「三つ子の魂、百まで」2/7(木)
≪今月の月刊「仏の子通信」より≫
昨今、あってはならないような悲惨な事件が
多発している現状を見ると、優しい人間性が失
われてきたことが強く感じられます。
教育で言われている「豊かな人間性」には、
単なる知識ではなく心が豊かになるために個々人
の「自己評価を高める」ことが不可欠なのですが、
なかなか・・・。
「自己評価」とは、自らを信じられる「自信」「自尊
感覚」のことを言います。
自己評価を育むということは、子どものそのままを
認めていくということです。
勉強ができなくても、スポーツができなくても、子ど
もなりに精一杯生きている、まずそのことを認めて、
「自分は生きている意味がある」「自分は愛されてい
る」「自分は存在価値がある」「自分は大切な存在だ、
必要とされている」という自尊感覚、勝ち負けを超え
た自ら信じれる「自信」のことを「自己評価」と言います。
子どもも大人も、人間として生きていく上でこの「自己
評価」が一番大切なのです。もっと分かりやすく言えば
この「自己評価」とは「根拠のない自信」と言っていい
です。
私自身、逆境を跳ね返したり、何でも必ず良くなってい
くという、「根拠のない自信」が強いのです。それは幼少
時より、目に見えないけどいつも一緒にいて下さる阿弥
陀さんの存在を前住職の「仏教教育」のお蔭で、いつの
間にか信じられるようになったからだと思えます。
さて、「志和龍城保育園」は開園以来55年間、「阿弥陀
様といつも一緒」子どもの自己評価を育てる「まことの保
育」を行ってきました。
また、キッズ・サンガの「長松寺土曜学校」や、剛柔流空手
道の「龍城拳友会」では「まことの保育」に引き続いて自己評
価を高める「仏教教育」を行っています。
幼少、特に0歳から10歳までの頃、阿弥陀さまに手を合わせ
て拝み、「阿弥陀様やご先祖様といつも一緒なんだよ」という
安心感覚や自尊感覚を繰り返し繰り返し教えられた子どもは、
とても「自己評価」が育っていきます。
そしてその安心感覚や自尊感覚が情報として脳に蓄えられ
ると、大きくなって過程でそのような仏参の機会がなくなったと
しても、いつの日かそれは必ず蘇ってくるものなのです。
幼少のころ、阿弥陀様を拝む経験がなく、安心感覚や自尊感
覚の情報が脳に蓄えられていない子どもが大人になったとき、
その人が自発的に阿弥陀様を拝んだり、先祖を敬ったりする
ことはなかなか期待することはできないのです。
「三つ子の魂百まで」の諺は、人々の長年にわたる経験から
帰結された真理です。
だからこそ、幼少の頃から阿弥陀様に手を合わせる「仏教教
育」が大切なのです。合 掌
生かして頂いて ありがとう御座位ます。

昨今、あってはならないような悲惨な事件が
多発している現状を見ると、優しい人間性が失
われてきたことが強く感じられます。
教育で言われている「豊かな人間性」には、
単なる知識ではなく心が豊かになるために個々人
の「自己評価を高める」ことが不可欠なのですが、
なかなか・・・。
「自己評価」とは、自らを信じられる「自信」「自尊
感覚」のことを言います。
自己評価を育むということは、子どものそのままを
認めていくということです。
勉強ができなくても、スポーツができなくても、子ど
もなりに精一杯生きている、まずそのことを認めて、
「自分は生きている意味がある」「自分は愛されてい
る」「自分は存在価値がある」「自分は大切な存在だ、
必要とされている」という自尊感覚、勝ち負けを超え
た自ら信じれる「自信」のことを「自己評価」と言います。
子どもも大人も、人間として生きていく上でこの「自己
評価」が一番大切なのです。もっと分かりやすく言えば
この「自己評価」とは「根拠のない自信」と言っていい
です。
私自身、逆境を跳ね返したり、何でも必ず良くなってい
くという、「根拠のない自信」が強いのです。それは幼少
時より、目に見えないけどいつも一緒にいて下さる阿弥
陀さんの存在を前住職の「仏教教育」のお蔭で、いつの
間にか信じられるようになったからだと思えます。
さて、「志和龍城保育園」は開園以来55年間、「阿弥陀
様といつも一緒」子どもの自己評価を育てる「まことの保
育」を行ってきました。
また、キッズ・サンガの「長松寺土曜学校」や、剛柔流空手
道の「龍城拳友会」では「まことの保育」に引き続いて自己評
価を高める「仏教教育」を行っています。
幼少、特に0歳から10歳までの頃、阿弥陀さまに手を合わせ
て拝み、「阿弥陀様やご先祖様といつも一緒なんだよ」という
安心感覚や自尊感覚を繰り返し繰り返し教えられた子どもは、
とても「自己評価」が育っていきます。
そしてその安心感覚や自尊感覚が情報として脳に蓄えられ
ると、大きくなって過程でそのような仏参の機会がなくなったと
しても、いつの日かそれは必ず蘇ってくるものなのです。
幼少のころ、阿弥陀様を拝む経験がなく、安心感覚や自尊感
覚の情報が脳に蓄えられていない子どもが大人になったとき、
その人が自発的に阿弥陀様を拝んだり、先祖を敬ったりする
ことはなかなか期待することはできないのです。
「三つ子の魂百まで」の諺は、人々の長年にわたる経験から
帰結された真理です。
だからこそ、幼少の頃から阿弥陀様に手を合わせる「仏教教
育」が大切なのです。合 掌
生かして頂いて ありがとう御座位ます。

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