「人の心はコロコロ変わる」8/27(月)
もし宝くじが当たったら・・・・、当たる前は
「お世話になっている親に100万円プレゼントしよう」とか、
「日ごろお世話になっている人におごってあげたい」とか思っていても、
実際に当選しました。
そして当選から時間が経つと、
「何で自分が手に入れたお金を人にあげんといかんのか?」
と、どんどん気が変わっていきます。
最初は「こうしてあげたい」という純粋な思いがあったのは本当です。
しかし、いざとなると事実は違ってきます。
私たちの気持ちってこのようにコロコロ変わっていきます。
なぜなんでしょうか?
人間は、「思い」と「事実」を行ったり来たりしているからです。
人間は宝くじが当たったという「事実」に直面すると、
人間の本性が出てきます。
その本性の根っこは「貪欲(とんよく)」という煩悩の親分、
「私が」「わしが一人で頑張って生きてきたんだ」という思い上がりです。
謙虚さのない傲慢さです。
人間はこの世にこの煩悩の親分である傲慢さを
薄くするために生まれてきたと言っていいです。
この可愛げのない傲慢さによって人は「思い」と「事実」を
心コロコロと豹変してきます。
親鸞聖人はこのコロコロ状態を「無慙無愧(むざんむぎ)」とおっしゃっていて、
慙愧(ざんき)という傲慢な心、自己中心的な自分勝手の心を
しっかり見ていかないと、人間ではない畜生の道を歩むことになると、
私たちに戒めておられます。
つまりこの「私が」「私の力で」という
自己中心的な傲慢さに気づいて、人としての良心である
「親のおかげ、みんなのおかげ、生かされているおかげ」という
感謝の心を取り戻せない限り、人間としてお蔭様の世界には
入れないとおっしゃっています。
人間は「自分は一人で頑張って生きてきた」から、
「いや、先祖や親をはじめ多くの人たちのお蔭で生かされきた」
という「事実」に気付いたとき、心から素直に「ありがたい」という
感謝の「思い」が心から起こってくるのです。
とにかく、人の心はコロコロ変わるということをまず受け入れて、
直感的にパッと相手に「何かをしてあげたい」と思ったことは
まずはあれこれ考えずに即実行していくクセをつけましょうよ。
そうすると心はスッキリ、後悔はありませんからね。

生かして頂いて ありがとう御座位ます。
「お世話になっている親に100万円プレゼントしよう」とか、
「日ごろお世話になっている人におごってあげたい」とか思っていても、
実際に当選しました。
そして当選から時間が経つと、
「何で自分が手に入れたお金を人にあげんといかんのか?」
と、どんどん気が変わっていきます。
最初は「こうしてあげたい」という純粋な思いがあったのは本当です。
しかし、いざとなると事実は違ってきます。
私たちの気持ちってこのようにコロコロ変わっていきます。
なぜなんでしょうか?
人間は、「思い」と「事実」を行ったり来たりしているからです。
人間は宝くじが当たったという「事実」に直面すると、
人間の本性が出てきます。
その本性の根っこは「貪欲(とんよく)」という煩悩の親分、
「私が」「わしが一人で頑張って生きてきたんだ」という思い上がりです。
謙虚さのない傲慢さです。
人間はこの世にこの煩悩の親分である傲慢さを
薄くするために生まれてきたと言っていいです。
この可愛げのない傲慢さによって人は「思い」と「事実」を
心コロコロと豹変してきます。
親鸞聖人はこのコロコロ状態を「無慙無愧(むざんむぎ)」とおっしゃっていて、
慙愧(ざんき)という傲慢な心、自己中心的な自分勝手の心を
しっかり見ていかないと、人間ではない畜生の道を歩むことになると、
私たちに戒めておられます。
つまりこの「私が」「私の力で」という
自己中心的な傲慢さに気づいて、人としての良心である
「親のおかげ、みんなのおかげ、生かされているおかげ」という
感謝の心を取り戻せない限り、人間としてお蔭様の世界には
入れないとおっしゃっています。
人間は「自分は一人で頑張って生きてきた」から、
「いや、先祖や親をはじめ多くの人たちのお蔭で生かされきた」
という「事実」に気付いたとき、心から素直に「ありがたい」という
感謝の「思い」が心から起こってくるのです。
とにかく、人の心はコロコロ変わるということをまず受け入れて、
直感的にパッと相手に「何かをしてあげたい」と思ったことは
まずはあれこれ考えずに即実行していくクセをつけましょうよ。
そうすると心はスッキリ、後悔はありませんからね。

生かして頂いて ありがとう御座位ます。
■トラックバック
この記事へのトラックバックURL:/blog21/blog.cgi/20120827172538