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「親鸞聖人の生」
 綽空が法然を「よき人」としてすがりたいとする直感は、
いわば「他力」のような働きであったかもしれない。

綽空の熱い生命の波動は天命に従うかのように転生していった。
お山の聖道から在家道の地平へとその決定的な変化は、
生命と感性の躍動から湧き上がった新しい「仏の道」であった。

あるがままの自己への「問い」は解決し難い私たちの生命と
「存在」そのもの。その問いこそ「念仏」との出逢いなのか。

「ただ一こうに念仏すべし」と説くシンプルな導きの空間に、
綽空はむしろ無量の光を感じ、きっぱりと全身を投げ入れた。

そして、「念仏を申さんとおもいたつこころ」のままに「人間」の
大地に然りとして素足のままに立ち、甦った」  

                       ― 光りの国へより ―


本日の、ボスから頂いた本の中に会った一文です。


この一文(エネルギー)との出逢いは大きな衝撃とともにその余韻を残して
今も静かに身体中をただよっています。


生かして頂いて ありがとう御座位ます。

19:35, Tuesday, Aug 09, 2011 ¦ 固定リンク ¦ コメント(0) ¦ コメントを書く ¦ トラックバック(0) ¦ 携帯

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