2009年3月の日記

3月31日「即やるクセをつけよう」 (2009.03.31[Tue])

みんなにいつも伝えているのが、
「即やりんさい」です。
「今やりんさい」です。
やらないといけないことを、
ちょっとでもためてしまうと、
その「ちょっと」が積もり積もって、
あっという間に身動き取れなくなります。
なんでも目の前に来たことは、
「即やる」、
「即連絡する」、
「即報告する」、
「即相談する」
「即確認する」、
この「即やる」クセがつくと、
「トラブルが減る」、
「集中力が身につく」、
「スピードに乗れる」、
という大きな効果があります。
トラブルが発生するのは、
やらなくてはならないことがたまって、
ミスが発生するからですね。
即時処理して、
仕事をためないようにする、
即伝えて、
すぐに上司より指示命令を受けると。
このスピードレスポンスのクセがつくと、
トラブルが防げるばかりか、
その場で意識を切り替えて仕事に集中できるので、
仕事の流れもスピードに乗って、
余裕をつくってできるようになります。
「即やるクセ」は絶対につけましょう。

3月30日「頼まれやすい人になる」 (2009.03.30[Mon])

人の間に生きてるから人間。
この人間として生きているということは、
自分だけのために生きるというのではなく、
他の存在するももののために生かされている、
そう実感します。
それは、
どれほど「人に喜ばれる存在になるのか」 ということなのです。
それは、
いかに頼まれやすい人になるかということです。
頼まれやすい人であるというのは、
喜ばれる存在だということです。
相手の喜ぶ顔を見たとき、
人間は根源的な喜びを感じます。
(^_^)と笑って、
「ありがとう」といわれたとき、
人は本当にこの上ない幸せを感じるようにできています。
実際に頼まれたことを喜んで引き受けてみて下さい。
必ず(^_^)と笑って「ありがとう」とお礼を言われますから。
そんなときですね、
人は人として、
とても幸せを感じてしまうのは。

3月28日「変化表」 (2009.03.28[Sat])

うちでは全員が変化表を書いてます。
でも、続けているうちにだんだん、
報告書になってしまいます。
変化表と報告書は違います。
「今日はこんなことをしました」というのは、
報告書です。
変化で大事なのは、
「今までやっていなかったことをやってみた」
ということです。
または、
「今までこういうやり方をしていたけども、 
こういうやり方に変えたらこうなった」
というものです。
変化表を書くのが日課になると、
いろんなテーマで実験してみたくなります。
思いついたことをすぐに上司に相談し、
試すということが大切です。
書き方が変わるというのは、
あなたの「発想が変わる」ということです。
それもより具体的に書くことです。
何か変化を試すと、
結果は面白いぐらい変わっていきます。
変化する時に大切なのは、
@ みずから変化していくこと。
A 変化している事に気づくこと。
人は変化しているようで実はほとんど変化せず、
同じパターンの繰り返しをしているのです。
たとえば、電話はいつもとは違う手で取ってみる。
動きの動線を変えてみる。
ちょっと変なことでもやってみることが大切なのです。

3月27日「思い通りにならないから面白い」 (2009.03.27[Fri])

よく僕は自分に囚われるな、
執着するな、
と言います。
自分に囚われている人ほど、
頑張って、
必死になって、
努力して、
思い通りの結果を得ようとします。
そして思い通りにならなくて落ち込んだり、
自己否定したり、
または自己憐憫になって自分に居直ったり。
こういった場合は、
ほとんど「私が」と思い込んでる、
煩悩とカルマの奴隷状態です。

人生には思い通りにならないことだらけです。
そのときに落ち込んだり、
嘆いたり、
悲しんだり、
自分は駄目だと思う必要はありません。
それよりも、
思い通りにならないことが面白いのです。
予測不可能、
何が起こってくるか分からないから、
好奇心いっぱいにワクワクして今この瞬間を、
生きていけるのです。
目の前に起こってくることを、
「なるほど、今度はこうきたか」
って受け入れながら仏さんと一緒に生きていけることが、
本当に強い生き方だと思います。

3月26日「反省は風呂上りのようにすっきりする」 (2009.03.26[Thu])

