「これに随えども後を見ず(老子14章)」
大切なものは目に見えない
「これ」とは、
「常」である。
「道」である。
宇宙の大元の生命である。
人間は、この「道」の生命力によって
生かされているのであるが、「道」には色がない、
音もない、探っても触れることができない。
前からやってきても、足音が聞こえない。
通り過ぎていっても後姿が見えない。
しかし、その力は現実に活躍している。
見えなくても、感じなくても、
その生命力の尊さを発覚(自覚)していくことが、
「道を治める」「徳を修める」ということだと、
老子は力説するのである。
三高、つまり高学歴で高収入で背が高い男に、
女性は好意を寄せるとよく言われる。
たしかに、初対面では、
三高の男は好かれるケースが多いかもしれない。
が、交際しているうちに三高を鼻にかけて、
相手を見下し、
自慢ばかりしている男についていけなくなる。
三高よりも欠かせないものは、
男の寛大な愛と思いやりなのである。
愛と思いやりの心は、
実際の目にはこれと言って見えない。が、
男女は、見えないこの二つの大切な心によって、
しっかりと結ばれていく。
「老子・荘子の言葉100選」より抜粋
「これ」とは、
「常」である。
「道」である。
宇宙の大元の生命である。
人間は、この「道」の生命力によって
生かされているのであるが、「道」には色がない、
音もない、探っても触れることができない。
前からやってきても、足音が聞こえない。
通り過ぎていっても後姿が見えない。
しかし、その力は現実に活躍している。
見えなくても、感じなくても、
その生命力の尊さを発覚(自覚)していくことが、
「道を治める」「徳を修める」ということだと、
老子は力説するのである。
三高、つまり高学歴で高収入で背が高い男に、
女性は好意を寄せるとよく言われる。
たしかに、初対面では、
三高の男は好かれるケースが多いかもしれない。
が、交際しているうちに三高を鼻にかけて、
相手を見下し、
自慢ばかりしている男についていけなくなる。
三高よりも欠かせないものは、
男の寛大な愛と思いやりなのである。
愛と思いやりの心は、
実際の目にはこれと言って見えない。が、
男女は、見えないこの二つの大切な心によって、
しっかりと結ばれていく。
「老子・荘子の言葉100選」より抜粋

06:39, Thursday, Feb 12, 2015 ¦