「勝ちて 美とせず(老子31章)」
勝っても誇らない人は、美しい
勝つということは、素晴らしいことだ。
永年の努力が実って勝利を勝ちとることは、
最高の快感であり、満足でもある。
一方で、負けるということぐらい、みじめで悲しいことはない。
ただし、負けた場合には、反省がある。なぜ負けたのか、
なぜ失敗したかを見きわめて、新しく自分を展開して、
つぎに勝つための一歩を、踏み出して行けるのである。
これに対して、勝ったものは、名誉を手にして、
大いに得意になってしまう。仰々しく振る舞ってしまうことがある。
そうなると、いままで勝利を祝ってくれていた人たちが、
陰で悪口を言うようになるのである。
勝っても、謙虚であれば、
さらにもう一歩前進していく若々しい気持ちも生じてくる。
横綱になって、急に威厳を示す力士もいれば、
横綱になっても偉ぶらない力士もいる。
そんな謙虚な横綱を見ていると、
春風のなかで和やかな日光を浴びて咲いている
さくらの花を見ているような気持ちになる。
勝っても誇らない人は、美しい。
「老子・荘子の言葉100選」より抜粋
勝つということは、素晴らしいことだ。
永年の努力が実って勝利を勝ちとることは、
最高の快感であり、満足でもある。
一方で、負けるということぐらい、みじめで悲しいことはない。
ただし、負けた場合には、反省がある。なぜ負けたのか、
なぜ失敗したかを見きわめて、新しく自分を展開して、
つぎに勝つための一歩を、踏み出して行けるのである。
これに対して、勝ったものは、名誉を手にして、
大いに得意になってしまう。仰々しく振る舞ってしまうことがある。
そうなると、いままで勝利を祝ってくれていた人たちが、
陰で悪口を言うようになるのである。
勝っても、謙虚であれば、
さらにもう一歩前進していく若々しい気持ちも生じてくる。
横綱になって、急に威厳を示す力士もいれば、
横綱になっても偉ぶらない力士もいる。
そんな謙虚な横綱を見ていると、
春風のなかで和やかな日光を浴びて咲いている
さくらの花を見ているような気持ちになる。
勝っても誇らない人は、美しい。
「老子・荘子の言葉100選」より抜粋