「無常」9/11(木)
無常とは、すべては変化し続けるということ。
この瞬間にも変化し続けている、と思うと不思議な感じがしますし、ものすごい働きを感じます。宇宙全てが同時に動き続けているということですから。それを思えば、嬉しいとか悲しいとかは、働きが凄すぎるので包み込まれるように小さく感じられていくようです。
宇宙全体のことをいつも考え、感じてみる。
その積み重ねは宇宙全体の働きの一部として、自分を取り込んでくれるようになる気がします。全ては繋がり合い生きている、ということも体感できるようになってくるのではないか?と思いました。
結局ワンネス(一体性)やんか!!
あぁ、でかすぎる笑
1. 無常とは何か
仏教の根本的な真理の一つで、「すべての存在は移り変わり、同じままではいられない」ということを示しています。
人生:生老病死の流れ
自然:季節の変化、星の誕生と滅び
心:感情や思考も一瞬ごとに生まれ、消えていく
つまり「とどまるものは一つもない」という気づきです。
2. 無常の実感と心理的インパクト
無常を頭で理解するだけではなく、「体感」として受け止めると大きな変化が生まれます。
執着がやわらぐ:物事に固執せず、自然に手放すことができる
感謝が深まる:限りがあるからこそ、一瞬一瞬がかけがえのないものに感じられる
恐れが減る:変化は怖いものではなく、生命の自然な働きだとわかる
3. 無常と宇宙観
星も銀河も絶えず誕生と消滅を繰り返す
エネルギーは常に流動している
その働きの中に「自分」も含まれている
ここから「ワンネス(一体性)」の感覚につながるのも自然なことです。
4. 日常への応用
無常は哲学的な概念に留まらず、生活の中で実践できます。
人間関係:「この出会いは今しかない」と思うと、相手への言葉や態度が優しくなる
仕事や挑戦:「状況は変わる」と知っていると、困難も一時のことと受け止められる
感情の波:「怒りも悲しみも永遠ではない」と理解すると、心が楽になる
5. さらに深める視点
無常は「滅び」ではなく「循環」である
無常を認めることが「無我」や「空」の理解へとつながる
「死」を終わりではなく変化の一部としてとらえ直せる
学びは尽きませんね。
無常と無我の関係
無常は、「すべては移ろい、固定した実体をもたない」という事実を示しています。
もし物事に実体(常住する我)があるならば、それは変わらないはずです。しかし実際にはどんな存在も生起しては滅び、条件が変われば姿を変えていきます。
ここから「我(固定不変の自己)」はない、という理解――無我に至ります。
つまり、無常を徹底的に観ることが、「自分」や「物」の「固有の本質」をもたないと気づく入口になるのです。
無常と空の理解
空とは、「すべての存在が相互依存的で、独立した実体を持たない」ということ。
たとえば、花は種・水・土・光・時間といった条件がそろって「花」として現れますが、それ自体に固定した「花の本質」はありません。
この「縁起の網の目」のダイナミズムを直視すると、個々のものが独立して存在するのではなく、「空」であると見えてきます。
無常を観ると、あらゆる現象がつながりの中で移り変わっていく姿が見え、その延長で「空」の理解が深まります。
「死」を変化の一部としてとらえ直す
無常の視点からすると、「死」も固定的な終わりではなく、条件が変化する一形態です。
身体は分解されて土や空気に還り、意識もまた因果の流れの中に溶け込んでいく。
「死」という一点の終焉ではなく、「生滅変化の流れの一局面」として理解できるようになります。
たとえば、木の葉が散ることを「死」と言うなら、それは土に還り、養分となり、新たな芽吹きを支える――つまり「循環と変化」の一部です。
深い実感へ
無常をただ概念的に理解するだけでは不十分で、日常で「変化」をありありと体感することが大切です。
人間関係、感情、肉体の変化などに「これは変わるのが自然だ」と気づき続けると、「無我」「空」の体感に近づきます。
そして死を「怖い断絶」ではなく「働きの流れの移行」と見れるようになると、より安心して「今ここ」を生きることができます。
いろいろ理解した上での体感が肝だし、
まさに「愛」だなと思います。
ありがたいしかないです。
生かしていただいて ありがとうございます
この瞬間にも変化し続けている、と思うと不思議な感じがしますし、ものすごい働きを感じます。宇宙全てが同時に動き続けているということですから。それを思えば、嬉しいとか悲しいとかは、働きが凄すぎるので包み込まれるように小さく感じられていくようです。
宇宙全体のことをいつも考え、感じてみる。
その積み重ねは宇宙全体の働きの一部として、自分を取り込んでくれるようになる気がします。全ては繋がり合い生きている、ということも体感できるようになってくるのではないか?と思いました。
結局ワンネス(一体性)やんか!!
