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2014年 4月

vol. 4693
「意欲をアピールしろ」  (2014/4/30 [Wed])
 自己アピールをする時に、「私には能力があります」
「私には実績があります」などという人がいます。
しかし、こういう言葉のアピール度は、
それほど大きくはないと思います。


取引先との商談、会社の面接試験、
あるいは恋人の両親の家へ挨拶に行く時、
いずれの場合であっても、「能力がある」
「実績がある」という言葉は、
相手の胸へはあまり響かないでしょう。


 こういう言い方は、自分自身のことを自慢
しているような響きがあり、相手に、
いい印象を与えられないのです。


力を発揮するのは、次のような言葉です。
「私は、やる気があります」「私は意欲満々です」
「私は真剣です」能力や実績よりも、
意欲の強さをアピールするのです。


実際に、社会では、「才能がある人」よりも
「意欲がある人」のほうが、大きなことを
成し遂げるケースが多いように思います。


「『ひと言』セラピー」より抜粋

vol. 4692
「待つよりも出向こう」  (2014/4/29 [Tue])
「待つよりも出向こう」

 仏教に、こんな昔話が残されています。
古代インドに、たいへん我欲の強い男がいました。
男は毎晩、火をたいて、「神様、たくさんの幸福を与えてください。
多く幸運を渡しにもたらしてください」と祈りました。
しかし、お金にも幸運にも恵まれませんでした。


 そこで大きな祭壇を設けて、昼も夜も一日中祈ることにしました。
働かずに祈ってばかりいるのですから、収入がなくなります。
また、大きな祭壇をつくるために多額のお金も使いました。
その結果、貧しい生活になってしまいました。


ある日、男の住む村にブッタがやって来たことを知り、
男はなぜ自分は幸福や幸運から見放されてしまうのか
聞きに行きました。ブッダは、「あなたには幸福や幸運は、
与えられるものだと思っている。しかし、
それは自分で努力して作り出すものなのだ。
明日から祈るのをやめて、一生懸命働きなさい」と教えました。


 この昔話は、「幸運や幸福が、向こうからやってくるのを
待っているのではなく、自らの手でつかみ取りにいくのが大切だ」
ということを表しています。

「『ひと言』セラピー」より抜粋

vol. 4691
「とりあえず表情を変えよう」  (2014/4/28 [Mon])
 ツキから見放され、不運なことばかりに見舞われるような時、
人はつい不平不満を口にしてしまいがちです。
「がんばっているのに、仕事で失敗ばかりする」
「悪いことなんてしてないのに、イヤなことばかり起こる」
「これといった理由もなく、恋人から別れを告げられてしまった」
といったような出来事に見舞われたときは、
つい不平や不満を言いたくなるには、無理もありません。


 しかし、いくら不平や不満を言っても、
運命は好転していくことはないのです。
むしろ不平不満を言うことは、いっそう不運な
出来事を引き寄せてしまう原因になると思います。


 ツイていない時こそ、晴れ晴れとした、
明るい笑顔でいるといいのです。「笑う門には福来る」
といことわざもあります。アメリカを代表する
心理学者ウィリアム・ジェームスは
「楽しいから笑うのではない。笑うから楽しくなる」
と言いました。いつも明るくしていれば、
運命は好転していくでしょう。
幸運の女神は、晴れ晴れとした明るい人が好きなのです。


 「『ひと言』セラピー」より抜粋


vol. 4690
「誰かのため」は「自分のため」だ。  (2014/4/26 [Sat])
 ある海外の航空会社の話です。
そこで働く社員たちが、お金を出し合って、
新しい飛行機を購入しました。そこには社員たちの、
「自分たちが働く会社を、自分たちで発展させていきたい」
という気持ちがありました。


その社員たちの願いがかない、社員たちが購入した飛行機は、
いつもたくさんのお客さんで満員になり、
おかげで会社も発展したと言います。


 この話は、一般の人たちにも参考になると思います。
会社を守ることは、自分自身を守ることになります。
会社を守るために、一生懸命商売に生を出せば、お金が儲かって、
いろいろな夢をかなえることができます。


