「何故、自己肯定感が低いのか」4/4(水)
子どもにも大人にも自己肯定感が必要です。
この自己肯定感が高いと安心感覚が強いです。
ただ自己評価か゜低い人は現実的に多く、
その原因は三つあると思います。
一、親子関係の問題
二、環境
三、今という時代
この一の、親子関係の問題は、三つに集約されます。
その一つは、親からの否定。
二つ目は、親子関係が希薄。
そして三つ目は、親や祖父母の過干渉です。
まず、親からの否定。
この最たるものは、虐待です。
暴力による虐待もあるし、
ネグレストといって、食事、衣類などの身の回りの世話をせず、
存在を無視するという虐待、
または「おまえなんか生まなきゃあよかった」
「おまえはいらない子なんだ」
というような、言葉による虐待などがあります。
児童期に虐待を受けると、
極端に自己評価が低くなります。
それは一言でいう戸、「こんなにひどい扱いを受けるのは、
自分に価値がないから」だと子供は思うからです。
ちゃんと自己肯定感が確立して、
大人になっている人が、不当な扱いを受けても、
相手に対する怒りが出てくるだけで、
自分に存在価値がないとは思えません。
しかし、子供の場合は、何より大切なのは親です。
親の事は悪く思いたくない、親は本当は優しい人なんだ、
と思いたい。それなのに、これだけ殴られたりするのは、
自分が悪い子た゜からだ、自分に価値がないからだ、
と思います。
自分が大切にされないのは、相手がおかしいのではなく、
自分がおかしいと思ってしまう。
で、大人になってもこういう感覚が残っている人に
勧めているのが「自分供養」です。
過去の自分を思い出して、
「君は、決して悪くなかった。君は決して悪くなかった。
君は、決して価値のない人間なんかじゃない、大切な人間
なんだよ」と何度も何度も伝えていきます。
表面的にあるのは親に対する憎しみであったり、
怒りですが、心の奥底にあるのは、言いようのない悲しみです。
つまり、暴力を振るわれ、踏みにじられて当然の価値しかない、
自分のみじめさ、悲しさ、絶望感からくる悲しみです。
辛いことですが、
「自分供養」とは何度も何度もその当時を思い出しながら、
「自分は大切な人間なんだ」と伝えていき、
もはやその当時の親子関係を包み込み許していくのです。
また私の知る限り、
小さな時にそのような虐待を受けた人でも、
妻がまさに母親の役割をこなして、夫のことを徹底して
「褒めて」「認めて」「感謝して」いくと同時に小さいときのトラウマが解消し、
自己肯定感が高くなっている人もいます。
とにかく、実は虐待をしていた親も
小さいときに虐待を受けていた被害者であったのです。
因果はめぐるといいますが、被害者の連鎖はどこかで
ストップさせないといけません。
その悪業は自分の代で断ち切らないと永遠と子孫に
悪い因縁や業として受け継いでいきますから。
生かしていただいて ありがとう御座位ます。

この自己肯定感が高いと安心感覚が強いです。
ただ自己評価か゜低い人は現実的に多く、
その原因は三つあると思います。
一、親子関係の問題
二、環境
三、今という時代
この一の、親子関係の問題は、三つに集約されます。
その一つは、親からの否定。
二つ目は、親子関係が希薄。
そして三つ目は、親や祖父母の過干渉です。
まず、親からの否定。
この最たるものは、虐待です。
暴力による虐待もあるし、
ネグレストといって、食事、衣類などの身の回りの世話をせず、
存在を無視するという虐待、
または「おまえなんか生まなきゃあよかった」
「おまえはいらない子なんだ」
というような、言葉による虐待などがあります。
児童期に虐待を受けると、
極端に自己評価が低くなります。
それは一言でいう戸、「こんなにひどい扱いを受けるのは、
自分に価値がないから」だと子供は思うからです。
ちゃんと自己肯定感が確立して、
大人になっている人が、不当な扱いを受けても、
相手に対する怒りが出てくるだけで、
自分に存在価値がないとは思えません。
しかし、子供の場合は、何より大切なのは親です。
親の事は悪く思いたくない、親は本当は優しい人なんだ、
と思いたい。それなのに、これだけ殴られたりするのは、
自分が悪い子た゜からだ、自分に価値がないからだ、
と思います。
自分が大切にされないのは、相手がおかしいのではなく、
自分がおかしいと思ってしまう。
で、大人になってもこういう感覚が残っている人に
勧めているのが「自分供養」です。
過去の自分を思い出して、
「君は、決して悪くなかった。君は決して悪くなかった。
君は、決して価値のない人間なんかじゃない、大切な人間
なんだよ」と何度も何度も伝えていきます。
表面的にあるのは親に対する憎しみであったり、
怒りですが、心の奥底にあるのは、言いようのない悲しみです。
つまり、暴力を振るわれ、踏みにじられて当然の価値しかない、
自分のみじめさ、悲しさ、絶望感からくる悲しみです。
辛いことですが、
「自分供養」とは何度も何度もその当時を思い出しながら、
「自分は大切な人間なんだ」と伝えていき、
もはやその当時の親子関係を包み込み許していくのです。
また私の知る限り、
小さな時にそのような虐待を受けた人でも、
妻がまさに母親の役割をこなして、夫のことを徹底して
「褒めて」「認めて」「感謝して」いくと同時に小さいときのトラウマが解消し、
自己肯定感が高くなっている人もいます。
とにかく、実は虐待をしていた親も
小さいときに虐待を受けていた被害者であったのです。
因果はめぐるといいますが、被害者の連鎖はどこかで
ストップさせないといけません。
その悪業は自分の代で断ち切らないと永遠と子孫に
悪い因縁や業として受け継いでいきますから。
生かしていただいて ありがとう御座位ます。

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