
振り返ってみれば、
私は失敗も多く、遠回りもしてきましたが、
生き方の根っこそのものは、
ずっと釈尊と親鸞聖人の示した真理の上にあったように思います。
「執着が苦を生む」
「中道を歩め」
「常に仏さまと共に生きる」
それらを学問としてではなく、
生活や仕事の感覚として受け取りながら、
知らず知らずのうちに
無理をせず、流れに逆らわず、臨機応変に動く
いわば、固定観念に縛られず
自在に生きてきた人生だったのかもしれません。
だからこそ、
極端に傲らず、
極端に卑下せず、
ここまで続いてきたのだと思っています。
最近、特に意識するようになった「調律」という感覚
ただ、ここ数年、
とくに強く意識するようになった言葉があります。
それが「調律」です。
正しいか、間違っているか。
善か、悪か。
勝ちか、負けか。
そうした二元論ではなく、
今この場に合うかどうかを見極め、
強すぎるものは弱め、
足りないものは補い、
全体のバランスを整えていく。
釈尊の真理を
「原理」だとすれば、
「調律」はそれを現場で使える温度にする作業のように
感じています。
「こだわり」「かたより」「とらわれ」から離れる
人は知らぬ間に、
正しさにこだわり、
経験にかたより、
成功体験にとらわれます。
私自身も例外ではありません。
「これは分かっている」
「昔はこうだった」
「このやり方で乗り越えてきた」
そうした思いが、
いつの間にか視野を狭め、
流れを硬くしてしまうことがある。
だからこそ、
今年は特に意識したいのです。
何かを足すより、離れること。
固めるより、ほどくこと。
釈尊が説いた「中道」を、
親鸞聖人が称えた゛「念仏」を、
そして老子が「水」にたとえたように、
私は「調律」という言葉で
もう一度、自分を整え直しているのだと思います。
バランス感覚を磨く一年へ
強く出すぎない。
引きすぎない。
語りすぎない。
黙りすぎない。
その時々で、
場と人と自分を見ながら、
最も無理のない位置に身を置く。
それは逃げでも妥協でもなく、
長く続けるための知恵です。
兆列を信じ、
調律を怠らず、
こだわりから一歩離れる。
そんな一年を、
静かに積み重ねていきたいと思います。
釈尊の真理や、
親鸞聖人の「念仏の世界」は
変わらず、私の背骨にあります。
そこに、
老子の水の感覚が流れ、
現代の現場に合わせた調律が加わった。
それだけのことです。
変わったのではなく、
澄んできただけなのかもしれません。
今日もまた、
兆しを読み、
流れを整え、
静かに歩いていきます。