「樸は小なりと雖も 天下能く臣とすることなし」
自分のやりたい仕事を楽しむ
樸、すなわち、山から出されたままの皮がついているやせ細った木は、
なんの用も足さない。用をなさないということは、
人に使われないことである。世の中の人が、
家来とか、下僕として使われなければ、
権威者のいいなりになって、
卑屈な思いをして、生きなくてもよい。
働くことは、大いに賛美されるべきであろう。
が、食べるために、いやいやしなくてはならない労働は、
できるだけ避けたいものだ。金のためにだけ、
面白くもないことを、召使のようになって、
汗水たらして辛苦している人生が、
何の意味があるだろうか。
社会の適応能力があれば、それに越したことはない。
老子は、それを、決して否定してはいない。
適応能力がなくても、それはそれでいいのではないか、
と言っているのだ。その方が、自分の本質の生命を表現して、
自主的に生きられる、というのだ。
「老子・荘子の言葉100選」より抜粋
樸、すなわち、山から出されたままの皮がついているやせ細った木は、
なんの用も足さない。用をなさないということは、
人に使われないことである。世の中の人が、
家来とか、下僕として使われなければ、
権威者のいいなりになって、
卑屈な思いをして、生きなくてもよい。
働くことは、大いに賛美されるべきであろう。
が、食べるために、いやいやしなくてはならない労働は、
できるだけ避けたいものだ。金のためにだけ、
面白くもないことを、召使のようになって、
汗水たらして辛苦している人生が、
何の意味があるだろうか。
社会の適応能力があれば、それに越したことはない。
老子は、それを、決して否定してはいない。
適応能力がなくても、それはそれでいいのではないか、
と言っているのだ。その方が、自分の本質の生命を表現して、
自主的に生きられる、というのだ。
「老子・荘子の言葉100選」より抜粋

23:04, Wednesday, Mar 25, 2015 ¦