 会社に身を捧げてバカなように見えることもあるでしょう。
しかし、会社を守るためにがんばっていれば、いざという時、
会社が自分を守ってくれます。これを家庭にたとえると、
命がけで家族を守っている人は、幸せに生きていけます。

「『ひと言』セラピー」より抜粋

vol. 4689
「私には家庭がある」  (2014/4/25 [Fri])
 ぜいたく品がそろった豊かな家が、必ずしも
「幸せな家庭」だとは言えません。
もし、「高級品を買ったローンを、どうやって返済していくか」
と夫婦ゲンカが絶えなかったりすれば、
とても幸福だとは言えないでしょう。


大邸宅でも、子どもが親に反抗し、部屋に閉じこもっていては、
やはり幸せだとは言えないでしょう。
しかし一方、たとえ貧しい生活でも安らぎに満ちた家であれば、
そこは「幸せな家庭」だと言えるのではないでしょうか。


 家庭が強い絆で結ばれ、仲良く明るく暮らしていける家庭は、
たとえ高級家具がそろっていなくても、
大邸宅どころか狭小住宅でも、幸せに暮らして
いけるのではないかと思います。


家庭を持つ人は、「物質的に豊かな生活」よりも
「心の安らぎに満ちた生活」を実現することを
目指したほうが幸せでしょう。家庭という存在が、自分たちにとって、
より大切な存在に感じられてくると思います。


 ドイツの文豪ゲーテは、「王様であろうと、百姓であろうと、
自分の過程で安らぎを見出だせる者が、もっとも幸福だ」と
述べています。「安らげる家庭」は、幸せの基盤だと思います。

「『ひと言』セラピー」より抜粋

vol. 4688
「自分に恥じないように」  (2014/4/23 [Wed])
 本当の意味で勇気のある人は、第三者が見ていないところでも、
勇気ある行動を取ることができます。


しかし、自分が勇気ある人間であることを、
第三者に見せたいためにだけ、勇気ある行動を取る人は、
本当の意味で勇気のある人ではありません。


 たとえば、職場の会議です。同僚たちの視線を意識して
「会社の方針に反対します。このままでは、
この会社はダメになってしまいます」と、上司にたてつく社員がいます。


しかし上司と二人きりになると、
「会社の方針に反対だなんて、
そんなつもりで言ったわけではありません」と、
会議での主張を撤回してしまいます。このようなタイプの人に、
勇気があると言えるでしょうか。


 本当の意味で勇気のある人は、上司と二人きりになった時に
「会社の方針に反対だ」と堂々と主張します。


その反面で、会議の席で上司の顔を潰すような
言動はしないでしょう。大きなことを成し遂げる人は、
そういう本当の勇気を持つ人です。


「『ひと言』セラピー」より抜粋

vol. 4687
「なくてもいいさ」  (2014/4/22 [Tue])
 人が幸せに生きていくために、お金は必要です。
今の世の中では、お金がなければ、家に住めませんし、
ものも食べてはいけません。


しかし、お金があればあるほど、その人が幸せかと言えば、
必ずしもそうではありません。どんな大金持ちであっても、
愛しる家族や友人に恵まれない人は、決して幸福ではないでしょう。


 また、いくらお金があっても、新しいことにチャレンジしたり、
自ら自分の人生を切り開いていく勇気がない人も、
やはり幸福だとは言えないと思います。


お金は大切ですが、愛や勇気といった、
お金以上の人生の価値観を大切にしていける人が、
本当の意味で、幸福だと言えるのではないでしょうか。


 江戸時代の養生学者、貝原益軒は、
「富に三等あり。家の富、身の富、心の富」
という言葉を残しています。「たとえ財産がなくても、
家庭がうまくいき、体が丈夫で、心が満たされていれば、
その人は幸せである」といった意味だと思います。
この貝原益軒の言葉も参考になるでしょう。


