「仏の慈悲心を受け取るために」9/2(金)
仏の大きな慈悲心を受け取るために、
普段の生活で何か実践することはないのか・・・・考えました。
それは、まず愛をできるだけ多くの機会に思いっきり体験することですね。
親子、夫婦、仲間、ペット、友人、身の回りの間・・・・結構あるよね。
これは人や動物だけでなく、物でもそう。
掃除や整理整頓が出来るって、そういうことでしょ。
やはり身の回りの物、いのちを大切にできるってことですから。
だから、仏教者で掃除や整理整頓ができない人って、やっばり嘘っぽい思う。
あらゆるいのちを大切にするってことはそういうことじゃないから。
これは理屈じゃないからね・・・。
それとね、やはり人に親切にする、やさしくする、思いやる、人を大切にする、
出来るだけ笑顔を絶やさない、傲慢にならない、我を張らない・・・。
でも、なかなかできない。
でも、お念仏とともにだったら、やってみれる。
自分の我を捨てて行けるから。
自我を満たしたいという欲求は、認められたい、ほめられたい。えらい
人と言われたい、他者をしのぎたい・・、これって全部…輪廻の原因の
「生き残りたい」という生存欲です。
この欲求を満たすためには、仏の慈悲、無条件の愛で満たされる必要があります。
無条件の愛によって自分が100%受け入れられることによってでのみ、満たされます。
仏法を生きることによって、自分の持っている価値観や信念については、
日々の生活の中で気づいていくことができるし、うちのような会社では
周りからストレートに気づきのメッセージがくるので、
自分のありのままを知らされるので実にありがたいのです。
ふつうは、嫌がりますけどね。立ち位置が違うと、これが本当に嬉しい。
というのは、自分が体験する現実はすべて自分の信念を反映しているから。
好ましくないと思う体験をしたら、その背後に、どういう信念を持ってるのか気付く
ことができるから。
そうすれば、その信念を好ましい形に変えていけばいい。
そういった気付きを繰り返すことによって、
人間って宇宙にみなぎる仏の慈悲のエネルギーを体内に、心に受け取ることができる。
迷いの世界からの脱出、それが今の世の重要なテーマですものね。
生かして頂いて ありがとう御在位ます。
普段の生活で何か実践することはないのか・・・・考えました。
それは、まず愛をできるだけ多くの機会に思いっきり体験することですね。
親子、夫婦、仲間、ペット、友人、身の回りの間・・・・結構あるよね。
これは人や動物だけでなく、物でもそう。
掃除や整理整頓が出来るって、そういうことでしょ。
やはり身の回りの物、いのちを大切にできるってことですから。
だから、仏教者で掃除や整理整頓ができない人って、やっばり嘘っぽい思う。
あらゆるいのちを大切にするってことはそういうことじゃないから。
これは理屈じゃないからね・・・。
それとね、やはり人に親切にする、やさしくする、思いやる、人を大切にする、
出来るだけ笑顔を絶やさない、傲慢にならない、我を張らない・・・。
でも、なかなかできない。
でも、お念仏とともにだったら、やってみれる。
自分の我を捨てて行けるから。
自我を満たしたいという欲求は、認められたい、ほめられたい。えらい
人と言われたい、他者をしのぎたい・・、これって全部…輪廻の原因の
「生き残りたい」という生存欲です。
この欲求を満たすためには、仏の慈悲、無条件の愛で満たされる必要があります。
無条件の愛によって自分が100%受け入れられることによってでのみ、満たされます。
仏法を生きることによって、自分の持っている価値観や信念については、
日々の生活の中で気づいていくことができるし、うちのような会社では
周りからストレートに気づきのメッセージがくるので、
自分のありのままを知らされるので実にありがたいのです。
ふつうは、嫌がりますけどね。立ち位置が違うと、これが本当に嬉しい。
というのは、自分が体験する現実はすべて自分の信念を反映しているから。
好ましくないと思う体験をしたら、その背後に、どういう信念を持ってるのか気付く
ことができるから。
そうすれば、その信念を好ましい形に変えていけばいい。
そういった気付きを繰り返すことによって、
人間って宇宙にみなぎる仏の慈悲のエネルギーを体内に、心に受け取ることができる。
迷いの世界からの脱出、それが今の世の重要なテーマですものね。
生かして頂いて ありがとう御在位ます。
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