自分や組織を省みることなく、
成長も発展はありません。
人は小さい頃から、
いろんな環境や、
いろんな人たちの影響を受けて、
善かれ悪しかれ、
いろんな色に染まってきました。
そしてその色をつけた、
鎧や衣装で生きているのです。
そういった事実に、
まったく気づかずに生きているわけです。
誰だって、
みんな幸せな人生を生きたいと思い、
そう願いながら生きてますが、
残念ながら自分を灰色に染めながら、
生きてる人が圧倒的に多いかもしれない。
自分を省みる、
反省とは心の洗濯です。
まず思うのは、
日々どれだけいろんな人や物や出来事に感謝できてるのか。
「ありがとう」が言葉から出ているのか。
もし、感謝の思いや、
「ありがとう」の言葉がない場合は、
いつの間にか自己中心的で、
身勝手に生きているといっていいです。
そういう場合は必ず牽引の法則で、
楽しくない出来事を引寄せてきます。
感謝は感謝を生み、
自己中は不調和を生んでいきます。
日々、自分自身を常に省みる心を持つことによって、
周りの人たちと調和を取って楽しく生きていきましょう。

3月25日「能力の差は10倍。意識の差は100倍」 (2009.03.25[Wed])

仕事のスキルは能力です。
ただその能力はよく開いて10倍です。
実は「できる」「できない」なんて、
それほど差はないのです。
大きく開いているのは「意識の差」です。
この意識は100倍の差があります。
「できないのは自分に才能がないから」と言うのは、
単なる言い訳です。
能力がほかの人の10分の1しかなくても、
意識が100倍あれば、
10倍以上飲むことができて、
10倍以上の創造的な仕事ができるのです。
もし仕事が「できない」という人がいたら、
その人の足らないのは能力ではなく意識です。
その意識の切り替えをすることなのです。
能力はそんなに簡単に変えることはできません。
でも意識は、簡単に変えられます。
「より自己成長して、
人の役に立とう」 という強力な意識を持つことです。
それが人間力をより磨いて、
自分の可能性を広げていくポイントになります。

3月24日「準備型人生を送る」 (2009.03.24[Tue])

全スタッフに常に指導しているのが、
「前日の段取り八分で明日は決まる」です。
前日に準備を何もせず、
その日になって何かをしようとしても、
まはや準備不足で後手後手になってしまいます。
とにかく何をするにしても、
先手先手、
先行先行、
スピードスピードです。
なんでも先取りしていくという考え方をしていくと、
自然しぜんと余裕が生まれてきます。
たとえば、締め切りギリギリになって苦しんだり焦るのではなく、
早め早めに何でもやっておくと、
何かイレギュラーがあったとして、
すぐに余裕で対応していけます。
要するに、
いかにいい仕事をしたり、
顧客サービスを満足させれるかというと、
それは日々いかに余裕を生み出しているかということなのです。
余裕を生み出す方法は、
いくらでも出てきます。
その基礎にあるものは何かというと、
事前に用意をしておくということ。
準備型人生を送るということに尽きるわけです。
そのためには、まず心構えをもつということ。
常に「先手先手」「準備準備」という意識を、
これでもかこれでもかと持つ事。
日々、あれもこれも「先手」か「後手」かを、
チェックしていくこと。
とにかく準備型人生を生きる心構えを持つことによって、
方法は次から次へと生まれてくるものなのです。
そして、余裕が生まれます。
そこには愚痴やクレームのない仕事が展開されます。
すると怖れや不安は消えていきます。
こうした浄土的な生き方をしていくとはっきり決めましょう。

3月23日「言霊」 (2009.03.23[Mon])

「説得しなきゃ、  
うまくやらなきゃ、  
こうしなきゃ」
というように自分の都合、
自分だけに向いた気持ちに翻弄されている人は、
その守りや否定の気持ちが相手にそのまま伝わって、
うまくいくこともうまくいきません。
自分のことしか頭にない気持ちを、
相手は快く感じるわけはありません。
それよりも相手の気持ちを理解し、
その気持ちに具体的に応えていく提案をすること。
ただただ自分の気持ちを伝えるだけではなく、
まず相手の気持ちを受け取って、
それに対する具体的な回答や提案を、
スピード対応していくこと。
それもポジティヴに。
お互いが双方向で活かしあえる言霊は、
常に自らの想いか゛自利利他(自他共に喜ぶ)でないと、
とっさには出てくるものではありません。
日々の仕事の中で、
常に「自他共に生きる」、
「自他共に喜ぶ」「自他共に問題解決できる」
そういう意識を持って言葉を使っていくことです。
いざとなれば日々培った自分の想いが、 
相手に言霊として伝わっていくのです。

3月21日「上司はお客さんと思う」 (2009.03.21[Sat])

