「幸せは仕合わせ」8/7(火)
本来「幸せ」という意味は、
山の幸、海の幸というよに、「めぐみ」を意味します。
では「しあわせ」とはどういう字を書くのでしょうか?
それは「仕合せ」と書きます。
仕える人に合うという「出会い」のことをいいます。
そして、その出会いによって、私という人間が発見でき、
生きる道が開かれ、その時、初めて「仕合わせ」と感じることができるのです。
だけど、ぼくたちは人との出会いに幸福感を抱くよりも、
どちらかというと、享楽とか、快楽とか、物欲とか、物質的に自分にとって、
利益になったり、達成感があったりすることを「幸せ」と思ってたりします。
つまり「幸福感」かなあ・・・、物欲も生きてる限り
必要だけどこればっかりじゃあ・・むなしいね。
それらのものは、時期がきたらすべて移り変わって
いくものばかりだから。
すべては変化の中にあるわけで、諸行無常ですから。
大切なのは、人との出会い、真の言葉との出会い、
いつも仏さんと一緒なんだと、はっきり目覚めて「信心」をもった時です。
物質的な豊かさではありません。
お金も当然あったほうが゜いいです。
ただそれ以上に心の豊かさを得られた時こそが本当の「しあわせ」なんてす。
信心(心のドーナッツの中心が埋まる)は
自分の自分の力でそうなれるものではありません。
どんなに頭で理解して心を満たそうとしてもどうにもなりません。
それは仏さんからの「必ずおまえを救う」という大きな愛の願い
を聞くいていくこと、つまり仏法にふれること、そして仏さんの
大きな愛をま受けすること。
仏さんの教えをいただいて「そうでした、その通りでした」
と頭が下がるということなのです。
仏法を聞くとたびに頭が下がっていくんです。
「ああ、僕は本当に何も分かっていなかった」と頭が下がって、
無知で愚かな自分が生かされていたことを学んでいくんです。
学びは感謝の心を生んでいきます。
すべてに感謝できる心が「しあわせ」につながるんですよ。
その心が豊かになって、あなたの心を満足させてくれるのですよ。
生かして頂いて ありがとう御座位ます。

山の幸、海の幸というよに、「めぐみ」を意味します。
では「しあわせ」とはどういう字を書くのでしょうか?
それは「仕合せ」と書きます。
仕える人に合うという「出会い」のことをいいます。
そして、その出会いによって、私という人間が発見でき、
生きる道が開かれ、その時、初めて「仕合わせ」と感じることができるのです。
だけど、ぼくたちは人との出会いに幸福感を抱くよりも、
どちらかというと、享楽とか、快楽とか、物欲とか、物質的に自分にとって、
利益になったり、達成感があったりすることを「幸せ」と思ってたりします。
つまり「幸福感」かなあ・・・、物欲も生きてる限り
必要だけどこればっかりじゃあ・・むなしいね。
それらのものは、時期がきたらすべて移り変わって
いくものばかりだから。
すべては変化の中にあるわけで、諸行無常ですから。
大切なのは、人との出会い、真の言葉との出会い、
いつも仏さんと一緒なんだと、はっきり目覚めて「信心」をもった時です。
物質的な豊かさではありません。
お金も当然あったほうが゜いいです。
ただそれ以上に心の豊かさを得られた時こそが本当の「しあわせ」なんてす。
信心(心のドーナッツの中心が埋まる)は
自分の自分の力でそうなれるものではありません。
どんなに頭で理解して心を満たそうとしてもどうにもなりません。
それは仏さんからの「必ずおまえを救う」という大きな愛の願い
を聞くいていくこと、つまり仏法にふれること、そして仏さんの
大きな愛をま受けすること。
仏さんの教えをいただいて「そうでした、その通りでした」
と頭が下がるということなのです。
仏法を聞くとたびに頭が下がっていくんです。
「ああ、僕は本当に何も分かっていなかった」と頭が下がって、
無知で愚かな自分が生かされていたことを学んでいくんです。
学びは感謝の心を生んでいきます。
すべてに感謝できる心が「しあわせ」につながるんですよ。
その心が豊かになって、あなたの心を満足させてくれるのですよ。
生かして頂いて ありがとう御座位ます。

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