「常を知らざれば……(老子16章)」
「常を知らざれば 妄りに作して凶なり(老子16章)」
違った考え方を批判しあうから凶を招く
「常」とは、なにか。
いつでも変わらない。
だれでも変わらない。
昔も、今も、同じように、
不変の力で働いている力を、「常」という。
たとえば、人間の「見る力」。
子どもの時に見た赤い色も、
成人になってみた赤い色も、
老人になってみた赤い色も、変わらず、
同じ色に見る人間の目の力。
ものを見る目の力は、だれでも同じ。
いつでも同じ。これが「常」の力。
当然、呼吸も、そうだ。
昔の人も、現代人も、あなたの呼吸も、
私の呼吸も、まったく同じ。
こういう不変不動の自然の生命のあり方を、
「常」の力という。
いつでも同じ、
だれでも同じ……
そういった自然の根元的な生命力、
つまり「常」の力を知らないで、
ただ、ひたすら「きみの考えとぼくの考えは違う」
「ああすればプラスだ」「こうすればマイナスだ」と、
違っている考えを批判しあって毎日を送っていると、
「凶」(不吉な状態、不幸の状態、混乱の状態)
を招くことになる。
人間、頭で、生きていると思ったら、とんでもない。
手や足や胃や腸の働きで生きている。
「老子・荘子の言葉100選」より抜粋
違った考え方を批判しあうから凶を招く
「常」とは、なにか。
いつでも変わらない。
だれでも変わらない。
昔も、今も、同じように、
不変の力で働いている力を、「常」という。
たとえば、人間の「見る力」。
子どもの時に見た赤い色も、
成人になってみた赤い色も、
老人になってみた赤い色も、変わらず、
同じ色に見る人間の目の力。
ものを見る目の力は、だれでも同じ。
いつでも同じ。これが「常」の力。
当然、呼吸も、そうだ。
昔の人も、現代人も、あなたの呼吸も、
私の呼吸も、まったく同じ。
こういう不変不動の自然の生命のあり方を、
「常」の力という。
いつでも同じ、
だれでも同じ……
そういった自然の根元的な生命力、
つまり「常」の力を知らないで、
ただ、ひたすら「きみの考えとぼくの考えは違う」
「ああすればプラスだ」「こうすればマイナスだ」と、
違っている考えを批判しあって毎日を送っていると、
「凶」(不吉な状態、不幸の状態、混乱の状態)
を招くことになる。
人間、頭で、生きていると思ったら、とんでもない。
手や足や胃や腸の働きで生きている。
「老子・荘子の言葉100選」より抜粋

08:13, Monday, Feb 09, 2015 ¦