「『ひと言』セラピー」より抜粋

vol. 4686
「度を過ごすな」  (2014/4/21 [Mon])
日本で生まれた柔道は、現在、世界中に競技者がいて、
オリンピックの種目にもなっています。
この柔道の創始者は、明治時代の嘉納治五郎という人物です。
嘉納治五郎には、モットーとしていたことがあったそうです。
それは、「うまいと思ったらやめる」ということです。


 ある日、嘉納治五郎は、酒を飲みました。
「うまい」と思いました。次の日も酒を飲みました。
やはり「うまい」と思いました。しかし同時に、
「これは、いかん。うまいと思って、
このまま酒を飲みつづけたら、酒がクセになってしまう。
酒の毒に当って、健康を崩す結果になる」考え、
それ以降、酒をやめたということです。


酒ばかりではなく、何事においても「面白い」とか
「楽しい」と思うことは「度が過ぎると、
かえって災いをもたらす」と考えました。
そして、慎みのある生活を心がけたと言います。
度を過ぎるほど欲張ってはいけない、ということだと思います。
「ほどほどの幸福感」が、もっとも心地よく
感じられるのではないでしょうか。


「『ひと言』セラピー」より抜粋

vol. 4685
「求めない」  (2014/4/20 [Sun])
 相対性理論を発見した天才物理学者アルバート・アインシュタインは、
よく「質素な生活を心がけよう。少しのものに満足する質素な生活は、
肉体の健康にもいい。心の幸福のためにもいい」と述べていたそうです。
このアインシュタインの考え方は、一般の人が「幸福に生きるために」
にも役立つのではないかと思います。

 たくさんのものを手に入れたからといって、
わずかなものしか得られない人よりも、幸福であるとは言えません。
人生の幸福は、得られたものの「量」で決まるのではないのです。
幸福かどうかは、その人の「心」によって決まると思います。


 たとえ、わずかなものしか得られない生活であったとしても、
それに心から満足し、その中で自分らしい生活の仕方を工夫していけば、
十分に幸せな気持ちで暮らしていけるのではないでしょうか。
ものにあふれた生活を追い求めるよりも、今、自分の手の中に
あるものに満足する生活の仕方を覚える生き方もあると思います。

「『ひと言』セラピー」より抜粋

vol. 4684
「幸福は遅れてやって来る」  (2014/4/19 [Sat])
幸運は、来てほしいと望んだ時間や、
来るだろうと予想した時間よりも、
少し遅れてやって来ることがあります。


なかなか幸運がつかめない人は、
時間が過ぎたことにイライラして、
その場を立ち去ってしまう人です。

 幸運をつかむ人は、たとえ時間が過ぎても、
しばらくその場に留まって、幸運がやってくるの
を待っていられる人なのです。


たとえ、仕事の成果がすぐの出なくても、
もう少し我慢して、努力を続けてみましょう。
頼みごとや求愛などをして、相手がなかなか返事を
くれなかったとしても、もう少し待ってみましょう。


 あるいは出世が遅れたり、給料が思うように
上がらなかったとしても、イヤになったりせずに、
もう少し忍耐してみましょう。


そこで待つことができる人に、幸運はやってくるのです。
あせって結果を求めることなく、心のゆとりを持って生きていくと、
必ず、いいことがやってきます。ゆとりを持つと幸福になるのです。


 「『ひと言』セラピー」より抜粋


 

vol. 4683
「時間を忘れよう」  (2014/4/18 [Fri])
 時間のたつのも忘れて物事に集中している人は、
良く「もう、こんな時間か」という言葉をもらします。


「もう、こんな時間か」と言える人は、幸福な人だと思います。
なぜなら熱中できるものがあるからです。
熱中することに、心から大きな喜びを感じているからです。


 反対に、「まだ、こんな時間か」という言葉が口ぐせに
なっている人は、恐らく、退屈な人でしょう。


このような人は、熱中できるものがない場合が多いようです。
たぶん、日常生活を、つまらない気持ちで過ごしているのでしょう。
ですから、時間が経つのが遅く感じられるのです。


