「義理と人情」6/21(木)
昔から
「義理と人情をはかりにかけりゃ、
義理が重たい、男の世界」と言いますが、
この「義理」と「人情」の違いってわかりますか?
例えは、知人のお母さんか゛なくなって、
「母親っ子だったから心を痛めてるだろう。かわいそうに・・」と
思うのが「人情」です。
「義理」というのは、
亡くなったという知らせを受けたら、
いの一番に駆けつけて、
「これからお通夜や葬儀で物入りだろ。」って、
自分なりの「志」を置いて帰るのが日ごろお世話になっている
「義理を通す」ということです。
ところが、お母さんがなくなって、「かわいそうだなあ」
と言いながら、お通夜や葬儀にもいかない、香典も持っていかない人を
「義理に欠けている薄情者」と、世間では蔑みます。
つまり、「可愛そうだ」とか「心配してたんですよ」なんて
言っても、行動の伴わない言葉なんて、何にもならない、
世間では通用しないということなのです。
よく僕は周りの人に、
「しっかり働いて何かの時ためにお金を溜めとけよ」って言います。
それは何かあってもお金がなくて「義理」を果たせないからです。
葬式も結婚式も、何かのお祝いも、お見舞いも、万が一のときは
すぐにお金を包める、そんな人間として生きておかないと
いくら日ごろから良いことを言ってても虚偽を生きている
ってことなんです。
だからいざというときのために、
いいかっこうするのではなく、
我武者羅に働いてお金を溜めておくことなんです。
仕事場の上司や同僚への義理、家族への義理、
知人や友人への義理を欠かさないために、
コツコツ働いてお金を溜めておくこと。
それが「人の道を生きる」ということなのです。
そして義理の「義」は「羊に我」と書きますよね。
あれは「羊の生き方に我も見習う」ということで、
羊というのは、自分の家族や仲間を命がけで守ります。
そんな筋を通した生き方を見習う、
それが「義理の義」の語源なんです。
「義理」を通せるように精神的な成功と
経済的な成功、つまり中道の成功を目指す方向を選択して
地に足のついた理想を目指しながら現実を生きれる
強く明るい生き方を目指していきましょう。
生かして頂いて ありがとう御座位ます。

「義理と人情をはかりにかけりゃ、
義理が重たい、男の世界」と言いますが、
この「義理」と「人情」の違いってわかりますか?
例えは、知人のお母さんか゛なくなって、
「母親っ子だったから心を痛めてるだろう。かわいそうに・・」と
思うのが「人情」です。
「義理」というのは、
亡くなったという知らせを受けたら、
いの一番に駆けつけて、
「これからお通夜や葬儀で物入りだろ。」って、
自分なりの「志」を置いて帰るのが日ごろお世話になっている
「義理を通す」ということです。
ところが、お母さんがなくなって、「かわいそうだなあ」
と言いながら、お通夜や葬儀にもいかない、香典も持っていかない人を
「義理に欠けている薄情者」と、世間では蔑みます。
つまり、「可愛そうだ」とか「心配してたんですよ」なんて
言っても、行動の伴わない言葉なんて、何にもならない、
世間では通用しないということなのです。
よく僕は周りの人に、
「しっかり働いて何かの時ためにお金を溜めとけよ」って言います。
それは何かあってもお金がなくて「義理」を果たせないからです。
葬式も結婚式も、何かのお祝いも、お見舞いも、万が一のときは
すぐにお金を包める、そんな人間として生きておかないと
いくら日ごろから良いことを言ってても虚偽を生きている
ってことなんです。
だからいざというときのために、
いいかっこうするのではなく、
我武者羅に働いてお金を溜めておくことなんです。
仕事場の上司や同僚への義理、家族への義理、
知人や友人への義理を欠かさないために、
コツコツ働いてお金を溜めておくこと。
それが「人の道を生きる」ということなのです。
そして義理の「義」は「羊に我」と書きますよね。
あれは「羊の生き方に我も見習う」ということで、
羊というのは、自分の家族や仲間を命がけで守ります。
そんな筋を通した生き方を見習う、
それが「義理の義」の語源なんです。
「義理」を通せるように精神的な成功と
経済的な成功、つまり中道の成功を目指す方向を選択して
地に足のついた理想を目指しながら現実を生きれる
強く明るい生き方を目指していきましょう。
生かして頂いて ありがとう御座位ます。

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