2011年2月の日記

2月28日「ありがとう」vol.3003 
(2011.2.28[Mon])

ちょっとしたことに「ありがとう」が言えない人は、
おそらく人から「ありがとう」を言われることって
あんまりないような気がする。
だから相手からより、まず自分からちょっとしたこと
に「ありがとう」。

2月26日「正しいか正しくないかではない」vol.3002 
(2011.2.26[Sat])

正しいか正しくないかで判断しようとすると人間は迷います。

そのことが楽しいか楽しくないか、
気持ちいいか気持ち悪いかで判断すると迷いません。

だから、すぐに答えを出すことができるのです。

やってはいけないことは「どっちでもいい」。
これは優柔不断なので、お互いテンションが下がります。

2月25日「本音の質問をしよう」vol.3001 
(2011.2.25[Fri])

よく僕は「質問がある人」って聞きます。
かっこいい質問をしようと質問は出ません。

「こんなの聞いたら笑われるかも?」と思うと、
つまらない質問しかできなくなります。

そうじゃないね、
いつも自分自身の本音の質問をすることです。
それは自分自身の関心を、
質問していくことです。

それがどんなに「えっ?」ということでもいいのです。
本音で質問すれば相手も本音で答えてくれます。

2月24日「誰かのテンションを上げることで自分もテンションが上がる」vol.3000 
(2011.2.24[Thu])

自分がテンションを上げたかったら、
まず周りの人のテンションを上げることです。

失敗したようなことでも「大丈夫、大丈夫!」。
時間が遅れ気味だったら「さあ、今からダシュでなんとかなる!」。
全体の気が落ちていたら「さあて、そろそろ本番いこか!」。

誰かをハッピーににしたり、元気づけたり、テンションを上げると、
自分自身のテンションは上がっていきます。

自分のために何かをしてもらおうと思うと、
逆にテンションを下がります。

プレゼントをもらうときより、
プレゼントをあげるときのほうがテンションは高いのです。

2月23日「行動を変えると思考が変わる」vol.2999 
(2011.2.23[Wed])

人が変わるためには、
   思考を変える
   行動を変える
という二通りの方法があります。

ただてっとり早いのは、行動を変えることです。
その方が具体的で分かりやすい。

うちの会社の場合は「理屈抜きで走る」ことでスピードをつけます。
行動を敏速にすることで、技術も判断も対応も敏速になります。

だらだら歩いていると行動も鈍くなるし、
技術も判断も対応も鈍感になります。

なんでもスピードをつけることで、すべてが敏速になっていきます。
とにかく行動を気持ちいい方向に変えることで、
思考は自然と変わっていきます。

2月22日「速報連相・時間管理・時間感覚・スピード感覚」vol.2998 
(2011.2.22[Tue])

そして「報連相」では実際の仕事はできません。
いつも必要なのは「速報連相・確認」の「速」です。

まだまだうちの連中には
時間の大切さが分かってない。

人間の評価は、「時間をどう使いこなせるか」で決まります。
仕事ができるというのは、クオリティよりも、
どれぐらいのスピードで与えられた仕事以外の仕事がこなせるかってことです。

これはサービスもそう。
サービスでも「速い」ことが一番の評価のポイントです。

どんなに丁寧な仕事ぶりでも、スピードがないサービスは評価されません。

人間の評価は、時間管理、時間感覚、スピード感で決まります。

時間に対してだらけた感覚が、
実は私生活や仕事の仕方にすべて反映するからです。

スピード感は、才能と時間感覚を通常より半分しかない意識で行い
後はそこに向かって努力の繰り返しによって生まれていきます。

僕は社会教育行政現場で
時間管理・時間感覚・スピード感覚を徹底的にトレーニングしました。

だから同じ時間でも通常の人たちの三倍は仕事量をこなします。
ただそうなったのも気分を落とさず常にトレーニングしてきたからです。

うちの連中はとにかくそこを目指して我武者羅にやる時期ですね。
見ていて「余裕」を持ってやってるゆとり感覚は
「おまえら、十年早いよ!!」って感じがしてますから。

正念場ですね、今が。
緩んだと思ったら、ピーンと閉まる。
次は変化球を投げて打てるのか打てないのか試される。

うちの場合はまったく気を抜くときはありません。
とにかく「自分力」「チーム力」けを高め続けていかないと。

2月21日「向上心に執着するな」vol.2997 
(2011.2.21[Mon])