上司を保護者や先生と勘違いしては困ります。
そんな人は、
上司は仕事について「教えてくれるものだ」
「援助してくれるものだ」と思い込んでしまい、
教えてくれないと「どうして」「なんで」
と思ったりします。
これはもってのほかなのです。
なぜなら上司は「お客さんの代理人」だからです。
だから細かい要求もでるし、
「それでは駄目だ」と叱ったりもするのです。
上司は一番お客さんの心を理解しています。
だからこそ、
あれこれと注文がでてくるのです。
だから、上司からの苦言や小言は、
お客さんからのクレームだと気づくことです。
お客さんのニーズを発掘しようとする気持ちで上司の話を聞けば、
上司の欲していること、
すなわちお客さんが欲していることが分かるし、
そのニーズを達成して喜ばせてあげるのが仕事だと気づけば、
お客さんも必ず喜んでくれることがわかるのです。
サービスマインドを高めるとは、
上司の欲求や苦言にいち早く対応していくことなのです。

3月20日「人々のニーズに応える」 (2009.03.20[Fri])

自分の仕事を追究することは大切なことです。
ただ、この場合、個人としての仕事レベルは、
まだまだ自己顕示の段階にあります。
自分が納得の行く仕事をすれば、
それで気がすむという自己満足の段階です。
ただ、それで終わるのだったら実にレベルは低い。
自分だけが納得する、
自分だけが合理性を感じる、
自分だけが気がすむというだけでは、
実にレベルが低いです。
まだそれは魂が幼稚です。
次の段階であるよい仕事をするためには、
ニーズを、
他の人たちの要求、
需要を、
自分から聞いたり、
いち早く察知する心配りが必要なのです。
また上司が何を要求しているのかを知る必要があります。
およそ世の中の役に立つ仕事をしようとする人であるならば、
人々のニーズ、要請は絶対無視できません。
世の中は他の人を必要とするからこそ、
社会という共同体が成り立っているのです。
ですから、
よい仕事、
人の喜ぶ仕事をしていためには、
周りの人たちのニーズに応えていく意識を、
決して忘れてはいけません。

3月19日「自分の能力の限界の位置を決めているのは過去の自分」 (2009.03.19[Thu])

「できない」のと「やらない」のは違います。
一般的な人の能力の限界は、
その人の能力の限界よりもずっと手前に引かれています。
残念ながら、
人間は能力の限界という壁のずっと手前に、
「できない」という意識の壁を自分自身で、
つくってしまう癖があるのです。
ただその心の壁は、
自分の思い込みがつくりあげた虚像や妄想だ、
ということが分からない限り、
越えることはできません。
そのために、
ほとんどの人が自分の本来の能力を開花させないまま、
終わってしまいます。
だから、
「能力に壁がある」のではなく、
「自分の心の壁を越える」ということであって、
本当は誰もが物凄い能力の可能性を持っているのです。
意欲のある人は、この心の壁を越えていきます。
このことは、人生に成功している多くの人の共通点が、
「頭のいい人」ではなく、「意欲のある人」だということを見ても、
分かります。
とにかく、
人生の目標バーが高い人ほど、
心の壁の位置も能力の限界に近いと言えます。
ただし人生の目標バーは自身でしか決められません。
しかしそれは、
意欲の大きさで決まるのです。

3月18日「 価値観が共有できない人とは仕事はできない 」 (2009.03.18[Wed])

仕事をするならスキル第一と、どの経営者も口を揃えます。
それはそうかもしれませんが、
それ以前に、
その人の生きるスタンスが最も大切になります。
スキルは伸ばすことができても、
生きるスタンスを人はなかなか変えようとはしないからです。
その人の仕事のスタンスは、
その人の人生に対するスタンスそのものだからです。
ただスタンスと一言に言っても、
それは「自立心」「成長意欲」「責任感」「価値観」「意欲」
などさまざまなものによって形づくられています。
この中で一番大切なのが「価値観」です。
その人の価値観と会社の価値観が一致しなければ、
まず同じく仕事を一緒にやっていくことは難しいのです。
ここの会社の価値観は「心の成長」です。
まずは「心ありき」「心の成長と共にスキルアップありき」です。
もっとはっきり言えば「愛中心に感じて生きたい」のか、
「物中心に考えて生きたいのか」です。

両者の価値観が一致したとき、
組織は強烈な推進力を発揮していきます。

3月17日「意欲によって成長は決まる」 (2009.03.17[Wed])

