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「心の拠り所の有無が人生を分ける」7/18(月)

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禅の言葉に「帰家穏座」(きかおんざ)

というものがあります。

自分の心の拠り所に帰って(´▽`) ホッとすること。

旅に出ていた人が、自宅に帰って落ち着くこと。

仏教的には、

人が本来持っている心の仏性に気づき、

そこに立ち返って安らかに暮らす悟りの境地を

意味します。

 

多くの子どもたちを観てきましたかせ、

家がどんなに貧乏でも、片親でも、

自宅が「帰家穏座」になっていれば、

強く正しい子どもへと立派に育ちます。

 

もし家もなくて、親子が別々に暮らしていても、

たまに親に会えるだけでも、

子どもは「帰家穏座」に帰ることができます。

片親だけでも。子どもの心の「帰家穏座」に

なっていれば、子どもは大丈夫です。

 

この逆に、

家がどんなに余裕で立派でも、

子どもの心の「帰家穏座」となる大人や、

居場所がなければ子どもはグレます。

心が痛みます。

小さな子どもには、金銭よりも、

心の「帰家穏座」となる大人や

家が大切なのです。

 

どこにも帰家穏座となる「拠り所」がない人は、

根無し草のように右往左往していると言えます。

それが人によっては、異性であったり、飲み屋で

あったり、賭け事であったり、愛車であったりと、

個人で様様なことでしょう。

 

でも、どれも永遠には続かないのです。

それを失った時の、喪失感と苦悩が大きいものです。

やはり、人生の最後まで自分と同行する心の奥に

ある仏性、良心というものを、日頃から静観する

人が、永遠の安心というものと出会うことでしょう。

 

自分の帰家穏生となるモノが、または場所が、

見つからない人は、

●自分の仕事を通じで、社会に帰家穏座を

提供したい気持ち。

●自分自身が、誰かにとっての、帰家穏座の人

となる意識。

このような視点を持つ事も大切です。

そして自分と他人の心も豊かになっていけば

最高です。

 

帰家穏座的な人に成ること。

会うだけでほっとする人と、他人から言われる。

もし、こういう人に成れば、自分で自分自身を

救っていける人となります。

 

「いま悩む人への禅語」より抜粋転載

 

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日々の日常や、特に仕事の中で

いつも浄土真宗の生活信条の言葉が

浮かんできます。

その都度、

はッと目が覚め

自らの襟元を正す気持ちに

立ち戻らせてくれます。

 

弱い自分が

いつも真理の言葉に導かれてますね、

ありがたい。

 

浄土真宗の生活信条

一、み仏の誓を信じ 尊いみ名をとなえつつ

 強く明るく生き抜きます。

 

一、み仏の光をあおぎ 常にわが身をかえりみて

 感謝のうちに励みます。

 

一、み仏り教えにしたがい 正しい道を聞きわけて

 まことのみのりをひろめます。

 

一、み仏の恵みを喜び 互いにうやまい助けあい

 社会のために尽くします。

 

竹内くん、

たくさなのメロンありがとう。

会社のみんなと冷たく冷やして

美味しくいただきますね。

 

あなたも、

ほんまに阿弥陀さんに育てられ

きましたよね。

とっても嬉しいです。

 

 

 

伊勢丹新宿店メンズ館

●スラックスのカビ処理で、大変き

れいになりましたと廣瀬さんの接客

で、笑顔でお帰りになりました。

 

阪急メンズ東京

●本日、スニーカーを持ち込まれた

お客様は、「シューリペア工房」に

来られたお客様をご案内(ご紹介)し

ていただきました。

見積りをお願いいたします。

 

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