 「道楽」という言葉があります。
現代では、「仕事をさぼって、遊びに夢中になる」と言った、
悪い意味にとられがちですが、その本当の意味は違います。


「道楽」とは本来、仏教の言葉で、「悟りを得るための修行を、
時の経つのを忘れて楽しみ、励むこと」を意味します。
仕事であっても、趣味であっても、この「道楽的な人生」
を実現できる人は、幸せであると言っていいのではないでしょうか。


「『ひと言』セラピー」より抜粋

vol. 4682
「まだ希望があるじゃないか」  (2014/4/17 [Thu])
 19〜20世紀、アメリカに、ヘレン・ケラーと言う女性がいました。
目が見えず、耳が聞こえず、思うように言葉を話せませんでした。
しかし、そのような状況にありながらも、
人々のために懸命に尽くしました。障害者福祉のために、
アメリカを拠点にして、世界中で活躍しました。


 ヘレン・ケラーはなぜ、体に重い障害がありながらも、
エネルギッシュに活動し、人のために尽くすことができたのでしょうか。
彼女自身が、次のような意味の言葉を残しています。
「希望を持つこと、勇気を持つことが、人を成功に導くための原動力だ。
希望と勇気があれば、どんなことでも成し遂げられる」と。


「こういう夢を実現したい。この夢が実現できたら、楽しいだろうな」
と思う希望を持ち、それにチャレンジする勇気を持てば、
どんな困難もタフに乗り切っていけます。
希望を叶える勇気を持てば、すばらしい人生を実現できると思います。
そういう生き方が、幸福な生き方になるのではないでしょうか。

 
「『ひと言』セラピー」より抜粋


vol. 4681
「いい流れには乗る」  (2014/4/16 [Wed])
 いくら努力しても、物事がうまく進まない時があります。
その結果、「もう限界だ。これ以上、がんばれない」
と思う時があります。


そのような時にはがんばるのをやめて、
「流れに身を任せる」のも一つの方法です。
たとえば、次のように発想法を、
がらりと変えてみるのです。

☆「どうにかしなければ」と考えるのをやめる
☆「このままだとたいへんなことになる」と
将来のことを心配するのをやめる
☆何も考えず、日常生活を淡々とこなしていく
☆人から命じられたことに、すなおに従っていく
☆「こんなことをして、どうなるんだ」などと
ムダなことを考えるのもやめる


 このように風が吹くまま、水が流れていくままに
生きていって、気がつけば、「目的地に到達していた」
「不運続きだった人生が、好転し始めた」ということが、
よくあります。


古代中国の思想家、老子は、
「低いところへ流れていく水のように生きなさい」
と述べています。これも「流れに身を任せて生きる」
という意味です。


「『ひと言』セラピー」より抜粋



vol. 4680
「ほめられた以上のことをしよう」  (2014/4/15 [Tue])
あるプロスポーツ選手が、
「ほめられるために努力しているわけじゃない」
自分が理想とするものに近づきたいだけだ」
と語っていました。


次のような意味ではないかと思います。
がんばっていく目標を「人からほめられる」
ことに置いている人は、ある程度のところで
成長が止まってしまいます。
それ以上、飛躍することができません。


「あなたは、すごいね」とほめられれば、
それに満足してしまって、それ以上を望まなく
なってしまうのです。また、まわりに誰もほめて
くれる人がいないと、すぐにやる気をなくしてしまいます。


 真の意味での向上心の強い人は、
ほめてくれる人が誰もいなくても、
まっすぐ目標に向かって進んでいきます。
そのプロスポーツ選手も、そのような強い
向上心の持ち主だったのでしょう。


ほめられることを
目的にするのではなく、それを励みにして、
さらなる飛躍を目指し、ホップ、ステップ、
そしてさらに先へジャンプするバネにすると、
より大きなことを成し遂げられるでしょう。


「『ひと言』セラピー」より抜粋

vol. 4679
「やるなら大きく」  (2014/4/14 [Mon])
「慎重に物事をよく考え、しっかりと準備しておく。
しかし行動は、大胆に振る舞う」ということも
成功の可能性を広げる方法の一つです。
大胆な行動は、まわりの人たちを驚かせます。
人に強いインパクトを与えます。