昔は働く意欲のない人はほとんどいなかったそうです。
食べていくこと、 生活していくこと、
それだけで大変な時代だったから、
「食べるために働く」「家族を養うために働く」
ということがモチベーションになっていたのです。
戦後、日本は豊かな国になりました。
ところが豊かになったお陰で、
驚くほど意欲の低い人が多くなってしまいました。
意欲とは、その人の「土台」みたいなものです。
人間力というのは、
一番下に意欲という土台があって、
その上に素質や才能が乗っています。
そして、さらに上に、
研修や学習によって身につくスキルが乗っかっているわけです。
だから、何をやるにしても意欲のない人というのは、
もともと土台が小さいのでスキルが乗っていきません。
この意欲は、 能力以上に上げるのは困難なものです。
意欲の高い人は共通認識や共感さえあれば、
勝手にやる気を出してバリバリやりますが、
意欲の低い人は、それが困難であればあるほどどんどん下がっていきます。
これは分かりきったことですが、
意欲の高い人たちの集団でなければ、
この乱世は乗り越えられないのです。
だから僕も、
意欲があって「成長」や「変化」を自ら求め、
素直にアドバイスを聞き入れ行動していく人や組織でないと、
情念で関わる必要性はないと決めています。
それだけ時代は、
物凄いスピードで流れていっているからです。
その時代の流れを直感的に感じ取れる人や組織は、
やはり素直に変化に対する意欲が高いのです。

3月16日「捨てるものをすべて出してアウトプットする」 (2009.03.16[Mon])

成長というのは、
アウトプットするというもののクオリティーが上がりことを言います。
だから、
アウトプットのない成長はあり得ません。
はっきり言いますが、
このアウトプットは、
まずできないながらもアウトプットしなければならない場を、
無理矢理でも三つぐらいつくってしまわないと、
続けることは無理ですし、
成長も変化も無理です。
アウトプットで能力を高めるのは、
筋力トレーニングと極めてよく似ています。
負荷のない運動をいくらやっても、筋肉は成長しません。
それと同じように、アウトプットも常に自分の持てる
ものを出しきるような負荷がないと、
あまり効果はありません。
念仏の話をしていると、
時々「しかしそういう気持ちが起こってこないので・・」
と何をか大勘違いしている人がいますが、
努力を続けることによって初めて「うっとくる」喜びが起こってくるのであって、
何も努力も継続もせずに日々の怠惰さに流されるのでは、
喜びも感動も起こってくるわけがありません。
それはただの横着であり、怠惰です。
物凄い怠惰な自分、都合のいい自分の居直りテクみたいなものです。
僕も、
締め切りがあるから、この「ボスそら」も「日々是笑日」も、
「アホのすすめ!」も書けるけですし、書こうとするから、
日ごろから準備をしています。
これはお説教だってそうです。
以前ある人から、
「人間というものは、ただの筒のようなものだ」
という話を聞いたことがあります。
単細胞生物を見ると分かりますが、
動物というのは、基本的にはみんな食べては出すだけです。
僕たちは、「知識」や「体験」や「発見」とは食べ物と違い、
脳に蓄積されていくものだと思っていますが、実はそうではないのです。
すべてのものにはインプットとアウトプットがあり、
どれだけキレイに出せるかが
、 どれだけ入るかを決めているのです。
精一杯アウトプットすること、
それが成長のカギを握っています。

3月14日「インプットとアウトプットで成長する」 (2009.03.14[Sat])

多くの人が誤解しているのが、
いろんなものを吸収してインプットしていけば成長していけるということ。
しかし、
いくらその人が入れる量を増やしても能力は伸びません。
入れたものを自分の中で行動という体験を通して消化し、
外に出して伝える。
そして空っぽになったら、また新しいものを入れる。
そうしたインプットとアウトプットを繰り返すことによって、
人は成長していきます。
なぜアウトプットするのが必要なのかというと、
インプットしただけでは、
実はその知識なり理論なりは自分のものになってないからです。
別の言い方をすれば、
それまでにインプットしたものを、
消化吸収し自分のものにするもっとも効果的な方法なのです。
さらにどんどんアウトプットしていくと、
そのうち「もっとこういうことが知りたい」
「こういうものを勉強しよう」
「こんな情報を学べばもっと分かりやすく書けるのに」
というように、
自分にとって本当に必要な「インプット」を自然に自覚できようになっていき、
勉強も日ごろのスキルアップも無駄でなくなるのです。
人間はアウトプットを増やすことによって、
自然と正しいインプットが増えるようにつくられています。
「日々の変化表」を書くこと。ブログを書いて、感じてること、
感動したこと、発見したことをより分かりやすく相手に伝えるということ。
体力も優しも使わなければ永遠に増えることはありません。
スキルもまったくそうなのです。

3月13日「どうしたら人は変化できるのか?」 (2009.03.13[Fri])

