一切手抜き無し 3/2(木)
高校時に親父が倒れ
卒業してすぐに家業を手伝いました
何も知らない、分からないまま、親父のあとを継ぎ
いろんな事を、骨身にしみるほど味わいました。
当時は超どん底で
いつ、こけてもおかしくない状態でした。
仕事もお昼過ぎにはやることが無いので
時間をあり余していたのでした
あの頃は「八百屋全盛期」でしたから
繁盛している小売店はどんな商売をしているんだろうと
すごく興味があって、
取り引きはありませんが、商店街で大きな商いをしているお店に
「何でもやります。手伝わせてください。」と飛び込んでいきました
もちろん給料などもらいません。
しかし、
小売りの手伝いをさせて頂いて、卸しでは体験できない
いろんな事をタダで学べたのは、超ラッキーでした
それに、ただ一生懸命に手伝っていると
お店の一員のように大将に認められ、
「廣瀬君、」野菜持っておいでや!」といつの間にか
そこのお店の野菜を納品できるようになっていきました。
そこからは、自分の中でまた拍車がかかるくらい
この人に、尽くそうと一生懸命にやってきました。
一切の手抜きなし
当時の熱い気持ちは今も変わりません。
卒業してすぐに家業を手伝いました
何も知らない、分からないまま、親父のあとを継ぎ
いろんな事を、骨身にしみるほど味わいました。
当時は超どん底で
いつ、こけてもおかしくない状態でした。
仕事もお昼過ぎにはやることが無いので
時間をあり余していたのでした
あの頃は「八百屋全盛期」でしたから
繁盛している小売店はどんな商売をしているんだろうと
すごく興味があって、
取り引きはありませんが、商店街で大きな商いをしているお店に
「何でもやります。手伝わせてください。」と飛び込んでいきました
もちろん給料などもらいません。
しかし、
小売りの手伝いをさせて頂いて、卸しでは体験できない
いろんな事をタダで学べたのは、超ラッキーでした
それに、ただ一生懸命に手伝っていると
お店の一員のように大将に認められ、
「廣瀬君、」野菜持っておいでや!」といつの間にか
そこのお店の野菜を納品できるようになっていきました。
そこからは、自分の中でまた拍車がかかるくらい
この人に、尽くそうと一生懸命にやってきました。
一切の手抜きなし
当時の熱い気持ちは今も変わりません。
17:26, Thursday, Mar 02, 2017 ¦