなのです。そしてあなたが使っている言葉のとおりの未来を引寄せてしまいます。
  これだけは覚えておいてね。あなたが人の悪口や批判をすればするほど、あなたの運はメチャ悪くなるってことを。そしてまだ言い続けるならば、自分の潜在意識が物凄いマイナス現象を引寄せますってことを。この事実を知った上で、自己責任で悪口を言ったり批判してね。どんなにそのことがあなたにとって正しいことでも、法則は法則ですからね。
  だから「人の悪口や批判はできるだけ言わないように気をつけよう」ではなくて、一気に「今日を境にやめます」と決めましょう。ちょっとずつ減らすのではなくて、一気にゼロにしましょう。それでもポロっと言ってしまったら、ハッと気づいて最後は「でもあの人はこんないいとこもあるよ」とプラスで締めくくる。絶対に。マイナスの言葉は、知らない間にマイナスのエネルギーを増幅させていって、言われている人よりも言った人をマイナスのエネルギーでがんじがらめに縛ってメチャ運を下げて、結局はマイナスの事象を引っ張り込んでしまうのです。こんなばかげたことはありません。そんなことを知ってても、まだあなたは人の悪口を言いたいですか?人の批評批判をしたいですか?じゃあ、どうぞ、でも自己責任は自分自身で背負ってねなのです。とにかく、つまらない事を言ってしまったら、最後はプラスの言葉でとにかく締めくくる。このことは忘れるな。

1月8日「私は運が強いと自分を洗脳する」 (2009.01.08[Thu])

  昨日は資本主義が崩壊していくよって書きました。そういった混沌の時代をポジティブに乗り切るための「企業」や「人間」の成功のポイントも書きました。そのベースになっるのが、実は「私は絶対に運が強い」という根拠のない思い込みであり、自信です。
  この根拠のない思い込み、自信があれば何があってもなんとかなります。私なんてこれだけで生きてきたと言っていい。この根拠のない自信は鶏と卵みたいなもので、「私は運が強い」と思ってるから「実際に運が強くなる」のか、本当に「運が強い」から「私は運が強い」と思い込めるのか。
  まあ、どっちでもいいんですが、ためしに、目の前に起こってくる小さなプラスの出来事を「う〜ん、運がいいよなあ」としみじみ味わってみて下さい。そのしみじみ味あう機会が日々増えれば増えるほど「いいこと」がどんどん引寄せられていきますから。それも急速に。
  これはあきらかに「波動の法則」が働くからです。
  つまり片一方の棒を叩くと片一方の棒にその音が共鳴振動してビ〜ンと鳴り出す。小学校の理科の実験でやった、あの「音叉の原理」と全く同じ事象が起こり出すわけです。あなたの出してるプラスの波長に同じようなプラスの現実がどんどん引寄せられてきます。この基本的な法則を知らない人、知っていても実践してない人ほど、何かあればすぐにマイナスになってマイナスの事象を自ら引寄せまくってフテってるわけですが、はっきりイ言って「お〜い、もうええかげんにせえよ!もっと法則に乗っていこうぜ!」なのです。
  振り返ってみれば、私は「運が強い」という根拠のない思い込み、自信を子どもの頃から物凄く強くもってました。だからくじも強かったし、ジャンケンも強かったし、とにかく勝負事はメチャメチャ強かった。だって「絶対に勝つ」と思い込んでましたから。ただ思い起こせば、うちの母がいつも「あんたは仏さんがついてるから運が強いけえ」「運が強いんじゃけえ」「あんたは凄い」と背後でボソボソ言ってましたもの。もうこれはある種の洗脳状態ですね。
  だからどんなときでも「私は運が強いからなんとかなるだろう」と自然に思うようになったんだと思います。そして今はそれにさらに拍車をかけてますけど。
  そう考えてみると、親の一言が強運の人、子を育てると言っていいのです。この小さな時の思い込みほど大人になっても強力に働き続けるものはありません。
  だから、保育園の先生たちも子どもをどんどんプラスの言葉で洗脳して下さい。いつでも、どこでも、どんなときでも「あんたはめちゃ運が強いねえ」と、とにかく言い続けてやるのです。そうすると、その子は強運になるかもしれません。将来が明るいと同時に、「運が強い」ということは「自己評価も高い」「自己信頼度が高い」「自己肯定感が高い」という事ですから言うことはありませんよね。絶対そういう子はピンチをチャンスにひっくり返すだけのパワーを身につけてますから。
  逆に言ったり、思ったりしてはいけないのが「心配」「不安」「否定的な言葉」「批評や批判」などのマイナスです。よく「近所や人の悪口を言わないことが立派な家庭教育である」と昔から言われますが、これは真理です。マイナスな言葉や思いほど、子どもや大人の未来の希望の芽を摘むものはありません。マイナスのエネルギーはプラスよりも強力なので、とにかく無意識に潜在意識に蓄積され、根拠の無い自信ならいいのですが、根拠のない不安や恐れが強い子どもや大人になってしまいます。
  だからお母さんは、イケイケでノリのいいリオのカーニバル状態ぐらいでちょうどいい。ただ感謝のあるが追記されますが。そういうプラスの環境で育つ子どもは「絶対自分は運が強い」と自然と思うようになります。ポッキーすすきの状態を見ていてもそうですが、大人もまったくそうなのです。