僕はいろんなところへ行っては人材育成を行なってきましたし、
この会社でも随分やってきたと思います。
人が成長するというのは、「変化する」ということです。
その人のとる行動やものの見方や考え方が変わるということです。
じやあ、どうやったら人は変化するのか?
研修を受けたり、
良い指導者に導かれても人は絶対に変わりません。
何かをきっかけに、自分を変える決意をして努力を続けた場合のみ、
初めて人は変わり成長します。
このことがわかっていないリーダーは、
よい研修さえ受ければ、 人は成長すると思っています。
あくまでそれはきっかけであって、
どんなによい研修を受けても、
どんなによい指導を行なっても、
それを自分を変えるためのきっかけとして本気で取り組まない限り、
その人は成長しないし、過去の自分から脱皮することはできません。
研修とは一つの「ヒント」にすぎないのです。
結局、研修とは、こうやったら自転車に乗れますよ、
と言葉で教えているようなもので、 それを聞いたからといって、
誰もが自転車に乗れるわけではありません。
その話に共感し、
自らも自転車に乗りたいと努力した者だけが、
乗れるのです。
この「ボスそら」もまったく同じですね。

3月12日「仏さんは感謝をされると味方になってくれる」 (2009.03.12[Thu])

悩みや苦しみというものは、
およそ自分の思い通りにならないことを、
思い通りにしよう、
と思ってることから起こってきます。

それを思い通りにしようとしないで、
気がつかないうちに、
たくさんもらっている恵みがいっぱいあったんだ、
って気がついたら、
そのことに手を合わせて感謝して方が絶対いいのです。

それをやり始めると仏さんが一番喜ばれます。
それは、 感謝をすると、 これがほしいとか、
あれを思い通りにしたいとかということにならないので、
要求することがなくなってしまった、
ということに気がついていきます。

そして、そのまま感謝だけをしていると、
なぜかとんでもない幸せな現象が 次から次へと起ってくるのです。
仏さんってつくづく感謝が好きなんだって思います。
感謝の力って不思議ですよ。

3月11日「人生はこの世限りではない」 (2009.03.11[Wed])

いろんな人と話をしていて感じるのですが、
あまりにも「人生はこの世限り」と考えてる人が多いです。
そう本人が考えていれば、
「自分の人生は先が無い」し、
あの世もないと思っていれば、
人に分からなければエゴ中心に生きた方が勝ち、
また、物質的なものを手に入れるのがすべてということになります。
この世でエゴや執着に苦しんだ人は、
死んだあとは、その苦しみが、
何十倍、何百倍にもなるって知ってます?
逆に、
この世を生きるなかで、
浄土的ないのちの喜びを得ていた人は、
あの世に還ったら、
やはり十倍、何百倍の喜びが湧いてくるって知ってます?
すべては増幅されて、苦しみか、喜びか、そればかりになっていきます。
この世では、
苦しみといっても、一日のうちに、苦しみの時間もあれば、
それ以外の時間もあったでしょうが、
あの世における、苦しみの世界では、
すべての時間が苦しみだけにフォーカスされるのです。
これでは割が合わないですよね。
これは源信という人の「往生要集」という書物に、
実にリアルに書かれてあります。
よく「裸で生まれ、裸で還る。あの世にもって還れるものは心しかない」
という前提から考えたら、
できるだけ我執や執着を捨て、よく自分を反省して、
「残りの人生においては、全部は無理かもしれないが、  
しっかり反省することはして、せめて人に喜びを与える人生を送って、
あの世に還ろう」と思わなくてはなりませんよ。
苦しみの原因は、ほとんどが、自我我欲というか、
「自分中心」のとても狭い世界観であり、
「この世の目に見える物質中心」の価値観です。
決して心やいのちのワクワクが中心ではありません。
まずは物より心を中心にする生き方に考え方を変える、ということですね。

3月10日「人員も規模も縮小して拡充する」 (2009.03.10[Tue])

これまで会社や組織は、
大きければ大きいほど安定していると考えられてきました。
これまで企業が発展してきた三大要素は
ブランド力、資金力、人材力です。
この要素は今も昔も変わりません。  
しかしその大企業がなぜ傾いてきているのか。
その答えは、恐竜が絶滅した理由にあるし、
曙がK−1で勝てなかった理由と同じです。
恐竜が絶滅した理由は、
大きくなった体重をささえられなかったからです。
曙が勝てないのは、身につけてきた皮下脂肪が 体力を奪っているからです。  
この体重や皮下脂肪が多いほど、変化していくことは難しいのです。
企業も一緒です。人数が多く、規模が大きくなればなるほど、
変化への対応力は遅いし弱い。これは致命的です。
今は、変化に対応しやすい一部の小さな会社のほうが、
はるかに強くなっています。
ただ、
中小企業や、商店の経営者は頭が固く、
せっかくの高いポテンシャルや技術を生かせないままで、
恐竜と同じように思い込んで絶滅しようとしています。
それは変化できないから。
「不況だから・・」と言い訳して、まったく変化しようとしないからです。  
会社の規模が小さければ小さいほど、
ある程度ターゲットを限定して、 付加価値で勝負できます。
こうした中小ならではの強みを生かした戦略を採れれば、
中小はメチャクチャ強くなるはずです。
変化の時代には、
「変化は善」なのです。
古いもの捨てて、新しいものを取り入れる。
しかし、多くの人たちは、新しいものを取り入れるということは、
今の状況のプラスアルファだと思っています。
しかし現実にはプラスアルファで、新しいものを持つことはできません。  
今もっているものを捨てて初めて、新しいものを持つことができるのです。
それは単なる物に限ったことではなく、
考え方や価値観、仕事のやり方やビジネスモデルも同じです。