向上心は健全なことで必要です。
しかし向上心に執着すると「気ぜわしさ」「いらいら」を生んで、
面白くない人になっていきます。

向上心に執着すると
理想の自分と現在の自分の落差に焦りを感じます。
そうすると仕事をしていないと、
いたたまれなくなり、
追い立てられるように、
次から次へと仕事をするようになります。

逆に怠惰に流されていると、
ほとんど条件反射的に仕事をしてしまって
いつまでたっても同じことや同じ失敗を繰り返していきますが、
心身共にくたくたへとへとになっていきます。

この二つとも「心からの喜びがない」からです。

親鸞さんはこれを解決する方法を見つけました。
それは、
自分の力と才覚で人生を切り開いていく自力本願を捨てることです。

阿弥陀様のナビケ゛ーションを受け容れて阿弥陀様と共に生きてゆく、
他力本願に身を委ねてしまうことです。

これはお金にしても、健康にしても、人間関係にしても、
人生にしても、すべて自力だけで対処しようとすると、
それらのすべてが「気ぜわしく」なっていくからです。

とこが「他力」と共に歩めば
もきや「運命にお任せ」ですから、
いつも心安らかに暮らすことができます。

向上することは大切なことですが、
日々、心が満たされた結果として向上していったほうが
もっともっと大きな喜びがあります。

今日の小さな幸せを味あうと、
気ぜわしさやいらいらが薄らいでいきます。

今の自分を認め、
自分をねぎらい、
「ありがとう」と感謝すると、
気ぜわしさやいらいらは消えていきます。

そして自分は
「無用な価値観や観念に振り回されていつも
上手くやってやろうと考えてばっかりだった」
ということに気づかされます。

そして、
そんな気分の中から、
結果にこだわらない健全な向上心がムクムクと現れてきます。

亡竹政さんをを思い出すとき、
三人の肉親の死な悲しみを通し、
「自力本願」から「他力本願」に転じ
まさにこういった他力の人生を生きていった人た゛ったと
深く頷くことができるのです。

2月19日「仕事と家族はエネルギーの裏表」vol.2996 
(2011.2.19[Sat])

人間関係の根元は親子関係にあって、
仕事と家族はエネルギーの裏表ですね。
この歳になってみて、
このことがよく分かる。

だから家族との人間関係がうまくいかないと、
やっぱり会社での人間関係がうまくいくはずなし、
仕事も当然伸びていかない。

うまくいく人は、どちらもうまくいってる。
うまくいってない人は、どちらもうまくいってない。
これは不思議なぐらい。

そして、仕事中は気がきくけど、
プライベートでは気がきかないという人は、
実際は気がきかないんだよ。

そういう人は必ず
「普段仕事でサービスして気を使ってるのだから
家ではやりたくない」なんて言いますが、
それはサービスしてることを仮面かぶって演じてるわけで、
本当のサービスじゃないってことです。
だから疲れる。

サービスを分かりやすく言えば
自分はこんなことをしてほしいから、
それをお客さんにしてあげるということですから。

サービスというのは、
もともと神様に仕えるという意味で、
積極的に気づいたことを相手にやってあげるってことだよね。

決して僕はマイホーム主義の
小市民的な善人なんかになれって
言ってるなんじゃない。

うちの連中にいいたいのは、
会社とか家庭とかという枠を取っ払って
どこにいても裏表や手抜きのない生き方をして欲しいってこと。

仕事も家庭も一貫してライフワーク的楽しい生き方を
して欲しいってこと。

そういう生き方ができるからこそ「凄い!」が
楽しく身に着けていけれるんだってこと。

成幸するかどうかは能力なんかじゃない、
成幸する性格、つまり特性を身に着けるってことだと
いつも言ってます。

それはね、
感じたらすぐに行動するってこと。
誰に対しても誠心誠意接するってこと。
精神的に自由で、こだわりがないってこと。
たいていは「まっいいか」って包み込めるってこと。
プラス発想でいこうってこと。
気がつくがあまり気にしない人になるってこと。

こういう生き方を楽しくしてると
どこにいても気がきくサービスができるようになっていく。

こういうものは
みんな後天的に環境や学習で身についていくものなんです。

つまり、人間って「なるほど、じゃあそう生きよう」
って単純に頷いて行動を変えたら、
そうなっていくってこと。

頑張ったり無理やり行動を変えるんじゃなく、
悪いって思ってる癖を直そうとするんじゃなくて、
気持ちく快の方向に意識を向けて行動を変えるってことですよ、
どこにいても。

テーマはいつも「楽しむ」「面白がる」て゛すから。

さて、今日の夕食は「麻婆豆腐」でもつくろ。

また写真でも・・・ってことになるかも。

2月18日「らしさの覚悟」vol.2995 
(2011.2.18[Fri])

