「祈り」
8月6日 広島平和記念公園
バスから降りると蝉の声が双肩にズッシリとのしかかって来た。
あの朝も、むし暑くセミの声が重たかったのだろうと
不思議な感覚を味わった。
人もセミも草も木もすべての「いのち」が
あの朝、ピカドンに会ったのだ。
これ程までに目に見えない「何か」が確実に実在していると、
実感し体験したことが今までにあっただろうか。
目に見えない「何か」がそれぞれの肉体を包み込み
影響し合いながらそこにひとつの大きな大きな空間を創り出していた。
人々の鎮魂の念いと平和への祈りの前には
それぞれの自我もその形を潜める。
新たな時代はアオギリの新芽のように
すでに出現していると、フッとかんじた。
生かして頂いて ありがとう御座位ます。
バスから降りると蝉の声が双肩にズッシリとのしかかって来た。
あの朝も、むし暑くセミの声が重たかったのだろうと
不思議な感覚を味わった。
人もセミも草も木もすべての「いのち」が
あの朝、ピカドンに会ったのだ。
これ程までに目に見えない「何か」が確実に実在していると、
実感し体験したことが今までにあっただろうか。
目に見えない「何か」がそれぞれの肉体を包み込み
影響し合いながらそこにひとつの大きな大きな空間を創り出していた。
人々の鎮魂の念いと平和への祈りの前には
それぞれの自我もその形を潜める。
新たな時代はアオギリの新芽のように
すでに出現していると、フッとかんじた。
生かして頂いて ありがとう御座位ます。
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