「水のように生きるということ」

上善如水

上善如水

12/29(月) 自己を律するという、いちばん根の深い修行

更新日:

人は、言葉では立派なことを語れる。

理想も、正論も、学びも、いくらでも知識で身につけられる。

だが、生きる姿勢は、語った分だけ育つものではない。

 

その人の本当の在り方は、

もっと低いところ、

もっと汚れたところ、

誰も見ていない場所に現れる。

 

トイレ掃除は、その象徴のひとつだ。

 

道具を使えば、汚れは落ちる。

だが、素手と雑巾で向き合う行為には、

単なる清掃を超えた意味がある。

 

汚れを避けない。

嫌なものから目を逸らさない。

自分の生活の裏側を、自分の身で引き受ける。

これは美徳の話ではない。

生きる覚悟の話だ。

 

人は、汚れから逃げる癖を持つと、

やがて都合の悪い現実からも逃げるようになる。

逆に、触れたくないものに手を伸ばす経験を積むと、

心の足腰が静かに鍛えられていく。

 

君津工房での修行とは、特別な場で行うものではない。

日常の中で、

「やらなくても困らないこと」を

あえて疎かにしない姿勢こそが君津工房での修行だ。

生活習慣も同じだ。

起き方、掃除の仕方、食べ方、言葉遣い、

身の回りの整え方。

どれも派手ではない。

評価もされにくい。

 

だからこそ、

そこに人の本音が出る。

 

 

人は、自分を誤魔化すことに慣れると、

いずれ良心の声が聞こえなくなる。

そして、何が正しいのか分からないまま、

外に答えを探し始める。

 

自己を律するとは、

自分を縛ることでも、

我慢を重ねることでもない。

 

「これでいいのか?」と流してしまう自分を、

静かに見つめ、

一歩引き戻すこと。

 

誰に見せるでもなく、

褒められるでもなく、

ただ淡々と基本を守る。

 

その積み重ねが、

人の中に“揺るがない軸”を育てる。

 

人は、

苦しい時に本性が出る。

追い詰められた時、

その人が何を選ぶかは、

日常の姿勢の延長線上にしかない。

 

だから、

立派なことを語る前に、

生活を整える。

 

遠い理想を掲げる前に、

足元を正す。

 

トイレを掃除する。

暮らしを丁寧に扱う。

今日の自分を、今日の自分が裏切らない。

 

それだけで、人は変わる。

静かに、確実に。

 

君津工房での修行とは、

日常を逃げずに生きること。

それ以上でも、それ以下でもない。

 

by 日々是実践 法子

-上善如水

Copyright© 上善如水 , 2026 All Rights Reserved Powered by STINGER.