 剣豪、宮本武蔵の『五輪書』に「鼠頭牛首(そとうごしゅ)」
という言葉があります。「鼠のように細心の注意を払って、
それを行動に移す時には、牛のように大胆に行動せよ」
という意味です。武蔵は、「それが相手を圧倒し
勝負に勝つコツだ」と言っています。


 慎重に物事を考えすぎて、行動にまで慎重になってしまう、
というのではダメなのです。人と差をつけられません。
慎重な行動は、まわりの人たちに「勇気がない。自信がない」
というネガティブな印象を与えてしまう恐れがあります。


 いざ行動する時には大胆に振る舞ってこそ、
「この人は普通の人とは違う」
という驚きとインパクトを与えられるのです。
普段は慎重に考え、チャンス到来の時には、
大胆に行動するというメリハリをつけることで、
成功が引き寄せられます。

「『ひと言』セラピー」より抜粋

vol. 4678
「夢はまたつくればいい」  (2014/4/13 [Sun])
 人生が、予定通りにうまくいくことは、ほとんどありません。
「このような夢を実現したい」という希望を持ち、
それに向かって前進していく途中には、さまざまな
困難が待ち受けています。


困難にぶつかった時には、誰でもが
「もうダメだ。私には、この夢なんて実現できない」と、
自分の力の限界を感じることもあるでしょう。
しかし、そこであきらめてしまってはいけません。


 力の限界を感じ、「当初に抱いていた大きな夢が実現
できないかもしれない」と思った時は、「この程度の夢であれば、
いまの自分の力でも実現できるかもしれない」と
いうものを見つけ出し、軌道修正してみましょう。
夢は何度でも書き換えられます。


 途中で軌道修正することは、決して悪いことではないと思います。
夢を持つことをあきらめれば、そこで希望を失います。
しかし、上手に軌道修正していけば、永遠に希望を
失うことはないでしょう。希望を失わない限り、
人は若々しく、エネルギッシュに生きていけます。


 「『ひと言』セラピー」より抜粋


vol. 4677
「私の『伸びしろ』はでかいぞ」  (2014/4/12 [Sat])
幕末に活躍した偉人、坂本龍馬は、世間の常識にとらわれない、
大きな度量の持ち主でした。その当時、憎み合い、
敵対していた薩摩藩と長州藩の同盟を実現させることなど、
誰も思いつかなかったことでした。
また、海援隊という貿易会社を設立し、
世界を相手に商売しようという計画も持っていました。


なぜ坂本龍馬が大きな度量を持つことができたかあといえば、
「大きな夢」を抱いていたからだと思います。
大きな夢を持つことで、努力ができるのです。
また、人間性も大きくなっていくのです。
大きな夢を持てば、やる気がかきたてられます。
心が前向きになります。


 夢は、気持ちが落ち込んだ時、大きな挫折にあった
時の心の支えになってくれます。大きな夢をかなえるためには、
小さな夢をしっかり一つずつ叶えておくことが大切です。
しかし、小さな夢ばかり抱いていたのでは、
やはり自分自身も小さな人間のままでしょう。
小さな夢のさらにその先に、大きな夢を持てば、
充実した人生を送れるでしょう。

「『ひと言』セラピー」より抜粋


vol. 4676
「私はすごい」  (2014/4/11 [Fri])
「私はすごい」

 ある女優さんは、自分の若い頃の写真を部屋に飾って、
いつも眺めていたそうです。若い頃の写真を見ることで、
自分自身にいいイメージを持ち続けることができ、
そこから自信が生まれ、気持ちが前向きになるからです。
実際に、その女優さんは、いつまでも若々しく、
仕事で活躍し続けました。


 また、自分自身にいいイメージを持ち続けるために、
自分自身をほめる習慣を持つという方法もあります。
自分をほめることは、自分の人間性を高め、
運勢を強くするコツになるでしょう。
「私もなかなか、やるじゃない」「私って、すばらしい」
「僕だからこそ、できることがたくさんある」
「私に不可能なことはない」というように、
自分で自分をほめる習慣を持つのです。