他の人がやらないことをやる者が成功する。
それが変化の時代のセオリーだし、
絶対的な法則なのです。
クリーニング屋さんなんて、
まさしくそうなんですが、

3月9日「決断と判断」 (2009.03.09[Mon])

「決断」と「判断」は似ているようですが、
決定的に違う点があります。
それは、「判断」には正解がありますが、
「決断」には正解がないということです。
メリットとデメリットを考えて、
メリットの方を採るというのは、
「決断」ではなく「判断」です。
メリットもデメリットも同じで、
どちらを選べばいいかわからないとき、
そういう状況で下す勇気が「決断」です。
「判断」は正解ですから、
常にスピードを求められます。
また「決断」においても、スピードが求められます。
その基準となるものが、 やるかやらないかというときは、
それが新しいものであればあるほど「やる」。
今やっていることを続けるか続けないかというときは、
それが今までずっとやってきたことなら「やめる」。
というのも、
今のように価値観がめまぐるしく変わるような時代は、
昨日と同じようなことを今日も続けていたのでは、
どんどん取り残されるからです。
たとえば、
今は戦国時代のようなものです。
下の者が上の者にとって変わる典型的な「変化の時代」です。
このとき時流を見誤り、
いつまでも身分にこだわる大名たちは、
あっという間に領地を奪われます。
そして戦国の覇者となったのは、
鉄砲などの新しいものを積極的に取り入れた織田信長でした。
しかし、
これが江戸時代のような安定の時代なら、
判断基準は180度違います。
安定の時代には安定を選べばいい。
しかし、
このような変化の時代には、
変化の決断をすると決めていればいい。
そうすれば「決断」に悩むことはなくなります。

3月7日「甘えあえる関係こそ豊かさがある」 (2009.03.07[Sat])

何でも一人でやらなければならないという価値観を、
僕たちは小さい時から教え込まれてきました。
ただ、甘えることのできることを覚えると、
人生はより楽しいものへと変化していきます。

ただし、自分が人に対して甘えられるためには、
自分の心の中にある「人を甘えさせない」という、
価値観を捨てなければなりません。
自分が甘えない人は、
人をも甘えさせません。
人を甘えさせない人は、
自分も甘えることができません。

家族にしても、
職場にしても、
人間社会というのは、
人の間で生きているのですから、
甘えあって生きていい、そう僕は思ってます。
また、甘えあえる関係こそ、心オープンな付き合いができます。
何でもかんでも自分でやるのではなく、
甘えあって生きる、
という気持ちを優先順位の上のほうに持っていくとね
人生はもっと豊かで潤いのあるものに変わっていきます。

できることは自分でやりなさい、
ではなく、
まわりの人ができることは、
まわりの人にやってもらう。
「オレがやらなければ誰がやるんだ!」とよく言ってる人がいますが、
自分がやらなくても実は誰かがやってくれるのです。

3月6日「変化値は捨てるものの量で決まる」 (2009.03.06[Fri])

変化については、個人差がとても大きいのです。
10年たっても、まったく変化しない人もいますし、
常にめまぐるしく変化している人もいます。
これは組織も同様です。
では何がその違いを生んでいるのでしょうか。
それは「捨てられるものの量の違い」だと思います。
なぜなら変化するということは、
それまで握っていたものを捨てて、
新しいものを受け入れるということだからです。

つまり、捨てられるももの絶対量が、
その人の変化値を決めているということです。
一番変化値のないのが、
「私とはこうだ」「私はこういう人間なのだ」というこだわり。
つまり自分の確固たる信念の強い人ほど変われません。
逆に、必要とあらば惜しげもなく、
地位も価値観も考え方も捨てていける人や組織は、
次のステージに軽々と駆け上がっていきます。
人間は執着するものが少なければ少ないほど、
楽に生きることができます。
特に自分の考えや価値観に執着する人ほど、
変化もできないし何かと仕事も人生も苦しんでいくことになります。

