「水のように生きるということ」

上善如水

上善如水

12/30(火)ー 懐かしい京都「だる満」の日々 ー

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京都の興英くんから、

手紙とお菓子が届いた。

封を開けると、岡崎のおばんざいとお蕎麦の店「だる満」が、

二年越しでようやく売れたという知らせが添えられていた。

 

胸の奥で、静かに何かがほどけた。

 

思い返せば、あの場所で過ごした時間は、

「働いていた」という感覚よりも、ただ同じ場を、

同じ呼吸で生きていたという記憶として残っている。

おきちゃん、法子さん、伸ちゃん、みさちゃん、まりちゃん。

廣瀬のお母さん、西村さん、丸山さん、こにやん、林さん、

北村さん、けいこちゃん。ご両親、そして私。

 

笑い声が絶えず、湯気が立ちのぼり、

繁忙期には特大海老天丼やおばんざいバイキングが

飛ぶように売れた。

二十分待ちは当たり前、

長いときには一時間。観光客の列が数珠なりになり、

それでも誰ひとり不機嫌にならなかった。

忙しさの中に、確かな喜びがあった。

 

一方で、

閑散期の「だる満」には、京の秋が静かに流れていた。

その空気の中で流れていた東儀秀樹の音楽は、

どこか物悲しく、けれど今思えば、あれは別れの音ではない。

役目を終えたあとの、深い静けさの音だったのだと思う。

 

全国から人が集まった「だる満」という場を手放し、

新しい田舎の地へ。

ご両親を近くに迎え、好きな音楽を続けながら、

次の暮らしへと移っていく。

 

水が低きに流れるように、抗わず、無理をせず。

だからこちらも、自然とほっとする。

 

上善は水のごとし。

水は、役目を終えれば、

ただ次の器へと静かに移るだけだ。

 

振り返れば、

あの「だる満」での体験がなければ、今の私はいない。

人生の芯に刻まれるほど濃く、深く、三つも四つも重なる

学びと出会いを、あの場所でもらった。

 

ありがとう、だる満。

あの時間は、今も私の中で、静かに流れ続けている

 

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