1月7日「資本主義崩壊の時代をワクワク生きる」 (2009.01.07[Wed])

  元派遣社員がタクシー強盗ですか。ふ〜う、そうですか。全国でまたこんなシンクロが頻繁に起こってくるんでしょうね。ということで、感じることあって今日は少し経済の話をします。
  2008年のリーマンブラザースの破綻をきっかけに、100年に一度という金融危機を発端として、世界の実態経済は終焉を迎えようとしています。日本にも確実にその大きな波はやってきて、大企業だけでなく、中小企業をはじめ、すべての企業や産業が、その変化の中に呑み込まれていきます。
  日本を代表するトヨタですら、一昨年は2兆2000億円も黒字だったのに、昨年は大赤字です。なんと、赤字に陥ったのが1961年以来、実に67年ぶりだそうですよ。
  今年はどんな優良企業でも、赤字に陥る可能性は大です。大企業すら、大幅な売上減を見込んでいるわけですから、中小企業や商店はどうなるのでしょう。一般の人の収入減も、避けられません。消費者の購買力低下スパイラルは、まず止めることはできないと思いますね。日々通うスーパーの客数を見ても激減していますので、各業種の多くの店舗が閉店に追い込まれる状況は、もう間近。
  先進国の主要銀行は、国の資本が投入され、ある意味では資本主義は終わってしまいました。国家管理型資本主義に変質し、自動車産業などでも、世界各国で、支援を受け初めてます。経済対策と称して、何十兆円ものお金が世界中で供給され始めていますが、そのお金はどこからやってくるのでしょうか?そのあたりのからくりに直面したときが、終わりの始まりですね。
  世界のトップアナリストたちは、世界の金融は、もう崩壊していると言ってます。いつ、どうやって国や各業界の破綻がどのような形で起きるのか?地方の建設、不動産関係、地方銀行はどうにもならない状態に追い込まれるでしょう。それが実際の生活にどう影響するのか?お金、健康、仕事、家族、人間関係など、この大きな時代の変化とともに、あらゆる人間の考え方が根本から揺さぶられるようになっていきます。特に、お金、仕事、土地を失う恐れや不安によって、「自分は今までどう生きてきたのか?」「自分は一体何をやりたいのか?」ということが、あらためてクローズアップされていくと思います。
  でも、そういった根本からの揺さぶりを受け続けた結果、「自分のやりたかったこと」や「好きだったこと」が何だったかはっきりして、そこに向かって力強く生きてくことさえできれば、大混乱することはなく恐れや不安も解消されていきます。大局的な深い意味から言えば、これほど人間の本質に立ち戻れる「ありがたい時代はない」ということになります。
  前後しますが、こういうことを前提で「したくて、迷わないことをする」「成功の確信があることをする」「得意で好きなことをする」「世のため、人のためになることをする」「自分で責任のとれることをする」という「企業の成功の法則そのD」と、「したいこと、迷わないことをしよう」「得意で好きなことをしよう」「世のため人のためになることをしよう」「自分で責任を取れることをする」といった「人間の成功の法則C」を今一度しっかり考え、もはやそこに向かってスタートを切っておくことが必要ですね。
  なによりも、よりシンプルで心オープンに生きることができれば、この時代がワクワクの時代にひっくり返ってしまいますよ。

1月6日「ええねえ〜」 (2009.01.06[tue])