覚悟という言葉は古臭い感じもしますが、
どうも最近いろんな場面で、
「らしさ」がなくなってきているんじゃないかって思ってました。

男らしさとか、女らしさ、などいろいろある。
一昔前なら、
男らしさと言えば、
誰もが強く逞しく優しくという言葉を思い浮かべ、
女らしさと言えば優しくしとやかな人を連想しました。

ところが、平和ボケした今、
男も女もみんな仲良くという教育が行きわたって、
「らしさ」を発揮できる場所がほとんどなくなってます。

実は人間の自由度が広がっていき、
より進化していくということは、
この「らしさ」が明確になっていくということです。

じゃあそれはなんだと言えば一言で、

「強く優しく男の子」
「優しく強く女の子」

ということだと思うのです。

あのハードボイルド作家のレイモンド・チャンドラーも
同じようなことを言ってます。

「男子はタフでないと生きていけない。優しくないと生きていく資格がない」

男として生きるのには、それなりの覚悟が必要なのです。
それは自分に強く、他人に優しくということ。
これは女にも同じことが言えるのではないか。

そうじゃなくて、自分に優しすぎて、他人に強すぎる
世の中の風潮は、覚悟がいらない分、流されて生きるには便利
な生き方かもしれませんが、そうであれば男も女も区別なんていりません。

僕は男女差別論者ではありませんが、
自分にきっちり覚悟をつけて、
男なら男らしく、
女なら女らしく堂々と生きていくことが
一番かっこいい生き方だって思ってます。

今日のお昼にはみんなにそんな話をし、
結局は「男らしさ」「女らしさ」を生きることが
「ナチュラルクリーンらしさ」となっていく、
また「光の仕事人らしさ」となっていくはずだ。

その覚悟がないと、
所詮弱い人間ばかり、
流されていくんだぞって、
熱く語り、その想いに感応した全員の瞳は
キラキラと輝いてました。

2月17日「物事はすべて考え方よう」vol.2994 
(2011.2.17[Thu])

自分の見方が間違っていたり、思い込みであることも、往々にあります。
自分がひどいことだと思い込んでいても、
それが、宇宙から見たら一番良い事の場合もあるのです。
すべての出来事は良きことのために起こっているのだ、自分の心を開放して
くれるためにあるのだと、どこかで分かっていれば、
物事の良い面が必ず見えてきます。

物事は、その人の見るレベル、角度によって姿形を変えるものです。
ものは見方によります。ものは捉え方です。ものは考えようです。
意識が高くなり広がっていけばいくほど、実は悪いことなど、
一つもないのだということが分かります。
僕たちは「なんでもオッケー」「すべていいよ」の完璧さの中にいるのです。

人の性や、仕事のせいや、上司のせいや、社会のせい、にするのは簡単
そうですが、実はその反対です。
すべては自分が必要で招いたこと、と思う方が、自分の中のエネルギー
は高まります。
そして、それは自分で解決できるのです。
その体験を積み重ねていくと、人は成長していきます。

あなたの人生は他人がどうにかしてくれるものではない。
あなたは自分の責任て゛人生を生きなければなりません。
あなたの中には素晴らしいパワーが初めから備わっていることを思い出すこと。
あなたは無限のパワーと可能性を秘めています。そのパワーに気づきましょう。
そのパワーに気づくのは、自分なのです。あなたの人生はあなたのものなのです。

僕はあるとしきから、どんな出来事も、人の学びとして起こるのだ
という考え方を取り入れました。
すると、人生がとても楽になりました。
また、
他人行動、世の中のあり方をあまり批評批判する必要がなくなりました。
みんながそれぞれの段階で、
みんなが必要なことをしてこの地球という学校て゛学んでいる。
姿は大人ですが、保育園、小学校、中学校、高校、大学、社会人と
意識の段階は様々です。
そしてすべては大きな慈悲の中で起こっている、
この見方ができると、とても楽に生きやすくなりました。

嫌なことや、不快な出来事に見舞われたときは、
自分の中に決めつけや思い込みがないか、よくよくチェックしてみるチャンスです。
自分を見るときが来たのです。それが「自由」「自立」「解放」の道へ進む
ということなのです。
自分の思いグセや、実は心の傾向性にとらわれているかもしれません。
自分に気づくことは、自分の思いグセに気づくこともその一つです。
気づいたら「もういいや」って、手放せばいい。
どんどん軽く広くなっていくのが人間に生まれて地球という学校で
学んでるってことなんです。
もっと人生を、学校生活を楽しみましょう。

2月16日「ひどいことばかりが起こってくる人へ」vol.2993 
(2011.2.16[Wed])

ひどいことばっかりが起こってくると思っている人は、
その出来事をよく見つめてみましょうよ。

それは本当にひどいことですか?
ひどいことだとあなたは思い込んでいませんか?
あなたはおまい違いをしていませんか?
何か原因が見えてきませんか?

