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「人は偉くなるほど愚かになる」8/25(土)
よく思うことがあります。
「この人って何も知らない昔は実に素直だったのに、
 勉強して偉くなればなるほど傲慢になって鼻につくようになっていくって
 実に愚かなことや。なんのこっちゃやなぁ・・・・??」って。


昔は純粋で特別意識もなくざっくばらんだったのに、
勉強して偉くなればなるほど、物凄く嫌な傲慢さが
臭ってくる・・そういうお坊さんて実に多いいです。


人は自分は偉くなってると思うと、
「自分は以前とは違うんだ」という特別意識が出てきます。


謙虚で自分の傲慢さに光を当てる実践家ならいいのですが
知識の物知りになっていくと、気持が舞い上がり、
他人から認められる優れた自分しか見られなくなって、
反面の弱い自分、自信のない自分を隠そうとするのです。


そうすると阿弥陀さんは表の自分だけでなく
裏の自分も見て欲しいと必ず光を当てて、
「おまえ、それはいかんやろ・・」って
何らかのショック療法で目を覚まさせて下さいます。


人間には表と裏があります。うまくいってるときや、
新たな知識を得ているときほど有頂天にならず、
地に足のついていない自分を謙虚に謙虚に
見つめなすクセをつけていきましょう。


それでも傲慢になってしまうんですが、人間は。

≪某ブログより転載≫

宗教的な知識や情報を追い求めていると、
いつの間にやら自分がすごい人間に思えてきます。
一般の人が知らない未知の世界が垣間見えることで、
自分が特別な人間だと勘違いするのです。


そして周りの人々をジャッジし、見下し、
如何にも自分は凄いんだみたいな言動に走ります。
これが罠です!
本当はどんど下から目線になって自らの傲慢さに
気付かされていくはずなのにです。
「悟り」「信心」とは知識を越えた所にあります。


また知識は、「悟るため」「信心をたまわる」ためには
最終的に邪魔になります。
知識とは叡智ではないのです。
知識によって固められると、心は自由になりません。


最終的には知識は必要なくなります。
その代わりに叡智、直感的な智慧が宿ります。


叡智、智慧とはすでに在る(存在する)ことです。
既に知っていることを叡智、智慧といいます。


ほんとうに本質的な事を知っている人は、
普通の人と何ら変わりません。
いつも無邪気で、理屈がなく、軽くて謙虚です。


「ただ在る」ということに気づいた時、
全ての謎が解けます。
そこに知識は必要ありません。

                   ≪転載修了≫
summer

生かして頂いて ありがとう御座位ます。
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19:37, Saturday, Aug 25, 2012 ¦ 固定リンク ¦ コメント(0) ¦ コメントを書く ¦ トラックバック(0) ¦ 携帯

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