  私が広島へ帰る時は必ず最終の飛行機になりますので、自宅に着くのが夜の九時過ぎです。必ず帰ると、仏さんにお礼をして、ベットで寝ている母のところに行って、ギャグぽく「ナンマンダブツ、ナンマンダブツ」と念仏を称えます。するとやがて母は目をパチクリパチクリしながら、「ええねえ〜」とニャッと微笑んで目を覚まします。
  彼女の「ええねえ〜」とは「仏さんと一緒で幸せじゃねえ。あんたが広島に帰ってくれて幸せじゃねえ」という感覚です。
  幸せの本質はとても簡単です。何かを手に入れたら幸せになる、ということじゃない。私がこれが幸せだと思った瞬間、そう感じた瞬間に、その人にとってそれが幸せなのです。だから、嫁さんに私が母と同じことをやったら、「お父さん、なにしょうるん?ばかなことしんさんな」と怒られます。
  幸せは、私がそう感じたときに存在する。幸せってそんなものです。
  それなのになぜ、私たちは幸せというものを感じにくくなったのでしょうか。それは、私たちは学校教育の中で、比べあうことしか教わってこなかったからです。比べあう世界の中で、自分が上の方にいて、他の人より抜きんでることが幸せだと思わされてきたからです。このことは保育園で子どもにシッカリと教えておかないといけない。幸せって自分が「気持ちいい」「心地よい」「ありがたい」って感じることなんだってことを。
  世の中は、まだ「勝ち組」とか「負け組み」とか言ってます。人よりもたくさんお金をもらい、大きな家に住み、いい車に乗って、いい洋服を着て・・・。まあ、そうやって頑張る時期があっていいんだけど、それが続きっぱなしでは実に空しいでしょ。
  競い合うこと、比べあうこと、争いあうこと、こういう弱肉強食や、相対的な比較対照の価値観から「もうええわ、そんなの」って、自分自身が開放されていったときに初めて、幸せは感じることができます。
  よく大病や大事故にあった人が、自分の足で歩けること、目が見えること、人と話ができること、自分の耳で聞くことができること、手で物がつかめること、家族がいることが幸せだって言われますが、自分が幸せだ、と感じればいくらでも、何でもそう思うことはできるのです。
  このように自分が幸せだと感じることを何十個も書いてみればいいです。そうすれば、幸せは山ほど感じることができるようになります。
  という私も、本当に「幸せじゃあ」と思い出したのはここ一年ぐらいです。幸せを感じることが多くなると、感謝が多くなります。感謝が多くなると、人を受け入れる心が大きくなります。人を受け入れる心が大きくなると、自分に甘くなり人にも甘くなります。人にも甘くなると人の長所が見えてきます。人の長所が見えてくると気持が楽になって仕事がうまく運びます。仕事がうまく運ぶとまた感謝が多くなります。感謝が多くなる幸せを感じることがまた多くなります。「ええねえ〜」やっぱり感謝の心が幸せのキーワードかも。

1月5日「新時代へ向かって」 (2009.01.05[Mon])

  混沌としたこの時代、その大きな流れの中で自分の進む方向や役割について再度確認し、そのポイントを「まとめ」てみました。経営の成功には五つのポイントがあります。
@ トップの「したいこと」をする。しかも「迷わない」ことをする。
「したいこと」→『ウォーターウォッシュクリーニング衣類を新品同様に復元すること。そのために、洗浄後の柔軟剤、のり剤、静電気防止剤、蛍光剤、撥水性等々による復元レベルの向上。料金に見合った良い品質、心のこもったサービスによる顧客満足度アップ』「迷わないことをする」→『短所是正でなく、長所進展による人材育成と共にスキル・サービスマインドをアップさせ、更なる実力をつける(ハガキ道の普及)』
A トップが「成功の確信があること」をする。
「成功の確信があること」→「洗い、プレス、染みぬき、色修正技術のアップとPR」
B トップが「得意で好きなこと」をする。
「得意で好きなこと」→「新時代に向かう夢と希望の波動の法則の情報発信と、喜びのネットワークづくり(月一定例NC時流、スキル・サービスマインドアップ学習会実施・月一定例お寺でのざっくばらん法座実施(凡夫の会実施)・月一度のワクワク保育園研修実施・月一定例(株)廣瀬ワクワク社員研修実施)
C トップが「世のため、人のためになると思うこと」をする。
「世のため、人のためになると思うこと」→「水洗いシステムの普及」「新時代に向かうための個人、組織サポート」
D トップが「自分の責任のとれること」をする。
「自分の責任のとれること」→「五感、感性に訴えるワクワクのクリーニングづくり(月一定例ニューズレターの復活。テーマ、波動の時代をよりよく生きる)」
これがNCのDのポイントです。さらに紙面を借りて、保育園のDのポイントとは@「仏様を中心とする感謝と安心の愛の保育(月一度の研修の充実。日々の朝礼テーマや情報の共有化の徹底)」A「自己評価を高める保育園運営。短所是正ではなく、長所進展化(職員の自己評価、プラス発想や感謝による意識アップ)」B「保護者や外部への感謝と笑いの共鳴共振による喜びのネットワークづくり(園だより、ホームページの充実と共感の輪のための発振>ハガキ道の普及)」C『奉仕作業への積極的参加(様々な催し物への積極的参加による意識交流)』D「笑いと感謝のたえない喜びのワクワク保育園づくりのために意識を向けてプラスのエネルギーを送り続ける(他の組織へも)」
これを一人の人間に当てはめると人は、@してたいこと、迷わないことをしよう。A得意で好きなことを行なうB世のため人のためになることを行なうC自分で責任を取ることを行なう。のCにまとめられます。これらの中で一つでも×があったらやめましょう。うまくいかないからです。世の中というのは、このようにシンプルに生き、自由に生き、そして自分で責任を取れればうまくいくようになっていますので、そのポイントに従がって、ワクワク楽しく笑顔と感謝でやっていきましょう。