 自分を低くしか評価できない人は、
その評価の通りの小さな人間になってしまいます。
ですから、自分をほめる習慣を持つことが大切になります。
自分をほめる習慣を持てば、
これからの人生に大きな可能性が広がり、
自分自身を飛躍させることができるでしょう。


「『ひと言』セラピー」より抜粋

vol. 4675
「決めたんだ」  (2014/4/10 [Thu])
 「自分で事業をおこしたい。
しかし、私に、事業家となる能力があるだろうか。
しょせん無理ではないか」という人がいます。
確かに、自分一人で事業をおこしたり、
商売を始めたりするには、
能力や才能も大切な要素になるでしょう。


 しかし、「能力がないからダメだ」
「才能がないから無理だ」というわけではないと思います。
能力や才能は、絶対条件ではないのです。
それよりも、もっと大切なのは、「気持ち」ではないでしょうか。


 「やってやるぞ。やり遂げて見せる」
という強い気持ちを持つことだと思います。
小説家の宇野千代さんが、こんな意味の話をしていました。
「女性は一般的に、『私には才能がない。私は何もできない』
という人が多いが、そんなふうに考えてはいけない。
私などは、毎朝、鏡に向かって
『私は天才だ。いい仕事ができる』と言い聞かせている」
というのです。


宇野千代さんが、本当に天才であったかどうかが
問題なのではありません。そう自分に信じ込ませ、
「やってやる」という強い意欲を養っていた
ことが成功の秘訣だったのです。


「『ひと言』セラピー」より抜粋

vol. 4674
「運命はつくるものだ」  (2014/4/09 [Wed])
 「今まで、こんなことをやった人は、一人もない。
前例がないから、成功するはずがない」
「誰もやり方を教えてくれない。マニュアルもない。
うまくいくはずがないじゃないか」
というようなことを言う人がいます。


 しかし、実際は逆ではないかと思います。
前例がないことをやるから、成功のチャンスをつかめるのです。
誰もやり方を教えてくれないことをするから、個性が磨かれて、
注目を集めることができるのです。


 自分の前に道がないなら、
自分で道をつくっていけばいいと思います。
他人の作った道を歩く人は、安全に生きることが
できるのかもしれません。しかし、
大きな成功をおさめることはできないでしょう。
自分の道をつくってこそ、大きな成功にたどり着くと思います。


 十九世紀のフランスの小説家ビクトル・ユゴーは
「人生は航海である」と述べています。
「には道がない。だから、どの方向へ進んでいこうが、
自分自身の自由だ」という意味でしょう。
「自由だからこそ、生きがいもある。
自分にしかできない生き方ができるのだから」と、
ユゴーは言いたかったのではないでしょうか。


 「『ひと言』セラピー」より抜粋

vol. 4673
「迷ったら進め!」  (2014/4/08 [Tue])
 中国の昔話です。毛布が畑仕事をしていると、
一匹のウサギが走ってきて木にぶつかり、死んでしまいました。
農夫は、そのウサギを市場で売って、お金を得ることができました。


 「汗水たらして畑を耕すよりも、木にぶつかって死ぬ
ウサギを現れるのを待っている方が、楽だし、お金にもなる」
と考えた農夫は、それ以来、まじめに働くことをやめ、
来る日も来る日も、ウサギが木にぶつかるのを待っていました。
しかし、そんなウサギは二度と現われませんでした。


 この話は、「こっちのほうが楽そうだ」と、
自分たちに与えられた仕事や氏名を投げ出してしまっても、
結局いいことはない、という教えが表されています。


 仕事の途中でうまくいかないことがあったり、
壁にぶつかったり、挫折することがあると、
他人の生き方のほうが、ずっと楽で恵まれているように
思えてくることもあるかもしれません。


