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「偽善でもやる」12/13(火)
昔はよく本物の無償の愛なのか、
それとも偽善なのかと自分を深く問うたものです。


ただ、今は、偽善でもいいので、
自分だけの枠から少し離れて、
家族の事や、知人や縁ある人たちのことを思いやる行動を取ることが、
幸運を呼ぶ始まりの縁になる、ということが分かってきました。


「生かして頂いて ありがとう御座位ます」という、
自分の心の中にいらっしゃる仏様(良心)や、いつも応援して
下さっているご先祖の皆さま、前の世からご縁があった多くの皆様への感謝
という原点に立ち返れば、すべては与えられっぱなしで有難いことばかりです。


この世にあるものは、すべて移り変わってなくなっていきますが、
唯一いつまでも変わらないものがあります。
それは人の心です。


僕の心は7歳のときとまったく変わっていないし、
多分前の世でもあの世でも変わらないと思います。


変わっていくのは時間と肉体というトリックだけです。
時間がたてば肉体は移り変わってくと強く思ってれば
本当にそうなっていきます。


でも過去も未来も心は「いまここ」にしはかないと
思って生きていけば少なからずもその時間と肉体の移り変わりのトリック
から脱出することができます。


とにかくあなたの本来の心はまったく変わっていきません。
変わってると思うのは自我が濃くなって自己中心的になったのか、
自我が薄くなって思いやりの子が育ったかということです。


とにかく人間として生まれてきた限りは
「思いやりの行為」を、たとえ偽善でもいいから行っていきましょう。
汚れた雑巾と一緒で何度も洗っていれば雑巾は見違えるほど
綺麗になっていきます。


嫌々雑巾を洗っていても雑巾はきれいになっていくのと、
心は同じです。
自我が薄くなっていって心の中の仏様(良心)が大きく育っていきます。


偽善でいいんです。
「思いやりの行為」や「人が喜ぶこと」をどんどんやっていきましょう。
そこで体験した喜びの心をこの世を去ったら持って還れるようにしておきましょう。
絶対そのほうがお得です。


生かして頂いて ありがとう御座位ます。

18:01, Tuesday, Dec 13, 2011 ¦ 固定リンク ¦ コメント(0) ¦ コメントを書く ¦ トラックバック(0) ¦ 携帯

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