「原因と結果の法則」があります。
何かが起こるためにはそれなりの原因があります。
種を蒔けば芽が出ますが、種を蒔かなければ、
何も出てきません。

「なるほど、だからこんなことばっかり起こるのか」
と気づくところがあるはずです。
すべては一番良いことか゛起こってくるのです。
倒産にしても、病気にしても、肉親者の死にしても、
全部一番ベストのことしか起こってきません。
それは自分の考え方、見方、捉え方を変えなさい
ということでもあるし、自分が思っていることが全部
現実化されているだけなのです。

そういう人はいいつも不安と恐れが強く
自分の人生に起こってほしくないことばかりを考えては、
その思いを実現させている事実に気づきません。
仏さんに「お任せする」「ゆだねる」ことができないのです。

自分を十分に好きですか?
被害者ばかりを演じている癖はありませんか?
被害者とはあいつのせいでこうなった、社会のせいでこうなった、
などと責任は自分の外にあると思っています。
また、自分なんてたいしたものではないと思っていませんか?
他人と比較していませんか?
他人のことを気にしすぎてはいませんか?
悪い事なんて何一つも起こっていないのです。

どんな出来事が起こってきて、まずは、それを冷静に受け止めましょう。
落ち着いて全体を見ていけば、対処の仕方が分かってきます。
とにかく被害妄想を膨らませないことです。
「すべての出来事はよきことのために起こっている」このことが
どこかで分かれば、物事の良い面が必ず見えてきます。

2月15日「心配するな、なんとかなる」vol.2992 
(2011.2.15[Tue])

僕は何があっても周りの連中には
「心配するな、なんとかなる。いつも一番いいことが起こってくるから」
って言ってます。
5年前、みんな初めは「え・・・・????」って感じでしたが
今ではその言葉を全員当たり前のように「そうですよね、いつもそうですから」
って安心して聞いてます。

それはこの5年間、「なるようになっていく」現実を目の当たりに
見続けてきたからです。それも繰り返し、繰り返し、これでもかと。

もし、自分の人生に起こってほしくないこと、避けたいことがあったら、
それらに意識を集中しないことです。
このことは、先のことは心配するなってことです。
そして「心配ない。なるようになる」って本当に思っていけば、
実はどんなことが起こっていても、大丈夫なのです。
自分を信じ、仏さんを信頼しましょう。

とにかく人生は楽しんでいいのです。
自分はついてる、自分は守られている、
自分は幸せな人間だって、
いつも感謝しましょう。
するとますますその通りになっていきますよ。
いいことだけに焦点を当てていけばいい。

そして仏様を信じたほうが人生はうまくいきます。
宗教に入りなさいと勧めているのではありません。
まず自分の中の仏様を信じるのです。仏様を信じるようになると、
仏様はどこにでもいらっしゃることが分かってきます。
神も仏もいるもんか、と思っている人だって
実はいつも仏様は助けてくれているのです。

「仏様にゆだねる」「仏様にお任せる」ことができるようになると、
すべてが面白いほど、うまく転がり始めます。
ただただ「ありがとう」と言って、
自分の本当にしたいことを直感に従ってしてゆけばいいのです。
素直なあなたなら、きっとそうできますから。

2月14日「自分の現実は自分が創り出している」vol.2991 
(2011.2.14[Mon])

「あんたの現実はあんたが創り出してるんだよ」と言っても、
そのことが多くの人たちにはなかなか分かってもらえないし、
「そんなことはありえるはずはない・・?」と思われてしまいます。

この宇宙には平等で公平な法則があります。
宇宙は、ある思いを描くと、全力でそれを実現させようと
協力してくれています。

あなたが心の中で強く思っていることが波動として宇宙に伝わり、
あなたの未来にその波動が返ってきて形となって現れてきています。
これは人によって違いますが、早かれ遅かれそうなります。

だから「自分は幸せだ」「自分はワクワクして仕事をしている」と強く思えば、
きっとその波動の形は現実化されていきます。

「自分なんてだめな人間だ」「もっと楽をして生きたい」と思えば、
その通りの波動が現実化されていきます。

このことは多くの人たちを使って実験を繰り返してきましたが、
まことに不思議なぐらい思た通りの現実が起こってきます。
ただし、理性と良心が違和感なく一致してという場合です。