 しかし、そこでブレずに、自分が選んだ仕事、
自分が信じる生き方を、不器用なまでに貫いていけば、
大きな成果を成し遂げられることになります。


「『ひと言』セラピー」より抜粋


vol. 4672
「ありがとう!」  (2014/4/07 [Mon])
 江戸時代に活躍した農政家、二宮尊徳は、
「たとえ一粒たりとも、天地人三徳二よりて生ず」
という言葉を残しました。
「たとえ一粒の米であっても、天の恵みを受け、
地の栄養分を吸い、農民の努力が込められているのだから、
心からありがたいと感謝して食べなさい」という意味です。


 この言葉はまた、米に関してだけではなく、
「人から受ける恩恵は、どんなにつまらないものに思えたとしても、
自分のためにしてくれたことなのだから、
精一杯の感謝の気持ちを示しましょう」という意味もあります。


 他人がしてくれることに対して、内心「こんなことをしてもらっても、
何の役にも立たない」と感じるかもしれません。
しかし、実際に、「こんなつまらないことをしてもらっても、
何の意味もありません」などと文句を言うのは、
やめた方がいいと思います。


 つまらない恩恵に、精一杯の感謝の気持ちを示せば、相手はこちらを
「礼儀正しい人だ。きっちりした人間性を持っている」と高く評価して、
今度は、本当に役に立つ、
大きな恩恵をもたらしてくれるかもしれないからです。

「『ひと言』セラピー」より抜粋


vol. 4671
「終わりよければすべてよし」  (2014/4/06 [Sun])
十八世紀から十九世紀のヨーロッパの
英雄ナポレオン・ボナパルトは、天才的な軍人でした。
フランス軍を率いて戦争に次々に勝利し、
たくさんの領土を手に入れて、
フランス皇帝にまでなりました。


 このナポレオンは、「勝敗を決するのは、
最後の五分間にかかっている。ここで気を抜いてしまえば、
それまで有利に戦いを進めていたとしても、
敵に逆転を許してしまう」と述べていたそうです。


 この教えは、現代人の仕事や生活にも役立ように思います。
たとえば、職場や、団体、またサークル活動の会議などで
意見を通すことが上手な人がいます。
また、商談や交渉事で、大きな話をまとめるのがうまい人がいます。
このような人たちに共通する点も、
「最後の五分間に全力を出す」ことです。


 このタイプの人たちは、最初のうちは、
むしろ相手の聞き役に回っています。
そして議論が煮詰まってきてから、
「それではこのようにしませんか」
という形で自分の主張を切り出して、
話をまとめてしまうのです。
いわば「最初から勝つ」のではなく、
「最後に勝つ」ような交渉を心がけているのです。


「『ひと言』セラピー」より抜粋



vol. 4670
「別の場所には別の何かがある」  (2014/4/05 [Sat])
豊臣秀吉が農民からついには天下人にまで
立身出世した成功法則のひとつに、
「手柄を立てられる場所には、必ず身を置いておく」
というものがあります。「今度の戦に参加して活躍すれば、
信長様に認めてもらえる」「あの場に顔を出しておけば、
有力者と知り合いになることができる」
というポイントには、必ず身を置いていたと言います。


 これは秀吉だけの成功法則ではないでしょう。
獲物をたくさん獲ってくる狩人は、狩れる場所を知っています。
大物をたくさん釣り上げる名人は、釣れる場所を知っています。
それと同じように、事業や仕事、
あるいは恋愛などでチャンスをつかむことが上手な人は、
しょっちゅう「チャンスのある場」
に顔を出している人だといえます。


 パーティー、交流会、食事会、勉強会など、人と知り合い、
人脈が広がり、勉強になりそうなポイントがあります。
チャンスをつかむ人は、そういうポイントが
どこにあるのか常にアンテナを張っています。
そして、できるだけその場に参加しようと心がけているのです。


「『ひと言』セラピー」より抜粋

vol. 4669
「大きな夢を一つだけ!」  (2014/4/04 [Fri])
 人生には好調な時もあれば、不調な時もあります。
不調な時とは、心身ともに疲れ切っているときです。
不調な時には、ほんのちょっとしたことで、
深く落ち込んでしまいがちです。
気力もわきません。
元気も出ません。