戦後日本がこれほど短期間に復興成長できたのは、
あの戦争によって何もかもが失われたからです。
日本は戦争で「物」を強制的に奪われ、
敗戦で「精神的な支え」を奪われました。
ただ、そうやって何もかも捨てさせられたから、
日本は急激な速さで最先端のものを受け入れることができ、
あっという間に復興し、経済大国になれたのです。
日本人には良くも悪くも、それまで執着していたものに対する、
「こだわり」がありません。
この「こだわり」のなさが、日本人の本当の強みですし、
今後、この「こだわり」のなさが甦ると、
大不況の加速という圧縮法で、
多くの人や組織の変化を強制的に生んでいくことになります。

3月5日「成長できる人と組織」 (2009.03.05[Thu])

自分がこれからどれだけ伸びることができるのか、
自分たちの組織がどれだけ伸びることができるのか、
それは、
それまで自分がやってきたやり方、
自分が積み重ねてきた自信とプライド、
それを捨ててやっと「成長」が生まれます。
成長とは「自分を捨てる勇気」なのです。
本来、人は誰でも成長できます。
成長できないとしたら、それは今まで積み上げてきた、
「自分」を捨てることができない、
ということなのです。

僕だっていつもそうですが、
幸か不幸か、僕は追い込まれ、また、自分で自分を追い込み、
いろんなものを捨てていったお陰で成長していけました。
しかし、
いろんなものを捨てた中で、一番捨てるのが難しかったものが、
それが「自分」という「自意識」であり積み重ねてきた「自信」「プライド」でした。
根拠のない「自信」は別として、積み重ねてきた「自信」「プライド」、
これが物凄くやっかいで難儀です。
積み重ねてきた「自信」「プライド」という煩悩は変化や成長を嫌い、
今の自分を無意識に守ろうとしてしまうからです。

多くの人は成長の概念を根本的に勘違いしています。
それは、成長とは知識や経験や自信を、
身につけていくことだと思っているからです。
だから、
なかなか手放すことができなくなってしまうのです。
この会社が何故全国的に名前が売れていったのか。
それは、まったく過去のクリーニングの知識や経験や自信を、
見事に捨てさされていったからです。
つまりリセットしたからです。
過去の延長線の積み重ねでは何も変化も進化も生まれません。
逆に、成長はできません。
間違えてはいけません。
スキルアップと成長は違うのです。
スキルは身につけていくものですが、成長とは捨てて変化していくことです。
そこで一番大切なのが「アホの自覚」なのです。
「アホの自覚」とは現状を守ろうとする自分の自意識やプライドなんて、
「アホなんやから。(自分は我が強いから)、
そんなものとっとと捨てて前に進もう」という自覚であり、
勇気と決意行動なのです。
実は自分のことをアホと認められる人ほど本当の勇気があるのです。

また、劇的に成長するというのは、
ヤゴがそれまでの自分を捨ててトンボになるように、
また僕が仮面ライダーになるように、全く別のものに変身するということです。
鍛えられた僕になることでは決してないのです。
それでは過去の延長で変化なし。
人や組織の変化や成長というものは、
はっきり言えばそういうものなのです。
過去の自分を捨てることによって、
人も組織も初めて新しい自分と組織を得るということなのです。

僕は僕自身の特性として、
変化に向かう人も組織も大好き。
単純に自分がそうだから。
ただ、そうでないと表面的には関わることがあっても、
本質的には関わりや興味を持ちません。
というか、持てませんし、待ちたくありません。
求める世界も見てる未来もまったく違うから、
楽しくない、一緒にやっていてもワクワクしない。
そんなのは時間のロスですし、気分は当然「快」でない。
特に最近はそんな自分の素直さに加速がついてるような気がします。
本質的な愛と人間的な情念とはまったく違います。
情念につかまらいということが、変化と進化を妨げないということです。
常に変化と進化を繰り返しているのが、
この大宇宙ならば、その大きな流れ、
ジェット気流に素直に乗っていかないと、
人も組織も大損で楽しくないですからね。

3月4日「勤勉と努力」 (2009.03.04[Wed])

勤勉は美徳ですし、努力は必ず報われる、
確かにそうです。
ただ、何を勤勉と言い、
どういうことを努力というのか、
言葉の本質を理解していなくて、
ただ盲目的な「勤勉」「努力」では全く無意味なのです。
物凄く真面目で朝は誰よりも早く出社し、
夜も遅くまで残って仕事している人が業績を伸ばし、
自己成長しているかというと、「う〜〜ん?」です。
今や、人と同じことを人より長い時間やることを「努力」
とは言いません。
サボらずに真面目にやることが「勤勉」ではありません。

人と違う結果をいち早く出すためにはどうすればいいのかについて、
新しいやり方や考えや仕組み、それを実行することが「勤勉」であって、
最も短い時間で成果を出すための工夫をすることが、
「努力」です。
「勤勉」とは「諸行無常」の法則に乗っていくこと。
つまり、常に「変化」し続けること。
それが今の時代の「勤勉」なのです。