あぁ、でかすぎる笑
1. 無常とは何か
仏教の根本的な真理の一つで、「すべての存在は移り変わり、同じままではいられない」ということを示しています。
人生:生老病死の流れ
自然:季節の変化、星の誕生と滅び
心:感情や思考も一瞬ごとに生まれ、消えていく
つまり「とどまるものは一つもない」という気づきです。
2. 無常の実感と心理的インパクト
無常を頭で理解するだけではなく、「体感」として受け止めると大きな変化が生まれます。
執着がやわらぐ:物事に固執せず、自然に手放すことができる
感謝が深まる:限りがあるからこそ、一瞬一瞬がかけがえのないものに感じられる
恐れが減る:変化は怖いものではなく、生命の自然な働きだとわかる
3. 無常と宇宙観
星も銀河も絶えず誕生と消滅を繰り返す
エネルギーは常に流動している
その働きの中に「自分」も含まれている
ここから「ワンネス(一体性)」の感覚につながるのも自然なことです。
4. 日常への応用
無常は哲学的な概念に留まらず、生活の中で実践できます。
人間関係:「この出会いは今しかない」と思うと、相手への言葉や態度が優しくなる
仕事や挑戦:「状況は変わる」と知っていると、困難も一時のことと受け止められる
感情の波:「怒りも悲しみも永遠ではない」と理解すると、心が楽になる
5. さらに深める視点
無常は「滅び」ではなく「循環」である
無常を認めることが「無我」や「空」の理解へとつながる
「死」を終わりではなく変化の一部としてとらえ直せる
学びは尽きませんね。
無常と無我の関係
無常は、「すべては移ろい、固定した実体をもたない」という事実を示しています。
もし物事に実体(常住する我)があるならば、それは変わらないはずです。しかし実際にはどんな存在も生起しては滅び、条件が変われば姿を変えていきます。
ここから「我(固定不変の自己)」はない、という理解――無我に至ります。
つまり、無常を徹底的に観ることが、「自分」や「物」の「固有の本質」をもたないと気づく入口になるのです。
無常と空の理解
空とは、「すべての存在が相互依存的で、独立した実体を持たない」ということ。
たとえば、花は種・水・土・光・時間といった条件がそろって「花」として現れますが、それ自体に固定した「花の本質」はありません。
この「縁起の網の目」のダイナミズムを直視すると、個々のものが独立して存在するのではなく、「空」であると見えてきます。
無常を観ると、あらゆる現象がつながりの中で移り変わっていく姿が見え、その延長で「空」の理解が深まります。
「死」を変化の一部としてとらえ直す
無常の視点からすると、「死」も固定的な終わりではなく、条件が変化する一形態です。
身体は分解されて土や空気に還り、意識もまた因果の流れの中に溶け込んでいく。
「死」という一点の終焉ではなく、「生滅変化の流れの一局面」として理解できるようになります。
たとえば、木の葉が散ることを「死」と言うなら、それは土に還り、養分となり、新たな芽吹きを支える――つまり「循環と変化」の一部です。
深い実感へ
無常をただ概念的に理解するだけでは不十分で、日常で「変化」をありありと体感することが大切です。
人間関係、感情、肉体の変化などに「これは変わるのが自然だ」と気づき続けると、「無我」「空」の体感に近づきます。
そして死を「怖い断絶」ではなく「働きの流れの移行」と見れるようになると、より安心して「今ここ」を生きることができます。
いろいろ理解した上での体感が肝だし、
まさに「愛」だなと思います。
ありがたいしかないです。
生かしていただいて ありがとうございます
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