もし「うそよ・・・?」と思ったら、ご自身で実験されたらいいですよ。
ポジティブな思いを、ネガティブな思いも必ず実現していきますから。
面白いぐいい・・。

ただマイナスの思いは現実化されるのが早い。
「楽をしたい」ということは、「厳しい職場から離れるような状態になる」
という形で現実化されたりします。

宇宙はあなたの思いの
「キーワード」を重点的に理解して協力します。

例えば、
「仕事が多すぎて、手におえないわ。
これでは納期が守れない、どうしょう?」
と思って焦っていると、
さらに次から次へと仕事を頼まれるようなことが起こってきます。

これは「仕事が手におえない」と強く思うことによって、
手におえない状況を実現してしまい、
たくさんの仕事を引き寄せてしまっているのです。

また、
「今日着ている真っ白なドレスシャツにシミをつけたら大変だ」
と気にしていると、すごく注意していたはずなのに、
食べ物をこぼしてしまいます。

これも、「服を汚したくない」と強く思うあまり、
よこすような行動を引き寄せてしまうのです。

とにかく「ええ?こんなはずは・・・・」とか、
「こんなの嫌だ」といった現実も、「○○は嫌だ」「○○はしたくない」と、
頭での中では否定形で考えているのに、

宇宙が理解するのは「○○」というキーワドだけて゛、
「したくない」「嫌だ」「楽しくない」「こんなの違う」
という否定形の部分は届かないのです。

だからあれこれ心配しないってことです。「まっいいか」でいいんです。
心配すればするほど、何かにこだわればこだわるほど
その人の目の前にそのことが実現してしまうからです。
もっと自分の素晴らしさに気づいて感謝とワクワク生きることです。
疑いや不満や不安は身体も不調になってそれ目の前に現実化されてきます。
商売やサービスだったら絶対に儲からないでしょうね。

とにかく素直で無邪気で単純になって
自分の素晴らしさに気づけば気づくほどその通りになっていくのですから。

2月12日「そのままでいい」vol.2990 
(2011.2.12[Sat])

思い通りの人生を生きたいと多くの人が思っています。
だげど、僕自身大きな運命の流れは自身がいろんな体験をしようとして
決めて生まれてきたんだって気づいてからというものも、
何があっても「なるほどなあ・・」って素直に受け止められるようになりました。
その人にとって一番いいこと、一番大切なこと、一番必要なことが
目の前に起こってくるのです。
このことが分かっていれば、物の見方や捉え方もまるっきり
変わってきます。
他人もあるがままでいい、「みんないいのよ、そのまんまで」と
いうことも分かってきます。
例えば、努力の好きな人は勝手に努力するし、努力の嫌いな人は
努力をしたくない。
それがいいとか悪いとかじゃなくて、
その人はその人なんです。
それを他人がとやかく言うことではない、
と思えてきました。
類は友を呼ぶという法則がありますが、
自然と同じような人が集まって仕事をしています。
そこにいることが気持ち悪い人は絶対にそこにはいなくて、
その人に会うところに行くようになります。
だから「みんないいのよ、もうそのまんま」
ただ感謝と報恩だけは忘れないでね、それでおしまい。

2月11日「自信を持とうとしなければ自信が持てる」vol.2989 
(2011.2.11[Fri])

ロシアの元量子物理学者で作家のゼランドという人は、
「自信を持つためには、自信を持つことを諦めるべし」と言ってます。

確かに、自信をもとうと強く望む人は、自信がないからそう思うのでしょう。
ゼランドは、自信を持てない原因は、二つあると言います。

一つは、自分の個人的な資質について過度に心配することです。
そこから生じる者は、短所ばかりで長所のない自分に対する不満、
他人との比較による劣等感、内気さ、失敗することや
格好悪いことに対する恐れなどの感情です。

もう一つは、
外部からの評価を不相当に高めたことからくるものです。
そこから生じるものは、

自分の内側の低い資質と外側にある高い要求との暗視バランスによる
根拠のない不安、外部の人たちに対する恐れ、
自分をちっぽけな存在と認識する感覚、
自分を取り巻く現実に対する恐怖などです。

つまり、自信のなさとは、これらのうちのどれかに非常にこだわっている
状態なのです。

自信の持てない原因は、その人の過度のこだわりにあるということです。
ならば、そのこだわりを「まっいいか」って捨ててしまえばいいのです。
つまり、自信を持つことを諦めるってことです。