人と同じやり方を捨て、
より大きな成果を生む別の方法を考え実行する。
そしてさらに、短時間でその成果を得られるように工夫し続ける。
こうした努力を続ければ、努力はちゃんと報われます。
もしあなたが古い価値観を持ったまま勤勉に努力しているならば、
まずその価値観を捨てないと自己成長の喜びも成果も本当はでないのです。
今までのやり方を捨てないと業績なんて伸びるわけはありません。
まずそこからはじめる。
そうすると、思い込みではなく、
本当の「勤勉」と「努力」が始まります。

3月3日「問題のない人はいない」 (2009.03.03[Tue])

人生で自分の目の前に起きる現象に、
良い悪いなんてありません。
仏教では、生死流転といいますが、
そのとらえ方の訓練を、
僕たちは生まれ変わり死に変わり、
生まれ変わり死に変わり、
気の遠くなるような歴史の座標軸の中で、
やってきたんじゃないかと思います。
たとえば、生まれ変わりの初期は、
何をやってもうまくいくような状況で生まれてきて、
両親も周りもいい人というような、楽しくて幸せな状況。
にもかかわらず、不平不満が多く、ネガティヴな人生で一生を終える、
こんなのが初期レベル。
これから段階的に生まれ変わるたびに状況が変わって、
最終的には、どんな状況が目の前に起きてきても、
心にどんな負荷がかかってきても、
「気づき」「目覚め」が起こってきて、
「ありがたい」って感謝できる心の状況で、
人間卒業ってことのような気がします。
それは大変だってこともあるでしょ。
でも、「ありがたい。仏さんと一緒だからなんとかなる」で、
その都度クリアしていくうちに、
本当に良い悪いなんてまったくないんだってことが心底腑に落ちていく。
ということは、人間の成長とは、
何があっても「大丈夫」という「根拠のない自信」を身につけること。
安心の心で、目の前の流れに身を任せられるかってこと。
すると、人間卒業ってことになるですよ。
どうやら・・・・。

3月2日「スキルより人間性の時代」 (2009.03.02[Mon])

何をやってるのかではなく、
どんな人と仕事を共にやっているかによって、
人間のモチベーションは大いに変わっていきます。

世の中は凄く変化してきていて、
必ずしもスキルのある人材を採用すればいい、
というものではありません。
スキルもあり活躍する人材であっても、
一緒にやっていて楽しくない人とは、
結局はうまくいきません。

この「気持ちよく、楽しくやれるかどうか」
というのは仕事にとって実に大きなウェイトをしめます。
つまり、
スキルよりも、
その人の「価値観」と「人間性」を重視している組織こそ、
今の時代に生き残れるだけのポジティヴなエネルギーがあるからです。

仕事するのが人間である以上、
その仕事をすると気持ちいいとか、
一緒にいると楽しいという基準で、
結局のところは一緒にやっていけるか、
そうじゃないかが決まります。

これは、
自分たちの組織だけではなく、
お付き合いしていく人も組織もです。

とにかく、
仕事をするのは人です。
スキル云々よりもまず、
人間としての魅力をつけていく、
それが一番なのだということを忘れずに。

3月1日「自信に根拠なんてない」 (2009.03.01[Sun])

人が、
本当の能力を発揮できない理由の90lは、
自分を信じてないってことです。
言い換えてみるならば、
自分は無限者である、
仏の子であるって分かってないってことです。

人間は、
ひとりひとりが違う生き物です。
60億人いれば、60億人まったく違う生き方があります。
その中の、誰の人生が特別だ、
選ばれてる人なんてあり得ません。
ただ昔から、
僕は僕自身に、
自分にとっては、自分の人生だけが「特別」なんだって、
自信を持って生きてきました。

これは自分のエゴを信じて自意識過剰になる、
というのではなくて、自分は仏に守られているという
圧倒的な根拠のない自信があったからです。
自信なんかに根拠なんて必要ありません。
この世の中には、
自分以上に自分のことを信じてやれる奴は存在していません。
だったら、
とことん信じてやればいいのです。
自分の人生は仏に守られる特別な人生なんだって、
人から「バッかじゃないの!」って言われても、
とにかく根拠なく自分を信じ切っていってやる。

そういう人間って何があっても粘り強いですよ。
自分を信じてるって言っても、
自分の煩悩を信じてきた人って、
意外に政治家みたいに実に脆いものです。
根拠のない自信って、
目に見えない大きな存在に、
自分は愛されてるって実感でおこってくるわけなんで、
根拠なんてあるはずがないのです。
仏さんも、自信も、目に見えるもんじゃないからね。


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