「見守る」11/12(月)
親という字は「気の上に立って、側で子どもの事を見守る」
と読み解けます。
ここに「親」、本来の役割が、畳み込まれてますね。
特に、この「側で見守る」というところが、
この「親」という漢字に托されたポイントだと思います。
もう亡くなられたマザー・テレサさんが、
「愛の反対は憎しみではありません。無関心です」
と言われました。
「無関心」、「知らんぷりをする」、「無視する」という行為こそ、
「愛情」からもっとも遠く離れた行為なんだということです。
親子であっても、他人です。
自分の人生は自分の責任、自分の足で生きていくしかありません。
親にできることは、子どもの成長をお手伝いさせていただくだけで、
子どもは子どもで育っていくのです。
基本的に親にできるのは、
援助を頼まれれば行い、あとは子どもの成長を
側で見守ることだけです。
それが本当の愛の行為なんだと思います。
子どもに親がかなえられなかった夢を託す、
とか、子どもの才能を伸ばしてやるのが親の務めとか、
子どもの可能性を引き出すよう、早期教育を施し、
親が全力でサポートするという考え方もあるでしょうが、
ただ単に親の価値観を押し付けているだけのことって、
往々にあるのです。
子どものことを必要上にかまうのは、
親自身が癒されてない証拠です。
夢があるのならば、子どもに託すのではなく、
親が自分で実現すればいいのです。
親にコントロールされて育った子供は、
周りをコントロールすることを覚えてしまいます。
そうして自分の思い通りにならない相手が見つかると、
「憎しみ」を覚える様になります。
本当の「愛」は、ただ、関心を持って、じっと見守ること。
余計な手出しはせずに、愛の波動をただ、
やさしく子供に充てていけばいいのです。
親が「大丈夫、いつも見守っているよ」というサインを、
子どもに送ってあげること。それが「親の愛情」の行為です。
生かして頂いて ありがとう御座位ます。

と読み解けます。
ここに「親」、本来の役割が、畳み込まれてますね。
特に、この「側で見守る」というところが、
この「親」という漢字に托されたポイントだと思います。
もう亡くなられたマザー・テレサさんが、
「愛の反対は憎しみではありません。無関心です」
と言われました。
「無関心」、「知らんぷりをする」、「無視する」という行為こそ、
「愛情」からもっとも遠く離れた行為なんだということです。
親子であっても、他人です。
自分の人生は自分の責任、自分の足で生きていくしかありません。
親にできることは、子どもの成長をお手伝いさせていただくだけで、
子どもは子どもで育っていくのです。
基本的に親にできるのは、
援助を頼まれれば行い、あとは子どもの成長を
側で見守ることだけです。
それが本当の愛の行為なんだと思います。
子どもに親がかなえられなかった夢を託す、
とか、子どもの才能を伸ばしてやるのが親の務めとか、
子どもの可能性を引き出すよう、早期教育を施し、
親が全力でサポートするという考え方もあるでしょうが、
ただ単に親の価値観を押し付けているだけのことって、
往々にあるのです。
子どものことを必要上にかまうのは、
親自身が癒されてない証拠です。
夢があるのならば、子どもに託すのではなく、
親が自分で実現すればいいのです。
親にコントロールされて育った子供は、
周りをコントロールすることを覚えてしまいます。
そうして自分の思い通りにならない相手が見つかると、
「憎しみ」を覚える様になります。
本当の「愛」は、ただ、関心を持って、じっと見守ること。
余計な手出しはせずに、愛の波動をただ、
やさしく子供に充てていけばいいのです。
親が「大丈夫、いつも見守っているよ」というサインを、
子どもに送ってあげること。それが「親の愛情」の行為です。
生かして頂いて ありがとう御座位ます。

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