人は、言葉では立派なことを語れる。
理想も、正論も、学びも、いくらでも知識で身につけられる。
だが、生きる姿勢は、語った分だけ育つものではない。
その人の本当の在り方は、
もっと低いところ、
もっと汚れたところ、
誰も見ていない場所に現れる。
トイレ掃除は、その象徴のひとつだ。
道具を使えば、汚れは落ちる。
だが、素手と雑巾で向き合う行為には、
単なる清掃を超えた意味がある。
汚れを避けない。
嫌なものから目を逸らさない。
自分の生活の裏側を、自分の身で引き受ける。
これは美徳の話ではない。
生きる覚悟の話だ。
人は、汚れから逃げる癖を持つと、
やがて都合の悪い現実からも逃げるようになる。
逆に、触れたくないものに手を伸ばす経験を積むと、
心の足腰が静かに鍛えられていく。
君津工房での修行とは、特別な場で行うものではない。
日常の中で、
「やらなくても困らないこと」を
あえて疎かにしない姿勢こそが君津工房での修行だ。
生活習慣も同じだ。

起き方、掃除の仕方、食べ方、言葉遣い、
身の回りの整え方。
どれも派手ではない。
評価もされにくい。
だからこそ、
そこに人の本音が出る。
人は、自分を誤魔化すことに慣れると、
いずれ良心の声が聞こえなくなる。
そして、何が正しいのか分からないまま、
外に答えを探し始める。
自己を律するとは、
自分を縛ることでも、
我慢を重ねることでもない。
「これでいいのか?」と流してしまう自分を、
静かに見つめ、
一歩引き戻すこと。
誰に見せるでもなく、
褒められるでもなく、
ただ淡々と基本を守る。
その積み重ねが、
人の中に“揺るがない軸”を育てる。
人は、
苦しい時に本性が出る。
追い詰められた時、
その人が何を選ぶかは、
日常の姿勢の延長線上にしかない。
だから、
立派なことを語る前に、
生活を整える。
遠い理想を掲げる前に、
足元を正す。
トイレを掃除する。
暮らしを丁寧に扱う。
今日の自分を、今日の自分が裏切らない。
それだけで、人は変わる。
静かに、確実に。
君津工房での修行とは、
日常を逃げずに生きること。
それ以上でも、それ以下でもない。
by 日々是実践 法子