四年前に前立腺癌になって、
不思議と「失った」という感覚はなかった。
むしろ、
余分なものが静かに抜けていった、
そんな感覚の方が近い。
この歳でお笑いだが、
異性を強く意識しなくてもよくなったこと。
それは寂しさではなく、
生きるうえで本当に向き合うべきものに
自然と意識が戻った、という感覚だった。
食事も、和食で少量の朝と昼だけになった。
健康のため、という理由もある。
けれどそれ以上に、
少ないもので身体がきちんと動くという事実は、
これからの多難な時代を生きるうえで
大きな安心を与えてくれる。
もし食糧難が来ても、
慌てずに済む。
身体がすでに、そういう生き方を覚えている。
社宅である北子安庵は、
僕、社長のやまっち、松村、手島、佐生、松山。
六人の共同体の宿泊施設として整えていく。
僕とやまっちを除いては独り者で
大人数ではない。
けれど、やまっちの介護援助も出来て、
それぞれの役割が分かり、
お互いの癖も力量も分かっている。
静かに、確実に動ける単位だ。
本部は会社・君津工房。
日中の拠点であり、
千葉を襲った強力台風の時と同じように
現実的な中枢だ。
水があり、設備があり、動線があり、
何より「働く」という日常がある。
そして、
僕たちは水洗いのプロだ。
400mから汲み上げる地下水を使い、
衣類を清め、
人の生活を下支えする仕事。
これは平時だけの仕事ではない。
災害が起きても、
社会が揺れても、真っ先に必要とされる役割だ。
これらは、
誰かに言われて準備したことではない。
天変地異や動乱を恐れて
構えたわけでもない。
気がついたら、
身体と生活が、
自然とこちら側へ移ってきていただけだ。
水が高きから低きへ流れるように。
無理なく、逆らわず、
必要な形に整っていく。
上善如水。
最もより善い生き方とは、
強く主張することではなく、
静かに役に立てる場所へ
自分が移っていくことである。
今日も淡々と、
やれることをやる。
それで十分なのである。