1月4日「仕事は愛である。スピードは愛である」 (2009.01.04[Sun])

  あけましておめでとうございます。皆さんはどんなお正月を過ごしましたか?私は久々に家族とひと時を過ごすことができ、それぞれの現状や方向を確認しあいました。そしてみんな生きている世界で新たなスタートを切るために、それぞれの現場に帰っていきました。
  さて今日から2009年の仕事初めですが、今年のテーマである「仕事は愛である。スピードは愛である」をお話しておきます。このテーマはNCだけではなく、お寺にしても、保育園にしても、私が関わっている他の会社や商店もみんな同じテーマでスタートを切りましょう。その意味は、「仕事を通して愛を与えること。愛とはと喜びや安心や感動を他の人へ与える」ということだからです。このことをまず意識して一年のスタートを切って欲しいのです。
  そのためには、「先手でやる、すぐやる、その場でやる、迷わずやる」のスピード感覚は当然なんですが、やはりより愛を育むためには、「報告・連絡・相談・確認」でチームの情報の共有化が絶対に必要なのです。
  組織的に仕事を行なう場合、仕事は一人じゃなく他の人とのかかわりの中で行なわれていきます。同僚、部下や上司、あるいは取引先、そしてお客さん、いろいろな人とのかかわり合いにおいて、仕事というものは存在します。そこに仕事の意味があります。
  よく覚えておいて下さいよ。実はこの関係によって愛が育まれるんだってことを。つまり思いやりや絆づくりや信頼関係などというものは、仕事を通して育まれていくものなんだってことを。「愛とは、人と人との間に生まれるもの、人と人とを結びつける力、人と人との人間関係学」である、ということなのです。
  そして私たちが部下に出す「指示・命令」とは、その部下たちが他の第三者とよりよい人間関係、信頼関係を築いていけるため、その人や他を生かすためのサポートなのです。また書類とはまさしく相手への公的な手紙であるわけです。だから相手に伝わらないような公的手紙では意味がありません。義務的な仕事の文面では何も伝わっていかないからね。
  また、ミスが多い人は、他人の関心を常に自分に振り向かせるような子どもなのです。魂がまだ幼稚なのです。ミスすることによって、上司や他の人のエネルギー、つまり愛を奪ってるわけなんです。思い当たる人は、こうならないためにも常に情報を上司に報告して指示命令を受け智慧を借りなくてはいけません。それと同時に、上司と自分の判断能力の違いや、問題解決能力のあきらかな違いを客観的に学んでいかなければ、仕事を通して愛を学ぶことは決してできないわけです。
  法則的に言えば、まず、自分のことではなく、他の人のことを考えて仕事をしなさい、ということなのです。ミスの多い人や思い込みの強い人ほど、どうしても自分だけが納得する、自分だけが気がすむという仕事内容や対処方法や問題解決になってしまいます。つまり自分のやり方にこだわるわけです。
  「壁を超えろ」と私は皆さんに何度もメッセージを送っています。それじゃあ永遠に「壁」は超えられないし、次のステージに立つことはできません。仕事とは、サービスとは、常に多くの人のニーズによって動かされているのです。従がって、よい仕事をするためには、ニーズを、つまり、他の人の要求、需要を、いち早く感知する、察知する感性や智慧が必要なのです。
  また、自分の上司がどんな性格で何を部下に求めているのかを知っておくということです。およそ人に対して喜びを与えたいために仕事をしている人であるならば、人々のニーズ、要請、その前に上司のニーズは絶対に無視できません。またそのニーズを感じ取ってスピード対応や問題解決していけるからこそ、相手に「権利や義務の被害者意識」という悪業を作らさず、安心と信頼の愛のエネルギーを与えていけるのです。
  世の中は多くの人々で成り立っています。多くの人がどのような形で生息しているかというと、お互いに相手を必要とする方向で社会は成り立っているのです。従がって、よき仕事をしていくためには、他の人々のニーズにスピード対応しなくてはならない。それもチーム全体で対応しなければならない。
  今年一年をスタートするにあたって、「仕事は愛である」「スピードは愛である」を伝えておきました。本年も宜しくお願いします。大いに変化・進化していきましょう。


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