「意味を感得する」4/4(木)
おおよそ人間のものの見方には、
「価値の計量」と、「意味の感得」の二つの立場があります。
人間は日常生活の中でものを考え判断するとき、
一つは「価値を計量し」、これは「役に立つか立たないか」
「値打ちがあるのか、ないのか」、役に立つもの、価値があるもの、
そういったものは大事にしよう。
値打ちがなければ、大事にしなくてもいい。
そういう価値、値打ち、お金で高く換算できるものなら
大事にしよう、それがなければ、ほおっておこう。
年寄りはもう役に立たないから・・、この人は私にとって
値打ちがないから・・、そういう価値を計量する
ものの見方、生き様があります。
もう一つは「意味の感得」です。
価値ではない、そのなかにこもっている意味を感じる
ということです。それをおしいただいて、「ありがとう」という、
あるいは、「もったいない」と思う心です。
私たちが「ご飯をいただく」といって、
手を合わせてご飯を食べるのはそれて゜す。
また太陽や月を「お日様」「お月様」と敬語で
呼ぶのもれて゜す。
つまり、
昔の人は価値を計量すると「飯を食う」となり、
「ご飯をいただく」ということは、お米をいただくという
そこにある意味を深く感得していったのです。
仏さまの教えとは
心を育て、心の眼を見開いていく、
仏さまを信じるとは心の豊かさを育て
ものの「意味を感得する世界」に心を見開いていく、
それが仏さまを信じるということなのです。
まことの保育は、
そういった「意味を感得」できる子どもの心を
育てていくということなのです。
また浄土真宗の信心とはチッタプラサーダ、
心が澄んでものの本質が見えてくるということです。
お念仏申しながら
お仏壇に手を合わせながら
ものの本質が見えてくる、見えないものが見えてくる。
親の恩がしみじみとしれたらならば、少しでも新しい
生き様が開けてくるでしょう。
仏法が教え
親鸞聖人が教えて下さった
仏を信じるということはまさにそれにつきるのです。
浅く考えるのではなく
深く感じる心の世界が広がっていく
それがまことの保育の姿なのですよ。
生かしていただいて ありがとうございます。
「価値の計量」と、「意味の感得」の二つの立場があります。
人間は日常生活の中でものを考え判断するとき、
一つは「価値を計量し」、これは「役に立つか立たないか」
「値打ちがあるのか、ないのか」、役に立つもの、価値があるもの、
そういったものは大事にしよう。
値打ちがなければ、大事にしなくてもいい。
そういう価値、値打ち、お金で高く換算できるものなら
大事にしよう、それがなければ、ほおっておこう。
年寄りはもう役に立たないから・・、この人は私にとって
値打ちがないから・・、そういう価値を計量する
ものの見方、生き様があります。
もう一つは「意味の感得」です。
価値ではない、そのなかにこもっている意味を感じる
ということです。それをおしいただいて、「ありがとう」という、
あるいは、「もったいない」と思う心です。
私たちが「ご飯をいただく」といって、
手を合わせてご飯を食べるのはそれて゜す。
また太陽や月を「お日様」「お月様」と敬語で
呼ぶのもれて゜す。
つまり、
昔の人は価値を計量すると「飯を食う」となり、
「ご飯をいただく」ということは、お米をいただくという
そこにある意味を深く感得していったのです。
仏さまの教えとは
心を育て、心の眼を見開いていく、
仏さまを信じるとは心の豊かさを育て
ものの「意味を感得する世界」に心を見開いていく、
それが仏さまを信じるということなのです。
まことの保育は、
そういった「意味を感得」できる子どもの心を
育てていくということなのです。
また浄土真宗の信心とはチッタプラサーダ、
心が澄んでものの本質が見えてくるということです。
お念仏申しながら
お仏壇に手を合わせながら
ものの本質が見えてくる、見えないものが見えてくる。
親の恩がしみじみとしれたらならば、少しでも新しい
生き様が開けてくるでしょう。
仏法が教え
親鸞聖人が教えて下さった
仏を信じるということはまさにそれにつきるのです。
浅く考えるのではなく
深く感じる心の世界が広がっていく
それがまことの保育の姿なのですよ。
生かしていただいて ありがとうございます。