 「自分が望む人生など、
もう実現できないのではないか。
希望していることなど何一つ果たせないのではないか」
と不安な気持ちばかりが膨らんでいきます。


 もちろん、「このままの状態でいい」とは
誰も考えてません。どうにかして、個の不調な状今日から
抜け出したいと、人は多くのことをしようとします。


 しかし、多くのことをすることが、かえって逆効果に
なることも多いようです。それでなくても
心身ともに疲れ切っているときに、
あれこれしようとすれば、力が分散して、
すべてがうまくいかなくなります。


 不調のときは、
「これだけは実現したい」
「これだけはやり遂げたい」
ということを一つに絞ってみましょう。
一つの夢や希望に気力を集中させるのです。


 そうするほうが、不調な状況から脱する
きっかけをつかみやすいでしょう。


「『ひと言」セラピー」より抜粋

「難しいから前へ」  (2014/4/03 [Thu])
 戦国時代、一代で天下人に上り詰めた豊臣秀吉の成功法則に、
「困難な状況の中で実力を発揮する」といものがあります。
秀吉は、ふだんは気さくで楽しい性格だったと言われています。
偉そうな素振りは見せず、冗談を言い、面白い人だったのです。
そのおかげで、主君だった織田信長をはじめ、
まわりの人達に可愛がられました。


 しかし、面白いことを言ったり、やったりしているだけでは、
もちろん出世などできません。そこで秀吉が行ったのが、
困難な状況で実力を発揮し、大活躍することだったのです。
たとえば、織田信長の軍勢が敵の挟み撃ちにあった時、
秀吉軍だけが戦場に残って勇敢に敵と戦い、
その隙に信長や仲間たちが逃げる余裕を与えました。
いざという時にリーダーシップを発揮できる人になれば、
多くの人の人望が集まり出世することができます。


 一方で、ふだん何事もない時に、威張ったり、
偉そうなことばかりを言うリーダーは、たいてい、
いざという時には何の役にも立ちません。


「『ひと言』セラピー」より抜粋

「考えるな、感じるんだ」  (2014/4/02 [Wed])
 人生には、実際にやってみなければわからないことが、
たくさんあります。たとえば仕事です。
ある新卒の男性は、経理部志望でした。
しかし、配属先は営業部でした。彼は、
「営業なんて私には向いてない」と考えていました。
しかし実際に営業という仕事を経験してみると、
「なかなか面白い」と感じるようになりました。


 営業では、がんばれば頑張った分だけ、
実績が数字としてでます。そこに大きなやりがいを感じたのです。
今、彼は営業課長まで出世しているそうです。
「それが自分に合っているかどうか」
「そのことを自分が好きになれるかどうか」
を知るには、頭で考えるだけでは限界があります。


実際に体験してみるのが一番です。
体験するまでわからないことは多いのです。
体験しないうちから、「合わない」「嫌いだ」と
判断するのは危険です。体験から判断すれば、
人生の選択を間違えることはないでしょう。


「『ひと言』セラピー」より抜粋

vol. 4666
「自分なら?」  (2014/4/01 [Tue])
 道を散歩している人は、野道に咲く草花を、
「美しいか、美しくないか」
「自分の好みに合うか、合わないか」
と言いう視点で見ています。


あるいは「食べられるか、食べられないか」
という視点から草花を見ている人もいるかもしれません。
商売で薬草を扱う人は、また違った視点から、
草花を見ています。「この草花は、薬草の原料になるだろうか。
商売を成功させる素になるだろうか」
という視点から見ています。

人は、その人ならではの、ものの見方で、
現象や出来事を見ています。
このように自分独自のものの見方を持つことは、
とても大切です。それが自分ならではの
幸福を発見するチャンスにつながるからです。


 また自分の仕事を成功させるチャンスになります。
自分独自のものの見方から、
「これを発見できないだろうか」とか、
「自分の仕事に役立つヒントは隠されていないだろうか」
と見る習慣をつけていくと、実り多い人生を実現できるでしょう。


 「『ひと言』セラピー」より抜粋

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