「合点」5/23(月)
「よく解らない」
「私には無理よ・・」
少し前までは私もこの言葉をよく使っていました。
しかし、ある時、平然とネガティブな言葉を発している「その人」は、
「本当の私」ではないと気づきました。
今まで生きてきた環境や習慣でつくられてきた「偽りの私」
「強い思い込みの私」でした。
「しまった!!」と心臓に冷や汗をかいた瞬間です。
「本当に人間はこの大宇宙の創造の力を
誰もが本質的に与えられている」
ということを今は感じ取れます。
「その真実を気づいているか、気づいていないか、ただそれだけ」。
しかし、この差は人生を180度左右してしまいます。
〜日々是笑日より〜
人間はこの世に生まれ、
本来大宇宙から与えられた無限の可能性をすべて忘れ去り、
周りと比較対照しては自己限定しては無難に生きていこうとします。
本来、仏と同じものを有しているにも関わらずです。
すべてそれは覆い隠してしまったのが、
エゴのなせる業た゜゛ったのです。
人間は「自由」に生きることも、
「自立」して強く生きることも、
「解放」されてエゴにつかまらず
のびのびと自分の特性を発揮することも、
この世の常識とされたシステムの中で
「ムリ」「不可能」と洗脳されてきたのです。
宗教家をはじめ、
心の世界を解く人たちでさえ、
一見、解放の論理を解きながらも
束縛の中で生きている。
愚かなことです。
恥ずかしいことです。
自分で自分に限界をつくって良しとして
倫理や道徳的な枠組みの中でいから善人ぶっても、
まさしくそれは真実の仏の視点から見れば
偽善でありエゴに居直った醜い凡夫の姿なのです。
すべては合わせ鏡です。
そういった他者を見ては嫌気がさし、
己の姿を見ては嫌気がさしていった。
真実をわかろうとしない、
まさに仏より与えらた学習課題をやろうとしない
傲慢で醜い姿て゛した。
その時、
こんな偽りの生き方は私の生きたい世界゛はないと、
合点がいったのです。
仏と共に生き来るとは有限の枠を超えて
無限と共に生きるということです。
私の目の前に現れる事柄は、
それがすべて可能だからこそ仏が与えてくれた
愛そのものであった。
「おまえがなりたい自分になれるんだよ。
自己限定するのではないんだよ。
おまえが持ち得るものはすべて私と
同質のものなのだから。
ただただ経験の中でそのことを思い出して
いけばいい。」
今まさしまく実践のの中で
歓喜と共にあるということはそういうことなのでしょう。
生かしていただいて ありがとう御座位ます。
「私には無理よ・・」
少し前までは私もこの言葉をよく使っていました。
しかし、ある時、平然とネガティブな言葉を発している「その人」は、
「本当の私」ではないと気づきました。
今まで生きてきた環境や習慣でつくられてきた「偽りの私」
「強い思い込みの私」でした。
「しまった!!」と心臓に冷や汗をかいた瞬間です。
「本当に人間はこの大宇宙の創造の力を
誰もが本質的に与えられている」
ということを今は感じ取れます。
「その真実を気づいているか、気づいていないか、ただそれだけ」。
しかし、この差は人生を180度左右してしまいます。
〜日々是笑日より〜
人間はこの世に生まれ、
本来大宇宙から与えられた無限の可能性をすべて忘れ去り、
周りと比較対照しては自己限定しては無難に生きていこうとします。
本来、仏と同じものを有しているにも関わらずです。
すべてそれは覆い隠してしまったのが、
エゴのなせる業た゜゛ったのです。
人間は「自由」に生きることも、
「自立」して強く生きることも、
「解放」されてエゴにつかまらず
のびのびと自分の特性を発揮することも、
この世の常識とされたシステムの中で
「ムリ」「不可能」と洗脳されてきたのです。
宗教家をはじめ、
心の世界を解く人たちでさえ、
一見、解放の論理を解きながらも
束縛の中で生きている。
愚かなことです。
恥ずかしいことです。
自分で自分に限界をつくって良しとして
倫理や道徳的な枠組みの中でいから善人ぶっても、
まさしくそれは真実の仏の視点から見れば
偽善でありエゴに居直った醜い凡夫の姿なのです。
すべては合わせ鏡です。
そういった他者を見ては嫌気がさし、
己の姿を見ては嫌気がさしていった。
真実をわかろうとしない、
まさに仏より与えらた学習課題をやろうとしない
傲慢で醜い姿て゛した。
その時、
こんな偽りの生き方は私の生きたい世界゛はないと、
合点がいったのです。
仏と共に生き来るとは有限の枠を超えて
無限と共に生きるということです。
私の目の前に現れる事柄は、
それがすべて可能だからこそ仏が与えてくれた
愛そのものであった。
「おまえがなりたい自分になれるんだよ。
自己限定するのではないんだよ。
おまえが持ち得るものはすべて私と
同質のものなのだから。
ただただ経験の中でそのことを思い出して
いけばいい。」
今まさしまく実践のの中で
歓喜と共にあるということはそういうことなのでしょう。
生かしていただいて ありがとう御座位ます。
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