そして素直に生きていこうとする、それが自信につながるってことなんです。

2月10日「なんでもとりあえず始める」vol.2988 
(2011.2.10[Thu])

いっぱい本を読んでも、教えてもらったり学んでも、
方法ばっかり知っているだけじゃあ仕事も人生も生きたことにはなりません。

知っていても自ら動こうとしなければ、
自己成長なんてありえないし実力なんて何もついていきません。

僕はいつも「とりあえず始めるか」って、とにかくやることをスタートさせます。

それは「自主的なトイレ掃除」だったり、
「整理整頓」だったり、「自分からの挨拶」だったり様々ですが、
とりあえず決めて始めてみるんです。

完璧でなくったっていいんです。
小さなことでいいんです。
変かは必ず起こってきます。
始めることは自分しかできないんですから。

とにかく、今できることを始める!

2月9日「できるだけこだわらず生きる」vol.2987 
(2011.2.9[Wed])

いらいらすることなく、
ゆったり過ごすためには「ねばならない」というこだわりは
あまり持たないほうがいいね。

昨日、社長のやまっちが救急車で運ばれました。

原因は胃か腸からの下血、こういう場合はおそらく
ストレスからくるものです。

やまっちは「しみ抜き」を一生懸命やろうとしていたけど、
昔と脳梗塞で倒れてからの今の自分とのギャップが埋められず
思うとおりにいかず、無意識に悶々としていたんだと思う。

人は案外、どうでもいいことにこだわってるもんです。
「絶対甘くやってる」というこだわりと、
昔の自分とのジレンマが過剰なストレスになったのでしょう。

「ボチボチやるよ」「みんなの協力を得てやるよ」
こだわりを捨てると、心が自由になって、
もっと楽に「しみ抜き」ができたんじゃないかな。

それが「すなお」ってことですね。

成長を阻害するのはこだわりです。

すなおになると、今までとは違うステージへと飛躍していけます。

やまっちは入院中何も考えず、心をリセットして
心身ともゆるんだ状態を取り戻せばいいです。
何をやってもできるだけこだわらずに、

ゴムまりのように弾んでバランスよく生きていけばいい。

やまっちの入院を通してそんなことを教えてもらっています。

2月8日「生きる目的、学校に行く目的、仕事の目的」vol.2986 
(2011.2.8[Tue])

生きる目的、学校に行く目的、仕事の目的って、
実は「様々な体験を味わって、より成長すること」です。
より「成長する」ということは、
「より自由度が広がっていく」ということです。

だから自己限定せず
いろんなことを積極的に取り組んでいけばいくほど、
体験や学びを通して成長していけます。
自分の自由度が広がっていきます。
自由度が広がれば広がるほど、
人は周りの人に良い影響を与えていけるようになります。

2月7日「投げかけたものが返ってきているだけ」vol.2985 
(2011.2.7[Mon])

イライラ、イヤイヤで仕事やなんでも取り組んでいると、
どんなに頑張っても、どんなに努力したつもりでも、
そのイライラや、イヤイヤにふさわしい現実があなたに返ってきます。

「なんとなく」「まあまあ」仕事や何かをしていれば、
「なんとなく」「まあまあ」というあやふやな現実が返ってくるだけです。

残念ながら、頑張ってるとか、我慢しているとか、
まったく関係ありません。

ネガティブなエネルギーをまき散らしたまま、
どんなにあなたが頑張ってみたところで、
自分の発しているエネルギーにふさわしいネガティブな現実が、
キッチリ返ってきてるだけなんです。

だから「喜んで」「楽しんで」「気持ちよく」なんでもやっていきましょう。
自分の発しているエネルギーにふさわしいポジティブな現実が、
キッチリ返ってくるわけですから。

僕はポジティブなほうがいいなあ・・。

2月5日「自分の心の癖に気づく」vol.2984 
(2011.2.5[Sat])

それぞれの人にはそれぞれの心の癖というものがあります。
スライスしてく場合や、何か不調和な事象が起こる場合は、
第三者の目で見ると、同じ過ちを何度も繰り返してます。

