良心は、
声として耳から聞こえるものではない。
叱るわけでも、導くわけでもない。
ただ、
行いの前後で、
胸の奥に「重さや違和感」か「軽さや安心」として現れる。
それだけだ。
何かを選んだあと、
理由は正しいはずなのに、
どこか胸が重いことがある。
反対に、
損をしたように見えても、
不思議と心が軽くなることもある。
この重さと軽さこそが、良心の働きだ。
良心は、
自分が作り出した基準ではない。
両親が生きてきた姿、
先祖が積み重ねてきた生き方、
そして仏さんの働きが、
一つになって現れているものだ。
だから良心は、
時代が変わっても、
立場が変わっても、
ほとんど変わらない。
人を傷つけたとき、
自分を偽ったとき、
責任を人に預けたとき、
心は必ず重くなる。
反対に、
目立たなくても、
誰にも評価されなくても、
誠実であったとき、
心は静かに軽くなる。

仏さんは、
遠くで見ている存在ではない。
良心として、
今この瞬間の重さと軽さで、
是非を教えている。
だから修行とは、
特別なことを積み上げることではない。
日々の選択の中で、
胸の奥の重さを確かめ、
軽い方へ軽い方へ、
気持か良い方へと戻り続けることだ。
もし迷ったときは、
頭で正しさを探す必要はない。
ただ、
自分の内側が重いか、軽いかを観ればよい。
その軽さの中に、
両親があり、
先祖があり、
仏さんがある。
良心とは、
そのすべてが一つになった、
静かな重さと軽さなのだから。