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「親の愛が変わった」9/26(月)夕
昭和二十年、日本は敗戦をしました。
これが日本にとって大転換期となり、そこで大きく価値観が変わり、
残すべきだった多くのものを失いました。


戦後、日本に入ってきたのはアメリカのゴージャスな文化でした。
たくあんに味噌汁といった質素な食卓に成れていて日本人は、
ステーキやケーキの美味しさや物質の豊かさに圧倒され、
「物があることが幸せ」と思い込んでしまったのも、無理はありません。


そして日本人は物を追い求め、「物が多いことこそが幸せ」という
物質的価値観が入ってきました。
子供に物を与えることが、子供の幸せであり、
親の愛情だと考えられるようになったのです。


だとすると、いい成績を取り、いい学校に入って、いい会社に就職することが必要です。
だから、みんな子どもの教育には必死になりました。


教育に投資すれば、その分、将来、自分が回収できると考える親も増えました。
成績、学校名、会社名、給料額、賞与額、これらはすべて「目に見えるもの」です。
心は眼に見えません。親子の絆も目に見えません。


親は心を育てることを忘れ、絆を失ったことに気づけず、
目に見えるものだけに気を取られるようになってしまったのです。
そこには貧しくて自分は空腹でも子供にはご飯を食べさせた母親の姿は
もうありません。


目に見えるものだけで子供の価値をはかる親、子供に投資した分は回収したいと
考える親、子供が寂しくて愛に飢えてても、まったく気づかない親、そういう親が
増えていったのです。


本来、親の愛は「無償の愛」です。自分への見返りを何も求めず、
子供の幸せだけを願うアイこそが、親の愛です。
その愛が「物質の充足こそが幸せ」という価値観によって変質してしまいました。
それが今の日本の現状です。


そして太陽の光が届かないところにはカビが繁殖するように、
「無償の愛」がないところには、いから便利さをてに入れたとしても
「悪」が活気づくのです。
そして近所の人間関係の希薄、温かで人情のあったご近所
付き合いは今では望むことはできない状態です。


人が犯罪という大きな悪に染まりやすいのは、
社会から孤立したときです。
家族からも地域からも社会からも孤立してしまった孤独な人は、
ある日突然、無見知らぬ他人に刃を向けるのです。
そうなる前に、ひと声かける人が、昔はたくさんいましたが、
今はそういうご近所の人間関係はありません。


なにより僕が一番取り戻さないといけないと思っているのは、
「道理」「正しき道」を教える人が少なくなったということです。
たとえば「そんなことをしたらバチが当たるよ」「お天道様やご先祖様が観てらっしゃるよ」
と昔の人はよく言いました。誰が見ていなくても、悪いことをすれば
「お天道様に顔向けできない」そう思って、自分で自分を律しました。


死者の魂の存在も素直に信じていましたから、「ご先祖様に顔向けできない」
と親は子供の間違いを厳しく叱りました。
目に見えるものだけではなく、目に見えないものの力を信じる。
だからこそ、人間らしい生き方を見失わず、素朴に、力強く、
日々の営みを続けることができたのです。


また、日本にはたとえば「武士道」という「道」がありました。
ほかにも、華道、茶道、柔道、剣道、合気道、空手道・・・、
たくさんの「道」があります。それぞれの「道」には、必ず人の生き方を
示唆する哲学が含まれていました。


誇りを重んじ、自分の弱さに打ち克つこと、人にやさしく己に厳しく、
今ここにあるありのままの自分を受け入れること、
信じるものに全精力を傾けて打ち込むこと。
そんな、魂を鍛える方法を説く「道」が日本にはたくさんありました。


しかし、そういう「道」を日本は失いました。
戦後の価値観の大転換が、そのきっかけではあったでしょう。
その結果、「目に見える物質だけが価値がありすべて」と思うように
なってしまった。そして、日本の伝統的な考え方を、よいものも悪いものも
含めて捨ててしまいました。それは、戦争がもたらした、
とても大きな損失だったのです。