しかし、傍目には分かるのに、
自分ではなかなかわからないので、
これをなんとか自分で分かるようにしないといけない。

そして、「いつもの失敗パターンに陥っていくな」
と気づいたときには、そこでブレーキを踏まないとね。

たとえば、過去を振り返ってみて、
「こんなことを自分が言い始めると、考え始めるときは、
どんなときなのか」という、

自分の傾向性、
パターンを分析しておくことです。

そして、似たようなことを考え出したり言い始めたら、
「ヤバイ」と思ってブレーキを踏むってことです。

ところが、大抵の人は同じ過ちを性懲りもなく何度も繰り返します。
だから心の中で「もう同じパターンはいい!!」
って、これをバシッと断ち切るっていくことです。

そうすると、必ずよくなっていく。

だから自己チェック、反省の時間って必要ですよ。
それがなくなっていくと、必ず同じパターンにはまっていってる
ことにすら気づけないしね。

やはり「はっ」と自分の姿に気づくってことでね。

そのための念仏でもあるんですけどね。
だから念仏が出なくなったら要注意ってことです。

そういうときって、なんだかんだと言っても、
自分のいつもの心の傾向性が勝っちゃってますから。

そうするとまた安きに流されていってしまってますから。

常に自分という存在を客観視できる目を養っていく。
そうじゃないと、なかなかねえ・・・・。
難しいですよ、仏の心を純粋に素直に明るく元気に生きるって。

なんせ凡夫であることを忘れてますから、そういう時って。
尊大になってくるし、屁理屈が多くなってくるし、
視点がぼけてくるし、感性が鈍ってくるし、
自己中になっていってるし・・・・。

弱いんですよ、人間って。
だからあっという間に落ちる。

そういう弱さを自覚しとかないとね。

だから「なんまんだぶつ」。

僕は決して道徳的ないい人になれって言ってるんじゃあありません。

そうじゃないと本当のあなたのいのちを生きてないよ、
輝いてないよ、って言いたいのです。

そこんところ、よろしくね。

2月4日「人の心に灯をともす」vol.2983 
(2011.2.4[Fri])

僕はあまり評論家という人たちが好きではありません。
評論家というのは、大抵マイナスのことばかりを見て、
誰かや何かのことを、いつも、もっともらしく批評批判しています。

でも、だいたい、マイナスを責めたところで、
そこからは何も生まれてはこない。
自分も相手も気分が悪くなるぐらいで、
実に非生産的だって思いますからね。

目指すべきはやっぱり実践者ですね。
その人の生き様、行動が、言葉以上に
物語るようでなければ、
人は誰もその人の言うことを信頼なんてしてくれませんからね。

「人道は一日怠ればたちまちすたれる」

何事も自然のままにすればすたれます。
そこをなんとかしようとするのが人の道、仏の道だということです。

最近、会社の近所にあった大きな洋食屋さんが一軒つぶれてしまいましたが、
それから一週間もたってないのに、
前を通りかかったらすごくさびれているんです。

人が来ないと場はすぐにすたれていきます。

これは自分の会社やお店でも自宅でも一緒です。
手入れを怠っている場所があると、
その場から空気が淀んできて、すたれてしまいます。

だから、隅々まで掃除することって大事なんだって、
改めてそんなことを感じました。

現在工房内では早朝機械の裏側を徹底的に掃除しています。
だからピカピカに機械が輝いてます。
人道、仏道は怠らないこと。

世の中がどうあろうと、自分だけは元気に、心すっきり生きること。
そして周りの人たちが元気になるようなことを言っていきましょうよ。

評論家がわに回るのではなくて、
人には元気の出る実践者になっていきましょうよ。

怠らず日々道理を実践していけば、
人の心に灯をともすことができると思います。

今日もいろんな人たちがおみえになって、
元気になって帰っていかれましたが、
やっぱり元気になって帰るっていいよね。

またその人が人の心に灯をともすんで。

2月3日「あたたかくする」vol.2982 
(2011.2.3[Thu])

日本海側は例年にないような豪雪で大変です。
寒いでしょうねえ・・・・・。
こういう時期だからこそ湯船にながめに浸かって、
全身をあたためればいいですね。
そうすると思わず「ふあ~・・・・」と声が出るのは、
全身が「ゆるむ」からで、「ゆるむ」と心もほどけて、
相手を「ゆるす」ことができるようになります。
相手を「ゆるす」ことが、本当に優しくなることです。
毎日一回、この「全身がゆるむ感じ」を味わっている人と、
そういうことをまるで味わったことのない人では、
どちらが他人に優しくなっていのかを比べたとき、
明らかに違いが出るんだそうですよ。
手があたたかくなるだけで、
他人にやさしくなるんだから、
全身があたたまれば、
もっとやさしくなるでしょうね。
他人にあたたかくしたいと思うのなら、
まず自分を「あたたかく」することです。
「手をあたためる」「身体をあたためる」「あたたかいものを食べる、飲む」
「あたたかい場所で休む」「あたたかい気持ちになる」、
まずは「あたたかく」する習慣をこころがけたらいいですよ。
自分が冷えると、他人にも冷たくなっていますよ。
自分が「あたたかく」なれば、他人にも自然に優しく、
あたたかく接することができますよ。
僕も日々お風呂上りに全身にひまし油をぬってあたたかくして
寝てますから、とてもポカポカしてあたたかくて気持ちいいです。
すべてに「あたたかく」、「あたたかい眼差し」「あたたかい笑顔」
「あたたかい手」「あたたかい言葉」「あたたかい心遣い」
そんな「あたたかい」あなたを他人、仏様が冷たくほっておくはずないのですから。

