「自分が一番正しい」11/2(水)
基本的に人間は自分のことが一番正しいと思ってます。
これは「そうじゃないよ」という場面があっても、
そうは思わない、思えないのが人間の習性であって、
人間って突き詰めれば突き詰めるほど自分勝手な生き物であって、
どんな時でも他人を押しのけても自分を正当化する傲慢さがあります。
人間が生まれてきた目的はこの「傲慢」と「無知」から解放されることです。
そして仏教ときまさにこの自分自身の「傲慢」さと「無知」に気づき、
自己中心的な「傲慢」さを捨てて自他共に喜び生かされる「無我」と「智慧」を学ぶ教えです。
その無我のポイントとしては「正しいか正しくないか」より「楽しいか楽しくないか」です。
人それぞれにはそれぞれの顔の数ほど自分の正しさがあります。
しかし「楽しさ」「喜び」「うれしさ」は自他ともに共通するものです。
なぜならば人間の心の中の仏性、母性が「楽しい」「うれしい」「喜ぶこと」には
感応して共感するからです。
正しいことより楽しいことを選んでいくのが仏教の智慧でもあるんです
生かして頂いて ありがとう御在位ます。

これは「そうじゃないよ」という場面があっても、
そうは思わない、思えないのが人間の習性であって、
人間って突き詰めれば突き詰めるほど自分勝手な生き物であって、
どんな時でも他人を押しのけても自分を正当化する傲慢さがあります。
人間が生まれてきた目的はこの「傲慢」と「無知」から解放されることです。
そして仏教ときまさにこの自分自身の「傲慢」さと「無知」に気づき、
自己中心的な「傲慢」さを捨てて自他共に喜び生かされる「無我」と「智慧」を学ぶ教えです。
その無我のポイントとしては「正しいか正しくないか」より「楽しいか楽しくないか」です。
人それぞれにはそれぞれの顔の数ほど自分の正しさがあります。
しかし「楽しさ」「喜び」「うれしさ」は自他ともに共通するものです。
なぜならば人間の心の中の仏性、母性が「楽しい」「うれしい」「喜ぶこと」には
感応して共感するからです。
正しいことより楽しいことを選んでいくのが仏教の智慧でもあるんです
生かして頂いて ありがとう御在位ます。

■トラックバック
この記事へのトラックバックURL:/blog21/blog.cgi/20111102084058