「祈りの循環」10/3(金)
これまで、祈りを内側に向けてきました。
胸の奥に静かに手を合わせ、
ただただ「ありがとう」を唱える。
それは確かに深まりをもたらしてくれたけれど、
いつしか疲れを感じるようになっていました。
今になって気づくのは、
それは祈りが内にだけ留まり、滞っていたからだということ。
祈りは本来、流れるもの。
内側で生まれた感覚は、外の世界に触れてはじめて循環になる。
祈りを目の前の仕事にのせる。
祈りを人との出会いにのせる。
祈りを言葉や動作にのせる。
そうして外へと放たれたものは、
また「ありがとう」や「笑顔」、そして「お金」として返ってきて、
新しいエネルギーとなり、再び内側に満ちていく。
内と外、その両方に祈りを広げるとき、
疲れは消え、むしろ力が湧いてくる。
それはまるで、川がせき止められて濁っていた水が、
流れ出した瞬間に澄み渡っていくようなものです。
今日も目の前の一手に、祈りをのせて。
循環の中で生かされていることに、ただただ感謝です。
生かしていただいて ありがとうございます
胸の奥に静かに手を合わせ、
ただただ「ありがとう」を唱える。
それは確かに深まりをもたらしてくれたけれど、
いつしか疲れを感じるようになっていました。
今になって気づくのは、
それは祈りが内にだけ留まり、滞っていたからだということ。
祈りは本来、流れるもの。
内側で生まれた感覚は、外の世界に触れてはじめて循環になる。
祈りを目の前の仕事にのせる。
祈りを人との出会いにのせる。
祈りを言葉や動作にのせる。
そうして外へと放たれたものは、
また「ありがとう」や「笑顔」、そして「お金」として返ってきて、
新しいエネルギーとなり、再び内側に満ちていく。
内と外、その両方に祈りを広げるとき、
疲れは消え、むしろ力が湧いてくる。
それはまるで、川がせき止められて濁っていた水が、
流れ出した瞬間に澄み渡っていくようなものです。
今日も目の前の一手に、祈りをのせて。
循環の中で生かされていることに、ただただ感謝です。
生かしていただいて ありがとうございます
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