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「無上道」1/6(日)
仏教は、なんでもいいから、仏様を拝みなさい、
仏像に祈りなさいという教えではありません。
また、なんでもいいから、念仏を称えなさい。
という教えが、浄土真宗ではないんですよ。


法、阿弥陀様の大きな「いのちの世界」があることに気づきなさい。
常にこの「身」をささえて下さっているもの(他力)に目覚めなさい
という教えが浄土真宗なんです。


念仏とは何かというと、「なんまんだぶつ」という阿弥陀様、
真の親の名を呼ぶことによって、「わが身」を支えて下さっている大きな
「いのち」に気づきなさいと、私たちに目覚めを促す「法」の「呼び声」
を受け取っていく、そしてそのお心を聞くということなんです。


仏様の御姿に合掌礼拝して向かうことによって、
私のことを常にささえていて下さる大きな「いのち」に気づきなさい
ということなのです。


「呼び声」を姿としていたた゜くのがご本尊です。
「法」に「目覚めよ、気づけよ」という教えが、仏教です。
それをいつのまにか、自分の都合のいいことを祈る教えにしたり、
一生懸命拝んで、自分の都合のいい御利益を頂くという
教えにしてしまいました。


法に遇うというのはそういうことじゃないのです。
少なくとも法に遇って何かに気づくということは、
自分は、これまで世の中の人並みにいいこともしてきた積り
でいたが、よくよく自分を見ていけば、あんまりいいことを
してこなかった、という本当の自分の姿に気づくということです。


観無量寿経に出てくる「一生造悪」とは、
一生涯、悪ばかり造っている人という言葉です。
なかなか若い時はこのことは素直に受け入れられません。


ただ今になって味わってみたら、
自分ひとりで生きているという思いで生きている人は、
自分では気づかぬままに悪を造り続けているんて゜す。


悪と言うのは、周りの人を悲しましたり、苦しめたり、
泣かしたり、傷つけたりすることです。
自分ひとりの力で生きていると思っている人は、
人生がうまくいっているときは、気づかない間に自分には
力があると、他の人の上に上がっています。


他の人の上にまいあがっているということは、
他の人を下に見て、自分では気づかないままに、
周りの人を蔑視してみたり、踏みつけて生きてます。
そういうかたちで、周りの人を非常に傷つけて
いるのです。ただそのことに自分は気づけない。


反対に人生が自分の思う通りにいかなくなると、
自分に能力があると思っている人に限って、
「他の人が悪い」「あの人が足を引っ張る」
「この人が私の邪魔をする」と、誰かを悪者にして、
責任を他の人に押し付けるのです。
そのようにして、周りの人を悲しめ傷つけます。


知らず知らずのうちに、
私たちの生き方はそうなってしまう。
そうなると、人生がいい時も悪い時も、結局、周りの人を困らせ、
苦しめ、傷付けるようなことしかしていない生き方になってる。
そういう「一生造悪」に深く気づくというのが、法に遇うってことです。


そして、こんな私を物凄く心配し、見捨てることができないと、
常にささえて下さるのが法て゜す。すなわち阿弥陀様なのです。
ご先祖様たちは、その大きな働き、他力の心を、親様の親心と
言って大切にいただき、「親のお慈悲にあえてよかった」
と喜びました。


だから「法」に気づくと偉くなるという話ではなく、
「法」にきづいたから、「わが身」は実にお粗末なものだ、
と目覚めていくのです。
回りの人を困らせ、悲しませているようなことばかりしてきた
自分に気づいていくのです。


そのような気づきがなかったら、
自分の生き方を、自分の悪しきクセを、改めようがないわけです。
多くの人は、そんな自身に気づかないから、自分の言ったり
行ってることは当然だ、自分こそは正しいと思っています。
だから永遠に自分の在り方は、変わりようがないわけです。


法に遇うというのは、反省した、ということではないのです。
知らされたということは、もうすでにそのことを知らせて下さる
法、真実に遇っているということなのです。
それは、私の本当の姿を教えられ、
もうすでに「法」の中に生かされ、支えられているわけです。


別の面から言うと、
自分ではどうすることもできない、「造悪」の日暮の中に、
落ちるというか、ほって置いたら、自分の人生が無意識に
苦悩の中に沈んでいくしかありません。そんな私が、
すでに「法」「阿弥陀様」に支えられ生かされて生きているのです。


生かされて生きているわが身であったと気付いたら、
「生死の苦海」に沈むしかない私たちが、
この世に生かされているのですから、
この身のありったけを、精一杯生かして生きようということになる。
そういう生き方に気づき、目覚めていくことが、信心を
いただけくということであり、法に遇う、念仏申すということなんです。