だからこそ子供の時から「仏様の道」を教え示す必要があるのです。
三つ子の魂百までですから、それによってその子の「善」は「悪」に気づき、
「悪」を捨て、「知」や「強さ」と共に確実に育まれていくからです。
わが子を、その尊い「道」に無償の愛で導いてやるのが
親の責任であると僕は固く信じています。


≪伊勢白山道ブログより転載≫

愛語(あいご)

禅僧である良寛(りょうかん)さんの心中には、
禅宗の開祖・道元(どうげん)が示された愛語(あいご)の精神が生きていました。


良寛さんは、まじめに、不器用に、愛語の精神で生きることを生涯守り、
実行されました。
愛語とは、要するに自分の生活の中で、

1.他人に対しては、「良い言葉」「愛情の在る言葉」しか発しないことを、
 自分の修行の柱とするのです。
2.言葉にしない時は、黙って心中で他人へ「愛情のある言葉」を思うのです。
3.言葉に出来ない時は、黙って「愛情のある行動」を他人にします。
人間とは、生活の中でこれを実践するだけでも悟りが開けます。


雑多な厳しい社会生活の中だからこそ、これが修行に成るのです。
心中でも他人に「コノヤロ〜」なんて思いますと、
その後の自分の気分が悪いものです。


この時に吸う空気の気配(磁気)は、体内ではガン細胞の食糧と成ります。
人間は誰でも全員が、体内では善玉細胞とガン細胞の両方が常に待機
していることを忘れては生けません。
両方ともに肉体に必要な「バランス」の役割をしています。


不器用な良寛の愛語のエピソードがあります。
良寛の親類には、不良の生活に進みつつある甥っ子
(良寛の弟の息子)が一人いました。
良寛は、子供に何かを言って欲しいと弟から頼まれて、
家に一週間ほど滞在しました。


しかし、良寛は甥の生活ぶりを黙って見ているだけで、
甥に一言も何も言いませんでした。
無理も無いです。口下手で不器用な良寛は、
甥に何か言いたかったのですが、ほんとうに言葉が出なかったのです。


そして、何も言えないまま弟の家の滞在が一週間も過ぎましたので、
良寛は甥がいる時に帰る身支度を始めました。


玄関先で良寛は、甥に自分のワラジのヒモを結ぶのを頼みました。
甥が屈み込んで、ワラジを結んでくれる後頭部を見詰めていた良寛には、

1.この子の先行きを思う心配な気持ち。
2.何も言うことも、正すことも出来ない良寛自身の不甲斐なさ。
3.良寛には子供がいませんので、甥に期待する先祖の気持ち。
4.甥への愛情の気持ち。
などなどの気持ちが、沸き起こりました。


この時に良寛の目から涙がこぼれ、かがむ甥の首筋へと落ちました。
良寛は、泣きながら甥の前から無言でトボトボと去って行かれました。
この日から、甥の生活はガラリと変わり、親孝行な息子に成りました。
愛情から湧き出る涙は、100の言葉以上に甥には効きました。


やはりただの涙では無かったのです。
甥のためを思うと、色んな思いが愛情から起こり、
愛語が凝縮された聖なる涙でした。
自分の子供の先行きを心配して悩む親は多いです。でも、

1.静観する気持ち。
2.愛情からの視点。

などを親が持つことが大切です。
これが極まって出てくる涙は、尊い涙です。
どんな親不孝者でも、親の涙は忘れません。生涯、心に残ります。
あなたにも、覚えがありますか?


生かして頂いて ありがとう御座位ます
                             ≪転載修了≫


僕自身も、黙っていても流しくれた親の涙の慈愛心を感じ取り、
人生が大きく転換していったこともありました。


親の愛とはまさに無償の愛ですから。


生かして頂いて ありがとう御在位ます。


16:19, Monday, Sep 26, 2011 ¦ 固定リンク ¦ コメント(0) ¦ コメントを書く ¦ トラックバック(0) ¦ 携帯

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