「そして、現実へ…」9/14(日)
ありがとうは感極まって出るもんじゃない。
そんなのまやかしだ、と僕にはどうしてもそう思えてしまいます。
絶景に行ったり、おいしいものを食べたり、特別なことをして出る感動は、煩悩の極まり。煩悩自体は素晴らしいものだと思いますけど。もっと奥にある静かな揺らぎはいつも自分とともにある。
「ありがとう」を感極まって言うのは、一見純粋なようでいて、実は外側の出来事や強い刺激に依存している。美しい景色や美味しい食べ物は確かに感動を呼びますが、それは「外から与えられた波」によるもの。
一方で、本当に深い「ありがとう」は、外的な出来事によって揺さぶられるものではなく、いつも静かに自分の奥にあるもの。心の深層に流れ続ける「静かな揺らぎ」のような感謝は、消えることがなく、特別な場面を必要としません。それは「生かされていること」そのものへの気づきに近いものだと思います。
生かされていることを感じつつ、煩悩も受け入れることができたなら、人生の幅も広がっていくのだと思います。人生を思う存分味わい尽くしたいですね。
そして、現実(伝説)へ…
人生というゲームは、終わりなき冒険。
仲間も煩悩もぜんぶ背負って進む。
ドラクエみたいやな笑
主人公の名前は僕じゃなくて「ありがとう」
いよいよゲームスタートだね。
さぁ、冒険の一歩目を踏み出そう。
〜 プロローグ 完 〜
生かしていただいて ありがとうございます
そんなのまやかしだ、と僕にはどうしてもそう思えてしまいます。
絶景に行ったり、おいしいものを食べたり、特別なことをして出る感動は、煩悩の極まり。煩悩自体は素晴らしいものだと思いますけど。もっと奥にある静かな揺らぎはいつも自分とともにある。
「ありがとう」を感極まって言うのは、一見純粋なようでいて、実は外側の出来事や強い刺激に依存している。美しい景色や美味しい食べ物は確かに感動を呼びますが、それは「外から与えられた波」によるもの。
一方で、本当に深い「ありがとう」は、外的な出来事によって揺さぶられるものではなく、いつも静かに自分の奥にあるもの。心の深層に流れ続ける「静かな揺らぎ」のような感謝は、消えることがなく、特別な場面を必要としません。それは「生かされていること」そのものへの気づきに近いものだと思います。
生かされていることを感じつつ、煩悩も受け入れることができたなら、人生の幅も広がっていくのだと思います。人生を思う存分味わい尽くしたいですね。
そして、現実(伝説)へ…
人生というゲームは、終わりなき冒険。
仲間も煩悩もぜんぶ背負って進む。
ドラクエみたいやな笑
主人公の名前は僕じゃなくて「ありがとう」
いよいよゲームスタートだね。
さぁ、冒険の一歩目を踏み出そう。
〜 プロローグ 完 〜
生かしていただいて ありがとうございます
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