どれほどつまらない生き方している時でも、
私をささえて下さるお方、「法」があって、お粗末な私が、
お粗末なままで、生かされて、今日があるわけです。


それでよく仏教では「たすかる」と言いますが、
「たすかる」とは本当の意味で、私が私の「いのち」を、
生きれるようになるということです。
仏教では「生死出離」と言って、「生死」とは、
「生死流転」とか、「生死流転」といい、「迷い」の生活です。


そういう迷いの人生から出、離れて、私が私の「この身」を生きる。
そういう人生が実現することが、「たすかる」ということなのです。


私たちの人生はどうなっているのかというと、
立派なこと、偉そうなことを言っていても、現実の人生は
世の中に流され、周りの人の言葉に流され、自分の持ったものに
執着して、引きづり回され、さらに、自分のわがままな心、
煩悩に流されて、転び続ける人生を繰り返しているのです。


そういう人生のあり方を「流転」といいます。
それも転びながら前に進めばいいのですが、
死ぬが死ぬまで同じようなところを、ぐるぐると輪が周るな
人生です。そのことを「輪廻」というのです。


その「流転輪廻」の「いのち」のあり方を、「生死」(まよい)
といい、そこを一日でも早く出て、一歩でも二歩でも前に向いて
生きて行く、それが「たすかる」ということです。


そして前に向いて生きるといっても、
どちらが前なのかわからない私たちに「浄土」こそ、
私たちが進んでいくべく世界であると、
法は教えて下さいます。


では「浄土」とはどんな世界かというと、
それぞれが自分でしかない「いのち」を
輝かせて生きている世界です。
まさに阿弥陀経に書かれている
「青い色は青い光、黄色い色は黄色い光、
赤い色は赤い光、白い色は白い光」を輝かして
生きる「いのち」の世界です。


私が、私でしかない「いのち」を精一杯生き切っている
世界が、本当の「いのち」の世界、それが「浄土」なのです。
それそ゜れが、本当にかけがえのない自分の「いのち」を、
生きる人生を実現していく「いのち」の歩み(往生)が
「たすかる」ということなのです。


また、自分の都合だけを優先し、
自分の思いに閉じこもった狭い自我の世界から解放され
出離して、ご縁によって開かれた広い世界を生きる人生の
実現を「たすかる」「救われる」というのです。


お釈迦様がおっしゃるように「人生は苦」です。
でも、私が何にぶつかっても、変わることなく常に
私をささえてくださる「法」があると、人生は、強く明るく
立ち直れるのです。腹が座ってくるのです。


まさに良寛さん
「災難にあう時は、あうがよろし候 死ぬときは 死ぬがよろし候」です。
人生は無常ですから何があるかわかりません。
だから、普段から仏法のお話を聞いたり、み教えに
一時も早く遇っておくことが必要なんです。


いざというときには、それこそ、
オロオロとうろたえるだけで、自分で自分の「身」の始末が、
つかなくなってしまうからです。
自分の都合の悪いことに出あったら、「法」に遇ってる人も
腹は立ちます。ただその後の受け止め方が違って
くるのです。


「おみのり」「法」に遇うということ、それは姿、
形が見えないけど、私たちはそういう大きないのちの働きによって
生かされているということ、その世界を「仏様の世界」というわけです。


またその世界を仏教では「法」の世界といったり、
「浄土」といったり、その縁起の働きを「他力」といったり、「本願力」
といったり、「自然(じねん)」と言ったりするのです。


また、それは、すべての「いのち」を「摂取して捨てることのない」
働きです。その働きを、「阿弥陀様」と名づけ、「他力」というのです。
「法」も「阿弥陀仏」も「他力」も「本願力」も「自然」も、
みな同じことを表すお言葉なのです。


仏法はスポーツや武道と一緒です。
くり返しくり返し練習するから上手になり強くなります。
人生も一緒なのです。何事でも、同じことを
くり返しくり返しやらないと「身」につきませんし、
本当の「力」になりません。


お釈迦様の言葉に「無上道」というのがあります。
「無上道」とは「上が無い道」ということですが、
まさに人生も「無上道」です。


仏道とはまさにこの「無上道」を歩むということなのです。
だから法は深いし益々努力精進していく道には限りはありません。
ということで、ちょっと難しいかもしれませんが、
今日は保育士向けの内容にしてみました。


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生かして頂いて ありがとう御座位ます。

16:51, Sunday, Jan 06, 2013 ¦ 固定リンク ¦ コメント(0) ¦ コメントを書く ¦ トラックバック(0) ¦ 携帯

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