「子供を信じた自分を信じる」8/11(土)親用
それにしても早いなあ・・・もう土曜日です。
さて、昨日は「子ども」を信じた自分を「信じましょう」とお伝えしました。
ただ、ちょっと矛盾しているように聞こえますが、
そもそも子どもにしても人を信じることに無理があります。
子どもであっても、命は別です。他人です。
その人のことは、その人にしかわかりません。
わからないものを本気で信じることはできません。
たとえ子どもであっても、他人である限り、100%本気で
信じることはできないし、信じてはいけない。
ほんとうは、本気で信じるべき相手は、ただひとり。自分だけです。
自分を100%本気で信じることができなくて、
他人を信じられるわけってありません。
自分を本気で信じることができるから、
自信が生まれてくるのです。
自分以外の他人を信じていても、
自信は生まれません。
だから、だからです。
子どもの事を信じるのではなく、
子どもを信じた自分を信じるのです。
であれば、子どもがどんな状態に陥っても、
どんなトラブルを起こしたとしても、子どもを信じた自分を
しっかり信じていれば、子どもに裏切られるようなことは
絶対に起こらないのです。
ただし、自分を信じるといっても、
自分の何を信じるかなのです。
「肉体の自分」なのか?
ただ、この肉体の自分を信じていると、
肉体が傷ついたり、病気になったり、
歳を取ってきて肉体が衰えていくと、
当然、自信もなくなります。
じゃあ、「頭の自分」なのか?
「頭の自分」とは、「これが自分だ」と思い込んでる自分です。
煩悩の自分、エゴの自分、喜怒哀楽の自分と言ってもいい。
他人と比較して、人より優れている自分は信じられ、
劣っている自分は受け入れられない、そんな感情的な自分です。
「機嫌がよく良い自分」の時は自信にあふれてますが、
「卑下慢の悪い自分」が出てくると、極端に自信がなくなり、
「どうせ私なんて・・」とフンフン言いだす、不安定な自分です。
しかし、自分の本質が生きとおしの「永遠な命」で
あるということにきづけば、
その自信は揺るぎないものになります。
この「命」は外側がどんな状態であっても、
傷つきようがない、常に安定安心して仏様と繋がっている自分です。
そこに気付いた時、初めて本当の自信が内側から無限に
溢れ出てくることになるのです。
これは他人もみんなそうなのです。
その自分の「命」そのものを信じれるとき、
自分を信じるように、相手のことも100%本気で
信じられるようになるのです。
なにせ、この自分の命と相手の命は水面下では
繋がっているのですから。
それが本当の自信です。
それ以外の自信はすべて偽物で、コロコロ変わっていきます。
偽物の自信をどんなにたくさんかき集めたところで、
自分を本気で信じることなんて絶対にできないのです。
厳しいようですが、
本気で自分を信じられない人に、
子どもを信じる資格はありません。
そういった自信のない親は
子どもを所有することによって「頭の自分」の部分で
自分も子どもも信じようとします。
ただ、何かあってすぐに自信は崩れますが・・。
とにかく親自身が自分の命を信じる
ところからスタートすることです。
念仏申すってそういうことなんですが・・。
生かして頂いて ありがとう御座位ます。

さて、昨日は「子ども」を信じた自分を「信じましょう」とお伝えしました。
ただ、ちょっと矛盾しているように聞こえますが、
そもそも子どもにしても人を信じることに無理があります。
子どもであっても、命は別です。他人です。
その人のことは、その人にしかわかりません。
わからないものを本気で信じることはできません。
たとえ子どもであっても、他人である限り、100%本気で
信じることはできないし、信じてはいけない。
ほんとうは、本気で信じるべき相手は、ただひとり。自分だけです。
自分を100%本気で信じることができなくて、
他人を信じられるわけってありません。
自分を本気で信じることができるから、
自信が生まれてくるのです。
自分以外の他人を信じていても、
自信は生まれません。
だから、だからです。
子どもの事を信じるのではなく、
子どもを信じた自分を信じるのです。
であれば、子どもがどんな状態に陥っても、
どんなトラブルを起こしたとしても、子どもを信じた自分を
しっかり信じていれば、子どもに裏切られるようなことは
絶対に起こらないのです。
ただし、自分を信じるといっても、
自分の何を信じるかなのです。
「肉体の自分」なのか?
ただ、この肉体の自分を信じていると、
肉体が傷ついたり、病気になったり、
歳を取ってきて肉体が衰えていくと、
当然、自信もなくなります。
じゃあ、「頭の自分」なのか?
「頭の自分」とは、「これが自分だ」と思い込んでる自分です。
煩悩の自分、エゴの自分、喜怒哀楽の自分と言ってもいい。
他人と比較して、人より優れている自分は信じられ、
劣っている自分は受け入れられない、そんな感情的な自分です。
「機嫌がよく良い自分」の時は自信にあふれてますが、
「卑下慢の悪い自分」が出てくると、極端に自信がなくなり、
「どうせ私なんて・・」とフンフン言いだす、不安定な自分です。
しかし、自分の本質が生きとおしの「永遠な命」で
あるということにきづけば、
その自信は揺るぎないものになります。
この「命」は外側がどんな状態であっても、
傷つきようがない、常に安定安心して仏様と繋がっている自分です。
そこに気付いた時、初めて本当の自信が内側から無限に
溢れ出てくることになるのです。
これは他人もみんなそうなのです。
その自分の「命」そのものを信じれるとき、
自分を信じるように、相手のことも100%本気で
信じられるようになるのです。
なにせ、この自分の命と相手の命は水面下では
繋がっているのですから。
それが本当の自信です。
それ以外の自信はすべて偽物で、コロコロ変わっていきます。
偽物の自信をどんなにたくさんかき集めたところで、
自分を本気で信じることなんて絶対にできないのです。
厳しいようですが、
本気で自分を信じられない人に、
子どもを信じる資格はありません。
そういった自信のない親は
子どもを所有することによって「頭の自分」の部分で
自分も子どもも信じようとします。
ただ、何かあってすぐに自信は崩れますが・・。
とにかく親自身が自分の命を信じる
ところからスタートすることです。
念仏申すってそういうことなんですが・・。
生かして頂いて ありがとう御座位ます。

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それは多くの情報が含まれているように私は、私にとって非常に有用なこの記事を見つけることが嬉しいです。