2月2日「すべてのものには命が宿ってる」vol.2981 
(2011.2.2[Wed])

あなたは身近なものを丁寧に扱い、常に声をかけ、
優しく扱うことを心がていますか?

ものを大切に扱える人は、他の人も大切に扱います。

僕は車に乗ったら必ず声をかけます。
「よく動いてくれるなあ。調子いいよ。いつもありがとうね」
ただ、それだけ・・・。
もう18年前のアリストで22万`乗ってますが、
とても調子よく動いてくれています。

正直言って仏教者や念仏者でものを大切に扱えないって、
僕は絶対におかしいと思っています。

それは自分が周りにある「あらゆる人やもの」のご縁によって
生かされて生きていくことができているからです。

だから身近なものを愛する、大切にするということは当たり前じゃん
と思うのです。

よく「もう古いから・・・」といってすぐにものを買いかえようとしますが、
大切に扱っているとものはそれにこたえようと頑張って長持ちしてくれます。

でも大切に扱われず掃除もおろそかにしていくと、
ものは必ず「壊れる」「故障する」「止まる」ことが多くなります。

すべてのものには命が宿っていると仏教では教えてくれます。
もののいのちを大切にする人は、自分のいのちも他人のいのちも大切にする、
このことを忘れずに生活していきましょう。

2月1日「ごめんなさいの効用」vol.2980 
(2011.2.1[Tue])

「オ・オポノポノ」と呼ばれるハワイ古くから伝わる技法は、
「ごめんなさい」「ありがとう」「許して下さい」「愛しています」という
4つの言葉を繰り返して唱えるだけという極めてシンプルなものなんですが、
その驚くべき効果が話題になって、今、世界中に広がっています。

この言葉気になるのが「ごめんなさい」「許して下さい」。久しくこの言葉は使ったことがありません。
ただ考えてみれば、ほとんどの争いごとは「ごめんなさい」の一言が言えないことから生まれてますよね。

「悪いのはそっちじゃろ」「謝るのは向こうじゃけん」「私は正しい、私は悪くない」という考え方、この自己正当化の頑張りが地獄を生むわけですよ。
「あやまる」って、自分のネガティブな部分をきちんと認めるってことです。
自分の非を認めることこそ、ネガティブをきちんと受け入れることこそ、本当の勇気といっていい。

ネガティブな自分を認めるのはとても怖いし、誰だって嫌。しかし、どんな人だって、ポジティブとネガティブの両面を持っているわけで、人に素直に謝ることができないってことは、ネガティブな自分を認めてない偽善者ということになります。
自分の半分を否定して、本当にうまくいくんだろうか?それはまず歪なんで無理でしょう。

今、「あやまる」ということがとても求められている時代だと思います。人間は、いろんな命の犠牲の上に成り立っているという事実を忘れているからです。だから生きているだけで「ごめんなさい」のような気がする。
もう何かを「得る」「プラス」するという発想から卒業してもいいかも。そのときに、最初に必要なことは「ごめんなさい」と素直に謝れる勇気なんじゃあないかって、この言葉は教えてくれているような。

人が亡くなる前に、人に伝えたい言葉のベスト2が「ありがとう」「ごめんなさい」だと言います。でもね、それを伝えるのに亡くなるまで待つ必要はないと思う。
今、この場で「ごめんなさい」と勇気を出して相手に伝えることができれば、あなた自身が最も癒され、最も楽になって、開放されていきます。「許す」ことは「ゆるむ」こと。「ゆるんだ人」「ほどけた人を仏と呼ぶ」わけで、誰かのためにあやまるのではなく、自分を癒し、自分のネガティブな部分を勇気を出して受け入れるために、「ごめんなさい」「許して下さい」とあやまるんです。

この「ごめんなさい」「許してください」「愛してます」「感謝してます」「ありがとうございます」を習慣にすることで、あなたはますますクリアになり、あなたはぜったいに加速度的にあなたの中にあるネガティブとポジティブが統合されて、絶対に幸せになっていく本当にそう思いますよ。


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